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https://jp.sputniknews.com/opinion/201711154280401/
「最後の兵士が埋葬されるまで戦争は続く」サハリンとクリルでは日本兵の遺骨捜索活動が続けられている
© 写真: Artyom Bandura
オピニオン
2017年11月15日 22:46(アップデート 2017年11月17日 20:34)
リュドミラ サーキャン
トピック 南クリル諸島:不和あるいは協力の島?
サハリン及びクリル諸島のシュムシュ島(占守島)でロシアの捜索隊が発見した日本兵18人の遺骨が、日本の厚生労働省の代表者らに引き渡された。遺骨引渡式は11月15日にサハリン中部スミルヌィフ町で行われた。社会団体「ロシア捜索運動」サハリン支部の責任者アルチョーム・バンドゥーラ氏が、通信社スプートニクのインタビューでその詳細について語った−
スプートニク日本
「日本兵3人の遺骨は、日本代表団が到着したサハリンのスミルヌィホフスキー地区で今年夏に見つかった。私たちの捜索グループは2016年と2017年に同じく私たちがシュムシュで発見した日本兵15人の遺骨も引き渡す。昨年シュムシュでの活動中に私たちは日本兵12人の遺骨を見つけた。そのほとんどは戦車兵だったと思われる。彼らは破壊された日本の戦車の近くで発見され、戦車兵の軍装品も見つかった。1人の遺骨の近くでは記章と、『フクダ』という名前の判子が見つかった。これは珍しいことで、これをもとに身元を特定し、親族を見つけられるかもしれないため非常に重要な品だ。私たちは今年さらに別の判子1本と記章2個、硬貨の入った財布も見つけた。重要な小さな品物や故人の私物を見逃さないために、土の塊すべてが手でふるいにかけられる。これは楽な活動ではないが、日本側への遺骨引渡はこれまでにも行われている。私たちはクリルとサハリンで2014年から捜索活動を行っている。私たち全ロシア捜索運動サハリン支部のメンバーは30人で、年齢も職業も様々だ。全員が同時に捜索活動に出発できるわけではないため、通常は休暇中や休日に小グループで出かける。だが出発する前にアーカイブ資料を綿密に調べ、捜索エリアを狭めるためにどこで軍事行動があったのかを明らかにする。」
© 写真: Artyom Bandura
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ロシア捜索運動
シュムシュ島には第二次世界大戦が始まるまでに日本の強力な要塞地区がつくられ、その周辺で短期間ではあったものの激しい戦闘が繰り広げられた。このシュムシュ島で1945年8月、第二次世界大戦に終止符が打たれた。バンドゥーラ氏はスプートニクのインタビューで、捜索隊の主な目的について次のように語った−
「「文書では、サハリン及びクリルで戦士したすべてのソ連兵は埋葬されたとされている。しかし実際はそうではない。最後の兵士が埋葬されるまで戦争は続く。我々の時代だけでもシュムシュ島でソ連兵110人と日本兵35人の遺体が見つかった。ソ連兵の遺骨はセヴェロ・クリリスクにある軍事記念墓地に埋葬され、日本兵の遺骨は日本領事館に引き渡されている。」
11月18日、遺骨はスミルヌィホフスキー地区のオルロフカ川の岸辺で火葬され、代表団が埋葬のため遺骨を持って21日に日本へ出発する。兵士の遺骨を日本側へ引き渡す活動は、政府間協定に基づいて1991年から行われている。これまでに大日本帝国軍の兵士470人以上の遺骨が見つかった。
トピック 南クリル諸島:不和あるいは協力の島?
タグ 露日関係, クリル諸島, 日本, ロシア
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