★阿修羅♪ > 戦争b20 > 819.html
 ★阿修羅♪  
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
あの地獄を忘れられない…満州で「性接待」を命じられた女たちの嘆き 〜開拓団「乙女の碑」は訴える《後編》(現代ビジネス)
http://www.asyura2.com/17/warb20/msg/819.html
投稿者 赤かぶ 日時 2017 年 8 月 25 日 21:01:47: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 


あの地獄を忘れられない…満州で「性接待」を命じられた女たちの嘆き 〜開拓団「乙女の碑」は訴える【後編】
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52609
2017.08.24 平井 美帆 ノンフィクション作家  現代ビジネス


ソ連軍侵攻から敗戦へと「満州国」が崩壊した後、暴民の襲撃、ソ連兵の強姦などによって、日本人開拓団は追い詰められていった。そのとき、逃げ場を失った集団を守るために、ソ連軍上層部らの「性接待」役として差し出された乙女たちがいた――。

70年の歳月を経てその重い口を開いた彼女たちの告白を、ノンフィクション作家・平井美帆氏が綴る。

(前編はこちらから
 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52608)

■口を閉ざす人々

照子さんは八路軍(のちの中国人民解放軍)によって留用され、1953年に日本へ帰ることができた。看護婦として働かされた漢口の陸軍病院では、兵士の誤射によって被弾し、左足に傷跡がうっすらと残る。八路軍の幹部は、「日本人は女を出した」と黒川開拓団の性接待を知っていたという。なぜ、あんなことをしたのか……。八路軍兵士からそう言われたことが照子さんの胸に深く刻まれている。


 照子さんは書き留めていたメモを見ながら「あの時」を振り返った(@MihoHirai)

遺族会は乙女の犠牲をどう受け止めてきたのだろう。

『ああ、陶頼昭 黒川開拓団の想い出』

戦後から約36年経過した1981年3月に黒川分村遺族会が発行した文集には、性接待に言及した箇所が散在する。

ある男性団員は自分たちが生き残ることができたのは、治安を維持してくれたソ連軍と八路軍のおかげだと書き記し、「しからばこの人達に対し、交渉に当たってくれた団幹部の方たちだけであの安全が得られたであろうか。十余人のうら若き女性の一辺の私利私欲もない、ただただ同胞の安全をねがう赤城の挺身があったからではないだろうか」と続けた。

他の男性もこうだ――「駅に常駐する司令部のソ連兵には豚の料理などで接待し、娘たちも協力してくれ誠に感謝の外ない」。

男性寄稿者たちは少女たちの犠牲を悼みつつも、本人が自発的に身を捧げた解釈をしている。その一方で、女性寄稿者は被害女性を含め、誰一人としてそのことには触れてはいない。

1981年11月、異郷で命を落とした少女らを悼み、「乙女の碑」が建てられた。碑には亡くなった女性たちの名前は刻まれず、事情を知る者たちの胸中だけにおさめられた。

当時の遺族会会長は、町の会報誌に「うら若い乙女たちの尊い、かつ痛ましい青春の犠牲があった」とだけ綴っている。地元に碑が建立されても、何があったのかは触れてはならないことだった。

あれからさらに長い月日が流れ、終戦時に大人だった人々はすでに亡くなった。

女性たちが何度も名をあげた団幹部男性・義夫には、戦後生まれの息子がいる。黒川開拓団の遺族会会長を務めている彼は、「接待」について口外してはならないという方針を採っていた前遺族会会長とは異なり、後世に歴史は残していかなくてはならないと考えている。

「こういうことがあったとは、親父は話したことがなかった。豊子さんなどと話すようになってから、自分の親父が深くかかわっていたと知った」

性接待を決め、娘たちを差しだした男たちは、引揚げ後も、同じ集団内のリーダーであり続けた。文江さんは「乙女の碑」に他言無用の文言をつけ加えたが、いまもむかしも岐阜県内で暮らすおばあさんたちから話を聞いていると、狭い人間関係に縛られてきたことがよくわかる。遺族会会長らをたどると、敗戦当時の団幹部らにつながり、さらにたどれば満州への分村移民を決めた村の男衆らにつながるのだ。

脈々と続いてきた男たちの決めごとのなかで、いかに女性の人権はないがしろにされてきたか。そして、いまなお、まわりの認識は本人たちとはずれがある。慰霊碑に対して、なんらかの思い入れを口にした被害女性などいない。

スミさんは乙女の碑など見たくないと話す。

「乙女の碑なんか、私のほう相談あれへんよ。○○さん(遺族会の男性)が乙女の碑に、口紅つけたって。何それ?」

屈強な兵士らに犯され、性病に感染して苦しみもがきながら死んでいった仲間たち……。あとから尊い存在に祭り上げられること自体、冗談じゃないとなる。「あんたらのおかげで私らは救われたんでさ」と感謝を口にされたときも、返す言葉などなかった。

本人にとってそれは紛れもない性暴力であり、どこにも逃げられない状況のなか、上から強要されたものだ。ところが今でも、当時を知る人は「接待」と言い、私が「レイプ」と呼ぶと拒否感を示した。

亡くなった娘たちはどういう存在なのだろうか。現遺族会会長に訊ねると、少しの間をおいて彼は答えた。黒川開拓団の「守り神」であると……。 

■姉妹のきずな

文江さんとはあと一歩のところで会えなかったが、彼女の姿と肉声は満蒙開拓平和記念館で数年前に行われた講演会のビデオに残されていた。ありし日の文江さんは満州体験のなかで、「性接待」についても言及している。

彼女の証言によると、ソ連兵らによる「女狩り」を防ぐため、娘たちがソ連軍将校の「おもてなし」をすることになったとき、「それなら死ぬ」と娘たちは言い、まわりの者も大反対したという。だが、副団長が「兵隊さんに行っている家族を守るのも、おまえたちの仕事。団の存続は娘たちの力にかかっている」と力説した。そのとき、文江さんは副団長に同調し、泣いている年下の女の子たちを慰める側にまわったと打ち明ける。

「いまから思うと恥ずかしいんですけど、本当に、自分の命を捨てるか、開拓団の皆さんをお救いするかは、娘たちの肩にかかっていると自分で思ったんですね。それでなんとしででも日本へ帰りたいから、命を救いたいからということで」

スミさんら、ほかの被害女性によると、文江さんは「綾子の分も私が出る」と妹をかばい、妹は接待の任務をしなくて済んだという話だった。

妹の綾子さん(仮名、88)と会えたのは2016年8月のことだ。ハガキを送ったところ、耳の遠い祖母の代わりにと、30代の孫の女性から連絡が入った。

「ハガキをもらって、おばあちゃんは嬉しかった。わざわざ調べてくれてって、すごい喜んでいた」

綾子さんは満州体験をこれまで身内にしか話していなかったが、「亡くなった姉さんのためにも」という思いもあってか、インタビューを快諾してくれた。


 忘れがたき満州の記憶を語る綾子さん(@MihoHirai)

旧黒川村のあった地域からいくつかの峠を越えた山間部――。自ら切り開いた土地のうえに、綾子さんは三世代で暮らしていた。前日に丸一日かけて綴ったというメモ書きの束を前に、彼女はその半生をとめどなく語り続けた。

「男みたいな気性やった」と、綾子さんは姉のことを評する。お姉さんが綾子さんの分まで、ソ連兵のもとへ行ったのは本当なのだろうか。

「最初は、娘は全部接待に出るって話やったけど、とにかく姉さんががんばって、私はね、17になっとったかね、数えの。とにかく、姉さんが数えの18以上って線を引いちゃったのよ。それで私を外してくれたんよね」

姉の機転で接待役をまぬがれた綾子さんには、接待に出た人の洗浄係が割りふられた。開拓団は医務室を作ってベッドをひとつ置き、接待に出た女性たちの洗浄を行っていた。洗浄の指導をしたのは、外から入ってきた北海道出身の衛生兵だったという。

「そんな技術は開拓団には医者もいないし、ないもんでね。夜……夜中でも接待に出た人がいると起きてね、冷たい水で洗浄した。冷たかったやろうねえ」

過マンガン酸カリウム、モルヒネ……。綾子さんはぶつぶつ呟くように、扱った薬品名を挙げていった。陶頼昭の南側の駅にいた日本軍の部隊が残していった薬品類を、開拓団の人たちが運んできたものだ。

「リンゲルの瓶いっぱいに、抹茶の小さい匙があるわね。それで、過マンガン酸カリウムを一杯ぽっと入れるとね、ばあーっと、真っ赤になるのよ。それを上から吊るして、ホースをずうっと通ってきて…。上からそれを、ホースの先をどうしたか覚えはないけれども、下からね、ホースを子宮まで入れてやって洗って……」

■「途中で死ねばよかった」

綾子さんは堰を切ったように、当時の様子をふり返った。途中、「接待」と聞いたときの気持ちを訊ねると、その問いには答えずに次のように告白した。

「最初にロシア兵がだーって入ってきたときはね、13、14歳くらいの子から上、みーんなロシア兵の犠牲になっちゃったのよ。ほんでねえ、私もそんな目に……。一番最初はねえ、体格がいいロシア兵が私をひっつかまえていってねえ、ほいでもう、あっとう間にやられちゃった」



驚いた私が再び訊ねると、綾子さんはうんと頷いた。手書きのメモには次のように記してある。

≪敗戦国の惨めさ。支那事変のときの日本兵の女あさり。話は聞いていたが、直面するとは……夢にも思わなかった≫

中国東北部の冬は零下30℃にもなる。極寒の季節が過ぎた4月はじめ、父が亡くなり、その月の終わりには母も亡くなった。父の死後、母になんとか食事を与えようとしたが、母は口をつぐんで何も食べなかった。「食べれば生きのびる。母は死ぬつもりだった」と綾子さんは母の覚悟を推測する。

それからは文江さんが親代わりとなって、身をなげうって、綾子さんと2人の弟を故郷まで連れて帰った。

しかし、引揚げ後の道のりもまた、険しいものだった。敗戦後の日本はどこも生活が苦しく、きょうだいはばらばらに引き取られ、綾子さんは母親の実家へ、上の弟は父親の姉の嫁ぎ先へ。そして文江さんと下の弟は、父の実家の裏にあったワラ小屋に移り住んだ。

親戚には冷たい目でみられ、まわりからは満州でけがれた女と偏見をぶつけられる。「途中で死ねばよかった」「帰ってこにゃ、よかった」――気丈な姉がそう漏らすこともあった。

「乙女の碑」の最終ページには文江さんの心情が追記されている。

≪命からがら日本に帰って来ればロスケにやられた女とささやかれて、何時出るか解らない病気に怯えつつこっそり病院に通った。ある日弟が好きになった団の娘が途中で悲しいことがあったと聞いて一変に嫌になったと聞いた時、千丈の谷に落ちる感がした≫

まだ子どもだった弟らは、姉妹がどのような目に遭ったのかを知らない。そうとはいえ、弟は好きになった娘が、引揚げ時に性暴力被害に遭ったと知って嫌いになったというのだ。弟でさえこうなのだからと、文江さんは嘆いた。

≪これが開拓団も含めて、一般の人の気持ちに違いない。あのまま自決すれば、こんな悲しい思いはないのに、涙も悲しすぎると出ないもの≫

結婚は満州のいろいろな事情を知っている人とするのがいい――。姉妹はそれぞれ、元義勇軍の男性と結婚した。だが、文江さんには子どもができなかったことから、綾子さんの次男を養子にもらい、ひとり息子として大事に育てあげた。

姉妹はまさに互いに支え合い、二人三脚で厳しい人生を乗り越えてきた。

「姉さんが守ってくれた。姉さんがいなかったら中国で孤児になっていた。綾子、綾子って、姉さんの声がいつも耳に残っている。『男なら、こんなに頼りにならん』って言っていた」

■どうしても納得できないこと

物心ついたころ、綾子さんは次男から「なんで、僕を大垣(文江さんの嫁ぎ先)にやったんだ?」と訊ねられたことがある。

「姉さんのおかげで内地に帰ってこれたんで、その恩をおまえに返してもらおうと思ってやった」

綾子さんがそう言い聞かせると、次男はそれから何も言わなくなったという。

お姉さんの写真が見たいと言うと、綾子さんはアルバムのなかから探しだそうとしたが、それほど枚数はなかった。ようやく出てきたのは、1991年にふたりで四国に旅行したときの写真だった。

「姉さんの写真がこんなにないなんて、わからなんだ……。ずっと姉さんからふたりきりで旅行がしたい、連れてけって叱られてたけど、舅さんがあったでね、そんなに出れない。一緒に旅行には行けなかった。それが心残り。死んだら一緒に旅行に行ける」

映像のなかの文江さんとそっくりの声で、綾子さんは穏やかに言った。

文江さんの講演会の後半は、苦しい問いかけで埋められている。彼女は生涯にわたって、自分の人生がまったく思わぬ方向に行ってしまったことに苦しみ続けた。

わずか4年の満洲生活で味わった地獄は忘れることなどできず、夢にもたびたび現れた。陶頼昭駅の近くにうずくまっている自分、松花江に飛び込む自分――。父が私たちを満州に連れて行ったことが原因と、父を恨む気持ちも消えない。

どうしても納得できないものが心にあると、文江さんはとうとうと語る。

「一体、満州ってなんだったんだと。日本はなぜ満州なんかを作って、国民をたくさん送り出して、あんな悲しい思いをさせたのか。子どもたちは絶対、平和のなかで育ててほしい。平和のなかで、個人個人が行動するのはいいんです。それは運命ですからね。でも、その集団のなかで逃げられない、どうにもならないってことには、絶対になってはいけないと思うんです」

幻の満洲国が崩壊してから、70年以上の月日が過ぎた。孫娘らを見ていると、自分の若かりし頃とつい比較してしまうと文江さんは複雑な心境を吐露する。自分が通らなければならなかった娘時代というのは、避けては通れなかったかもしれないけれど、還らぬ青春が悔やまれる。そして、彼女はこう続けた。世界各地の紛争や難民のニュースを目にするたび、平和な国の幸を願わずにはいられないと――。

「戦争する人はいいですよ。好きでやってるんですから。だけど、その残された庶民、多くの子どもも死んでいくやろうと思うと、私は胸が痛い。ちょっと優しい心を持って、指導者が心を鎮めてくれたら、大きな戦争にはならんかったで。戦争の犠牲になっていく庶民がかわいそうでしかたがない」

文江さんの遺した詩「乙女の碑」は次の一節で終わる。

≪異国に眠る あの娘らの 
 思いを胸に この歌を
 口づさみつつ 老いて行く
 諸天よ守れ 幸の日を
 諸天よ守れ 幸の日を≫








 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
1. 2017年8月25日 21:40:42 : 0CejVRban6 : urcdmA9xc1s[4884]
「支那事変のときの日本兵の女あさり。」

私たちは加害者にもならない、被害者にもならない、そんな未来をつくっていきましょう。


2. 2017年8月26日 03:44:49 : 6CLfEIh5JA : vNQ@BkWKL5E[32]
招魂碑?軍国主義の神社、招魂社と気脈を通じているな。
だが当時中国大陸へ移民していたというだけで侵略者の走狗となった前歴がある、ということで、自業自得だ。従軍慰安婦のモチーフの日本版だな。
同情する気にもならん。

つうかこれ、ソ連上層部の性接待役?
つまり色仕掛けで都合よくソ連軍を操ろうとした?
関東軍というゴミのような軍隊が役に立たないとなったら今度は女か。
AKBにキャイキャイ言っている日本らしい発想ではあるが、なんとも安っぽい。
これではあまり韓国を笑えぬわ。


3. 2017年8月26日 13:09:06 : w3M1BHSquE : 5KToaZSVnLw[1803]
満州開拓団とは、いわば口減らしの丁稚奉公と同じ発想 国家が養い切れない人間達を移住させるための
大掛かりな収容所のようなものだった 「満蒙は日本の生命線」 という合言葉自体が侵略の肯定

そもそも、貧乏で居場所のない あぶれた人間達を処理する目的だった
満州開拓団の応募には、今の価値にして およそ150万円相当の支度金が 国から支払われたという

だが 結果として ほとんど騙されたも同然だった 満州へ移住して生活が豊かになった人など
ほんの一握りの人達だけだったという。


4. 晴れ間[1346] kLCC6orU 2017年8月26日 14:31:34 : xni5yVaf3k : Fxfse0RTtHo[469]
当時の(そして今日も) 日本社会の女の地位と人権状況をよく表していますね。
「性奴隷」にされた女たちは、「棄民」の、そのまた「棄民」です。当時の日本国家にとっては、開拓団は「大陸侵略の先兵」に過ぎません。
私の母親が、そのまた母親から聞いた話では、戦前の日本社会の農村部では、「少年開拓団」(というのがあったそうです) に加わる生徒の割当が学校毎にあり、教師が生徒の親を説得して(圧力をかけて) 開拓団員の募集業務を行っていたそうです。教師にとっては単なる「ノルマ」だったのでしょうが、ノルマ達成のために、教師は好んで「貧しい家庭」(所有する畑が少ない家庭) の子供を狙っていたそうです。
「移民」は、単に国内の人口圧力の高さを解消するためではなく、日本の大陸支配を固めるためのものでもあったでしょう。日本の支配層と軍部は、「民間人」を楯にして「侵略の野望」を進めたのです。

もともと日本社会には、親が一家の生活のために「実の娘を遊郭に売り飛ばす」という風習がありました。そしてこれを「親孝行」だといって褒め称えてきました。「からゆきさん」も「従軍慰安婦」(その多くは日本人) もその延長でしょう。
そして今でも、社会保障費を節約するために、日本では「風俗」という言葉で誤魔化した「女の売春」(パートタイム、出来高制の性奴隷制) が盛んに行われています。
(※なお、先進西欧諸国では、女が売春に追い込まれるほどの貧困はありません。何らかの社会保障制度があります。)
結局、日本では「人権意識」が非常に低いままなんですよ。昔も今も。

最近の日本の「右傾化」と「軍国主義化」は、「戦争を体験した世代」の多くが死亡して消え去っているためでもあるようです。戦争と戦争勢力を本気で告発する人がいなくなりました。
戦争勢力の「親玉」であり、最大の「戦争責任者」である「天皇と天皇制」を批判する人があまりいません。阿修羅にも、「憲法9条」にかこつけて「天皇制」を称賛する人が後を絶ちません。自分は「天皇主義者」だと、恥ずかしげも無く宣言する「エセ民主主義者」までいます。
いくら現行の天皇が「平和主義者」のポーズを取っても、多くの日本国民を戦争で殺した「天皇制」を許してはならないのです。(問題は「個人の資質」ではなく「制度」と「イデオロギー支配」です。)
「天皇制」と「世襲政治」が続く限り、日本には本当の「民主主義」はありません。本当の民主主義(「人間平等の精神」) がない限り、「人権思想」は根付きません。

----------------------------------------
なお、私は「平和主義者」ですが、「憲法9条絶対派」ではありません。日本は武装し、戦力も交戦権も持つべきです。(外の世界は、日本人が期待する平和とはほど遠いものです。)
ただし、軍隊はピープルのものでなければなりません。支配階級が国民を支配するための軍隊ではなく、ピーブルが自分を守るための軍隊。
従って、日本の武装(憲法9条の破棄ないし改変) と、「天皇制の廃止」はセットで行われるべきです。でないと、「民主主義」が担保されません。


5. 金太マカオに着く[226] i@CRvoN9g0qDSYLJkoWCrQ 2017年8月26日 16:18:39 : 7Mao2VQWW2 : E5G9pNPmu9I[291]
2ちゃんならロシアへの暴言レスで溢れるところだが
阿修羅は落ち着いているな
日本兵はロシアでも強姦しまくったから何も言えない

> 「一体、満州ってなんだったんだと。日本はなぜ満州なんかを作って、
>  国民をたくさん送り出して、あんな悲しい思いを・・・

これこれ
これについて、どのくらいの日本人が疑問を抱いているのか
天皇に繋がる話だから、マスコミは決して触れない
映画やドラマでも決して触れないはず
メディアで触れなければ国民は考えようとしない
日本人は与えられた情報の狭い範囲だけを考え、
なぜそうなんだという根本の部分を考えようとしない
テレビに流されて、かなりバカになっている

年寄りは子供の食い分を減らすまいと山に入って自殺するほど国民が飢えても
満州に国富を注いだのはなぜなんだ?

そこが寄生虫天皇の故郷だから。


[32初期非表示理由]:担当:スレ違い多数により全部処理

6. 2017年8月28日 03:06:23 : w3M1BHSquE : 5KToaZSVnLw[1807]
兎にも角にも この 「満州建国」 が、一連の戦争が 紛れもない日本による侵略戦争であった事実を
歴史的に証明している動かぬ証拠 だから 今上天皇が わざわざ談話の中で満州事変に言及したのである

「今一度 満州事変に始まるあの戦争を・・・」  ふつうは、「かつての戦争」 とか 「あの戦争」 とかで
ほとんどの人は充分理解出来るはずなのに わざわざ 満州事変に始まる と、付け加えたのです

満州は 関東軍が 自作自演のテロ(柳条湖事件)を起こし、それを口実に満州全土を武力で制圧し
それこそ世界中から、国際法違反の侵略行為と非難され ついには国際連盟に脱退状を叩き付けるという
「戦争への道」 の、原点なのであります

※ 柳条湖事件が自作自演だった事実は、戦後の昭和25年 首謀者だった石原莞爾の側近中の側近
 花谷正が 告白証言して、謀略であった歴史的事実として公式に認められている ※

この時 国際連盟に提訴された 中国による日本への非難は 47対1と言う≪圧倒的大差で≫採択された
47対1における1とは もちろん日本だけ もうこの時点では世界中を敵に回して孤立しているのです

● 満州 イコール 日本による侵略の証し なのです ●


7. 2017年8月28日 09:38:19 : ArG5WsPsa2 : ylyudJXPm0U[120]
ソ連兵士による 日本人女性強姦である

なぜソ連への批判がないの、 日ソ不可侵条約を破り満州侵攻、日本人を強姦

したソ連軍を非難する投稿がない。

1.2.3.4.6>>おまいら 赤、共産党の回し者か?

日本がわるい、全部日本がわるい、基地外か、いかれてる。


5>>あのな、日本軍はちゃんと慰安婦がついてる、金はらってるんだ。
 
  ソ連軍は現地調達、無料で強姦だ、違うんだよ


8. 2017年8月28日 12:08:31 : w3M1BHSquE : 5KToaZSVnLw[1808]
>>7
頭がいかれているのは かつての戦争をいまだに自衛の戦争だなどとほざく 君たち馬鹿ウヨだ

おまけに こんな所でソ連を批判してなんになる ソ連の人間が見ているとでも思っているのか
お目出度いにも程があるぞ ソ連(ロシア)に対して批判したいのなら ロシアのサイトでも行け
もちろん、ロシア語を一から勉強してからな

世界中の誰が見たって、日本による侵略だ 悪いのは当たり前だ
もちろん 日本だけが悪いと言う訳ではないが 我々は 比較論をしている訳ではないのだよ
他所の国の事などどうでも良い この国の悪かった事をまず先に反省するのは、人間として日本人として
当り前の論理ではないか

お前さん方 ウヨは どうしてよその国と比較したがるんだ?


9. 2017年8月28日 13:36:19 : ArG5WsPsa2 : ylyudJXPm0U[121]
8>>。ヨ日本だけが悪いと言う訳ではないが 我々は 比較論をしている訳ではな
   いだよ}


   そうか、ならば、日本だけが悪いんじゃないけれど(ソ連は相当のわるだ

   が)と 前置きがあると少しはよくなる。

  
   全部日本が悪い、なんでもかんでも日本がわるいと 受け取る人間もいる
 
   からな。


10. 2017年8月28日 13:58:54 : t56FQrexZw : YZJmHPD1jrc[1]
>>8
>かつての戦争をいまだに自衛の戦争だなどとほざく 君たち
>世界中の誰が見たって、日本による侵略

まあ、ある意味自衛でしょ。
油枯渇してたんだから。

確かに侵略しましたが、してなかったら東南アジアは、未だに馬鹿なイギリス人の植民地のままですよ。 そうした独立幇助の意味合いもあった戦争を否定することが、一体どういう意味なのか、理解して発言してます?

あの戦争を否定する、即ち再びアジアを白色人種の庇護下(事実上の植民地)に戻す、という意味もあるんですよ?

今のアジア諸国でこんな愚かな考えを是とするのは、隣のアメリカ傀儡で、精神的にひ弱で情けない、長年培った奴隷根性だけが旺盛な、あの韓国人だけでしょ?

あんた韓国人の在日か何かですか?w
そんなに白人好きですか?w


11. 2017年8月28日 14:07:50 : t56FQrexZw : YZJmHPD1jrc[2]
>>3
>満州開拓団とは、いわば口減らしの丁稚奉公と同じ発想 国家が養い切れない人間達を移住させるため

まあ、アメリカに移住した欧州系の移民も、ほとんど同じ動機だったでしょう。

YouTubeとか嫌いかもしれませんが、動画に旧満州のものが多数存在してまして、見てみたとこ、中央銀行はあるわ、立派な役所の建物はあるわ、電信電話会社は東京のそれに引けを取らないわ、ゴルフコースはあるわ、近代的に造成された郊外一軒家が並ぶ住宅街はあるわで、あれ見たら今でも移住したくなりましたよ。

それに、性接待とか言いますが、満州獲得後の白系ロシア系の女性達だって、どんなセクハラされてたか。何万人もいたんでしょ?満鉄のウェイトレスだって、尻触られまくってたんじゃないんですか?

お互い様でしょう。


12. 2017年8月28日 14:25:09 : ArG5WsPsa2 : ylyudJXPm0U[122]
10>>。ヨ確かに侵略しましたが、してなかったら東南アジアは、未だに馬鹿なイギリス人の植民地のままですよ。 そうした独立幇助の意味合いもあった戦争を否定することが、一体どういう意味なのか、理解して発言してます?」


 (補足)、ほとんど全世界が欧米の侵略、植民地搾取をうけていた

 アフリカ、中東 インド 東南アジア全域 そしてその資源 石油 鉄鉱石

 その他鉱物資源、天然資源を独占していた。

 日本には資源がないのをしりながら、石油、鉄などの供給をとめて、生殺し

 作戦にでた(ABCD包囲網)

 日本は座して死をまたず、欧米の侵略地(植民地)にたいして、逆侵略

 をかけた。現地人を侵略する意図はない、欧米をアジア植民地から追い出す

 ため、そして自衛のためやむにやまれず、しかたなく始めた戦争。 


13. 金太マカオに着く[235] i@CRvoN9g0qDSYLJkoWCrQ 2017年8月28日 18:16:27 : 7Mao2VQWW2 : E5G9pNPmu9I[300]
>>12
米国「石油止めちゃるけん、怒ったフリして真珠湾と攻撃するんだぞ」
天皇「うん、わかりた」
米国「ボロ船を並べておくから夜露死苦。あ、石油タンクとか重要施設は空爆すんなよ」
天皇「うん、わかりた」
日米戦争は「ある目的」のために日米が協力して戦争状態を作り出したもの

日本の戦争はアジアを開放したという言い方は、かなり気が引ける
日本は中国や東南アジアで金品を根こそぎ奪ったが
それをイギリス・アメリカ・ドイツで山分けしていた
フィリピンにはドイツのUボートが来て、日本が略奪した金品の一部はバチカンに運ばれた
略奪した金をフィリピンでインゴットにする施設はマッカーサーの父親が経営していた
日本は白人の手先となって、アジアの人々を拷問、殺害、略奪していたことになる

J君はH君の家に強盗に入った
H君の家には350年間も強盗のO君が居座っていた
強盗のJ君は、強盗のO君を瞬時に撃破すると、H君の家族を拷問して金庫の場所を吐かせて殺害
J君はH君を開放してやったぜとふんぞり返っている
J君の評価はH君に任せるとして、少なくともJ国の指導者は処刑しないと国際的立場は最悪なものになる

[32初期非表示理由]:担当:スレ違い多数により全部処理

14. 2017年8月28日 20:45:28 : w3M1BHSquE : 5KToaZSVnLw[1812]
>>10
貴方の意見は、いや ネトウヨ連中の意見は総じて その論理だ

「生活に困窮しているものは泥棒を働いても許される」 と言っているのと同じだ

そしてその生活困窮した原因も 自分の悪さ(大陸への侵略行為)で、みんなからそっぽを向かれたせいで
あるのだから 同情の余地すらないのである

誰がどう見たって 世界中の誰もが認める 立派な 侵略戦争である
防衛 自衛 というのは、自国の領土領海主権を 『維持』するためにのみ やむを得ず戦う事であって
領土を拡大し続けた日本が 自衛などと言ってたら この世から侵略戦争なんて存在しなくなる

@ 最大の戦争目的が資源獲得であった事実

A 自国の領土どころか ハワイまで忍び寄って先制 奇襲攻撃している事実

B 現実に 領土領海を 拡大し続けた事実

これらの事実を鑑みれば、文句なしの侵略戦争である これを自衛などとは 頭がいかれているとしか
言い様はないのですよ

もちろん、私だって 当時の日本にだって 言い分と言うものはあった事は否定しない
アメリカにだって策略というものは確実に有ったと思います
ただしそれは、日本による侵略と拡大路線を 「上手く利用した」 という事に過ぎず
最大の責任は 日本にある事だけは 覆しようのない事実であると考えます。


15. 2017年8月28日 21:26:44 : ArG5WsPsa2 : ylyudJXPm0U[123]
14>>@ 最大の戦争目的が資源獲得であった事実

   A 自国の領土どころか ハワイまで忍び寄って先制 奇襲攻撃している事実


   B 現実に 領土領海を 拡大し続けた事実


 だから@戦争目的が資源獲得であった事実

     て、だれが言っている、14.君だけだろ、ほかにだれがいってるの?


    Aハワイまで奇襲て事実だけど それがどうした

     戦争だぞ、いついつどこを攻撃しますなんてどこの国でもいわない

     よ。

    B現実に領土て、欧州からアジアまで遠路はるばるでかけてきて

     現地人を侵略して植民地にしてたのは英国、オランダ フランス

     などだろ、日本は追い出したまで、侵略者に逆侵略したまで

     侵略者が日本を侵略者というなら、おまいらに言われるスジナシ

     なのよ。


     14.自虐趣味は君の勝手だけど、欧米を君が好きであこがれてる

     だけ,白人はえらい、日本人は悪い、錯覚。


16. 2017疾風[73] glGCT4JQglaOvpWX 2017年8月28日 23:31:04 : nBrcXfYipc : rJXd2ZCkanY[85]
終戦時満州に滞在していた俳優の森繁久彌さんの著書「森繁自伝」中公文庫より

「いつの時代にも勇敢であったように、大和撫子が随所に淫売をはじめてくれたおかげで、少しは街に強姦も減ったが、それでも知人の満鉄病院産婦人科の先生は、毎日運び込まれる無惨な姿に、手のほどこしようもないと訴えていた。六十になるお婆さんや、十ぐらいの女の子が、十人以上の輪姦で陰部をただれはらして運ばれてくるや、出血多量で死んでいったり、その悲惨はここに語る力がない」

「墓標なき八万の死者―満蒙開拓団の壊滅 角田房子著 中公文庫」には次のように記述されています。
「方正は、特に惨状の甚だしかった収容所の一つである・・・・・翌二十一年五月までに収容されていた総人員は、八千六百四十人であった。『満州開拓史』によれば、この人々の終末は次の通りである。
ソ連兵に拉致された者    四百六十人
脱走し行方不明になった者  千二百人
自決または病死した者    二千三百六十人
満妻となった者       二千三百人
現地に残った者       千百二十人
ハルピンに移動した者    千二百人

西尾さとたちの周囲では、連日、人々が死んでいった。極度の粗食が続き、疫痢、
発疹チフスが発生し、特に抵抗力の弱い幼児多数が倒れた。
女にはさらに耐え難い苦痛があった。ソ連兵が公然と女を要求するのである。
若い女は肉の落ちた頬に鍋墨を塗り、髪を切って男装した。しかし、そんなことでいつまでもだませる相手ではない。ソ連兵は難民の部屋に踏み込み、男装していても胸に手を差し入れて乳房をさぐった。避難民の責任者は『今夜は何人の女を出せ』とソ連兵に命じられるたびに、苦境に立った。日本の女性を提供するのはしのびがたいことだが、拒否すればたちまち射殺される。しかもそれによって、女たちの貞操が救われるわけではない・・・・・
西尾さとのいる方正収容所の娘たちは、ソ連兵が来ると半狂乱で助けを求めた。だがすがりつかれた同胞も、かばえばたちまち撃たれるので、どうすることもできない。娘たちは、ドアに、机の脚に、椅子に、床に敷かれた泥まみれのゴザに、ありとあらゆる物にしがみついて抵抗した。しょせん無駄なあがきであった。ソ連兵は泣き叫ぶ娘を軽々と抱き上げ、何かにしがみついている手をもぎとって、引揚げてゆく。同胞たちのせめてもの心づかいは、魂もぬけた様子で帰されてくる娘たちから、目をそらすくらいのことであった・・・・・」

このような記録を見ると日本軍は何をしていたんだと思いますが、軍人として常識的な責任感を持っていた指揮官の部隊はずいぶんソ連軍に対して抵抗していますね。
代表的なのは根本博中将で、ソ連側から「天皇の終戦の命令がすでに下っているのに抵抗を続けるのはけしからん。速やかに降伏しないと銃殺刑に処する」と脅かされましたが、根本将軍は邦人を安全地帯に移動させない内にソ連兵を迎えいれたら上記のような惨状が引き起こされることを正確に予見していたので、『自分は逆賊といわれても自分の生命を賭けて邦人を無事に日本に帰国させるまでソ連兵の毒牙から守る』と固い決意を持ってソ連側の攻撃に対しては断固として反撃を続けました。
根本博という人は自慢話や自己宣伝を一切しない人だったので、今でも日本人で知らない人が多いと思いますが、本当は智仁勇を兼備した大変な人物であり、その証拠を一つだけ挙げれば日本の敗戦後、中国大陸では蒋介石の率いる国民党と毛沢東の八路軍の内戦が勃発して共産軍が国民党を大陸から駆逐して、台湾に逃げ込んだ国民党軍を追って台湾に侵攻しようとしたときに蒋介石から直接請われて国民党軍の指揮を執った根本将軍は金門島にこれを迎え撃ち奇策によって共産軍に全滅に近い被害を与え、共産軍の進撃を挫きました。それくらいの実力者だったのです。「四万人の邦人を救った将軍 小松茂朗著 光人社NF文庫」に詳しく記載されています。


17. 2017年8月29日 00:25:52 : vIJ4EQrZCs : MKdFw1sOzN8[32]
 これほどまでに戦争そのものの悲惨さを語る話を聞いてなお、あの国が悪い、この国が悪いで片付けようとしている意見を聞くと悲しくなってきます。
 前半のコメにも書きましたが、もう一度。

 大日本帝国が悪かったから、日本人女性はレイプされて当然。
 ナチスが悪かったから、ドイツ人女性はレイプされて当然。
 アルカイダが悪かったから、中東の女性はレイプされて当然。
 そんな理屈がまかり通っている限り、誰も救われないんです。

 軍の侵略が悪いのであり、軍が民間人を守らなかったのが悪いのであり、軍が民間人に銃を向けたのが悪いんです。
 男が女をレイプしたのが悪いのであり、男が女を男に突き出したのが悪いのであり、大人が娘を犠牲にしたのが悪いんです。
 その被害と加害を、国籍で切り分けるべきではありません。


18. 2017年8月29日 10:21:42 : E39litjChc : pUs5ojuxKv0[1]
>>16
>根本将軍は邦人を安全地帯に移動させない内にソ連兵を迎えいれたら上記のような惨状が引き起こされることを正確に予見していたので、『自分は逆賊といわれても自分の生命を賭けて邦人を無事に日本に帰国させるまでソ連兵の毒牙から守る』と固い決意を持ってソ連側の攻撃に対しては断固として反撃を続けました。


これは興味深いですね。

やはり国民の生命財産を守るためには、たとえ敗走中といえども、武器弾薬をふんだんに、出来るだけ多く用意しておくのは重要な事なのですね。とても示唆に富む内容だと思います。

こうしたことからも、非武装一辺倒の従来型の日本の左翼の論理において、日本国民の生命財産の安全など、まったく考えられていないということも良くわかります。

少しでも根性のある人間は、たとえ状況が圧倒的に不利であろうとも反撃します。守るべきものがある人間にとって、当然のことだからです。


19. 2017年8月29日 12:05:05 : unA9hWYW1I : ZvrK62aHhUQ[338]
★極右外道、ネトウヨゾンビどもへの「寓話」!!

★『ここに未だ猛烈な悪臭を放つ、どす黒く淀んだヘドロ沼(侵略戦争)がある。それに我慢が出来なくなった住民らがあれこれ何とか、浄化無害化の施策を採るもどうにもならず、結局放置して時の経過に任せる他はないと知った。

近年へドロ沼とはどうしても認めたがらない、気色悪い無謬信仰に狂う夜郎自大な一群(極右外道ども)が蔓延り出し、勝手に沼の底を浚い出しては、やれこんなキレイな石(歪曲捏造、美化正当化後付コメント)があった。やれこんな見事な宝石(局面美談等)が見つかった。

だからやっぱりここは、ヘドロ沼ではなく、水のキレイに澄んだ湖水だったんだと執拗に喚き出した。

今更彼らが、どれ程喚こうがほざこうが、美化正当化に狂奔しようが、あくまでヘドロ沼(侵略戦争)というそれ自体の本質には、些かの変わりはなく、住民ばかりか周りの全てまともな人々の誰からも、迷惑がられ相手にはされないのだ!!』

★極右外道妄弁の矛盾
@戦前
「日中戦争は国民政府(中国)が、アメリカの反日抗日扇動に煽られた、いわゆる「日中分断工作」の謀略に、嵌められた結果の所産である!」

A戦後
「ならば現在の安倍反中(日中離間反目)も、依然と変わらぬアメリカの「日中アジア分断政策」による、反日反中相互扇動工作に、やはり見事に嵌められた結果ではないのか!」
 


20. 2017年8月29日 12:48:00 : w3M1BHSquE : 5KToaZSVnLw[1814]
ソ連参戦が報じられた8月9日といえば 広島に続い長崎にまで 原爆下投下された日であり
(それが 原子爆弾である事は 大本営も当初から認知していた)
もうこの時には 大本営は完全に戦意を喪失していた だから 出された命令は「朝鮮との国境まで後退せよ」
という信じられない命令であった だから1か月も前にソ連の侵攻を察知しておきながら
何の対策もとれなかったし とらなかった 住民に知らせる事すらしなかった

「玉砕 肉弾攻撃をしてでも踏み止まり 居留民避難の時間を稼げ」 こういう命令を出すのが普通であり
現地の兵士達もそのつもりで覚悟を決めていた が 中央からそんな命令だされたら、戦闘意欲は
あっという間に萎えてしまうのが当たり前である

それでも一部の将兵は 踏み止まって戦った人間もいたし 体当たり特攻をしたという記録もあるが
いかんせん 僅かな 一部の兵士だけでは 時間稼ぎにすらなっていない

硫黄島や沖縄で 山の形が変わるほどの激烈な艦砲射撃に耐え 1000機以上の空母艦載機の空襲にも耐え
火炎放射器によるしらみつぶしの掃討にも耐えて 何十倍もの戦力の米軍を 何か月にも渡って苦しめた
あの 粘り強い日本陸軍の姿はもはや 見る影もないのであった。



  拍手はせず、拍手一覧を見る

フォローアップ:


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法

▲上へ      ★阿修羅♪ > 戦争b20掲示板 次へ  前へ

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。
 
▲上へ       
★阿修羅♪  
戦争b20掲示板  
次へ