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佐藤優が説く「イスラム国は『歴とした国家である』と言える理由」 「ただの暴力による支配」は誤解だ
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52527
2017.08.23 佐藤 優 作家 現代ビジネス
■「権力への自由」と「権力からの自由」
法哲学者の井上達夫・東京大学大学院教授が行った講義を元にして刊行された単行本に加除修正を加えた岩波現代文庫版『自由の秩序――リベラリズムの法哲学講義』が今年刊行された。平易な語り口であるが、内容は高度だ。
井上氏は自らの立場をこう規定する。
(1)リベラリズムの根本理念は自由ではなく、自由を律する正義である。
(2)リベラリズムの制度構想としての権力分立は、立法・行政・司法という国家の異なった権力作用を抑制均衡させる「三権分立」に止まらず、国家・市場・共同体という対立競合する秩序形成メカニズム間の抑制均衡を図る「秩序のトゥリアーデ」へ発展させるべきである。
トゥリアーデとは、ヘーゲル哲学の用語で、正(テーゼ)・反(アンチテーゼ)・合(ジンテーゼ)の3つの契機を総称したものだが、ここでは国家、市場、共同体の均衡が正義を実現する鍵となるという意味だ。
井上氏は、思想家チャールズ・テイラーとアイザイア・バーリンの自由論を援用して議論を展開している。特に重要なのはバーリンだ。
消極的自由は他者の干渉の欠如として、積極的自由は自己支配(self-mastery)として規定されますが、両者が自由の二つの異なった中心的意味であるとされるのは、それらが二つの根本的な、しかも相異なった問題に関わるからであることがここで宣明されています。
積極的自由は「誰が支配するのか」という問題に、消極的自由は「誰が支配するにせよ、他者としての支配者が介入しえない自己の行動領域はどこまでか」という問題に関わります。この二つの問題関心は権力の正統性原理に関して対立競合する視点を設定しています。
積極的自由はわれわれが権力主体として自己を確立することに、権力へのわれわれの参与ないし同一化に、正統性の基礎を求めるのに対し、消極的自由は権力の主体ではなく主題の限定に、権力が干渉しえないわれわれの選択領域の確保に、正統性の基礎を求めます。積極的自由が「権力への自由」、消極的自由が「権力からの自由」と呼ばれる所以です。
と井上氏は強調する。
■国家が存立する3つの条件
積極的自由、消極的自由の両者において、国家との関係が決定的に重要になる。井上氏は国家の存立には3つの条件があるとする。第1は暴力の集中、第2は暴力行使の合法的認定権の独占、第3は、最低限の保護サーヴィスの再分配だ。
この観点からイスラム教スンナ派過激派「イスラム国」(IS)を分析する。
ISは、その占領地域においては、暴力の集中という第一の条件を満たしているかに見えます。しかし、イラクやシリアの政府軍、ISと対抗する他の非政府武装集団、IS占領地域を空爆する欧米諸国と絶えざる戦闘状態にあり、ISの暴力支配は占領地域内でも安定化しておらず、占領地域の境界も流動的です。
ISの存在は、イラクやシリアが国家として第一条件を満たせているかどうかを疑わせる脅威にはなっていますが、それ自体が第一条件を満たしたと言えるほどの暴力資源の集中を達成していません。/しかし、仮にISが一定地域を安定的に暴力支配できたとしても、なお国家とは言えないでしょう。それは、第二と第三の条件を満たしていないからです。
IS占領地域内の住民は、IS兵士に対し、少しでも異議を唱えようものなら、その場で殺されます。不法な殺人と合法的な死刑執行を区別する法的手続は存在しません。ISは自らの暴力行使の合法性を担保する必要を認めていない以上、暴力行使の合法性の標榜が伴う内在的制約を否定しており、国家の第二条件に反しています。
さらに、占領地域内に入ったジャーナリストや住民支援組織要員などの外国人は見つけ次第拘束し、人質にし、見せしめに殺してしまいます。
支配領域内の外国人にも国家が負う“最小限”の保護再分配責任を放棄するだけでなく、積極的に外国人殺戮の犯罪を遂行しており、第三条件を公然と蹂躙しています。
ここに記された井上氏の認識は、ISの実態からずれていると思う。第1に、既存の国家と国境線を異にするとはいえ、ISは自らが支配する地域に暴力を集中することができた。第2に統治する地域ではシャリーア(イスラム法)が適用されている。
ISは恣意的に暴力を行使していたわけではなく、あの連中なりの「イスラム法の支配」に服している。第3にISは支配領域内で徴税、教育、福祉などにも従事していた。特にシリアのスンナ派にとっては、アサド政権よりもISの統治がましだった面もある。
ISは現在、シリアとイラクから駆逐されようとしているが、それはISをはるかに上回る暴力がロシア、イラン、米国などから加えられた結果だ。決してISが国家として脆弱だったわけではない。
■「営利追求原理」は「思想表現の自由の保護膜」
さらに興味深いのは、市場と自由の関係だ。
米国がマッカーシズム以前から始まった赤狩りの狂気に支配されたとき、多くの人々が公職から追放され、ハリウッドでも社会派の監督・脚本家・俳優らが圧迫を受けましたが、有能な脚本家は匿名や偽名で創作を続けることができました。
当時のハリウッド映画の一五パーセントはブラック・リスト作家の脚本によると言われています。その中には「ジョニーは戦場に行った(Johnny Got His Gun)」で有名なダルトン・トランボも含まれます。(中略)売れるならイデオロギーを問わないという市場の営利追求原理が、思想表現の自由の保護膜ともなりうるのです。
鈴木宗男事件に連座し、東京地検特捜部に逮捕され、外務省と対峙した筆者が生き残ることができたのも、本がそこそこ売れ出版界の営利追求原理によって守られたからだ。
『週刊現代』2017年8月12日号より
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