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真珠湾攻撃「不時着したゼロ戦」が辿った哀しき運命 ニイハウ島事件をご存知ですか(現代ビジネス)
http://www.asyura2.com/17/warb20/msg/752.html
投稿者 赤かぶ 日時 2017 年 8 月 14 日 12:58:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 


真珠湾攻撃「不時着したゼロ戦」が辿った哀しき運命 ニイハウ島事件をご存知ですか
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52578
2017.08.14 将口 泰浩 ノンフィクションライター 現代ビジネス


「ニイハウ島事件」をご存じだろうか。
真珠湾攻撃に参加し、ハワイの閉ざされた島・ニイハウ島に不時着した零戦の搭乗員が島民に殺害され、彼をかばおうとした日系人が自殺した事件だ。「反米傾向のなかった日系人が日本軍に味方した」と受け止められ、その後の米国内での日系人に対する収容政策のきっかけにもなったとされる。
この夏、悲劇的な運命をたどったこの零戦から、米軍の調査官が持ち帰っていた5枚の「謎の木札」が遺族の元に返還された。多くの日本人が知らない、真珠湾攻撃のアナザーストーリーを追う。


■真珠湾上空で被弾

「ニイハウ島事件」で非業の死を遂げた搭乗員・西開地重徳にしかいち・しげのり)一飛曹=当時21歳=は大正9(1920)年、良太郎と房子の次男として愛媛県今治市で生まれ、旧制今治中学校(現・今治西高)に進学した。在学中に「海軍甲種飛行予科練習生」に合格。甲飛2期生として横須賀や霞ヶ浦で訓練を受け、大分航空隊に配属されている。

       
        在りし日の西開地重徳一飛曹

和16年12月7日午前6時半、西開地は空母「飛龍」第2次攻撃隊の戦闘機隊第2小隊2番機として発艦した。上空で旗艦「赤城」などから発進した167機が編隊を組む。飛龍攻撃隊の目標はオアフ島カネオヘ基地、ベローズ基地だった。いわゆる「真珠湾攻撃」である。

西開地機を含む戦闘機隊9機の先導で、急降下爆撃隊18機がオアフ島を目指す。カネオヘ基地上空から飛行艇などを攻撃。空母「蒼龍」の攻撃隊も参加してきたため、西開地ら飛龍攻撃隊は、近くのベローズ基地に攻撃目標を移し、激しい防御砲火をかいくぐって、待機中の米軍戦闘機に片っ端から銃撃を加えた。

日米開戦の火ぶたを落としたこの攻撃で、日本軍は大きな戦果をあげた。だが、その時、西開地機は対空砲火で被弾していた。エンジンや燃料タンクなど致命的な部分への被弾ではなかったが、集合地点に決められていたカエナ岬までは戻れそうにない。

西開地はベローズ基地に突っ込み自爆するか、不時着するかを迷うが、事前の取り決め通り、不時着することを決意した。真珠湾攻撃への出撃前に、「飛行不能になった機は白人が居住していないニイハウ島に不時着し、潜水艦による救助を待て」と通達されていたのである。

■そこは「禁断の島」だった

ハワイ諸島西端に位置するニイハウ島は1864年以降、ロビンソン家という一族が私的に所有する「禁断の島」である。いまでも許可なく立ち入ることはできない。ロビンソン家は通常はカウアイ島に居住し、ニイハウ島では現地のカナカ人が、カメハメハ王朝さながらの生活様式を保っている。公用語もカナカ語だ。


ハワイの地図。青丸がホノルルにも近い真珠湾。オレンジの丸がニイハウ島(Photo by Getty Images、丸は編集部で追記)

西開地機が不時着した当時、その島には牧頭兼マネジャーとして日系2世の原田義雄=当時38歳=が暮らしていた。妻・梅乃は同じく日系2世で、山口出身だった。

原田は福島出身の父・菊代と母・ミエの間に生まれた10人兄弟の4番目として、カウアイ島で生まれている。父親の名が女性名なのは、原田家では代々、男の子が育たないと言われていたためだ。

零戦が降りてきたとき、島に1台だけしかなかったラジオは故障しており、島民はだれも日米開戦を知らなかったという。

ニイハウ島の牧場に胴体着陸し、失神状態だった西開地は、突然の来訪者に気を高ぶらせた島民たちに襲撃され、機内にあった拳銃や飛行暗号表、地図などの書類を奪われてしまう。

「書類を返せ」と英語と日本語で訴えるが、島民には通じず、徐々に雰囲気が険悪になっていく。その時、馬で現れた原田が「書類は取っても仕方がないから返せ」と島民を説得しようとした。だが島民たちは相手にせず、西開地は小屋に監禁されてしまう。

捕虜にして米軍に引き渡そうとする島民と、戦陣訓の教え通り、捕虜になるくらいなら自殺も辞さない態度の西開地との狭間に立ち、原田は苦悩した。だが、いつしか「何としてでも書類を奪還する」という西開地の側に立つようになっていた。

12月13日朝、島民の隙をつき、原田が西開地を救助する。だが島から逃れるすべもなく、2人は怒った島民たちに襲撃される。戦いの末、西開地は暴行を受けて無残に殺害され、状況を悲観した原田も散弾銃で自殺した。

■日系人収容所が生まれる契機に

事件後、米国市民権を持っていた妻・梅乃は「傷ついた者を救助するのは当然の行為」と主張するも、国家反逆罪で逮捕、収監される。収容所を出たのは31カ月後の昭和19年11月だった。

開戦直後に起こったニイハウ島事件は2つのことを米国民に強く印象付けることになった。一つは日本兵が捕虜になることを命を賭けても拒否すること。これを、事件を通して米軍は初めて認識したとされる。

戦陣訓の「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」の一節が骨の髄まで染み込んでいることを目の当たりにしたのだった。

もう一つは日系人への不信感だった。島民と友好関係にあった日系人2人が突如として現れた日本兵の味方をし、島民と対立したことに衝撃を受けたのだ。

そしてこの事件が生んだ不信感が、戦後米国内でも有事における人種差別の現れとして反省されることになる、日系人収容所設営の契機になったといわれる。

1942年1月26日、C・Bボールドウィン海軍中将は「反米傾向を全く見せていなかった2人の日系人が日本軍によるニイハウ島占領の可能性があるとわかると、日本兵を援助する行動に出た。これは米国に忠誠を誓っているようにみえる日系人たちが日本軍の攻撃がさらに成功するようであれば日本軍を援助する可能性を示す」と事件を報告した。

歴史家ゴードン・プランゲも「事件は日系人はたとえ米国市民でも信用されず、日本側に寝返るかもしれないとの印象を与えた」と述べている。

同年2月19日、米国は、西海岸に住む約12万人の日系人と日本人を、強制的に砂漠に移住させる大統領行政命令第9066号を発令する。


日系人収容所内で食糧配給の列に並ぶ人々(Photo by Getty Images)

事件のあったハワイでは、当時15万7000人の日系人と日本人が居住していたが、1444人が抑留され、そのうちの981人が米本土の収容所に移されることとなった。

■持ち帰られた「謎の木札」

さて、このニイハウ島事件の後、米陸軍の調査官が、西開地と原田、2人の死亡の経緯を調査するため、島に上陸した。

その際、調査官は、零戦の機体近くに残されていた名札のようなものを持ち帰っていた。この調査官は今から20年前の90年代末に死亡したが、その遺族が「名札を持ち主の元に返還したい」と、真珠湾の米海軍基地内にある「太平洋航空博物館」に託した。ここには西開地機の残骸も展示されている。


西開地機の残骸がジオラマの中に置かれた太平洋航空博物館の展示


零戦を再現した展示もある

その返還がようやく実現したのが、今年の6月22日だ。同博物館館長のケネフ・デホフ氏が、愛媛県今治市に住む西開地の弟、良忠さん=87歳=を訪問し、名札を返還した。だが、これらの木札が、実のところ何に使われていた、誰の名前を書いたものなのかは、謎のままなのだ。

名札は縦10センチ、横2センチで「松田龍雄」「金川炳浩」「美齊津ひょう三」(※「ひょう」の字は人偏に「票」)「岸本勇盛」「須藤松蔵」の5枚。他に「事務」「イ3483」と書かれた2枚の木札も残されていた。

「事務」という札があることから、日本の命運を賭けた攻撃に出る際、出撃できない主計科などの事務系の「飛龍」乗組員から「俺たちの分まで頼んだぞ」と名札を手渡された可能性もあるが、詳細は不明。「イ3484」が何を指すのかもわかっていない。


謎の木札。名前の他に「事務」「イ3483」という札もあった

それでも、これらの札が西開地機とともに、悲劇の島・ニイハウ島にやってきたことは間違いない。返還に訪れたデホフ氏は、「戦後75年もの間、日米両国は友好を深めてきた。名札返還は友情をさらに深める契機となる」と話している。

西開地の弟である良忠さんは「米国から戻ってきて兄も喜んでいると思う。名札の主は兄の戦友かもしれない。どういう思いで兄に手渡したか。早く持ち主の元にお返ししたい」と、木札に名前のある人や遺族が判明することに期待を寄せている。


弟・良忠さん(左から3人目)を訪れたデホフ氏(右から2人目)一行


※これらのお名前や木札の意味に心当たりのある方は、ぜひ現代ビジネス編集部までお知らせください。宛先はgendaibusiness@kodansha.co.jpです。




 

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