http://www.asyura2.com/17/senkyo236/msg/646.html
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日曜に何故か生放送で、元女子マラソン選手らの解説付きで報道されたドキュメンタリー。
今上天皇がまだ正式に退位された訳でないのに、こうした番組を流すのは異例だろう。
これまでの今上天皇の旧戦地訪問などを扱っていたのは良いが。災害被災地訪問の流れで説明、「歴史に向き合う」「慰霊」とのみで、侵略戦争被害国への「反省」と「謝罪」の意味について考察も無し。
それに続く皇太子の活動紹介では「水源訪問」?などは有っても、こうした戦争加害国としての取り組み継続については何も無かった。
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http://o.x0.com/m/633643
NHKスペシャル「皇位継承へ 素顔の“新天皇”」[字] 2017.12.03
生字幕放送でお伝えします
有働≫こんばんは。
生放送でお送りします「NHKスペシャル」。
今夜は皇室です。
平成が終わると皇室は、どう変わるんでしょうか。
再来年の春、天皇陛下が退位され皇太子さまが即位されることになりました。
有働≫皇位を継承される皇太子さま。
何を受け継ぎ、どのような天皇となられるのでしょうか。
有働≫その素顔に長年、接してきた側近がNHKの独占インタビューで語りました。
有働≫さらに秘蔵映像からは皇太子さまの知られざる一面も見えてきました。
平成から次の時代へ。
新たな天皇になられる皇太子さまの素顔です。
有働≫皇太子さまが新しい天皇になられる。
それは、一体、どういうことで何が変わってくるのか。
きょうは視聴者の皆様からいただきましたご意見・疑問も紹介しながら生放送で、みんなで考えていきたいと思います。
まずは、雅子さまと同い年という増田さんはどうですか?皇室、天皇についてどんなところに関心があられますか?
増田≫だから、出させていただいているんですけど同い年で。
勝手に雅子さまに親近感を持っているんですね。
国民から、最も愛されて尊敬される、天皇皇后両陛下からたすきを渡された皇太子さまと雅子さまがこれからどう進んでいかれるかっていうところは大変、興味を持っております。
有働≫さすが長距離ランナー。
たすきなんですね。
そして、平成生まれの鈴木ちなみさんはどうですか?どういう関心がおありになりますか?
鈴木≫私自身、ことし岐阜県養老町というところで奈良時代の女帝の元正天皇の役をイベントで1年間務めさせていただいたので皇室の歴史に本当に最近興味を持ってきたところで。
でも、私自身、平成しか、まだ生きていないので時代が変わる元号が変わるってどういうことなんだろうっていうのをちょっと、きょう聞きたいなと思ってきました。
有働≫一番、長く生きておられる保阪さん元号が変わるというのは何が変わるのか。
保阪≫結局、日本の社会は西洋のように1世紀という単位ではなくて元号を単位としていますね。
ですから元号が変わることによってそれは、天皇が代替わりしていくということですからそれによって、社会が日本人の気持ちというのがその変わり方がきちんと歴史の中に残るんですね。
その残ることが今回また行われるのかなという感じがしますね。
有働≫確かに昭和から平成に変わったときも増田さん、何かありましたもんね。
自分たちの人生の中でも変化というか。
増田≫平成だって新しくなったって思ったら…平成生まれですよね?
鈴木≫そうなんです。
増田≫新しくね。
有働≫冒頭でも私皆さんで考えましょうとおっしゃいましょうけども天皇の在り方が私に直接、関係あるどう関わるのかっていうことに関してはどう考えたらいいのかというのがもう一つぴんとこないんですがそれは、どう考えたら?河西≫学生さんから、よく出る質問ですけども日本国憲法には第1条で、天皇の地位は私たちの国民の総意に基づくと書いてあるんですね。
象徴というのはつまり私たち国民自身がこういうふうだというふうに考えたうえで、それが象徴の仕事の在り方に関わるということになってくるんです。
そうすると、私たち国民自身の主権者である私たちの考えたことが天皇の地位を形づくるということなんですよね。
本来、私たちが天皇についてこうだっていうふうに考えたうえでそれを天皇がくみ取ってお仕事に反映していくというものなのでそういうキャッチボールを本来はするべきだというふうに思うんですね。
私たち自身が考えたことをこういうふうにやってほしいんだとかこういうふうにあるべきなんだということを天皇がくみ取る。
国民の意思を反映させるというのがまさに、本当は憲法上のものなんですよね。
有働≫どうくみ取っていくのか私たちがどう受け取っていくのかということもまた後ほど考えたいと思いますが具体的に、どこから見ていけばということで徳永さん、お願いします。
徳永≫新しい天皇がどうなっていくのか。
そもそもからを見ていきましょう。
激動の時代といわれた昭和は、先の大戦のあと憲法が変わりましたので天皇の立場そのものが変わりましたよね。
いわゆる「元首」とされていたものが「象徴」となったんですね。
今の天皇陛下は受け継いだときから象徴となった初めての方ですよね。
この30年、天皇陛下は象徴として、国民のために何をすべきか考えてこられたんです。
そのうちの1つが災害と向き合うことです。
阪神・淡路大震災東日本大震災、いずれも平成で起きましたよね。
ほかにも火山の噴火や水害など毎年のように災害は続いています。
そのたびに被災地に赴かれる天皇陛下の姿がありました。
さらには戦争ですね。
先の大戦を知らない世代がどんどん増える中で、天皇陛下は戦争で犠牲になった人たちの慰霊を続けられてきました。
こうした活動、当たり前のように思われがちですが実は違うんです。
憲法には「天皇は総理大臣を任命したり勲章を授けたりといったいわゆる国事行為を行う」ということは書かれているんですがこれらについてはどこにも決まりがないんですよね。
天皇陛下が、みずから築かれてきたものなんです。
増田≫ということは象徴とは何かというのをご自身で、いろいろ考えてこうやって行動されてるっていう。
いつも寄り添ってくださってますもんね。
徳永≫模索されてきたのがこの30年なんです。
その30年を振り返ることで新たな時代の天皇について考えてみることにいたしましょう。
≫昭和天皇の崩御により55歳で即位された天皇陛下。
激動の昭和から平成へ。
「象徴」としての在り方を追い求め皇后さまとともに歩み出されました。
≫平成は、巨大災害に相次いで見舞われた時代でした。
平成3年長崎、雲仙・普賢岳で大規模な火砕流が発生。
43人が犠牲になり多くの人々が避難生活を余儀なくされました。
小規模な火砕流が続く中両陛下は、多くの犠牲者が出た島原地区を訪ねられました。
危険が残る被災地への訪問は異例のことでした。
避難所で、天皇陛下は誰もが予想しなかった行動に出られます。
住民の前で、ひざをつき同じ目の高さで話しかけられたのです。
困難な立場にある人たちに寄り添われていく平成流が始まった瞬間でした。
一方で、こうした行動には天皇の権威や威厳が損なわれるという批判の声も上がりました。
平成7年6400人以上が亡くなった阪神・淡路大震災。
このときも両陛下はひざをついて被災者に話しかけられました。
≫次々と差し出される手を握られる天皇陛下。
国民との距離はより近くなりました。
天皇陛下がかつてない対応をとられたのが東日本大震災でした。
発生から5日、被害の状況が刻々と明らかになっていました。
少しでも早く自分の気持ちを伝えたい。
テレビカメラを通じて直接、国民に語りかけられました。
≫多くの人々が避難生活を強いられる中両陛下のお見舞いは7週連続にわたりました。
≫陛下!≫皇后さま!美智子さま!≫社会で弱い立場にある人に心を寄せられることも平成流の在り方でした。
知的障害のある人を支援する施設への訪問。
いわれない差別によって強制的に隔離されたハンセン病を患っていた人たち。
一人一人の手をとってことばをかけられました。
障害者スポーツの支援にもいち早く、取り組まれました。
これは、昭和39年東京オリンピックのあとに開催されたパラリンピックの映像です。
当時、皇太子だった天皇陛下は名誉総裁を務め選手を励まされました。
以来、半世紀以上にわたって障害者スポーツの発展を見守り続けられてきたのです。
≫天皇陛下がもう一つ、象徴の務めとして大切にされてきたのが戦争の記憶と向き合うことです。
戦後50年を迎えた平成7年。
戦争で大きな被害を受けた長崎、広島、沖縄などを訪ね犠牲者を悼まれました。
20万人の犠牲者が出た沖縄戦。
戦後、沖縄はアメリカの統治下に置かれ四半世紀にわたって苦難の道が続きました。
初めて沖縄を訪ねられた皇太子時代には火炎瓶を投げつけられました。
両陛下は皇室に対する複雑な感情もあった沖縄をこれまでに10回訪れ戦争の体験者や遺族のことばに耳を傾けられてきました。
≫慰霊の旅は日本国内にとどまりませんでした。
戦後60年には太平洋戦争の激戦地サイパンを訪ねられました。
アメリカ軍との激しい戦闘が行われた海岸。
元日本兵から、銃弾を避けるためしゃく熱の砂浜に身を伏せて生き延びた体験を聞かれました。
かつて悲惨な歴史があったことを私たちは決して忘れてはならない。
天皇陛下は、戦争で亡くなったすべての人たちに祈りをささげる慰霊の旅を続けられてきたのです。
≫天皇陛下は80歳を超えた今も皇后さまとともに人々とのふれあいを大切にされています。
「象徴天皇とは何か」その在り方を国民に寄り添いながら模索しつくり上げられてきた30年でした。
有働≫象徴の在り方を模索され続けてきた天皇陛下の30年ですけども今、ご覧になって、鈴木さんどんなふうに思われました?鈴木≫私、本当に生まれた時代が平成で天皇皇后両陛下がああやって活動されていることが普通だと思ってたんですよずっと。
でも、それって普通のことじゃなくてやっぱりお気持ちがあってそういう活動をされてきたんだっていうことを初めて知りました。
増田≫常に傷ついた方に寄り添ってくださって現場の声をお聞きになってですから、体からにじみ出てくる優しいおことばに私たちっていうのは心にしみこんでまた元気になるっていうなんか、常に現場にいてくださってるっていうこういう細かいところまで理解していなかったので本当、当たり前のことをされてるということがご自分の本当に意思で行かれているってことに本当に喜びを感じますね。
有働≫保阪さん、今お二人からもありましたが当たり前のように見えて、国民が受け止めているということですけどもこの平成の30年間の中で天皇陛下と国民の間っていうのは変化がありましたか?保阪≫やはり、相当大きく変化したと思いますね。
近代日本の明治、大正、昭和の天皇は災害があったりしてもそこへ行くのではなくて宮中で祈ると。
行為を通じて、災害に対するお気持ちを表していたんですね。
しかし、今の天皇は直接、被災者のもとへ行く。
戦争の犠牲になられた方たちの戦場へ行かれる。
そしてそれは日本兵だけではなくてアメリカいろんな国の人たちの墓地にきちんと追悼と慰霊の意を表すると。
こういった国民の側に寄り添って直接、国民と接してすべてご自身の目で、体で受け止めて国民との距離をつくっていこうというのが今のフィルムだと思うんですね。
こういうことは今までの天皇になかっただけに批判も、やはりあったと思います。
しかし、30年の間でそれが形づくられてきた持続性が、やはり一つの今の天皇のスタイルをつくったというふうにいえるんじゃないでしょうかね。
有働≫それにしてもその気持ちを強い信念を持ち続けられてきたというのは天皇陛下の中のどんなお気持ちが…。
保阪≫結局、去年の8月のビデオメッセージでもおっしゃっていますけども象徴天皇っていうのは何かっていうのはご自身がつくってきたわけですね。
前の天皇はいずれも帝王学があってこのようにしなさいこのような立場なんですよっていうのを教えられて、その枠内で動くんですけども今の天皇皇后両陛下は、ご自身でお二人でつくってきたわけですね。
象徴天皇というのはこういうことなんですよ。
こういう形があるんですよっていうのがあったわけじゃないんですね。
つくってきたご自身の歩んできた道がつくってきたものになったわけですね。
それが形になったと。
そのことを国民の皆さんと理解してほしいというのが去年のビデオメッセージのもう一つのポイントじゃないかなと思いますね。
河西≫長い皇太子時代がまず、あったわけですね。
天皇になるまでのかなりの助走期間があってそこで、すごく模索する時間があったということが、まず一つ大きいと思うんですけどその中で考え出されたことの一つが国民とともに苦楽をともにする。
苦しいことも楽しいことも、ともにするという感覚を持って臨まれているということです。
それでこの平成の社会というのはものすごく変動していくわけです。
年によってずいぶん変わってきていますが変わってきている時代時代に国民の思いみたいなことに応じながら、仕事の内容をいろいろと考えて、いろいろやってきた。
それが私自身が受け入れていった。
これが平成流っていわれるような天皇の在り方だと思うんですね。
これは、保阪さんもさっき、おっしゃったように昭和の時代ではなかったことで今の天皇がやってきた新しい象徴の在り方だというふうに私は思うんですね。
だから、これ自身は今後、また時代の変化に応じて変わっていく。
だから、新しい天皇は新しい社会の新しい国民との関係性の中でいかに新しい時代をつくっていくかということが求められるので大変なことだと思いますね。
有働≫次の時代はどうなるのかということで徳永さん。
徳永≫おととい開かれた皇室会議で皇太子さまが再来年5月1日に新しい天皇に即位されることになりました。
すると、これまで天皇陛下が担われてきた「象徴」としてのお立場も皇太子さまに引き継がれます。
新しい活動にも取り組まれているんです。
今夜は、長年皇太子さまを支えてきた側近の証言から皇太子さまがどのような天皇を目指されていくのか。
ご誕生からの足跡も交えて読み解きます。
≫昭和35年2月23日天皇皇后両陛下の長男として誕生された皇太子さま。
親子で一緒に暮らすのが望ましいという天皇陛下の考えから天皇家で初めて両親のもとで育てられました。
実況≫世紀の大レーススタートを起こしました。
≫東京オリンピックが開かれたときは4歳。
両陛下と一緒に競技を観戦されました。
その後も父親の姿を間近に見ながら成長されてきました。
≫皇族として初めて大学院に進学しイギリスのオックスフォード大学にも2年間、留学。
ホームステイや学生寮での生活を経験されました。
≫皇太子さまが大切にされているのは国民の中に入っていく皇室です。
≫握手して!≫趣味の山登りでも登山客に語りかけられるのが恒例になっています。
≫皇太子さまが、天皇陛下から受け継がれているのは「困難な立場にある人に寄り添うこと」そして「戦争の記憶に向き合うこと」です。
平成7年、阪神・淡路大震災。
≫天皇陛下と同じようにひざをつきことばをかけられました。
戦後生まれの皇太子さま。
戦争を知らない世代に歴史や悲惨な体験を伝えていくことが大切だと考えられています。
≫天皇陛下が心を寄せられてきた沖縄。
皇太子さまも繰り返し訪れ戦争を体験した人や遺族の話に耳を傾けられています。
≫皇太子ご一家を支える東宮職のトップ・東宮大夫を5年あまりにわたって務めた野村一成さんです。
皇太子さまが天皇になる準備は整っていると話します。
≫天皇陛下から象徴としての務めを受け継ぐ一方皇太子さまは、時代に合った新しい公務の在り方も模索されています。
その一つが、環境。
中でも水をめぐる問題です。
≫皇太子さまが水をめぐる問題に関心を深められたのは昭和62年。
訪問先のネパールで目にされたある光景がきっかけでした。
皇太子さまが撮影された写真です。
細々と流れ出る水をくむために順番を待つ女性や子どもたち。
水は女性の地位向上や教育の普及など世界が抱える、さまざまな課題とつながっていると考えられるようになったのです。
皇太子さまは国内や海外の治水施設などを視察。
そこで得られた知見を講演などで発表しこの問題への関心を高めようとされています。
皇太子さまの活動は世界から高く評価されています。
国連、水と衛生に関する諮問委員会の名誉総裁を8年にわたって務められました。
≫皇族として初めて国連総会が開かれる議場で講演されました。
≫国土交通省で河川行政に携わってきた廣木謙三さんです。
皇太子さまの活動を長年、支えてきました。
水をめぐる問題を世界に発信することで多くの人に関心を持ってほしい。
皇太子さまはそう考えられているといいます。
≫天皇陛下から受け継がれる公務と時代に合った新しい公務。
皇太子さまも、また象徴のあるべき姿を模索されています。
鈴木≫皇太子さまが平成流を引き継ぎながら新たな天皇像っていうのを構築されているんだなというのをすごく感じましたね。
増田≫こんなに水の問題について活動されているとは思わなかったです。
やっぱり発展途上国のほうに行きますと安全な水を確保するの大変ですよね。
特に水くみなんかっていうのは女の子の仕事で労働を強いられてしまってそれで、勉強ができなくなるっていうようなことなんですね。
でも、皇太子さまはその辺も市民感覚というか市民目線でそういうことをやられていて一般の感覚プラス国際的な感覚をお持ちの方でいらっしゃるんだということを改めて知ることができてよかったです。
有働≫その皇太子さまが天皇陛下になられるわけですが再来年の5月ですね。
どんな天皇になっていくと思われますか?増田≫国際交流ですとかねなんか、一歩戦争ですとか災害ということに加えてなんか一歩国際舞台に踏み出すような活動の幅が広がるような予感がします。
有働≫長年皇室を見てこられました保阪さんは、どういう天皇像を描かれていますか?
保阪≫それぞれの天皇にはキーワードがあるんですね。
昭和天皇の場合は、どうしても戦争というイメージそれから国民が臣民と市民と分かれるんですがそういうイメージがあるんですが天皇ご自身が神格化した存在と人間天皇になっていくというのがあるんですね。
平成の、今の天皇はやはり、災害とかそれから、国民との間で象徴天皇をつくっていくということに一生懸命になってる。
その辺がキーワードになると思うんですね。
では、皇太子さまが天皇になったときにどういうキーワードが浮かぶかっていうともちろん天皇として平成の天皇の形を継いでいくというのが今のフィルムで分かるんですがしかし、同時にご自身の考えで新しい天皇像をつくらなきゃいけないですね。
それが、かいま見えている今のフィルムの中にあるのかなという感じがします。
同時に、それは水の問題がやっぱりそういうことなんですがもう一つは、国際社会に日本も形としては、もっと強く出ていくことになりますから。
ことばでいえばグローバリズムっていうんでしょうけどそういう中で、天皇っていうのはどういうふうにあるべきかとそういう模索が、これからは始まるんじゃないでしょうか。
河西≫水の問題っていうのは実は若いころから興味を持っていらっしゃって私と一緒の歴史学出身の皇太子さまなんですけど。
大学は歴史学を勉強されていて、中世の水運水のことを勉強されてたんですよね。
それで、先ほどのVTRのイギリスでも、そういうことを勉強されててそういう意味では若いころから持っていた関心を今、実を結んでるということになってるんでしょうけど皇太子時代からの模索っていうのは実は今の平成の天皇の在り方とも実は似てるんですね。
実は今の平成流といわれるものも実は、もう天皇になってからではなくて福祉の問題とかは実は皇太子時代からやってこられてたものなんですね。
それが、天皇になったときに注目されて今、私たちは平成流だっていうふうに捉えている。
実は天皇がやることよりも皇太子がやることっていうのは実はあんまり注目されない。
メディアはあまり注目しないし私たち自身もそれを、あまり見ないので関心を寄せないのできょうの話もこんなことがあったんだってきっと、そうだと思うんですけど実は、ずっと着実にやってきてる。
これが、平成の場合は着実にやってきたことを天皇になってもずっと、また続けていったのでそれをメディアが注目して国民もより見るようになってああ、これが平成流なんだっていう形で認識していくようになったんですよね。
そうすると、今の皇太子さま水の問題のこともこのまま続けていけば新しい天皇になったときに私たちは、ああ、なるほどこれが新しいやり方なんだと。
そして、先ほど、保阪さんがおっしゃったような今、グローバルな社会だと思うんですよね。
そして、グローバルの中で独自の公務としてやっていけばもしかしたら新しい時代に反映した在り方として私たちに受け入れられるし私自身も、こういうことをもっとやってほしいと思うかもしれないんですね。
ただ、一方で問題はあって国民統合の象徴なので果たして、国民統合の象徴がグローバルでいいのかっていう問題はやっぱりちょっとはあると思うんです。
あまりに国を離れてしまうとじゃあ、それは本当に日本国の象徴なのか?それを飛び越してしまった何か違う仕事なのではないか。
実は考えられることではありますよね。
保阪≫そのことはグローバリズムとナショナリズムっていうものをどういうふうに融合させていくかということなんですね。
皇室、長く続く伝統いろんな儀式というものをもちろん持続させながらしかし、同時にグローバリズムの中で国際社会に発信していくということとナショナリズムというものを大事にしながら国際社会に行くと。
その融合の形を皇太子さまが雅子さまとおつくりになるんだろうと。
そういうふうにおつくりになるんだろうという道を歩んでるんじゃないかなという感じがしますね。
河西≫天皇制は伝統と現代の社会状況どういうふうにバランスをとるかということが今すごく求められてるかというかずっと、ここ最近の流れなんです。
伝統ばっかりでやっていたら国民から離れていくわけですし国民が離れていくと天皇制って何なんだってなるわけですし今までの伝統というものと違ってくるわけでそこの、どういうふうにバランスをとっていくのかというのがとても難しい。
それはご本人たちの問題でもありますし私たち自身もどういうふうなバランスで今後の象徴天皇制というのがあるべきなのかということを考えていかないと難しい問題だと思いますね。
増田≫雅子さまはもともと外交官でいらっしゃったので皇太子さまがそういう活動をされるとしっかりとサポートでできる方なのでそういう方向も目指していただきたいなという気持ちもありますよね。
バランスを考えながら。
有働≫そのバランスというのはお任せじゃなくて私たち国民もしっかりと考えて、見つめていかなきゃいけないということなんですか?河西≫自分たちだけでやってたらこれがいいのか、悪いのかというのが分からないわけですよね。
私たち自身が声を届けていくとあ、こういうことをやったらいいのかとかなるほどこれ以上はまずいのかとかさまざま、考えるきっかけになると思うんです。
やっぱり言われてやらない反応されないって一番つらいじゃないですか。
鈴木≫感じてないだけで私たち国民も目を向けていただいているということになるんですね。
保阪≫歴史的に見ればその時代の天皇の性格、それからいろいろなお考えっていうのは社会に反映されるわけですね。
天皇が社会をつくるという側面があって同時に社会がその空気で天皇をつくるという相互関係の回路があると思うんです。
その回路が今の天皇と私たちの間にはかなりできてると思うんですけどね。
この回路を大事にしてもらいたいという感じがしますね。
有働≫テレビをご覧の皆様からも声が届いておりますのでご紹介しましょう。
新しい天皇はどんな存在になっていただくといいのかということです。
ちょっと雅子さまのことについて徳永さん。
徳永≫雅子さまは、ストレスが主な原因とされる適応障害と診断されて思うように公務に就けない時期が続いてきました。
治療にあたる医師団の見解です。
こうした中、ことしの夏以降地方での公務に臨まれる機会が増えています。
最近では10月全国農業担い手サミットで高知市へ。
先月11月には東日本大震災の被災地・宮城県。
さらに、育樹祭の出席のため香川県にも向かわれました。
皇后となる雅子さま。
どのような役割を果たされようとしているか。
懐かしい映像と知られざるエピソードをもとに探ります。
≫昭和62年外務省に入られた雅子さま。
外交官としてのキャリアを積み重ねられました。
≫アメリカとの経済交渉を担当する部署に勤務。
激しい議論が交わされた日米半導体協議にも参加されました。
平成5年6月9日。
皇太子さまとご結婚。
皇后さまに続く、民間出身の皇太子妃になられました。
≫結婚から1年あまり皇太子妃となって初めて外国を訪問されました。
≫元外交官のキャリアを生かし国際親善に取り組まれました。
ご結婚から8年。
長女の愛子さまが誕生。
公務と子育ての日々が続きました。
雅子さまは、このころから皇太子妃の立場からくる苦労や公私ともに多忙な生活などによるストレスを感じられていました。
愛子さまの誕生から2年後雅子さまは体調を崩され、入院。
その後適応障害と診断されました。
公務に臨まれる機会は大幅に減ることになりました。
東北地方に壊滅的な被害をもたらした東日本大震災。
雅子さまは、厳しい状況に置かれた人たちのために何ができるのか考えられるようになりました。
発生から4週間後。
雅子さまは、みずから希望され東京都内に設けられた避難所を訪問。
6月には津波に襲われた被災地を訪ねられました。
首都圏を離れる公務は1年4か月ぶりのことでした。
≫福島県の避難所で被災した女性と会われた雅子さま。
話を聞き、涙ぐまれました。
≫被災地に思いを寄せられる雅子さまに手紙を送った人がいます。
釣巻洋子さんです。
福島県いわき市の出身で当時、高校1年生。
津波で多くの知人が家を流されました。
≫外交官を経験し国際舞台で活躍された雅子さまに後押しをしてほしい。
その思いから、釣巻さんは思い切って手紙を書きました。
釣巻さんは東北の復興を世界にアピールしたいと被災地の仲間とともに活動を続けていました。
「世界へ臨む私たちは今、大きな希望と不安と隣り合わせです。
中高生の真剣な姿をぜひご覧いただきたいのです」。
≫震災の発生から2年。
釣巻さんたちは活動の報告会を開きました。
≫会場には、釣巻さんの思いに応えて出席された皇太子さまと雅子さまの姿がありました。
雅子さまを案内する当時の釣巻さんです。
≫一人一人から、震災での被害や現在の暮らしについて話を聞かれた雅子さま。
「頑張ってください応援しています」と励まされました。
≫皇太子ご夫妻を支えてきた野村一成さん。
できることから一つ一つ取り組むことが雅子さまが活動の幅を広げられるために大切だと考えています。
鈴木≫高校生の子が書いた一通の手紙がきっかけになって雅子さまが現地に足を運ばれたってことも知らなかったですしそういうことを知ると雅子さまの人となりがすごく親近感があって心が優しい方なんだなっていうのVTRを見て、また改めて感じましたね。
有働≫増田さんは同じ年でいらっしゃいますけど今のVTRはどういうふうに?
増田≫お子さんを亡くされたお母さんの気持ちなんかは雅子さまも愛子さまの母親としての気持ちもありますしご病気でありながら自分ができることを、本当に一歩一歩、探しながら歩まれているんだな強いお方だなというふうに思いました。
有働≫ご病気のことで言いますと福井県の40歳の方からいただいていまして適応障害という病気を抱えながらの公務は非常につらいと思うが全国の同じ病気の患者はとても、勇気を与えられている私も、その一人といただいているんですけども増田さん、このお話を聞いて…。
増田≫私一緒のレベルで話したらとても失礼なんですけど今、振り返ると私が二十歳のときにオリンピックの女子マラソンの代表に初めて選ばれたときに本当に適応できてなくて自分の中で、いろんな面でパニクってしまってあのときの自分っていうのは当時、そういう病名なんか知らなかったですけどそうだったのかもしれないなと思うところがありますね。
怖くて怖くてしょうがないんですね。
今、いる状況になじめなくて。
逃げ出したい、逃げ出したいと思ってましたので。
有働≫それを今、乗り越えられて逆に皆さんに勇気やいろんなことを伝えてらっしゃる立場ですもんね。
増田さんはね。
増田≫この年になりましたからそれなりの経験で場数を踏んで抵抗力もついていったんですけども雅子さまの場合には本当に鈴木さんも言われたように優しいお人柄なので常に寄り添いたいっていう思いがあって、そこからの活動で快復していってるような気がします。
有働≫河西さん、雅子さまが皇后さまになられるわけですけど未来の天皇陛下にとってどういう存在になっていくと?
河西≫実は皇后というのは憲法にも皇室典範にも何も書いてないんですよね。
だから、天皇以上に自分で仕事を模索しないといけない存在なんですよね。
そうすると現代社会にいかに応じて自分の仕事をやっていくのかということを自分自身で考え出さなければいけない存在だと思うんです。
先ほどの国際社会に目を向ける皇太子さまの存在っていうのは実は先ほどの元外務省勤務の雅子さんの影響が私はあるんじゃないかと。
その存在があるからこそやっておられるんじゃないかと思うんですね。
新しい天皇が国際社会の中で活動していくとなるとそこで支える皇后という存在もまさに国際社会の中で活動する天皇を支える存在になるので皇后自身もまさに国際社会の中でやっていかなければいけない。
そうすると先ほどキャリアですけど外務省に勤務していたというキャリアがとても生かされるのではないか。
これは、恐らく現在の天皇皇后お二人の平成の在り方とはまた違った形になる新しい天皇制の在り方みたいなものになっていくんじゃないかと思うんですね。
鈴木≫働いていらっしゃる姿もすごいかっこよくて同じ同性として憧れるなと思ってみてたしあとは世界を知ってらっしゃる雅子さまが先頭に立ってじゃないですけど広めてくださったらすごく心強いですし私も雅子さまも頑張っているから頑張ろうっていう気持ちになるような気がします。
河西≫ちょうど女性が社会に出て行って仕事をする世代の一番最初の世代なんですよね。
そういう意味では50代になってからの新しい仕事のやり方っていうものを今後、考えることだと思いますね。
保阪≫近代日本の歴史を見ると皇后さまが表に出てくるときはいい時代、平和な時代なんですね。
昭憲皇太后やいろいろいらっしゃいましたけども戦争という時代になると皇后さまの形はずっと後ろを引いちゃうんですね。
ですから、皇后陛下が前面に出てくるということはその時代が平和でいい時代なんだというふうに私は歴史を見てそういうふうに思いますね。
雅子さまのお体の具合というのは今、ご紹介があったようですけどしかし、基本的には表へ出てくる。
これから、うんと出てくると思うんですね。
そうすると時代そのものがやはり平和に動いてるんだなっていうものの証拠になりますのでねぜひ、前面に出てきてほしいなと思いますね。
有働≫そして、番組に寄せられたアンケートの中にあったもので天皇陛下が退位されて上皇となったあとについて知りたいという意見もたくさんいただいたんですけども徳永さん、その辺りはいかがなんでしょうか。
徳永≫当たり前の話なんですが私たちの誰も上皇とともに生きたことがないと。
最近、いらっしゃいませんからね。
そこで、歴史をひもといてみます。
歴代125代いるとされる日本の天皇のうち、これまでに次に位を譲って上皇となった人を赤く記してみました。
鈴木≫結構いらっしゃるんですねこうやって見ると。
知らないだけで…そうなんだ。
徳永≫55人です。
半分弱ぐらいですね。
院政をしくっていうことばが今も使われているとおりどうしても、上皇というと実権を握り続けるというイメージがあるかもしれませんが宮内庁は、上皇が国政全般にかかわったのは鎌倉時代前期までの100年あまりの間に限られるとしているんです。
では、多くの上皇はどんな様子だったのか。
一番新しい上皇といっても200年前ですけど迫ってみたいと思います。
江戸時代後期の光格天皇。
明治天皇の曽祖父ひいおじいさんです。
上皇となり住まいを京都御所からその南東にある仙洞御所に移したんです。
ここで、基本的に政務は行わず穏やかな暮らしを送っていたといいます。
退位後は和歌などの伝統文化の継承や学問の奨励に力を入れました。
同時に、光格上皇は天皇に儀式の作法なども教えていたと専門家は言います。
徳永≫では、天皇陛下は上皇となったあとどんな暮らしを送られるのでしょうか。
すでに検討されたり固まったりしていることがいくつかあるんです。
まず、上皇の活動を支えるため宮内庁に上皇職という部署を置くこと。
それから、お住まいは今の東宮御所にする。
つまり、新たに天皇となる皇太子さまのご一家とお住まいを替わられるということ。
そして、私的な旅行や文化人との懇談。
音楽会や展覧会へ出席されることなどです。
また、新年の一般参賀などで国民の前に姿を見せられることを検討されるものとみられます。
有働≫皇太子さまも秋篠宮さまも、それぞれお立場あるでしょうけれども両陛下とも83歳でいらっしゃるって自分のお父さんお母さんのことを考えると83歳で大変な公務をされてるってちょっとわがことに置き換えるとどうですか?鈴木≫大変なことですよね。
私も今回、この番組を通して本当にたくさんの公務をされてきたんだなということをすごく実感したので本当に上皇になられたらゆっくり本当、きれいなお庭があるところとか池があるところで休んでいただきたいなと思いましたね。
増田≫日本を2周するくらいの距離足を運ばれて、これまで激務をやってこられましたので本当にお好きな趣味などに時間をつくっていただきたい。
でも、たまにお顔を見せていただかないとなんかさみしいのでちょくちょくメディアにはお顔を見せていただきたいなと思います。
保阪≫上皇に天皇がなられた場合一つ、私が懸念するのは天皇という、ことばが二重構造化しないかなという懸念なんですね。
古い世代は天皇というとどうしても上皇のことをイメージしちゃう。
若い世代は皇太子さまが天皇になってその姿を思うわけですけどもしばらくはそういうような形がどうしても何年間か、1年間か、早いうちにそれは解消するべきだと思いますがそれを防ぐのが、やはり天皇がどういうことを上皇になったらおやりになるのかということの枠組みをはっきりさせることでしょうね。
国事行為、公的行為、私的行為というのがありますが私的行為は、もちろん上皇になってもお続けになるでしょうけど公的行為の範囲は実はかなりあいまいです。
そこのところをどういうふうに分けていくかということですね。
これが問われるんじゃないでしょうか。
河西≫上皇っていう存在は近現代史上、初めてになるので私たちも全く分からないわけですね。
そうすると、天皇と上皇が並び立っているということを私たち自身がちゃんと考えていかないとまずいような気がします。
先ほどの江戸時代というのはまだマスメディアが発達してない時代ですよね。
今は非常にマスメディアが発達していろんな情報が伝えられる。
天皇の情報がマスメディアを通じて伝えられる。
われわれはそれを通じて知るわけですよね。
そういう時代を今まで一度も経ていない中でこういう天皇とか上皇の外見をさらして人々に伝えるという新しい時代の中で、仕事とか在り方っていうことをどういうことかというのを考えていかなきゃならないと思いますね。
有働≫考えていかなきゃならないですけど、考えたとしてそれが、どのように天皇陛下に伝わってくみ取るっておっしゃいましたけど天皇陛下は、どういうふうにくみ取っておられるんだろうっていうのがいまひとつはっきりしないんですけどもそれはどうくみ取っておられれるのか。
保阪≫宮内庁あるいは天皇の周辺の方たちの情報の発信というのはこれは、かなり大事になるんじゃないでしょうか。
それとメディアの側の報じる姿勢も天皇という上皇というのときちっと線を引いて報じるという原則を持たないとその辺の線があいまいになると陛下も天皇もそれから、皇太子さまも困るんだなと思いますね。
有働≫河西さん、私たち国民はどういうことを考えてどういうことをしていけば伝わるといいますかいいんですか?
河西≫私たち自身が、まず関心を持つことが一番大事だと思うんですね。
無関心だと本当に何も伝わらないと思うんですが関心を持っていると話していることが広まっていって例えばメディアで取り上げられるとか投書をするじゃないですけどいろんな形でメディアから伝わってくると思います。
それを必ず見ているはずなんです。
それで、私たち自身の関心がメディアを通じて逆に天皇に伝わっていくという形になると思います。
保阪≫同時に天皇という制度の歴史を理解することだと思います。
一方的にかつての戦争のときのような形ではなくてきちんと理解したうえで私たちの国の何を代弁してるのかということを理解したうえで僕は文化とか伝統を代弁していると思いますけどそういうことを、きちんと関心を持っていくことが大事じゃないでしょうか。
有働≫鈴木さんは若い世代ですけど例えば、どんなキャッチボールをやられますか?
鈴木≫最近だとSNSというのがぱっと思いつくんですけどそれをやってくださいとは言えないので。
でも、それに代わるものだったりでも、私たちが発信することを受け止めてくれているんだと思うだけで、本当にこの番組を通して遠かった存在が、すごく身近に感じましたし、元号が変わってどんな時代になるんだろうってワクワクしてきました。
増田≫これまで、皇室のことを発言していいのかなっていうようななんか、そんな気持ちもありましたものね。
でも、実際に私もきょう、皇太子さまが水問題のことなどに関心を持たれていることですとか雅子さまのお手紙のやり取りなんかもきょう、知ることができてそういうことなんでしょうね。
これから、よく知るということが大事なんでしょうね。
有働≫そして、私たちがどうあってほしいかということをということをきちんと一人一人がそれぞれの意見それぞれの立場でいいので考えておく。
そして、それを発信するきょうのような機会もそうですし街中で聞かれたときにどんなことを答えるかっていうことも含めて考えておくべきということなんでしょうかね。
2017/12/03(日) 21:00〜22:13
NHK総合1・神戸
NHKスペシャル「皇位継承へ 素顔の“新天皇”」[字]
再来年の4月30日に天皇陛下が退位され、皇太子さまが翌日に即位されます。皇太子さまはどのような天皇になられるのでしょうか。“新天皇”の素顔に生放送で迫る。
*詳細情報
・番組内容
天皇陛下のご退位を受けて、天皇に即位される皇太子さま。どのような天皇として国民に向き合われようとしているのか?天皇陛下が「平成」という時代の中で模索し、形作られてきた「象徴」のあり方は、どう受け継がれていくのか?そしてご活動の幅を広げられている雅子さまは?皇太子ご一家を支えてきた側近への独占インタビュー、NHKに残る秘蔵映像を交え、“新天皇”の素顔と思いに生放送で迫っていく。
・出演者
【ゲスト】ノンフィクション作家・評論家…保阪正康,神戸女学院大学文学部准教授…河西秀哉,日本陸連理事/スポーツコメンテーター…増田明美,鈴木ちなみ,【キャスター】有働由美子,徳永圭一
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(ここまで)
>激動の時代といわれた昭和は、先の大戦のあと憲法が変わりましたので天皇の立場そのものが変わりましたよね。
>いわゆる「元首」とされていたものが「象徴」となったんですね。
戦争首謀者としての主権者が、敗戦後に何から何に変わったか。まあ、この局に「裁かれる立場」から「用いられる立場」とは言えないだろうが。
・関連:
■安倍暴政にまっさきに潰された今上天皇の平和への思い
http://www.asyura2.com/17/senkyo227/msg/182.html
■安倍首相に猛省を迫った天皇陛下のフィリピン訪問
http://www.asyura2.com/16/senkyo200/msg/396.html
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