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「立憲主義の根幹が問われている!」 前川喜平・前文科次官 加計問題を洗いざらい激白(後編)(毎日新聞)
http://www.asyura2.com/17/senkyo236/msg/499.html
投稿者 JAXVN 日時 2017 年 11 月 30 日 07:43:06: fSuEJ1ZfVg3Og SkFYVk4
 

「「立憲主義の根幹が問われている!」 前川喜平・前文科次官 加計問題を洗いざらい激白
2017年11月28日

政・官界の「ダークサイド」 180分独占インタビュー(下)
▼出会い系報道の真相

▼安倍首相の答弁の疑惑

▼福岡6区補選と加計認可

 加計学園の獣医学部認可に抗議して、前川喜平前文科次官がこの問題のすべてを語る180分インタビューの後編。認可に至る政治的・行政的背景を丹念に辿(たど)り、加計問題が起こった構造を厳しく検証、自身を襲ったスキャンダル攻撃についても言及した。倉重篤郎が迫る。

 前川喜平・前文科事務次官への「安倍晋三首相による行政の私物化」インタビュー。前号で、2015年4月2日、加計(かけ)学園、今治市、愛媛県の三者の首相官邸訪問時が、加計学園獣医学部認可の大きな転換点になったのではないか、というところまでは展開した。

 つまり、07年から15回も構造改革特区で申請していたのを改め、国家戦略特区の申請に切り替えたのが、この時以降であった。なぜならば、国家戦略特区は、国際競争力の強化、国際拠点形成という制度の目的にかなうとの「作文」さえうまくできれば、認可される公算の強い仕組みであったからという。

 4月の官邸訪問は、安倍氏周辺が加計・今治市側にその知恵をつけ、国家戦略特区の枠組みに180度変更したキックオフ会合だったのではないか、というのが前川氏の推論であった。実際に、今治市が国家戦略特区の申請をしたのが、2カ月後の15年6月だった。

 今号では、その後の動きを追う。前川氏によると、ただそこからもすんなりとは進まなかった。

「というのも、その時点の安倍政権の閣内では、まだ獣医学部新設推進派と反対派の綱引きがあったのです。安倍さんと下村さん(博文・文科相)が推進派で、麻生さん(太郎・副総理兼蔵相)が反対派。そのバックには獣医師会がいた。担当大臣の石破さん(茂・地方創生担当相兼国家戦略特区担当)は慎重派だった。閣内での勢力が均衡しており、その妥協策として4条件が出てきたのではないか」

 新設には獣医師の需給バランスに影響を与えない、などとした石破4条件?

「そうです。日本再興戦略の改訂2015(15年6月30日閣議決定)に、『獣医師養成系大学・学部の新設に関する検討』という言葉を新たに盛り込んだ。と同時に、石破4条件も閣議決定した。つまり、獣医学部の新設に向けて一歩進め、門戸を開いた。と同時に、4条件という高いハードルを作った。青信号とも赤信号とも見える妥協の産物だ。推進派は、ハードルは何とでもなる、作文さえできればクリアできると踏んでいたでしょうし、反対派は、このハードルで実質的には阻止できると思っていた」

「実際に、この閣議決定があってから1年以上は何も動いていない。石破さんが特区担当相だったからだ。それが16年8月の内閣改造で石破さんが下野、山本幸三氏が担当相になって急に動き始めた。石破さんという関所がはずれた」

 16年10月ごろに安倍氏周辺から3ルートで「平成30年4月開設」を至上命題とする指示がおりてきた、というのは前号でお聞きした。極めて政治色の強い案件だったということか。

「獣医師会が猛反対していた。だから、最後は政治的な判断しかないだろうと。松野博一文科相も萩生田光一官房副長官もそう思っていた。お二方がそういう見方をしていた、という証拠が文書に残っている」

 その白黒をつけたのが、16年10月23日の衆院福岡6区補選だった。鳩山邦夫衆院議員の急死に伴う補選で、藏内勇夫(くらうちいさお)獣医師会会長の息子が鳩山氏の息子と対決、ダブルスコアで惨敗した。

「麻生氏が盟友・藏内氏側を応援し、鳩山氏側を官邸側が支援したので、麻生さんと安倍さんの代理戦争という形になった。結果的に獣医師会が負けた。会長の息子が出ても落選する。獣医師会の政治力はそこまでということで、麻生さんに遠慮する必要はないでしょうということになる」

 この選挙の決着が加計認可の政治的流れを作った。

「福岡6区の有権者にそういう意識があったとは全く思えないが、結果的にその投票結果が、今治市で加計学園獣医学部を新設する流れを作ったともいえる」

 逆の結果だったら?

「そう簡単に(認可とは)いかなかったと思う。獣医師会が勢いづき、麻生さんもそれを背景に閣内で発言したと思う」

・農水省は今でも逃げています
 それが加計認可を進めた政治的背景だとすると、行政的な背景は? 構造改革特区では説明がつかないものが、国家戦略特区であれば、国際拠点などという大義名分がありさえすればOKとのことだったが。

「前例があった。17年4月、千葉県成田市に新設された国際医療福祉大学の医学部だ。国際医療人材を育成する拠点という説明で、入学定員140人のうち20人を留学生としたことなどが評価された。加計学園もこれを踏襲し、20人を韓国留学生枠にしている」

「ただ、この2ケースには明確な違いがあった。国際医療福祉大の高木邦格(くにのり)理事長は政界に幅広い交友、人脈を持っている。安倍さんのお友達だから、という加計のようなあからさまな行政の私物化には見えなかった。石破4条件のようなハードルもなかった。一方で加計さん(孝太郎理事長)が頼りにするのは安倍さんしかいなかった。それが目立ってしまった」

「もう一つは、人材需要についての所管官庁のデータ協力の差です。国際医療福祉大は医師免許管轄の厚労省が新たに国際医療人材が必要だという人材需要を示した。医師会が納得したんでしょう。しかし、獣医師免許を管轄する農水省は、その手の人材需要を示さなかった。農水省は獣医師会と官邸との間で板挟みになるのを避けた。逃げまくった。今でも逃げています」

 民泊(一般民家を宿泊施設にすること)を国家戦略特区として認めた時と同じトップダウン方式が出てくる。

「文科省OBで加計学園理事の木曽功内閣官房参与が、16年8月に文科省事務次官室に私を訪ねてきた時にその話が出た。彼は農水省が人材需要を示さないからOKを出せないという文科省の立場を理解していた。ならばその方式はあきらめて『民泊特区方式』を使ったらどうか、と。これは、積み上げのデータなしに国家戦略特区の諮問会議でトップダウンで決定された。文科省が責任を負うことがない、という話だった。民泊特区方式でやれという示唆は、浅野敦行専門教育課長に対し、内閣府の藤原豊審議官からも来ていた」

 国家戦略特区とか民泊特区とか、首相周辺で一連の知恵を出したのは?

「和泉洋人総理補佐官以外にいないと思う。彼は特区制度を熟知している。総理補佐官になる前は、内閣官房参与、地域活性化統合事務局長だった。ずっと特区制度を担当している」

・「週刊誌が記事にする、と言ってる」
 今年1月20日まで、加計学園による国家戦略特区の獣医学部新設計画を知らなかった、という安倍氏の7月の国会答弁はどうか。

「私はこれはウソだと思う。15年4月(2日、加計学園、今治市、愛媛県の関係者が集った)官邸会合の段階で、加計獣医学部については、国家戦略特区を使って認めていこうという意思が安倍さんにあったと思う。それがなければ、柳瀬唯夫首相秘書官が会うことはない。柳瀬さんは事務秘書官。自分のボスに対して勝手に動いたりすることはない。あくまでもボスの名代で会うのであって、安倍氏から事前了解を得、事後報告もしているはずだ」

 なぜ1月20日?

「加計学園が正式に事業者として認められたのは1月20日(国家戦略特区諮問会議で加計学園の申請を認めることを決定)であり、それまでは今治市の提案ということになっていた。そういう建前ストーリーとの整合性を取ったという可能性。もう一つは、閣僚在任中のモラルを定めた大臣規範(01年1月閣議決定)に抵触するのを嫌った可能性。首相は国家戦略特区の所管大臣だ。特区で規制緩和の対象になる学校法人の長と『おごったりおごられたりしていた』関係が問題化する、と判断したのかもしれない」

 朝日新聞のコラム「社説余滴」(9月22日付)によると、安倍氏は7月の国会答弁で「彼(加計氏)はチャレンジ精神を持った人物であり、時代のニーズに合わせて、新しい学部や学科の新設に挑戦していきたいという趣旨のお話は聞いた」とまでは語っている。

「その文脈からいっても、獣医学部新設の話を知らなかったとは到底思えない。『1月20日』答弁は失敗だったと思う。今後も繰り返しそこを突かれるだろう」

 読売報道についても聞きたい。「前川前次官 出会い系バー通い 文科省在職中、平日夜」という5月22日付朝刊報道だ。前川さんは、報道の背景に官邸とメディアの癒着があったのではないか、と指摘した。

「私がバーに出入りしていることを官邸がつかんでおり、昨年の9月か10月に杉田和博官房副長官に呼び出された。『そんなところに出入りするのは君の立場上良くない』と言われ、『わかりました』と答えた」

 その時、加計問題との連動は感じなかったのか?

「加計との関係は全く感じなかった。どうしてこんなことを知っているのか、というぐらいの印象だった」

 どうして知った、と?

「杉田さんは週刊誌から聞いた、と言っていたが、週刊誌からの取材はなかった。今は警察の情報網ではないかなと思っている。それにしても、どうして個人的な行動を知っているのか、とても不思議に思った」

 前川さんは文科省の就職斡旋(あっせん)問題で1月20日に次官職を引責辞任している。だが、また杉田さんから2度目の警告を受ける。

「2月ごろ、携帯に杉田さんから電話がかかってきた。突然だった。何かと思いきや、例のバーの話だ、週刊誌が記事にすると言っているんだよ、と。そうですか、教えていただきありがとうございます、と。その時も加計がらみとは思わなかった。どこが書くのかなと見ていたが、週刊誌からのアプローチはなかった」

 5月の連休後に読売からの取材があった。

「最初は5月19日だ。文科省の記者クラブ所属の知り合いの記者を通じて、読売の別の記者が私に取材したいと言ってきた。翌20日もそういうメールが来た。21日はもっと詳細なメールだった。『出会った女性と性交渉があったのか』という設問もあった。私は返事もしなかった。まさか読売がそういう記事を掲載するとは思っていなかった」

「同じ21日に和泉補佐官からのアプローチもあった。文科省の藤原誠初等中等教育局長(現官房長)からのショートメールだった。(自分の携帯から着信記録を示して)これです。『和泉さんから話を聞きたいと言われたら、対応される意向はありますか?』。それに対しては、『ちょっと考えさせて』と返信した」

 謎のメールだ。どういう意図があったと?

「和泉さんが私の口を封じたかったのではないか、と思っている。ちょうど私が加計関係の文科省内部文書について、メディアの取材を受け始めた時だ。前川がしゃべっているとの情報が伝わったのではないか」

 和泉、藤原両氏は?

「親しい間柄。タイプも似ている」

・これで官邸への忖度はいらないな
 22日付新聞が出た。

「さすがに書かないと思っていたので本当にびっくりした。逆に言うと吹っ切れた。これでもう官邸に対する忖度(そんたく)はいらないなと」

「それまでは世話になった人たちは裏切りたくないと思っていた。文科省の就職斡旋問題で国会答弁した時も、国家公務員という尻尾(しっぽ)は残っており、ある意味、虚偽答弁をしていた。他の役所でも違法な天下りがあるのか、と聞かれ、承知していません、と答えたが、実は文科省を介して他省庁の人を斡旋したという事例があった。杉田副長官からは文科省だけの問題に限れ、他省庁への飛び火は阻止せよと言われていた」

「記事が出たことで、もう杉田副長官ら官邸の面々にも義理立てする必要がなくなった。これまでは一部のメディアの取材要請に受動的に応じてきたが、この際、自分から出て行って話そうと思った。それで25日の記者会見になった」

 読売に対して抗議は?

「何も言ってません。ウソを書いたとまでは言えない。私がその店に行ったこと、そこが売春の温床になっていたと書いてあるだけ。そういうことをしていた人もいたかもしれない」

 ただ、あなたもそういうことをしているのではないかというイメージ操作は?

「それはあった」

「官邸の権力者と読売新聞との間に何らかの癒着があったのだろうと思っている。政権にとって都合の悪い情報を出させないとか、その情報の信用性を落とすとか、権力とメディアの関係としてあるまじきことだと思う。業界の中で追及し、詳(つまび)らかにしてほしい」

 残念ながらここで紙幅が尽きた。最後は前川氏の以下の言葉で締めたい。

「加計問題は大学行政の汚点だが、言ってみれば民主主義の汚点でもあると思う。明治14年に北海道開拓使の官有物払い下げ事件があった。薩摩藩閥の黒田清隆開拓使長官が同じ薩摩閥の事業家に安く払い下げ、友達のために便宜を図った事件だが、それに近いものがある。ただ、あの時はまだ立憲政治はなかった。国民が権力をコントロールする仕組みはなかった。今こそ立憲主義の根幹が問われている。おかしなことが起きたらきちんと国民の眼(め)の前でたださなければならない」

 この国会がそういう場になるかどうか。

まえかわ・きへい
 1955年生まれ。前文科省事務次官。文科省官房長、初等中等教育局局長、文部科学審議官などを歴任。加計問題を巡り「総理のご意向」を示す文書の存在を明言した

くらしげ・あつろう
 1953年、東京都生まれ。78年東京大教育学部卒、毎日新聞入社、水戸、青森支局、整理、政治、経済部。2004年政治部長、11年論説委員長、13年専門編集委員

(サンデー毎日12月10日号から)」
https://mainichi.jp/sunday/articles/20171127/org/00m/070/003000d  

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コメント
 
1. 阿快[446] iKKJ9Q 2017年11月30日 07:52:45 : 8u6fE6HVWk : Iwd8GoYOUa8[1]
ばかばかしい。笑
前川が組織的な天下りあっせんをして官邸から辞めさせられた身分でなければ
素直に聞けるが、
安倍官邸とは利害対立がある男だろ、こいつ。
そんなやつのいうことがあてになるとでも思っているのか。
瑕疵もなく、立派に公務を勤め上げた人間がいうのならともかく、笑止だ。

2. 知る大切さ[11054] km2C6ZHlkNiCsw 2017年11月30日 08:04:09 : R9FCqA2vYc : rrJKS_dywEM[1812]
>1
おはようございます。【腐翼】の【阿ホ怪】
今日も元気に腐翼の主張を展開してるね。

前川氏を信じる事ができない人生感を持つ人物て
【阿ホ怪】と同じ【腐翼】系が圧倒的に多いんだよね?
なんでかな?

【阿ホ怪】は安倍マンセーし素直に安倍の言葉を信じている?
なんか不思議な存在。


3. 中川隆[-5830] koaQ7Jey 2017年11月30日 08:15:59 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

色キチガイの詐欺師 前川喜平が安部批判してる理由を教えてあげる

文科省の前事務次官、前川喜平氏(62才)が「実地調査」で通い詰めた店である。7月初旬のある夜、本誌もまたここで働く女性の生態を“調査”すべく、店に入った。南国のモンステラの葉が壁一面を覆う店内には、カウンター席の他、ガラスで仕切られた向かい合わせの席がある。

1時間1ドリンク付きで3500円、2時間4800円。女性は無料。ドリンク飲み放題、スナック菓子食べ放題。席に座ると、男性の手元にはピンク色のメッセージカードが置かれる。ニックネーム、職業、血液型書き、「食事」「カラオケ」「飲み」「女の子におまかせ」の4項目から1つを選択。全て記入したら店員経由で気になる女性に送る。先方がOKの場合、相席して“次の予定”を交渉する。

この夜、店内には9人の女性がいた。ミニスカワンピの20代前半から、スーツを着たアラフォーまで、さまざま。グラスを片手にスマホをいじり、男性からの指名を待つ。一晩遊ぶ男を求め、あるいは交際相手を求め、店に集った素人女性である。

「ま、多くが“ワリキリ”目的だけどね。要は、エンコー。お金のために割り切って寝ますってこと。前川さん、よく来てました。あたしも指名されたことあるんで。貧困調査なのかなぁ。教育問題とか難しい話をしてたけど。『このあと外出る?』みたいな交渉もあった。アタシは断ったけど、ついてく娘もいた」

出会い系カフェは、いわばグレーゾーンの商売であり、自由恋愛が前提になっている。出会って気に入れば自由恋愛に発展するし、気に入らなければ断ることができる。「文科省の前事務次官、前川喜平氏(62才)が「実地調査」で通い詰めた店」もそのようなお店であり、話では断られることが多かったようだ。

60代のおっさんでは、よほどのことがない限りワリキリに応じてくれる子はいないだろう。あったとすれば自由恋愛ではなく個人売春に近いだろう。このような人物が文部科学省の事務次官をしていたのだ。そして何人かの子と個人売春までしていたのだろう。状況的にそうなる。
http://2013tora.jp/kabu395.html


2017年07月02日
事務次官とは何か、前川前次官で注目エリート集団


この人が騒いでいる本当の理由は、「自分の方が総理大臣より身分が上だ」という事です。
引用:http://blogc.fujitv.co.jp/simg/blogimg/6db29/90119/537660_pcl.jpg


総理より地位が高い事務次官

加計学園をめぐる「忖度」騒動は前川喜平・前文部科学事務次官の告発から騒動が広まった。

なぜ前川氏はこのように安倍首相を憎み、敵愾心を露にして噛み付くのか、事務次官という身分階級を知らないとわかり難い。

各省庁の事務次官は「次官」なので文字を読んだだけでは「2番目の事務員」かなと思うが、実際には省庁の大統領のような地位にある。

         

事務次官は表向きの法律では大臣を補佐する役割だが、実際には大臣を上回る最高権威です。

大臣と事務次官の関係については、2001年に小泉内閣で外務大臣を(9ヶ月だけ)勤めた田中眞紀子議員が良く喋っていた。(喋りすぎた)

その前に田中眞紀子が外務大臣に選ばれた理由を説明すると、2001年4月の自民党総裁選で小泉純一郎を当選させた功労者だった。


超不人気だった森首相が退陣し、次の首相は橋本龍太郎で決まりと言われていて、国民は「またあのバカ総理か」と失望していた。

小泉純一郎は出馬しても負けそうなので立候補するつもりはなかったが、当時人気絶頂だった田中眞紀子が「あんた出なさいよ」とけしかけたと言われている。

人気者の眞紀子に後押しされて小泉旋風が吹き、めでたく総理大臣になり田中眞紀子は論功行賞で外務大臣になった。


欧米メディアは「次の総理は田中眞紀子」「初の女性総理誕生へ」と報道し、小泉自身より人気が高かったほどだった。

その大功労者が些細なことで外務官僚と対立して、クビになったのは田中眞紀子大臣の方だった。

日本政府の方針と異なる発言を、外相として勝手に発言したり、外相会談のドタキャンなど様々な出来事があった。


官僚を激怒させた安倍首相の行為

だが一番の対立点は「外務大臣と事務次官のどちらに人事権があるか」という事で、眞紀子大臣は自分に逆らう事務次官の更迭を小泉首相に要求した。

結果は書いたとおり、クビになったのは大臣のほうだったので、大臣の人事権は事務次官が握っているが、逆はありえない。

法律はどうであれ大臣より事務次官のほうが地位が上なのが日本の制度であり、主要な省の事務次官となると総理大臣より地位が上である。


ロッキード事件で田中角栄元首相が逮捕されたが、事務次官は決して逮捕されず、責任を取らされたりもしない。

思い出して欲しいがあらゆる政治スキャンダルで責任を取るのは大臣と総理だけで、事務次官や官僚はマスコミから責任の追求すらされない。

もし事務次官が責任を取らされるような事が起きれば、明治以来の大事件であり、絶対に有り得ない筈だった。


朝日新聞は平気で天皇や総理大臣の悪口を書くが、それでいて事務次官の悪口を絶対に書かず、官僚は神聖にして汚すべからずを貫いている。

朝日新聞も日本の最高権力者が怖いのであり、許認可権から逮捕権、裁判権まで握っている官僚たちには逆らいません。(最高裁判官も官僚)

その有り得ないはずの事が森友、加計騒動の根源である文部科学省で起きていて、事務次官がクビになっていました。


「キXXX」の言い分

前川喜平前事務次官は退職した文部官僚が民間機関に天下りする仲介役をしていて、2017年1月20日に辞職した。

2017年3月に懲戒免職になる予定だったが、文部省側は猛反発しして自主退職になったうえ、退職金5000万円以上が支払われた。

軽い処分で済んで助かったように見えるが、官僚目線では「どうして上司である事務次官が部下である総理大臣から追放されるのか」という事になる。


ニュースを見ていると異常な事件で犯人が意味不明な事をしゃべる場合があるが、「キXXX」の言い分は彼らにしか分からない。

前川喜平と官僚たちには「総理大臣風情がでかい面しやがって」「今に見ておれ小僧」という恨みだけが残ったようです。

そして文部科学省は自分のスキャンダルである森友、加計を暴露する事で安倍首相を糾弾するという捨て身の戦法に出た。


過去の政治スキャンダルで責任を問われたのは政治家だけで、官僚が罪に問われた事は無いので、こうした戦法は実は良く行われている。

大阪地検や東京地検は森友加計を捜査しているが、検察官僚の身内である文部官僚は決して捜査対象にならない。

うまく行けば前川喜平前事務次官は高給で天下りできるだろうし、それどころか政治家として権力を握る事もできる。


突き詰めると官僚と総理のどちらが上か、どちらが日本の権力者かという対立です。
http://www.thutmosev.com/archives/71597964.html


天下り官僚に翻弄される私大の悲惨

私大を渡り歩いて5億円を荒稼ぎ!
天下り官僚に食い物にされる私大

官僚時代は数百億円の予算を動かしていただけに金銭感覚がズレすぎているという。私大には文科省、経済産業省、財務省など多くの官僚が天下りし、教授の座に収まっている。

「“渡り鳥稼業”の天下り役人は会議の欠席はザラなうえ、仕事の知識もない。仕事は部下に任せてゴロゴロしているだけ。それでも年俸は最低2500万円。さらに5年勤めて退職金が3000万円。これで3〜5つの大学を渡り歩いて計5億円は稼ぎます」

 もっとも何もしないのならマシな部類で、元官僚と悪徳教授が手を組み、大学を食い物にするケースも多々あるそうだ。濱野氏がいた都内の女子大では40億円が消えたこともあったという。

「彼らが株式や投資信託を駆使してマネーロンダリングをやったようですが、証拠が出なかった。また、翌年に取り壊しが決定していた校舎の大規模修繕に3億をつぎ込み、さらに塗装で1億2000万円と、計4億2000万円を無駄遣いしたことも。すぐに跡地に新しいビルを建てるところまで計画済みで、旧ビルでどんなインチキがあったのかはウヤムヤになってしまった。巧妙に証拠が残らない工作だけは一流のため、追跡調査もできなかった。もちろん大学の事務職などは真相を知っていましたが、黙殺したまま。ヘタに口にしようものなら簡単に左遷されてしまいますからね」

 別の学校ではこんなケースも。

「もっとひどいのは、研究業績が大学院生ほどもないクズ教授を学長に仕立て、自分は定年のない常務理事のポストに就いた天下り官僚がいました。さらに、部課長などの大学の要職を、仲間や部下で固め、付属の建物の増改築で稼ぐなど好き放題だった。さらに、法人側の私立学校法違反事項を目ざとく見つけると、理事長選で教授会をけしかけ、当主を追い出し自分が理事長の座に座り、そのまま学園を乗っ取ったヤツもいた。都内有数の伝統校でしたが、その後は、学問はそっちのけとなり、今では生徒の確保にも困るほど疲弊してしまいました」

 悪質な実例はまだまだあるという。

「今時、わざとド田舎にキャンパスを購入し、引っ越さなくてもいい学部の建物まで建てて都内一等地のキャンパスを売却し、その取り壊しとキャンパス移転で数十億を着服する天下りもいました。ゼネコンのリベートで稼いだんです。その大学は生徒集めに窮し、今は中国やベトナムからの留学生で細々と命脈を保っていますが、近々、倒産の噂も聞こえてきます。もちろん、天下り役人はその前にいなくなるでしょうね」

 悪徳教授や官僚を受け入れる私学の側にも落ち度があるとの指摘もあるが、濱野氏はそれは違うという。

「教授会が天下り官僚は採りたくないと考えていても、彼らは巧妙に法人側の上席ポストを占めてしまう。そうなれば、自動的にかつての役所の部下を雇いこむルートができてしまうんです。大学が悪いのではなく、行列を作って乗っ取りに来る方が悪いんです」

 今年3月、松野博一・文部科学大臣は、省庁退職者が許認可や補助金の支出対象である大学や財団に再就職することを当面自粛すると明らかにしたが、果たして実効力がどれだけあるのか。はなはだ疑問と言わざるを得ない。
http://diamond.jp/articles/-/137283

内田樹の研究室 2017.11.03 大学教育は生き延びられるのか?

日本の論文数が急激に減り出したのは、2004年の独立行政法人化以後ですけれど、それは当たり前なのです。でも、じゃあどうすれば低下した学術的生産力を復元させて、海外の大学と競合できるようになるのかが問題になると、その課題に答えるためにまた会議が行われ、書類を書かされる。さらに研究は停滞する。そんなばかばかしいことを全部止めてしまえば日本の大学の研究教育の力は回復します。大学人であれば、誰でも内心はそう思っているはずです。教員たちを研究教育に専念させる。夏休み春休みをたっぷり与える。サバティカルで在外研究の機会を与える。それだけのことで論文数なんか一気にV字回復します。誰だってそれはわかっている。でも、今進んでいるのは、それとまったく逆の方向です。さらに教員たちへの負荷を課して、さらに研究教育機会を減らし、教員たちの自尊心を傷つけ、不機嫌な気分に追いやるような制度改革ばかりしている。

多くの教員は、研究教育が好きだからこの仕事を選んだのです。それに専念できる環境が整備されれば、給料なんか安くても喜んでこの仕事をします。多くの先生方が早い人は50代で定年前に仕事を辞めてしまう。理由を聞くと「もう会議をしたくない」という方が多い。会議がなくて、研究教育に専念できるなら、こんな楽しい仕事はない、と。そうすれば、学校はもっと明るくて、もっとイノヴェーティヴな場所になるだろうと思います。

大学に成果主義を導入したのも大失敗でした。実は僕は成果主義導入については「戦犯」の一人なんです。神戸女学院大学は日本の私学で最も早く教員評価システムを導入した大学の一つですが、その時にFD委員長として旗振りをしたのは僕です。

その頃は働いていない教員が目についたのです。学務をほとんどしない。研究もしない。何年も論文一本も発表しない。教育も手抜きという教員が目についた。そういう人たちが大きな顔をしているのが許せなかった。だから、研究、教育、学務の三分野で教員たち一人一人の活動成果を数値化して、全教員をそれに基づいて格付けして、予算を傾斜配分し、昇給・昇格にもそれに反映という、新自由主義者丸出しの案を提出したのです。もちろん教授会では批判の十字砲火を浴びましたけれど、「これからはビジネスマインドがないと、大学はマーケットに淘汰されてしまう」と訴えて、「危機の時代を生き残るためには限られた研究教育資源を活用しなければならない。そのためには、アクティヴィティの高い教員に資源を集中する。『選択と集中』だ」ということで教授会を説得しました。でも、始めて1年もしないうちに自分が取り返しのつかない失敗を犯したことを思い知らされました。

教員の活動成果の客観評価なんて無理なんですよ。担当しているクラス数とか、論文指導している院生数とか、委員をしている委員会の数とか、そういうものはたしかに簡単に数値として拾えます。でも、研究成果の数値化はできない。僕は刊行論文数ぐらいはそのまま数値化できるだろうと楽観していました。でも、それさえできなかった。委員会でいきなり「1年に5冊も6冊も書き飛ばす人間の書いた一冊と、20年かけて書いた一冊を同じ扱いにするのか」と言われて絶句してしまったからです。「1年に5冊も6冊も書き飛ばす人間」というのはもちろん僕のことなんですけれど(笑)。たしかにご指摘の通りなんです。一冊の本といってもそれぞれの学術的価値には場合によっては天と地ほどの隔たりがあります。それを「1冊何点」というふうに機械的に配点して、その多寡を比較しても意味がないといったら意味がない。言われてはじめて気がついた。著作や論文は何冊何本書いたということよりも、学術の歴史の中で、どのような地位を占めることになるのかというもっと長い時間的スパンの中で評価しなければほんとうの成果を見たことにはならない。

勤務考課についてもそうでした。考えてみたら、公正で客観的な考課ができる人なんか数が限られているわけです。同僚たちの日常の学務への貢献をきちんと評価できて、同僚たちから「あの人の下した評価なら信頼性がある」と思われている人に任せるしかない。でも、そんなフェアで目の行き届いたはだいたい研究者としても一流の仕事をこなしているし、すでに学長とか学部長とかになっているわけですよ。ただでさえ学務に忙しいそういう方々にさらにピアレビューの仕事を押しつけてしまった。でも、そんな格付け作業なんか、いくらやっても大学全体としての研究教育のアウトカムは少しも増えるわけじゃないんです。むしろこれらの「仕事ができる人たち」の研究教育学務のための時間を削るだけだった。

 やってみてはじめて知ったのは、成果主義がどれほど膨大な「評価コスト」を要求するかということでした。それを事前にはまったく想定していませんでした。それに、単一の「ものさし」で教員たちを一律に格付けしてみても、それで全体のアクティヴィティが高まるということはまったく起こらないということにも気がつかなかった。アクティヴィティの高い先生たちは、考課して点数なんかつけなくても、やることはやるし、研究も教育も学務ももともと手抜きという教員たちは、低い評価をつけても別に何の反省もするわけじゃない。ただ「こんな評価システムには何の意味もない」と怒るだけです。ただそれだけのことでした。

教員評価に要した膨大な評価コストはもともとアクティヴィティの高い教員たちにのしかかって、彼らの研究教育活動を妨げただけで終わってしまった。自分の「選択と集中」理論がどれほど愚かしいものであったかをそのときに気づきました。以後、「ああいうこと」をやってはいけませんということをお知らせするために、こうやって全国行脚をしているわけです(笑)。成果主義は絶対にやってはいけません。大学における成果主義は何一つ良きものを生み出しません。

シラバスもそうです。あれも全く無駄な仕組みです。でも、シラバスを整備するために教員たちはやはり大変な作業量を費やしている。

シラバスというのは商品の仕様書です。缶詰や薬品についているスペックと同じものです。この商品には何が含有されているか、効能は何か、賞味期限はいつまでか、それを消費者のために表記するものです。でも、学校の授業は乾電池や洗剤とは違います。授業というのは「なまもの」です。1年前に1年後にどんな授業をするのか事細かに書けと言われたって書けるはずがない。専門科目の場合、僕は自分がその日に話したいことを話す。でも、自分が1年後の何月何日にどんなことに興味を持っているのかなんかわかるはずがない。だから「人間について考える」とか「言語について考える」とか、そういうふうな漠然としたものしか書けない。

僕が教務部長だった頃に「シラバスをもっと精密に書くように」というお達しが文科省からありました。でも、僕は教授会で「そんなに詳しく書くことはありません」とつい口が滑ってしまった。そしたら、何も書かずにシラバスが白紙という人が出て来た(笑)。そしたら翌年、助成金が削られました。経理部長からは厭味を言われました。「内田先生のせいですよ」って。

僕はこの時猛然と怒りました。僕はシラバスは教育的に意味がないと判断したので、書かなくていいと言ったのです。別にそれは思い付きではなくFD委員長をしていたときの何年間かのアンケート結果を統計的に処理した結果、「授業満足度」と「シラバス通りに授業をしているか?」という問いの回答の間には有意な相関がないということがわかったからです。それ以外のことは「教員の板書はきれいか?」でも、「時間通りに授業を始めるか?」でも「授業満足度」との相関があった。数十の質問項目の中でたった一つ何の相関もないことがわかったのが「シラバス通りに授業をしているか?」という問いとの相関だった。だから、意味がないと僕は思ったのです。

文科省は「シラバスは教育効果がある」と思っているからそれを精密に書くことを大学に要求してきたわけでしょう。だったら、その根拠を示して欲しい。もし、文科省が「シラバスを精密に書き、シラバス通りに授業をすると教育効果が高まる」という統計的なエビデンスを持っているなら、それを示して欲しい。僕だって学者ですから、エビデンスを示されたら引っ込みます。こっちはせいぜいサンプル何千という程度のデータです。文科省が何十万かのサンプルに基づいて「シラバスの有用性」を証明してくれたら「すみません」と頭を下げます。でも、文科省はそうしないで、ただ助成金を削ってきた。

今はシラバスを英語で書けとか、同僚同士で他人のシラバスの出来不出来を査定しろとか、どんどん仕事量が増えていますけれど、そういうことにどのような教育効果があるのか。どんなデータがそれを証明しているのかについては何の情報も開示されていない。これはおかしいでしょう? ことは研究教育に関する話なんですから、研究教育の成果が上がったという実績があることを示した上で実施を求めて来るべきじゃないんですか? でも、文科省はエビデンスを示して、反論することをしないで、ただ金を削っただけでした。これは文科省の方がおかしいと僕は思います。反論しないで代わりに金を削るというのは「人間は条理によってではなく、金で動く」という人間観を文科省自身が開示したということですから。大学人であっても、「やれば金をやる。やらなければ金をやらない」と言えば、したくないことでも、明らかに無意味に思われることでもやる。文科省は人間というのは「その程度のものだ」と思っている。思っているどころか、人間は「そうあるべきだ」と告知している。

仮にも文科省は国民教育を専管する省庁でしょう。そこが「人間は条理ではなく、金で動く」というような人間観を披歴して恬として恥じないというのは、どういうわけです。僕は教育活動は効果があることが経験的に知られているものを行う方がいいと思っているので、そう言った。それに対して教育効果があろうとあるまいと、「お上」の言うことに黙って従え、従わないものには「金をやらない」と文科省は回答してきた。これは事大主義と拝金主義が「日本国民のあるべき姿」だと彼らが信じているというふうに解釈する以外にない。

先ほども言いましたけれど、日本の教育政策が全部失敗しているという指摘に対して、「それは違う」と文科省が思うなら、きちんと論拠を挙げてForeign AffairsなりNatureなりに反論して、国際社会に対して日本の教育について大きな誤解があるようだが、これは間違いであるということを大声でアナウンスすべきでしょう。反論は簡単です。現に日本の学校教育はこんなふうに成功して、高い成果を上げているという誰もがぐうの音も出ないエビデンスを示せばいいのです。でも、そういう反論はまったくなされていない。

もう一度申し上げますけれど、学校教育というのはビジネスじゃありません。お金のためにやっているわけじゃない。だから、教育内容に対して「こうすれば金をやる。従わなければ金をやらない」というようなかたちで干渉することは絶対に許してはいけないんです。建学者たちが何をめざして教育を始めたか、その原点を思い出してください。マーケットのニーズがあったので、消費者たちに選好されそうな教育プログラムを差し出したわけじゃありません。「教えたい」という気持ちがまずあって、その熱情に感応して「学びたい」という人が出現してきたのです。教育というのはそういう生成的な営みなわけです。「教えたい」という人と「学びたい」という人が出会うことによって、その場で創造されてゆくものです。その一番基本的なことがビジネスの言葉づかいで教育を語る人たちには理解できない。

もちろん一流のビジネスマンだったら、ニーズのないところにニーズを創り出すのが創造的なビジネスだということを知っているはずです。映画だって、自動車だって、電話だって、飛行機だって、パソコンだって、市場にまず「こういう商品が欲しい」というニーズがあって、それに応じて商品が開発されたわけじゃない。誰も思いつかなかった商品を提示してみせたら、「それこそ私が久しく求めていたものだ」とみんなが感じて、巨大な市場が生まれた。ニーズがまずあって、それを充足させるような商品やサービスを提供するのがリアルなビジネスだというふうに思っているのは、悪いけれど、二流三流のビジネスマンです。ある程度世の中がわかっていれば、「ニーズのないところにニーズを創造する」のがビジネスの真髄だということは知っているはずなんです。でも、それがわからない人たちが「民間ではありえない」というようなことお門違いなことを言って、学校教育に干渉してくる。そういう学校教育の本質を理解していない人たちが、まことに残念ながら、現在も学校教育、教育行政を司り、学校教育についての政策を起案し、実施しているわけです。ですから、もうあまりわれわれには時間が残されていないんです。仲野徹先生によれば、あと10年です。それまでに学校教育をまともな方向に転換させなければならない。

どうやって方向転換したら良いのか。一気に変えることはできません。残り時間は少ないけれど、できるところから一つ一つやるしかない。一気に全部を変えるというのはだいたいろくなことになりませんから。とにかく30年かけてここまで悪くした仕組みですから、復元するにしても30年かける覚悟が要る。

一つは、とにかく学校をある程度以上の規模にしてはいけないということです。小規模のものにとどめる。教える側からの「教えたい」という働きかけに「学びたい」という人たちが呼応してくるというダイナミックな生成のプロセスの中に巻き込むというようなことは、規模としてはせいぜい数百人が上限だと思います。それ以上大きくなると、管理部門が必要になってきます。研究にも教育にも関係がない部署ですけれど、それがないと組織が回らなくなる。そして、管理部門は必ず肥大化する。これは避けがたいんです。別にそこで働いている人にそういう意図があるわけじゃないんです。意図がなくても、放っておけば管理部門は自己肥大する。そして、組織そのものを「巨大な管理部門が存在しないと機能しないようなもの」に変えてしまう。管理部門に権力も財貨も情報も集中させて、管理部門の許諾を得ないと何一つできないような硬直した組織が出来上がる。これは組織の生理ですから、止めることはできないのです。われわれにできるのは「巨大な管理部門がないと制御できないような大きな組織」にしない、ということだけです。

これから30年くらいの間に、日本各地の大学は淘汰が進むと思います。でも「マーケットは間違えないから、マーケットに委ねる」ということに合意してしまった以上、今さらこの流れは止められない。

ただ、今人口減によって各地で交通網の廃止や行政機構の統廃合が行われていますが、統廃合に強い抵抗を示しているのが学校と医療機関であることには目を止めた方がいいと思います。もう人口が減って、需要がない、開業しても採算が取れないとわかっていても、教育機関と医療機関は統廃合にかなり頑強に抵抗する。この二つはマーケットの要請に対して鈍感なのです。

それも当たり前で、教育機関と医療機関は貨幣や市場経済や株式会社が存在するよりはるか前から存在していたからです。人類史の黎明期から、今から数万年前から、学校の原型、病院の原型は存在していた。どちらも人間が集団として生きてゆくためになくてはならないものだからです。

集団が存続するためには、年長者は集団の若い構成員たちに、「生き延びるための術」を教えました。子どもたちの成熟を支援した。そうしなければ集団は亡びてしまうからです。病んでいる人、傷ついている人を癒すことを本務とする人はどんな時代のどんな集団にも必ずいた。そういう人たちいなければ、やはり集団は亡びてしまったから。

どんな時代でも、教育と医療に携わる人たちは存在した。市場がどうだとか、ニーズがどうだとか、費用対効果がどうだとかいうようなレベルとは違うレベルで「そういうものがなくてはならない」ということについて、われわれは人類史的な確信を持っている。だから、「金にならないから、病人を治療するのを止める」「ニーズがないから、教えるのを止める」というような発想は出てこないのです。

それに加えて、ミッションスクールの場合は宗教が関与してきます。そのせいでふつうの教育機関よりもさらに惰性が強く、抵抗力が強いのだと思います。社会がどう変わっても、政治体制や経済体制がどう変わっても、こういうものは簡単には変わりません。それは、先ほど挙げた教育、医療に加えて、宗教と司法もまた人類史の黎明期から存在した太古的な社会的機能だからです。こういう仕事に就く人には、ある種の固有の「エートス」があると僕は思っています。「なくては済まされない職業」ですから、歴史的な条件がどう変わろうと、「この職業に就きたい」と思う人たちが必ず一定数は出てくる。

人間集団が存続するために絶対に必要な四つの「柱」があると僕は思っています。教育、医療、司法、宗教、この四つです。学び、癒し、裁き、祈りという四つが集団が存続するためになくてはならない四つの基本動作です。集団の若い成員たちに生き延びるための術を教えること、病み傷ついた人を癒すこと、正義を執行すること、死者を悼むこと。この四つの機能はどのような集団であれ、集団が集団として持続するためにはなくては済まされないものです。それに比べたら、市場経済だとか商品だとか貨幣だとかいうものは、あってもなくてもどうでもいいものです。

はるか太古の人間集団がどういうものだったか想像すれば、わかるはずです。集団の若い成員たちの成熟を支援するのは、集団が生き延びるためです。別に若者たちを査定したり、格付けしたり、選別したりするために教育をしたわけじゃない。生き延びるための術を教えておかないと、死んでしまうから教育したのです。狩猟で暮らしている集団なら狩りの仕方を、農耕で暮らしている集団であれば植物の育て方を、漁労で暮らしている集団なら魚の取り方を教えた。生きる術をきちんと伝えておかないと、彼らが飢えて死んでしまうからです。

だから、「大人たち」が「子どもたち」に向けて教育を行う。教育の主体は複数ですし、教育の受け手も複数です。なぜ教育を行うのか、それは共同体の存続のためです。教育の受益者は個人ではなく、集団そのものなのです。

市場経済の原理で教育を語る人たちには、このところがわかっていない。彼らは教育というのをある種の「商品」だと思っている。そこでやりとりされている知識や技術や情報を、自動車や洋服と同じようなものだと思っている。欲しい人が金を出して買う。金がたくさんあれば、よい商品が買える。金がない人はあきらめる。それが当然だと思っている。たしかに、「自動車が欲しい」という人が「あの自動車が欲しいので、税金で買って僕にください」と行政に頼み込むということはありえません。それは自動車を所有することの受益者が個人だからです。でも、教育は違います。教育の受益者は集団全体です。だから、集団的に教育事業は行わなければならない。だから、「義務教育」なのです。大人たちには子どもを教育する義務がある。そうしないと集団が存続できないから。

市場原理で教育を考える人はどうしてもこの理路が理解できない。それは彼らが教育の受益者は個人だと思っているからです。個人が学校に通って、それなりの授業料を払い、学習努力するのは、その成果として、有用な知識や技能や資格や免許を手に入れて、それによって自己利益を増大するためだと思っている。それなら、確かに学校教育にかかるコストは受益者負担すべきものです。金があるものが学校教育を受ける。ないものは受けない。それがフェアだという話になる。

公教育に税金を投じるべきではないと本気で思っている人たちがいる。これは昔からいたのです。アメリカの「リバタリアン」というのがそうですね。彼らは公教育への税金支出に反対します。人間は一人で立つべきであって、誰にも依存すべきではない。勉強して、資格や免状が欲しいなら、まず働いて学資を稼いで、それから学校に行けばいいと考える。だから、公教育への税金の投入に反対する。

同じようなことを思っている人はもう日本にも結構います。教育への公的支出のGDP比率が先進国最低だということは先ほど申し上げましたけれど、それはこういう考え方をする人が日本の指導層の中にどんどん増えているということです。彼らは教育の受益者は個人であるから、教育活動に公的な支援は要らないと考えている。口に出して言うと角が立ちますから大声では言いませんけれど、内心ではそう思っている。消費者たちが求める「個人の自己利益を増大させる可能性の高い教育プログラム」(これを「実学」と称しているわけですが)を提示できた教育機関だけが生き残って、「市場のニーズに合わない」教育プログラムしか提示できなかった学校は「倒産」すればいいと思っている。これは大声で公言してはばからない。



[32初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数、規定違反多数により全部処理

4. 2017年11月30日 13:44:14 : g3ZilhMawI : zCvMp1FqmxA[3]
阿快 は 真相の道や多摩散人と同類の人間だが数段頭が悪いようだ。足立議員の仲間か。

最近安倍応援団で活躍しているのは言葉使いもめちゃくちゃな性格破綻者が多い。ここ阿修羅でもそうなってきたかな。


5. 2017年11月30日 19:02:10 : 1pl8z4h1OQ : nAvHYKVs9UM[140]
明治から 続く汚職の 根の深さ

6. 2017年11月30日 19:21:01 : J0EfR5l7E6 : Pg8W7GUPCkg[758]

立憲民主党の枝のん! 時間も金もないだろうが代表質問に菅元総理を多投して論陣を張れ。

現在の政治を冷静に客観視する論戦を国会で展開しないと国民は勿論マスコミも分かり難い。

菅直人氏の出番は今である。代表質問で政権の闇を十分に暴いてくれる政治家の一人だろう。

それをなるべく独善的にではなく他の野党に気を使いながら与党追求の機運を醸成すること。

若手政治家はその辺のところ上手くお膳立てすることも自分が目立つだけじゃなく大切だろ。



[12初期非表示理由]:管理人:カルト宗教コメント多数により全部処理

7. 知る大切さ[11069] km2C6ZHlkNiCsw 2017年11月30日 23:02:59 : R9FCqA2vYc : rrJKS_dywEM[1827]
>6
宗教畑の【正統なる日本人】なんかずれてない?

8. 2017年12月01日 07:21:30 : lgCI3UYGJI : Oep6GinHSIk[5]

前川って^^

立憲主義の意味を「エリート主義」という意味で使ってるね^^

「立憲」と「民主主義」が両立すれば^^

軍隊以外に官僚は不要に成る^^

「立憲」と「エリート主義」←これが共産主義だから^^




[32初期非表示理由]:担当:毎回IDが変わってしまう方が、ペンネームを使わずにコメントし、管理人がネット工作員判定した場合には苦情を受け付けません。http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/415.html

9. 知る大切さ[11072] km2C6ZHlkNiCsw 2017年12月01日 08:18:35 : R9FCqA2vYc : rrJKS_dywEM[1830]
>8

おはよう、現行憲法下の刑法も理解せずに
法律を語る【腐翼の^ ^】
【^ ^】の中では現行憲法がコメント8になるんだ
不思議ちゃんだね【腐翼】は


10. 2017年12月01日 09:40:52 : jE8JNUlZjc : 32Gu3zXoe98[-1]

刑法は明治40年に施行されている^^

[32初期非表示理由]:担当:毎回IDが変わってしまう方が、ペンネームを使わずにコメントし、管理人がネット工作員判定した場合には苦情を受け付けません。http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/415.html

11. 2017年12月02日 07:43:00 : J0EfR5l7E6 : Pg8W7GUPCkg[760]

>>7. 知る大切さ
>宗教畑・・・

共産目線が最初から現実とズレてるんだよ。

着目の段階で既にズレてるから駄目なんだ。

己の疑問を自分の感情で解決しないように。

正統な日本人を見習い如来の力を信じよう。



[12初期非表示理由]:管理人:カルト宗教コメント多数により全部処理

12. 2017年12月02日 08:44:55 : DDu9N02PAQ : qLd715b6Pn8[91]
野党が、前川氏の主張で正しいとする部分をもって、与党を攻撃すれば良いんじゃないか?

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