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2017/11/04 06:14
<交通トラブルの相手を車で引きずって負傷させたとして、大阪府警浪速署は3日、大阪市此花区梅香(ばいか)1丁目、会社員片山賢治容疑者(33)を殺人未遂容疑で緊急逮捕し、発表した。「相手にあおられたと思った。殺すつもりはなかった」などと供述しているという。
署によると、片山容疑者は3日午前10時40分ごろ、同市浪速区恵美須西2丁目の府道で、運転する軽乗用車の窓枠に、会社員の男性(28)=同市=がつかまっているのに発進し、約60メートル引きずった疑いがある。男性は足や腕に軽いけがを負った。
直前に片山容疑者が進路変更をした際、後続の男性の車にクラクションを鳴らされたのに立腹し、進路を妨害。赤信号で停車して口論になったという>(以上「朝日新聞」より引用)
日本全国で路上のジコチューな運転が「あおり運転」や「進路妨害」などのトラブルを誘発し、それが即座に暴行に発展する事件が多発しているような気がする。その結果、死亡「事件」を誘発して、尊い命が奪われるのは何ともやりきれない。
日本の社会がいつから無法がまかり通る無秩序な社会になったのだろうか。なぜハンドルを握ったら道路交通法を遵守すべき、との戒めよりも暴走する感情を抑制できなくないのだろうか。
交通事故といえば電車絡みの事故が毎日のように報じられている。日本では電車事故は滅多に起きない安全な乗り物だった。
一昨日のモノレールの事故は高所作業用の延伸梯子を安全確認しないで伸ばしたことによるものだった。渡り切れない踏切に進入して電車と衝突したものもあった。自動車などを運転する際に必須の安全確認を疎かにした結果によるものばかりだ。
日本の社会全体が「心の余裕」を喪い、ささくれ立っているように感じる。本来なら自己抑制して「事件」にならないチョットしたことで、即座に傷害事件にまで突っ走るのはなぜだろうか。
無法運転を行い他者を威圧する心理は、自動車という鉄の鎧をまとった自分が巨大な存在ででもあるかのように誇大妄想しているのだろうか。そのために他者を傷つけ命まで奪っても構わない、という自己にとっても以後のすべての人生を棒に振る、という決定的な結果を招こうとも、一瞬の快楽と優越感に浸りたいのだろうか。この悪魔のような幼稚性が運転免許証を手にした責任ある「大人」の心の中に常在しているとしたら恐ろしいことだ。
東名高速で無謀運転の挙句停止させた夫婦を死亡事故に巻き込んだ男は女性を助手席に乗せると無謀運転を繰り返していたようだ。彼は無謀運転を繰り返し「あおり運転」で他者を傷つけるとしても意に介しない自分が「大物」として女性に認識されている、と勘違いしていたのだろうか。
本来、日本社会はすべて「家族」だった。地域社会も大きな家族として地域の共同作業を行っていた。企業も「家族」経営が当たり前で、労働者を家族の一員として遇していた。しかし「構造改革」で家族経営を徹底的に排除し、地域との繋がりも廃棄して海外へ移転させた。
戦後民主主義の下、核家族化していたが「構造改革」により企業内の疑似家族までも崩壊した。すべては「自由競争」と「自己責任」という言葉で片づけられる半面、官邸中心の縁故や友達優遇の悪政を国民は日常的に見せつけられている。
民主主義が機能しなくなり、家族が崩壊して個々人が幼児化すれば日本の道路上に疾走する自動車は無秩序なジコチューのモンスター運転の暴走車だけになる。
日本は大きな曲がり角に差し掛かっているように思えてならない。ここらで一度立ち止まって、日本国民は本来の日本社会のありようがいかなるものだったか、振り返ってみようではないか。
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