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「選挙で「国歌斉唱」は亡国の危機
ナチスドイツ、ルワンダの二の舞は決して大げさではない
2017.10.20(金) 伊東 乾
今回の、内政外交ともに必然性が見えない日本の選挙で、集まった群集に「君が代」を斉唱させる候補者がいるという報道を目にしました。
真偽のほどは知りません。しかし、極めて危険な可能性を歴史の事例ならびに同時代のケースなども引いて、検討してみたいと思います。
皆さん、学生時代に入学式や卒業式で「校歌斉唱」というとき、何とも言えないすがすがしい気持ちになったりしたことはないでしょうか。そこには理屈はいらないですよね。
いまも覚えているのは、中学に入ったとき、入ったばかりでまだ斉唱できないながら入学式で聞いた母校の校歌の晴れがましさです。
いまだにこのマインドコントロールは私の中に残っています。大学にはそんなものはなく、小学校は幼すぎましたが、思春期のこういうのは残りますね。
スポーツ選手が表彰台の上で「君が代」を聞くと、やはり何かを刻印されるでしょう。
そこに理由はいりません。
で、です。これが大変危険だということを、私の研究室では音楽の基礎を徹底するラボラトリーとして脳認知に立脚して検証、国際機関と連携し、ルワンダ国立大学などとジェノサイドの再発防止・ラジオ放送の生理評価などにも取り組んできました。
「選挙で歌を歌う」だけでも相当微妙です。国歌斉唱は、特定政党がしてはいけないこととして法で禁止する必要があるくらい、危なっかしい事態であることを、平易にお話いたしましょう。
・ナポレオンから一向一揆まで歌う教練と突撃兵
「日の丸の掲揚・君が代の斉唱」をイデオロギー的に問題にする人がいますが、私は30年来、音楽家の別の角度から、死角になっている部分の危険を指摘し続けています
斉唱という行為の共有がもたらす、身体と精神の調律効果です。
日本に西洋音楽が本格的に導入されたのは明治維新直前のことで、軍事技術の一部としてもたらされました。軍楽隊による練兵と作戦行動の執行ツールとして、音楽は欠かせないものでした。
19世紀前半までの戦争は、鉄砲などの火器を用いる場合でも、基本は白兵戦で、野戦展開にあたっては、電気も無線もない時代、進軍ラッパや日本の合戦で言えば法螺貝など、音響シグナルは必須の役割を果たしました。
人類発祥以来のこの積み重ねは、1850−70年代の重火器化、電化、電信化などで急速に衰亡します。
しかし、幕末維新期に輸入されたフランス兵法は基本ナポレオン戦争期を踏襲するもので、「諸国民の解放戦争」と言われるように、第3階級、平民が教練されて軍事行動を取るうえで、軍楽や軍歌斉唱による心身の調律・練兵が決定的な役割を果たしました。
こうした議論については、1990年代初頭、藤井貞和さんや高橋悠治さんなど、詩人や音楽家にも鋭い論考があります。ご興味の方にはご参照いただければと思います。
歌を紐帯とする民心の一体化には、さらに深く長い歴史があります。ナポレオンの平民軍の直接のヒントはカトリックとプロテスタントが戦った血で血を洗う農民戦争、ユグノー戦争などにあったと思われます。
キリスト教は基本、歌う宗教ですが、プロテスタントは「文字を解さない莫大な数の農民が歌で心身の紐帯を一つにし、長い人類の歴史で幾多の死をも恐れぬ突撃兵を作り出しきました。
日本は神風など特攻の歴史があるので、分かってよいはずなのですが、なぜか大変ナイーブです。
世の中は音楽を軽視していますが、実は意思決定の大きな部分を音楽は容易に左右することができます。
日本の歴史で言うならば、プロテスタントに相当するのは一向一揆です。かつてなら平安時代は貴族階級の占有物であった仏教が武家の支配する鎌倉時代以降、急速に民衆に広がります。
いわゆる鎌倉新仏教ですが、ここで発展した浄土信仰、とりわけ民衆の阿弥陀信仰は、文字も読めず教育もない人口の圧倒的多数を占める農民層に受け入れられてきました。
もっと言えば、生き物の命を取るような仕事、猟師や漁師は言うまでもなく、武士であっても往生できるとの教えが帰依者を呼び寄せました。
北条得宗家が庇護した法然由来の浄土宗はもとより、親鸞に発する浄土真宗は「南無阿弥陀仏の六字」と言うより「なまんだぶ」の念仏1つを信じて、普通の農民が自殺特攻するのを支えます。
ご恩と奉公の鎌倉武士はもとより、下克上の戦国武将でもこれには全く手がつけられず、加賀国は100年近く真宗の自治コミューンが統治しました(加賀一向一揆)。
僧兵が恐れられた比叡山ですら焼き討ちした織田信長が、唯一どうにもならず和議を結ぶしかなかった石山本願寺との軍事的対立(石山合戦)は、小さな女の子が鞠をもってニコニコ近づいてきたら爆弾だったといった、まさに21世紀のテロリズムにも直結する強烈なマインドコントロール力で民衆の心を1つにしました。
善し悪しではありません。これは事実であって、そういう恐ろしいものを扱っているのだという自覚と倫理をもって、私は音楽を作っているし、そのように若い人にも、科学的な根拠をもって教えている次第です。
・最初のポップス「ホルスト・ヴェッセル・ソング」
グローバルヒットするポピュラーソング、いわゆるポップスというものがいつできたかご存知ですか?
ローカルな民謡は江戸時代でもいつでも存在しました。でも世界に共有されるヒットソングは、グローバルメディアができて以降の産物です。
レコードというものが発明された当初、録音されたのはインストゥルメンタルであれオペラであれ、すでに存在した音楽で、それを録音して発売した。
ところがある時期以降、レコードビジネスを念頭に置く「流行歌」というものが作られるようになり、全国的に、あるいは国境を越えてヒットするようになる。
なぜか。県境や国境を越えて共有されるメディアができたから、にほかなりません。
ラジオ放送です。先ほども触れましたが、ルワンダでは1994年、ラジオが呼びかけて3か月で120万人とも200万人とも言われる人がナタで惨殺されるジェノサイドが発生しました。
もう10年ほど前になりますが、大統領府の招きで同国に滞在し、ルワンダ国立大学、キガリ工科大学などと再発防止法の策定に参加したことがあります。
レゲエのリズムに乗ってジェノサイドは実行されました。
これは1990年代のラジオですが、1920年代にスタートしたラジオ放送、欧州発の最初のポップスの1つに「ホルスト・ヴェッセル・リート」があります。
1行目の歌詞から「旗を高く掲げよ」とも呼ばれますが、この歌を選挙戦に用いた人がいました。
ホルスト・ヴェッセル(1907-30) はこの歌の作詞者ですが、23歳でテロに遭遇して命を落としてしまいます。共産党員の犯行と言われています。
ホルスト・ヴェッセルが所属していた政党は、彼を殉教者とみなし、彼が機関紙に寄稿していたテキストを、80年ほど前に作られ、誰もが聞いたことがある平易な旋律に会うようすこし変形して「替え歌」を作り、これを最新メディアであるラジオを併用して選挙戦を戦いました。
1932年11月のドイツ総選挙でのことです。
この結果、彼の政党は大躍進して第1党の議席数を占めます。国家社会主義ドイツ労働党NSDAP(Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei)と呼ばれる政党です。
翌年1月、同党の党首は首相に任命されました。アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler 1889-1945)という人物です。
翌1934年8月、ヒンデンブルク・ワイマール共和国大統領の死に際して、すでに様々な権力集中の工作を進めていたNSDAPは、大量にばら撒いた国民ラジオを駆使して「歌う国民投票」を実施します。
この結果、投票率95%強、そのうち支持率89.9%という異常な高支持率で、いわゆる「全権委任法」が成立します。
アドルフ・ヒトラーを「総統」とする、憲法に穴の開いた独裁体制が成立、その後、ドイツがどのように壊れ、どうしようもない事態と、取り返しのつかない惨禍を作り出したかは、いまさら申すまでもありません。
しかし、「あのときドイツ民衆は支持したんだよね」という話が語られるなか、「国民ラジオ」やそれを通じて喧伝された歌の内容は、必ずしも重視されません。wikiに上がっている訳詞を引用しておきます。
「旗を高く掲げよ!
隊列は固く結ばれた!
ナチス突撃隊は不動の心で、確かな歩調で行進する
赤色戦線と反動とが撃ち殺した戦友たち、
その心は我々の隊列と共に行進する」
ヘイトソングなんですね「ホルスト・ヴェッセル・リート」は。
で、これに「わけもなく」高揚・共鳴した民衆が、今年のノーベル経済学賞受賞者、リチャード・セイラーらの指摘する典型的な「非合理的選択」を下してしまった経緯などには、多くの論者がナイーブにも全く触れません。
この歌は結局、ナチスの「第2国歌」とされ1945年まで歌い継がれ、ホロコーストと破滅戦争が進みました。
ヘイトを歌詞にいただく国歌、そこで推進された絶滅政策。音楽というものは、かくもおぞましいことを可能にしてしまうことを、本稿をお読みになった方はどうか生涯忘れないでいただきたい。
私はこの問題系を大学生だった22歳の折、イタリアの作曲家ルイジ・ノーノーから教わり、ここ30年来の仕事の中核に据え続けてきました。
コンクールのキャリアを重ねていた時期、「題名のない音楽会」など地上波放送に責任をもっていた頃、大学に呼ばれ学生を指導し始めた20年前から現在に至る創作、演奏、研究、教育のすべてが、ここに発し、ここに立ち戻ります。
・民衆が歌うとき国が分裂する
カタルーニャのスペインからの分離独立が大変深刻な問題になっています。ここでは独自言語を含む「歌う市民活動」が間違いなく大きな力にもなり、また問題の根を深くもしていると思います。ただし問題が大きすぎるので別論としましょう。
ロシア帝国の圧制に苦しむ19世紀フィンランドでは、一時大変なナショナリズムの高まりがありました。
そこで唱和された「フィンランディア」という歌を挟んで前後に器楽を配した、ジャン・シベリウスの交響詩は、今日に至るまでフィンランドの「第2国歌」として、愛され、親しまれています。
そういう強烈な力を、歌、特にメロディを斉唱する音楽は持っています。醜いヘイトソングを第2国歌とした政権がどのように滅びたかも念頭に、このサイト(参照=http://www.world-anthem.com/march/finlandia-hymn.html)にあった訳を引用して、フィンランディアの歌詞で本稿を結びたいと思います。
選挙で国歌など歌い始めてしまったら、国が分裂する予兆と見た方がいいかもしれません。カタルーニャの現勢を見ても、かなり末期的で危ないシグナルを感じた方がよいと思います。
理由なく人の情緒をコントロールする不合理な力は、簡単に国を滅ぼしてしまいます。
国歌は、理非もある、美しい本質を歌い上げるべきもので、特定政党が集票マインドコントロール的に使用するなど、もってのほかとしか言いようがありません。
フィンランディアの歌詞が高く掲げるのは、ナチスのようなヘイトの旗ではなく、誇り高い独立不羈の旗であることに注目すべきと思います。
「おお、スオミ(フィンランド国民の自称)
汝の夜は明け行く
闇夜の脅威は消え去り
輝ける朝にヒバリは歌う
それはまさに天空の歌
夜の力は朝の光にかき消され
汝は夜明けを迎える 祖国よ
おお立ち上がれスオミ 高く掲げよ
偉大なる記憶に満ちた汝の頭を
おお立ち上がれスオミ 汝は世に示した
隷属のくびきを断ち切り
抑圧に屈しなかった汝の姿を
汝の夜は明けた 祖国よ」」
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/51377
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