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圧力を加えれば朝鮮を屈服させられると考える日本の政府やマスコミは自分たちが圧力に弱いだけ
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201710310000/
2017.10.31 櫻井ジャーナル
相変わらず日本の政府やマスコミは朝鮮に対して圧力を加えろと合唱している。脅せば屈するというネオコン的な考え方だ。当然、そうした考え方は日本の国民に対しても向けられる。実際、庶民の間でも「勝てば官軍負ければ賊軍」であり、「長い物には巻かれよ」と思っている人は少なくない。
こうした考え方をイギリスの新聞に語った人物がいる。石原慎太郎だ。彼が東京都知事だった当時、2011年3月8日付けのインディペンデント紙に掲載された記事によると、彼は核兵器を保有すべきだと主張し、日本は1年以内に核兵器を開発することができ、そうなれば世界へ強いメッセージを送ることになるのだと語った。中国、朝鮮、ロシアを敵だと言い切った石原によると、外交の交渉力は核兵器を意味しているらしい。思考力がないので腕力に訴えると言っているようにしか聞こえない。
この記事が掲載された3日後、東北地方の沖合で巨大地震が発生、東電の福島第1原発が大事故を起こしている。地震の翌日、3月12日には1号機で爆発、14日には3号機でさらに激しい上空へ向かっての爆発、15日には2号機で「異音」、さらに4号機の建屋で大きな爆発音があったという。
アメリカでは1センチメートル程度の燃料棒の破片が見つかったと報道され、その破片についてNRC新炉局のゲイリー・ホラハン副局長は2011年7月28日に開かれた会合で、発見された破片が炉心にあった燃料棒のものだと推測している。
衆議院議員だった徳田毅は事故の翌月、2011年4月17日に自分自身の「オフィシャルブログ」(現在は削除されている)で次のように書いている:
「3月12日の1度目の水素爆発の際、2km離れた双葉町まで破片や小石が飛んできたという。そしてその爆発直後、原発の周辺から病院へ逃れてきた人々の放射線量を調べたところ、十数人の人が10万cpmを超えガイガーカウンターが振り切れていたという。それは衣服や乗用車に付着した放射性物質により二次被曝するほどの高い数値だ。」
言うまでもなく、徳田毅は医療法人の徳洲会を創設した徳田虎雄の息子で、医療関係差には人脈がある。これだけ被曝して人体に影響がないはずはない。政府も東電、おそらくマスコミもこうした情報を持っていたはずだ。
ところで、日本にも核兵器開発の歴史がある。第2次世界大戦中には理化学研究所の仁科芳雄を中心とした陸軍の二号研究と海軍が京都帝大と検討していたF研究が進められていた。陸軍は福島県石川郡でのウラン採掘を決め、海軍は上海の闇市場で130キログラムの2酸化ウランを手に入れて1944年には濃縮実験を始めたという。
NHKが2010年10月に放送した「“核”を求めた日本」によると、1965年に訪米した佐藤栄作首相はリンドン・ジョンソン米大統領に対し、「個人的には中国が核兵器を持つならば、日本も核兵器を持つべきだと考える」と伝えている。1967年には「動力炉・核燃料開発事業団(動燃)」が設立され、69年に日本政府は西ドイツ政府に対して核武装を持ちかけた。この提案を拒否したという西ドイツがイスラエルの核兵器開発には協力していたことが判明している。
日本も核武装をあきらめず、核爆弾製造、核分裂性物質製造、ロケット技術開発、誘導装置開発などについて調査、技術的には容易に実現できるという結論に達した。原爆の原料として考えられていた高純度のプルトニウムは、日本原子力発電所の東海発電所で年間100キログラム余り、つまり長崎に落とされた原爆を10個は作れると見積もっていた。
1977年になると東海村の核燃料再処理工場(設計処理能力は年間210トン)が試運転に入るのだが、山川暁夫は78年6月に開かれた「科学技術振興対策特別委員会」で再処理工場の建設について発言、「核兵器への転化の可能性の問題が当然出てまいるわけであります」と主張している。
ジミー・カーター政権は日本の核武装に反対していたが、ロナルド・レーガン政権では雰囲気が変わり、日本の核武装計画を支援する動きが出てくる。東海再処理工場に付属する施設として1995年に着工されたRETF(リサイクル機器試験施設)はプルトニウムを分離/抽出するための施設だが、この施設にアメリカ政府は「機微な核技術」、つまり軍事技術が含まれている。
調査ジャーナリストのジョセフ・トレントによると、福島第1原発が過酷事故を起こした当時、日本には約70トンの兵器級プルトニウムがあったという。自らが生産した可能性もあるが、外国から持ち込まれた可能性もある。トレントに限らず、アメリカの情報機関は日本が核兵器を開発してきたと確信している。
地震の前年、2010年に菅直人政権は中国との関係を悪化させる工作を始めている。この年の9月に海上保安庁は尖閣諸島付近で操業していた中国の漁船を取り締まるが、これは「日中漁業協定」を無視する行為であり、中国に対する挑発行為だと言える。
海上保安庁は国土交通省の外局で、その当時の国土交通大臣は前原誠司。大臣の意思がなければ不可能な行為だろう。つまり、前原は田中と周による棚上げ合意を壊し、日本と中国との関係悪化を図ったのである。
この逮捕で日本と中国との関係は悪化するが、2011年3月11日の巨大地震で日本と中国の対立は緩和されそうになる。そうした雰囲気を消し去って関係悪化の方向へ戻したのが石原親子だ。
2011年12月に石原伸晃が「ハドソン研究所で講演、尖閣諸島を公的な管理下に置いて自衛隊を常駐させ、軍事予算を大きく増やすと発言したが、この背後にはネオコンの大物でポール・ウォルフォウィッツの弟子にあたり、ハドソン研究所の上級副所長だったI・ルイス・リビーがいたと言われている。
そして2012年4月、石原伸晃の父親、石原慎太郎知事(当時)がヘリテージ財団主催のシンポジウムで尖閣諸島の魚釣島、北小島、南児島を東京都が買い取る意向を示して中国との関係は決定的に悪くなった。安倍晋三もハドソン研究所と関係が深いが、そのつながりを築いたのもリビー。その安倍は2015年6月1日、赤坂にある赤坂飯店で開かれた官邸記者クラブのキャップによる懇親会で、「安保法制は、南シナ海の中国が相手なの」と口にしたという。中国に圧力を加えているつもりなのだろう。安倍なら屈するのかもしれないが、中国は屈しない。
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