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【菅野完リポート】2017年10月21日もう完全にバーンアウトしとりますよ頭が一切まわらんのです号 より
Twitterが止まってちょうど1ヶ月ですな。
このひと月、断酒しとりますので、飲んでません。で、Twitter止まってるので、必然的にTwitterもやってない。
いろんなことをいっぺんに辞めてなにか生活に変化あったかといえば、別に思い当たる節もない。かといって飲まないことが辛いかといえば辛くもない。酒って癖のもんなんですな。
一方のTwitter。これは悔しいの一言。こんな大事な時期にTwitterが止まってしまった。しかもTwitter社からはいまだに何が理由かさえ開示されていない。訂正や反省のしようすらないわけです。やり場のない憤りで身が焦がれそうになります。
武器をとりあげられ、手足をもがれ、どうしようもないなかではじめたのがこのメルマガ。
おかげで購読者は1700名を超えました。ありがたいかぎりです。しかし、Twitterフォロワー数の1/40しかいないのも事実。自分の非力さを痛感するばかりです。
おそらく僕のTwitterは復活することはないでしょう。
是非みなさんのお力添えをいただき、このメルマガの読者を一人でも多く増やしていただければとおもいます。
なにとぞよろしくお願いもうしあげます
★★★言論人のありよう★★★
おそらくこの選挙はこれから先20年を決定づける選挙になるでしょう。
一方で、超大型台風の接近で雨天ということもあり稀に見る低投票率になる可能性もあります。
これを嘆いても仕方ない。それが世の中ってもんだし、それが現実です。現実はつねに「正しい」。
もう随分前のことですが、まだサラリーマンだった時代に、ひょんなことから某全国紙の偉いさんと知り合いになりました。
「菅野さんね。菅野さんもそうですけど、世間の人は『テレビは下品だ』『新聞は堕落している』と言いますが、僕はそれはそれで健全なことだとおもうんですよ。だって、メディアはビジネスですよ?儲からなきゃいけない。そしてビジネスを離れてかんがえてみても、メディアという言葉そのものが示すようにメディアは世の中の鏡でしかない。世の中が下品だから堕落してるから、テレビや新聞が下品で堕落してるんですよ。僕はそれでいいとおもうし、それに誇りを持つ」
と彼はいうのです。
これを聞いた時僕は一瞬、「なんてひでぇ野郎だ」と思いました。
が、翌日この言葉をよくよく考えてみると、彼のいうことが正論であるとだんだんわかってきました。
メディアは超巨大産業。一般消費者の関心がなければ産業は維持できません。そしてメディアは伝えるべき(と思う)ことを、それを知りたいと思っている(とみなされている)人に伝える役割を持っています。だとすると必然的にメディアが下す「何を伝えるべきか」の判断は、最終消費者の嗜好に引きずられるはずです。その結果産出されたものが、下品で堕落したものであるのならば、それは単に、最終消費者の嗜好が下品で堕落しているものだということにすぎないってだけの話です。それを嘆いてもしかないし、むしろ、前出の全国紙偉いさんのいうとおりメディアがそうであるならばメディア人としてはそれはそれで「職務を忠実に果たした」と誇りに思うべき類のことです。
が、ここで問題となってくるのが、言論人と呼ばれる人々の立ち居振る舞い方。
確かに世の中は下品で堕落しているのでしょう。そしてその鏡たるメディアは下品で堕落したものになっているのでしょう。しかし言論人と呼ばれる人士がこのメカニズムに同調してよいのか?
一応、言論人は、世間とメディアの共依存メカニズムと隔絶したところにいると、一応のところはなってる。だからこそ、「専門家の意見」「識者の見解」「インフルエンサーとしての意見」をメディアは言論人に取りに来るわけですわな。その言論人が世間とメディアの共依存関係に棹差したり助長したりしてよいのか?
当然これは、ダメですわな。
物を書き物を喋るという行為は、音楽を演奏したり絵を描いたりする行為よりも、「受け手の理性にダイレクトに訴えかける」という側面と「受け手を行動に誘う」という側面を、極めて濃厚に持っています。そして、物を書き物を喋るという行為は、音楽や絵画にくらべて、「だれにでも簡単に模倣できる」という側面を持っています。「相手の理性に訴えかける力が強くしたがって相手を行動に誘う力が強いうえに、模倣されやすい」わけですから、物を書き物を喋るという言論行為は、他のどんな表現手法よりも「世の中にインパクトを与える力」を桁違いに持っているわけです。
言論人とは畢竟、そうした武器を手にした人であり、その武器を保有することを世間から是認された人なのです。
ならば、言論人はやはり自覚的に「世間とメディアの共依存関係」から隔絶したところにあらねばならない。そうでないと、共依存のメカニズムに埋没してしまい、双方を徹底的に傷つけてしまう。そしていつしか自分もその共依存関係にまきとられ自分自身を深く傷つけることになる。
世間とメディアの共依存関係からどこまで隔絶した立ち位置に立てるか? という問いがいまほど強く問われる時代もないと思います。
その意味で、東浩紀のように「世間はバカだメディアはバカだ政治家はバカだ」と言ってのけるあの種の芸当は、「はい僕は共依存関係にどっぷりつかっているんですよー」という告白でしかなく、言論人として論評の対象にさえなりえない稚拙かつ醜悪なののと言わざるを得ないのです。
この選挙はおそらく、悲惨な結果に終わるでしょう。
その結果をみて、「世間はバカだ、政治家はバカだ、メディアはバカだ」と言ってのけるのは誰だってできる。それこそバカでもできる。
あるいは、与党の圧倒的勝利をみて、「野党の不甲斐なさがなぁー」と嘆いて見せるのも、それこそ床屋の待合室にいるおっさんでもできる。
そこじゃないポイント。そこじゃない立ち位置。
本来、言論人はそこに到達できるように、自分の思想的立ち位置関係なく、もがき苦しむべきなんだと思うのです。
確かにその立ち位置は、狭く、そこに至る道のりも決して平坦ではないでしょう。しかしそこに到達することを諦めた途端、それは言論人としての死でしかありえんわけです。そんな立場は、ケントギルバードや百田尚樹がやるようなタレント業でしかないわけです。
偉そうなことを書いていますが、僕だってその立ち位置に到達できたのかどうかわからない。いやきっとまだ到達できてないんでしょう。
でも僕は世間からどんなに疎まれようとも、いまみたいにどんなに追い込まれようとも、その立ち位置に到達する努力を諦めたくないんです。
この時間になって届く各種の数字、各方面の情勢情報は、明日の結果が悲惨なもになることを告げ続けています
この数字を手にしながら、「選挙明けた後こそが、言論人としての勝負だ」と、決意を新たにしたところです。
まだ終わったわけじゃない。
僕は、絶対に、近代的議会制民主主義の力と、言論の力を、諦めない。
★★★★★★★★★★★★
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