相変わらず経済オンチが多いな法人増税して企業を痛めつけ内部留保を減らしたところで 日本経済が改善するわけではない 逆に、投資が減り、実質賃金が減り、雇用も悪化して 社会全体のコストが増えるリスクの方が遥かに大きいのは 北欧とギリシャを見比べてみれば明らかな話だ http://diamond.jp/articles/-/146289 2017年10月20日 塚崎公義 :久留米大学商学部教授 小池代表が主張する内部留保「還元」でも日本経済にはヤバい政策
「内部留保課税」に対する批判が集まり、希望の党の小池百合子代表は態度を軟化させた Photo:日刊現代/アフロ 内部留保に課税しようという「希望の党」の政策に対しては、各方面からの批判も多く寄せられており、小池代表も「課税にこだわらない」と軟化した模様である。配当や給与の形で社会に還元させることが最大の狙いであり、課税にはこだわらないが、企業に対して投資家や株主、従業員との対話を促していくと述べているようだ。これに対し、久留米大学の塚崎公義教授は、内部留保を無理に減らすべきではない、と訴える。
希望の党の小池代表は、9月6日に行った公約発表の記者会見で、「内部留保課税は、貯めに貯められたお金が流動的に動くきっかけになると考えている」と発言。内部留保課税を実施すれば、企業が内部留保を企業内保育園の整備や設備投資、株の配当金などに回すきっかけになると主張した。 その後態度を軟化させ、「課税にはこだわらない」と発言していることが伝えられたが、内部留保を配当や給与などの形で社会に還元させていくことが重要、との考え方は変わっていないようだ。 筆者は、前回の拙稿(「小池新党の『内部留保課税」は設備投資や雇用に全く効果がない』)で、内部留保課税をしても投資も雇用も増えず賃金も上がらず、配当が増えるだけだ、と記した。 その上で、企業が配当を増やして内部留保を減らし、その分だけ銀行借入を増やすとすれば、株主は喜ぶであろうが、それは企業の倒産確率を高めるので、日本経済にとってはよくないこと。株式市場の活性化と、日本経済の活性化は異なるのだと記した。今回はこの点について詳しく解説していくことにしよう。 札束を無意味に 積み上げているのは稀 企業が稼いだ利益を配当せず、設備投資にも用いずに、金庫に札束として無駄に積み上げてあるのであれば、それは大きな問題だ。そうであるならば、積み上がった現金を配当させることで内部留保を減らすことに意味があるだろう。しかし、実際には企業経営者も愚かではないから、無意味に札束を積み上げることは稀である。 仮に、配当されなかった利益が札束として金庫に積み上がっていたとしても、多くの場合、経営者に考えがあってのことであろう。将来の設備投資や買収の資金である場合もあるだろうし、次の不況期に資金繰り倒産しないための保険かもしれない。場合によっては、90年代の金融危機時に貸し渋りを受けた経営者が、その経験から多めに現金を保有しているのかもしれないが、政府がこれを批判することはできないだろう。 しかも実際には、内部留保が札束として積み上がっているケースは多くない。設備投資などに有効に活用されている場合が多いのである。これを減らそうと思えば、設備を売却するか、内部留保を配当した分だけ借金を増やすしかない。 設備の売却は政府も投資家も望まないとすれば、借金を増やすことになる。ここで問題なのは、投資家の利害と企業の利害、日本経済の利害が一致していない、ということなのである。 株主有限責任の原則で 投資家は銀行にリスクを押し付ける 会社法104条は、「株主の責任は、その有する株式の引受価額を限度とする」と定めている。「株主有限責任の原則」である。つまり、会社が大損をして倒産した場合でも、株主は株券が紙くずになるだけで、それ以上の被害は受けないということになり、損は銀行などが被ることになるのである。 例えば企業Aと企業Bは、資産内容も事業内容も同じで、資産規模はいずれも100億円だとする。企業Aは、10億円の資本金(株主が株券と引き換えに拠出した金額)と40億円の内部留保と50億円の銀行借入で100億円分の資産を購入した。一方の企業Bは、10億円の資本金と90億円の銀行借入で100億円分の資産を購入したとしよう。 企業Aが20億円の利払い前利益を上げたとすると、銀行にわずかな金利を支払った残りはすべて株主のもうけとなる。反対に20億円の損失を被ったとすると、過去に積み上げてきた内部留保が20億円減少、つまり株主の資産が減る。もうかっても損しても、それはあくまで株主の損益であり、銀行は淡々と金利を受け取るのみである。 これに対して企業Bの場合には、20億円の利益をあげれば株主がもうかる一方、20億円の損失を被っても株主は10億円しか損をせず、銀行が残り10億円の損失を被るのである。 株主にとっては、企業Bの方が望ましいに決まっている。だから、企業Aの経営者に対して「配当を増やせ」と要求する。企業Aが銀行から40億円を借り入れて同額の配当を支払うとすれば、株主は「最大50億円まで損する可能性」を「最大損しても10億円」に引き下げることができる一方で、利益を得る可能性はほとんど減らない(銀行に支払う金利がわずかに増えるだけだ)。これは、株主が自分のリスクを銀行に押しつけているだけで、日本経済全体として何かが改善したわけではないのだ。 理論的には、企業Bに対する銀行の貸出金利は高くなるので、銀行の不利とは限らないが、超低金利時代で銀行が貸出競争を繰り広げている現状では、それほど高い金利は得られないであろう。 株主と銀行がリスクの押し付け合いをしているだけならば、当事者以外には関係ないことであるが、実際にはそうではない。企業が倒産しやすくなるのである。先の例で言えば、企業Aは50億円までの損失であれば倒産することはないが、企業Bは10億円超の損失で倒産しかねない。 倒産は、日本経済にとって大きなマイナスである。まず、従業員が失業する。最近は労働力不足であるから比較的容易に次の仕事が見つかるかもしれないが、前職での経験が活かせる仕事が見つかるとは限らない。 企業が使っている設備が二足三文でスクラップされてしまうのも、実にもったいないことである。スクラップされないまでも、昨日購入した新車を中古車として販売したりすれば大幅な損失が発生するであろう。 企業内に蓄えられた知識やノウハウ、顧客リストといったものも瞬時で無価値になってしまう。一般に起業すると「創業赤字」を経験するが、これは知識やノウハウや顧客の信頼といった「バランスシートに載っていない資産」を獲得するための費用である。これが無駄になってしまうのである。 このように考えていくと、日本経済にとっては、明らかに企業Bよりも企業Aの方が望ましい存在なのである。 ROAを高めずにROEを高めると 株価は上がるが経済のためにはならない 「日本企業はROE(株主資本利益率)が低いから高めるべきだ」、と言われている。もしも日本企業のROEの低さの原因がROA(総資本利益率)の低さなのであれば、これを高めることが望ましいのは言うまでもない。生産性を高める、技術を開発する、過当競争を手控えるなどにより利益が増えるのは素晴らしいことだ。これには、立派な経営者の手腕を期待しよう。 一方で、ROAを高めずにROEを高めることは、簡単ではあるが望ましくない。財務部長が銀行から借金をして配当を増やせばいいだけだからである。上記の企業Aは、5億円もうかればROEは10%であるが、企業Bは5億円もうかればROEは50%である。企業AがBに変身すればROEは上がり、株主は喜び、株価も上がるであろうが、それが日本経済のためにならないことは上記の通りである。 賃上げをするか否かは、ゼロサムゲームである。「株主の幸せは従業員の不幸せ」と傍観していればいい。損失の際のリスクの押し付け合いも、ゼロサムゲームである。「株主の幸せは銀行の不幸せ」と傍観していればいい。しかし、後者が倒産リスクを上昇させることまで考えれば、「株主の幸せは日本経済の不幸せ」であるから、傍観しているわけにはいかないのである。 (久留米大学商学部教授 塚崎公義)
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