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2017/09/03 04:26
<麻生太郎副総理は2日、10月の衆院愛媛3区補選の応援で訪れた愛媛県西条市での講演で、祭りの参加者を「きちがいみたいな人ばかりだ」と述べ、精神障害者を差別する表現を使った。補選は祭りと時期が重なり、麻生氏は「ここのお祭り大変だ。そういった時に選挙なんてやれる。選挙を一生懸命やっている人はお祭りを一生懸命やっている人。俺のとこ(の選挙区の祭り)は7月14日だけど、この時になったら、ほとんどきちがいみたいな人ばっかりだ」と語った。
麻生氏は講演後、記者団から指摘され、「不適切でした」と述べた。
麻生氏は先月29日、横浜市で開いた自らの派閥の研修で「少なくとも(政治家になる)動機は問わない。結果が大事だ。何百万人も殺しちゃったヒトラーは、いくら動機が正しくてもダメなんだ」と問題発言。翌日、不適切だったとして撤回したばかりだった>(以上「朝日新聞」より引用)
舌禍再び、といったことでは許されない。言葉狩りではないが、麻生氏の言葉は余りに軽々しくて論評する気にもならない。
麻生氏が話す英語ではどうか知らないが、彼が話す日本語を聞いている限りでは、他者への繊細な配慮だとか、弱者への労りだとかいった人間性が伝わってこない。
麻生氏は「不適切でした」と述べたようだが、記者から指摘されて反省するようではお粗末というしかない。言葉は政治家にとって重要な仕事をする上でのアイテムだ。
政治家は言葉で仕事をする。手に匠の技があるわけではなく、体にしみ込んだ技術があるわけではない。そういう意味では評論家たちや言論人たちと何ら変わらない。
言い換えるなら、政治家にとって言葉は命だ。いったん口から出た言葉は取り消せない。言葉は凶器でもある。
鋭利な凶器で傷つけられると傷が癒えても傷跡が残る。言葉で傷つけられた人も「撤回」や「反省」で言葉による傷が癒えたとしても、心に負った傷跡は残る。
政治家は言葉を研ぎ澄ます職人でなければならない。政治理念は先生に就いて学ぶことが出来るが、言葉は操る人の人間性をそのまま映し出す。育ってきた環境や軌跡がそのまま言葉形成に反映される。
身を慎む九割は言葉を慎むことだ。言葉卑しい人は人品も卑しいものだ。そうした意味でも麻生氏には政治家としての資質がないといわざるを得ない。
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