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1946(昭和21)年1月撮影とされる、原爆で背中に大やけどをした谷口稜曄氏の映像からの写真(長崎市提供)
「殺してくれ」―激痛のため何度も叫んだ!
http://79516147.at.webry.info/201708/article_338.html
017/08/30 23:05 半歩前へU
▼「殺してくれ」―激痛のため何度も叫んだ!
88歳で亡くなった長崎原爆被災者協議会長の谷口稜曄さんは、原爆投下後の地獄を語ることを「生かされた」者の使命として背負い続けた。
命を奪われた約7万人の苦しみや、運動を共にした仲間たちの願いを胸に、自らを奮い立たせながら国内外で体験を伝えた。
「目をそらさないで」。2010(平成22)年、被爆者代表として出席した米ニューヨークの核拡散防止条約(NPT)再検討会議。各国代表ら約400人の前で「真っ赤な背中」の少年の写真を掲げた。
昭和20年8月9日、16歳の時、爆心地から1.8キロの路上で郵便配達中、爆風に吹き飛ばされた。
熱線で背中は大やけど。入院生活のうち2年近くはうつぶせのまま、床擦れで胸の肉は腐った。「殺してくれ」―。激痛のため何度も叫んだ。
入院中の谷口さんを撮影した米軍のフィルムは45年に発見。
その姿は世界に衝撃を与え、取材が殺到。核兵器の恐ろしさを伝えるため20回以上海外に渡り、被爆者の「顔」に。被爆70年の平成27年8月9日、平和祈念式典で壇上に立った。
式典の後につぶやいた「まだ終わりじゃない」。道半ばのままの核廃絶の悲願は次の世代に託された。(以上 産経)
詳しくはここをクリック
http://www.sankei.com/west/news/170830/wst1708300053-n1.html
「赤い背中の少年」谷口稜曄氏、使命背負い地獄を語り続ける 床擦れで胸の肉腐り、激痛のあまり「殺してくれ」… https://t.co/MwSwXvflmG 1946(昭和21)年1月撮影とされる、原爆で背中に大やけどをした谷口稜曄氏の映像からの写真(長崎市提供) pic.twitter.com/cVLgShW59o
― ノリオ (@norioNY) 2017年8月30日
「赤い背中の少年」谷口稜曄氏、使命背負い地獄を語り続ける 床擦れで胸の肉腐り、激痛のあまり「殺してくれ」… -https://t.co/YoeEkXnWdk *この写真、資料映像として「ヒロシマ、わが愛」「ヒロシマ モナムール」「二十四時間の情事」に使われてた(全部同じ映画)
― SisterMaas_ver2 (@SisterMaas_ver2) 2017年8月30日
[産経]「赤い背中の少年」谷口稜曄氏、使命背負い地獄を語り続ける 床擦れで胸の肉腐り、激痛のあまり「殺してくれ」… https://t.co/Vq5pAdjgTD 88歳で亡くなった長崎原爆被災者協議会長の谷口稜曄さんは、原爆投下後の地獄を語ることを「生かされた」者の使命として… pic.twitter.com/ftyXdOytKQ
― 5newspaper (@_5newspaper) 2017年8月30日
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