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終戦ではなく「敗戦」と言うわけ(反戦な家づくり)
http://www.asyura2.com/17/senkyo230/msg/632.html
投稿者 赤かぶ 日時 2017 年 8 月 13 日 20:35:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

終戦ではなく「敗戦」と言うわけ
http://sensouhantai.blog25.fc2.com/blog-entry-1665.html
2017-08-13 反戦な家づくり


二日後には72回目の敗戦記念日だ。

私は「終戦」という言葉を使わない。

理由はみっつある。

ひとつ。
戦争責任をアイマイにしないため。

ふたつ。
敗戦を「解放」記念日にできなかった日本人民の不甲斐なさを胸に刻むため。

みっつ。
いまだ敗戦-占領は終わっていないことを忘れないため。

戦争は、雨が止むように自然に終わったのではない。

普通の国ならばとっくに降伏していたはずのところを、無謀な玉砕戦を1年近く引き延ばした挙げ句、万策尽きて無条件降伏したのである。

侵略戦争をはじめたという意味での戦争責任ももちろん問われなければならないが、ただひたすら「国体護持」のために兵士と住民に死を強いた責任も、決してアイマイにしてはいけない。

天皇制と、その権威にぶら下がる権力と利権、すなわち「国体」の為だけに、どれだけの兵士と住民が殺されたのか。

少なくとも、1944年10月に始まった神風特攻は、戦争としての合目的性すらなくしてしまったという合図である。そこからの10ヶ月間は、絶対に勝てないと分かりながら「国体護持」のためだけに死を強制された。

もちろん、日本各地の空襲も、沖縄戦も、原爆もそうだ。

侵略戦争の責任は、当然ながら万死に値する。

そして、世界中で今もその罪を犯し続けるものは絶えないし、あの太平洋戦争だって、連合国が善で枢軸国が悪という分類では決してない。

しかし、当時の日本が極めつきに異常だったのは、「国体護持」のために、自軍と自国民を虫けらのように死に追いやった ということだ。数十万、数百万人を死に追いやり、産業は壊滅し、国土は燃え尽くされても、そんなことよりも「国体護持」が大事だった。

この異常さは、自らの国のこととして、決して忘れてはいけない。

この国の支配者は、自分たちの存立が根底から脅かされるとき、数百万の自国民を平然と死に追いやり、恬として恥じないのである。

そういう国なのだ。

これは国民国家ではない、ということでもある。

天皇の権威と権力に連なる階級と、生産と戦争の駒としてのみ扱われる階級は、一つの国民として結集する段階に至らず、農奴的な隷属関係でのみ国家につながれているということだ。

そして、それは本質的に今日でも変わっていない。

変わっていないその象徴こそが、日本国憲法の1条と9条だ。

国体護持のギリギリの条件とは、天皇の戦争責任を問わずに天皇制の権威を残すことだった。

そのために、幣原喜重郎とマッカーサーが合意したのが9条だったということは、数々の資料で証明されつつある。

さらに、国体護持のために生け贄にされたのが沖縄だ。

昭和天皇は、自ら保身のために沖縄の割譲をマッカーサーに提案した。

国体護持のために絶望的な地上戦を強制され、住民の1/4が殺されたあげく、負けた後は生け贄でアメリカに引き渡す。

天皇の戦争責任はあるとかないとかの論争がバカらしくなるほど、あまりにも酷い話しだ。

このように、「国体」のために国民は死を強制されながら迎えたのが、敗戦なのである。
この悔しさを忘れないために、私は「敗戦」と言いつづける。



一方でしかし、民間人50万人を無差別に殺戮した当事者は、米軍だ。

日本軍のアジアでの虐殺や捕虜虐待は、当然責められるべきことだ。

しかし、それと同じくらい、米軍の無差別殺戮も責められなければならない。

実験のために二種類の原爆を投下し、日本が降伏するやABCCという研究機関が乗りこんできて、治療はせずに被害のデータ収集に励んだ。まさに、超弩級の人体実験である。

この悪魔のような米軍を、解放軍として迎えたのが、日本共産党を筆頭にした反戦派の日本人だ。

たしかに、国体護持のために自国民をいくらでも殺してしまう旧支配者よりは、マッカーサーのほうがずいぶんマシに思えたのは無理はない。

日本国憲法も、押しつけとは言え、日本側が作った松本案とは比べものにならないくらい良いのはたしかだ。

しかし、日本人は自分たちで自分たちの憲法を作ることができなかった、という歴史は残っている。

良い憲法ならもらい物でもいいじゃないか、では民主主義ではない。民主主義を謳う現憲法は、自己矛盾をかかえているのである。

1946年米よこせデモ。1947年2.1ゼネスト(未遂)など、日本の民衆、すなわち国体に支配されていた側の運動も大きなものだったが、残念ながら2.1ゼネストに対するマッカーサーの禁止に屈したのち、国体そのものを揺るがすようなうねりとはならなかった。

結局、国体にぶら下がっていた「ちょっとマシ」な連中がそのまま国家権力を継承し、国体に押しつぶされていた民衆は、そのまま支配され続けることになった。

戦争に負けたことで、これまでの支配層を打ち破り、敗戦を解放にする ということができなかった。

敗戦が敗戦で止まってしまった。

大きな意味では、現在に至るも、構図は変わっていない。

そのことを 歯がみして思い起こすために 私は「敗戦」と言いつづける。



もはや言うまでもないが、米国の占領は1945年から72年間、一度も途切れることなく続いている。

1952年を境に、形式的な占領から、実質的な植民地支配へと変化はしたものの、日本はいまだ独立していないし、独立していない植民地に民主主義など成立するわけがない。

日本を「民主国家」だとか「憲法で平和を守れ」と安易に口にする護憲派の皆さんは、植民地でどうやって民主主義が機能するのか、考えてみてもらいたい。

そりゃもちろん、民主主義が機能してほしいと思うし、今憲法を変えるのは大反対だし、平和であってほしいのは当然だけど、安保条約、地位協定、密約、さらには官僚と政治家とマスコミに張り巡らされたネットワークは、植民地以外の言葉が当てはまらない。

オスプレイが墜落して、日本国防衛大臣が飛ばさないでくれ、と言っているのに、完無視して次の日から飛ばし続けるのが「日米関係」だ。日本の大臣よりも、米軍の現地司令官のほうがずっとエラいのである。これは自民党だったからとか、小野寺がヘタレだったからというだけではなく、政権交代しようが何党であろうが、同じことだ。

だいたい、「飛行停止命令」ではなく、「自粛要請」しかできないのだから、どんだけ格下かということだ。

2.1ゼネストを禁止されたあの関係は、いまも続いている。

なんとかして、米国の支配の軛を脱しないことには、何かを決めるということすらかなわない。

そのことを忽(ゆるが)せにしないために、私は「敗戦」と言いつづける。

■参考資料

数字は証言する データーで見る太平洋戦争 (毎日新聞)

アジア歴史資料センター公開資料


 

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コメント
 
1. 2017年8月13日 21:10:38 : No1QipL5tA : Vzzyd380Ru8[3]
>侵略戦争をはじめたという意味での戦争責任ももちろん問われなければならないが

アメリカが石油を禁輸しなければ日本が戦争する事はなかったので

戦争責任はアメリカにあります。

>昭和天皇は、自ら保身のために沖縄の割譲をマッカーサーに提案した

そんな事実はありません。

妄想も大概にしなさい。

>実験のために二種類の原爆を投下し、日本が降伏するやABCCという研究機関が乗りこんできて、治療はせずに被害のデータ収集に励んだ。まさに、超弩級の人体実験である

まさにその通り。

人間のすることではない。


2. 2017年8月13日 21:14:53 : 0CejVRban6 : urcdmA9xc1s[4744]
「私は「敗戦」と言いつづける。」

では私も。
言葉は重要ですよね。


3. 2017年8月13日 22:11:13 : lh1GGwoOtM : YsxGZGc1SWo[1256]
私も「敗戦」だと思います。
「終わった」では、まるで自然界の事象のようですからね。
戦争は人為です。

4. 2017年8月13日 22:22:01 : lh1GGwoOtM : YsxGZGc1SWo[1257]
>>3に続けます。

自然現象ではなくて人為であれば、誰が、何故、どうしてそれを行うことになったのか?
という疑問がわきます。もちろん、それは誰か一人だけ、あるいは一方(いっぽう)だけの責任ではないでしょう。
でも、それをして何が残ったのか?他の選択肢はなかったのか?など、いろいろ考察できる。
もちろん、覆水盆に返らずで過ぎた昔は返りません。
でも、これからこの国をどうするのか?どの道を行くべきなのかの参考にはなる。

ただ「終わってほっとした」という「終戦」ではその考察がない。

過去から学ばない動物はいない。
下等とされる無脊椎動物たちも実験によれば過去の経験は何かの形で蓄えているらしいと聞きます。
「同じ過ち」を繰り返すことは命にかかわるからです。
もし、人間にそれができなかったとしたらアホです。


5. 2017年8月14日 12:10:21 : ArG5WsPsa2 : ylyudJXPm0U[87]
「米国の占領は1945年から72年間、一度も途切れることなく続いている。」

 投稿者のこの論理からすれば、日本国憲法は占領下の日本の自主性のない

 (もちろんGHQのいいなりの時代)ときに作られた 米国GHQ製の憲法で

 あるし、植民地憲法がいまも使われているわけ。

 いますぐ改正で来るかどうかは別にして、良い時期がくれば自主憲法を作成

 すべき、その時点で現行のGHQ憲法は破棄。
 

    


6. 2017年8月14日 12:10:57 : w3M1BHSquE : 5KToaZSVnLw[1746]
そもそも アメリカと戦争などして 勝てる筈がない事は 始めから解っていた事

昭和16年夏にそれは判明していた事 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%8F%E5%8A%9B%E6%88%A6%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80

東條ほかの馬鹿な指導者が握り潰してしまっただけ

つまり おっぱじめた時点で敗戦は 決まったようなものであるから(しかも宣戦布告前の奇襲攻撃)
敗戦記念日は 12月8日である と言えるのです。


7. 2017年8月14日 15:31:36 : w3M1BHSquE : 5KToaZSVnLw[1748]
そして スレ主さん 敗戦という言葉にこだわるのは 逆に言えば 「負けなければ良かったではないか」
という言葉にも聞こえてしまうのですよ スレ主さんのおっしゃりたい事は良く判りますし
>>1 みたいな馬鹿ウヨは 相手になさってはいけませんが 終戦記念日という言葉の本当の意味は

「勝った負けたなどに関わらず 戦争さえ終われば良い事 勝とうが負けようが どうでも良い事」

こういう意味もあるのです 戦争なんて 勝ち負けなんかどうでもよく 戦争始めた時点でそれは
「外交の敗北」 なのですから 本当の勝ちは 「戦争などしない事」 と言えるのです
日本国民は あの戦争のもたらした壮絶なる苦しみによって、ようやく気が付いたのです
【憎むべきは 戦争そのものである】という事 勝った負けたはどうでも良い事 金輪際 戦争など御免だ
だから 終戦記念日と言うのではないですか? 


8. 2017年8月14日 16:08:08 : ArG5WsPsa2 : ylyudJXPm0U[88]
 戦争始めた時点でそれは
「外交の敗北」 なのですから


 これはおかしい、間違いである

 外交で決着がつかなくなったので、力(戦争)で勝敗をつけようとなったわけ

 1回負けたくらいでくじけるなと言いたい。

 何もかも日本が悪かった、自虐的なのが嫌いである。

 


9. 2017年8月14日 17:59:33 : ArG5WsPsa2 : ylyudJXPm0U[89]
「FDR(フランクリン・ルーズベルト大統領)を「日本を戦争に巻き込むという陰謀を図った狂気の男」とフーバー元大統領が辛辣に批判していた事実が、ようやく明らかになった。
この大統領のメモは米国内で、ながく禁書扱いを受けていたからだ(詳しくは産経12月8日付け紙面)。
大東亜戦争は日本の自衛の戦争であり、米国との決戦は不可避的だった。直前に様々な和平工作がなされたが、それらは結果的に茶番であり、ルーズベルトその人がどんな謀略を行使しても、日本と戦争しなければならないという確固たる信念の持ち主であったから、戦争回避工作には限界が見えていた。」

米国が望んだ戦争であり、日本は本当は米国との戦争は望んでいたわけではない。

和平交渉でも、日本が譲れない条件をおしつけてきた。



10. 2017年8月14日 19:19:31 : qFLrcoO25I : IwCZRvTYQMk[424]
終戦と 言って逃れる 責任を

11. 2017年8月14日 22:58:44 : lh1GGwoOtM : YsxGZGc1SWo[1266]
>>5

>「米国の占領は1945年から72年間、一度も途切れることなく続いている。」

> 投稿者のこの論理からすれば、日本国憲法は占領下の日本の自主性のない

> (もちろんGHQのいいなりの時代)ときに作られた 米国GHQ製の憲法で

> あるし、植民地憲法がいまも使われているわけ。

ところが少し、事情はちがうんだよな。日本が9条を持つ日本国憲法を受け入れるや否や、アメリカはすぐにそれを取り上げたくなった。「戦争をしない日本」より、韓国のように「戦争でも協力してくれる子分の日本」にした方が都合がよかったからだろう。だから、警察予備隊、のちの自衛隊を作らせたりした。ところが今の憲法を手放さないことを望み、改憲を目指して結党されたはずの代々の自民党政府にもそれを強要し(金は出し、沖縄などの基地は提供し続けることになっても)直接的な軍事力でアメリカに協力することを拒否させてきたのは戦後以来の日本国民でしかありえない。

つまり、日本が植民地状態なのは確かだが「桃太郎のサル、キジ、イヌ相当」の配下にされないためのレジスタンスが護憲運動でもあったということ。押し付け押し付けというが、押し付けられたその後に、誰が改憲を望み、誰が改憲を望まなかったかが大切だ。

ついでに、日本国憲法を当時の日本政府に押し付けたのは占領軍、アメリカの軍事力であることは誰が見ても間違いないが、そのベースとなったのは鈴木安蔵等、戦時中は弾圧を受けていた日本の民間の憲法学者たちが作った草案である。よくGHQの若いチームが速攻で作ってしまうったように言う人もいるが、あれだけの憲法をつくる時間は彼らにはなかった。なぜなら、連合国側の会議の前に天皇の地位を確定しなればならず、天皇の免責を決めていたアメリカはその地位を決定する新憲法を素早く作らねばならなかったのだ。さらに不戦条項を入れるようにマッカーサーに要請したのは当時の総理大臣、幣原喜重郎である。

幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事 情について
http://kenpou2010.web.fc2.com/15-1.hiranobunnsyo.html


12. 2017年8月15日 02:32:10 : w3M1BHSquE : 5KToaZSVnLw[1749]
11さんのおっしゃる事 まったくその通りである

馬鹿ウヨどもの 決まり文句に 「憲法九条はアメリカに押し付けられた」 という出鱈目があるが

実は、憲法九条を 最も目障りと考えているのは アメリカに他ならない事実は 無視するという欺瞞だ
マッカーサーは晩年、日本国憲法を作らせた事を 後悔していたという

都合の悪い事は無視 アメリカに媚び諂っているくせに なんでもアメリカのせいにするという
矛盾だらけなんですよ ネトウヨと言う連中は。

● 憲法九条を 一番迷惑しているのは アメリカである という事実 ●


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