2017年8月6日(日) 核禁止条約 すべての国が参加を 原水爆禁止世界大会国際会議が宣言 来月、世界同時行動「平和の波」 世界大会・広島始まる 広島市内で開かれていた原水爆禁止2017年世界大会・国際会議は5日、歴史的な核兵器禁止条約を力に核兵器の完全廃絶をめざす国際会議宣言を採択し、閉幕しました。 (国際会議宣言)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-08-06/2017080601_01_1.jpg (写真)国際会議宣言を採択して閉会した原水爆禁止2017年世界大会国際会議=5日、広島市中区 宣言は、核兵器禁止条約について「被爆者と世界の人々が長年にわたり熱望してきた核兵器完全廃絶につながる画期的なもの」とのべ、「新たな決意で『核兵器のない平和で公正な世界』の実現をめざして前進することを誓う」と表明しました。 すべての国が条約に参加することを訴え。「核抑止力」論を否定した条約に基づき、核保有国には「核抑止」政策の見直し、同盟国には「核の傘」からの離脱を求めました。 北朝鮮に対しても、核兵器開発の中止を求めるとともに、すべての当事国に外交的・平和的解決に踏み出すよう求めています。 唯一の被爆国でありながら参加を拒む日本政府に対して、「すみやかに条約に調印すること」を求めました。 「今後の帰趨(きすう)を決めるのもまた、世界諸国民の世論と運動である」として、条約調印開始の9月20日から核廃絶国際デーの同26日まで、世界同時行動「平和の波」に取り組むことを提起。世界数億をめざしている「ヒバクシャ国際署名」運動の発展を訴えました。 冨田宏治・起草委員長(関西学院大学教授)は、宣言について、「核兵器禁止条約の採択という歴史的成功を力に核兵器の完全廃絶へと前進する決意を示すものだ」と強調しました。 議長を務めた日本平和委員会の千坂純事務局長が、「核兵器のない世界へ、世界同時行動を成功させ、ヒバクシャ国際署名を世界中に広げましょう」とのべると、参加者は大きな拍手でこたえました。 当日夕からは世界大会・広島が広島市内で始まり、市民と海外代表の交流集会が開かれました。 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-08-06/2017080601_01_1.html 2017年8月6日(日) 原水爆禁止2017年世界大会 国際会議宣言 5日、原水爆禁止2017年世界大会・国際会議が採択した「国際会議宣言」(全文)は次の通りです。 広島と長崎にアメリカの原子爆弾が投下されてから72年を経た今年7月7日、ついに核兵器禁止条約が採択された。第1回原水爆禁止世界大会(1955年)以来、被爆者とともに、核戦争阻止、核兵器廃絶と被爆者援護・連帯の実現を求めてきた我々は、歴史的な条約採択を心から歓迎し、新たな決意で「核兵器のない平和で公正な世界」の実現をめざして前進することを誓う。 核兵器禁止条約は、被爆者と世界の人々が長年にわたり熱望してきた核兵器完全廃絶につながる画期的なものである。 条約は、核兵器について破滅的な結末をもたらす非人道的な兵器であり、国連憲章、国際法、国際人道法、国際人権法に反するものであると断罪して、これに「悪の烙印(らくいん)」を押した。核兵器はいまや不道徳であるだけでなく、歴史上はじめて明文上も違法なものとなった。条約が、「ヒバクシャ」と核実験被害者の「受け容(い)れがたい苦痛と損害」を心に留め、核兵器廃絶を推進する「市民的良心の役割」の担い手として「ヒバクシャ」を明記したことは、「ふたたび被爆者をつくるな」と訴えてきた被爆者のたたかいを正当に評価したものである。 条約は、開発、生産、実験、製造、取得、保有、貯蔵、使用とその威嚇にいたるまで、核兵器にかかわるあらゆる活動を禁止し、「抜け穴」を許さないものとなった。核保有国の条約への参加の道を規定するなど核兵器完全廃絶への枠組みを示したことも重要である。同時に、被爆者や核実験被害者への援助をおこなう責任も明記され、被爆国、被害国の国民の切望に応えるものとなった。核兵器禁止条約は、「核兵器のない世界」をめざす戦後70年余の世界のたたかいが結実したものである。 世界には、いまだに15000発の核兵器が存在して、人類生存への脅威となっている。ひきつづき核戦力の開発、近代化がすすめられ、核兵器使用の危険も依然として高いままである。さまざまな地域での緊張が核兵器の使用につながる懸念も高まっている。我々はすべての国にたいし、核兵器の非人道性と、その禁止・廃絶が世界の平和と安全に不可欠であることを直視し、すみやかに核兵器禁止条約に参加することを訴える。そして条約が禁止した活動をただちに中止し、永久に放棄することを要求する。 条約が核兵器の使用とともに、その威嚇を禁じたことは、核兵器を保有する最大の根拠とされている「核抑止力」論を否定するものである。我々は、核保有国が、「核抑止」政策を見直すこと、同盟国がこれに依存する政策を放棄すること、「核の傘」から離脱することを求める。 核兵器禁止条約の実現から、核兵器完全廃絶と「核兵器のない平和で公正な世界」に向かって、さらに前進しなければならない。 この条約そのものが有する力を活(い)かしていくことが何より必要である。条約に反するあらゆる活動が、国際社会の非難の対象となる。核兵器を違法とする法的規範が確立されたことによって、条約への参加を拒んでいる国も、政治的、道義的な拘束から免れることはできない。さらには、核大国の世界的規模での核戦略を制約し、破たんさせる可能性もある。 核兵器禁止条約を実現させた諸国政府・国連と市民社会の共同をさらに発展させることが、いっそう重要となる。禁止条約のもとで、世論と運動を発展させる新たな条件が生まれている。原水爆禁止世界大会は、世界の反核平和運動とともに、諸国政府と国連の代表も参加して、交流、共同を進めてきた。この方向で、国際的な世論を広げていくことは、核保有国とその同盟国に対して、核兵器に固執する政策を放棄するよう迫る大きな力となる。 核兵器完全廃絶への前進にとって決定的なのは、核保有国とその同盟国において、禁止条約を支持する国民的多数派をつくり、世論と運動で政府に調印・批准させることである。米英仏は「締約国にはならない」と強く反発し、他の核保有国も「ステップ・バイ・ステップ」で進むべきと不参加の態度を表明している。これらの国々で、核兵器禁止条約への態度を問い、参加を迫る世論を広げることが求められる。 こうした声と行動を合流していくことが、「核兵器のない世界」への大きな前進を可能とする。 国際合意に反する北朝鮮の核・ミサイル開発は、世界と地域の平和にとって重大な脅威であり、断じて許されない。すべての当事国は、すみやかに外交的・平和的解決にふみだすべきである。すべての軍事的威嚇や挑発が直ちに停止されなければならない。我々は、核兵器禁止条約の精神にたって、北朝鮮に核開発の中止とその放棄をつよく求める。非核兵器地帯の実践と強化、新設など地域的な努力も重要となっている。 被爆国である日本政府が、核兵器禁止条約への参加を拒んでいることに、被爆者をはじめ失望と憤りが広がっている。我々は日本政府が、アメリカの「核の傘」から脱却し、すみやかに条約に調印することを訴える。憲法の平和原則の破壊、海外での戦争に参加する態勢の強化に、広範な国民がたちあがっている。沖縄では、米軍新基地建設に反対する県民ぐるみのたたかいが発展している。我々は、憲法を守り生かし、非核平和の日本をもとめる運動に連帯を表明する。 核兵器禁止条約実現の土台には、被爆者とともに歩んできた世界の反核・平和の運動の「草の根」の力があった。今後の帰趨(きすう)を決めるのもまた、世界諸国民の世論と運動である。我々は、以下の行動をよびかける。 ――すべての国が速やかに核兵器禁止条約に参加し、核兵器の完全廃絶に取り組むことを求める世論を大きく発展させよう。9月20日から26日の期間、「草の根」からの多彩な行動をつなぐ世界同時行動(「平和の波」)を行うことを提唱する。 ――核兵器の非人道性と核兵器完全廃絶の必要性をひろげる対話と宣伝を強めよう。被爆者の証言活動、原爆写真展をはじめ被爆体験の継承をすすめ、核兵器禁止条約についての学習を重視しよう。条約でも重視された平和教育をいっそう推進しよう。 ――全世界で2020年までに世界数億を目標にとりくまれている「ヒロシマ・ナガサキの被爆者が訴える核兵器廃絶国際署名」(「ヒバクシャ国際署名」)を大きく発展させよう。 ――核兵器禁止条約の調印開始(9月20日)、「核兵器の全面的廃絶のための国際デー」(9月26日)、国連総会第一委員会、核軍縮に関する国連総会ハイレベル会合(2018年)、NPT再検討会議準備委員会などを機会に、諸国政府・国連と市民社会の共同を発展させよう。 ――被爆者への援護・連帯をすすめ、国家補償を実現しよう。被爆二世・三世の運動を支援しよう。核実験被害者への支援を求めよう。原発事故被災者の救済と原発ゼロを求める運動との連帯を発展させよう。枯葉剤、劣化ウラン弾などの戦争被害者を支援しよう。 ――反戦・平和、沖縄はじめ外国軍事基地の縮小・撤去、軍産複合体との闘い、軍事費削減と生活・雇用・福祉の向上、貧困と格差の解消、気候変動防止と地球環境保護、性差別はじめあらゆる差別の克服、平和の文化の発展などをめざす運動と連帯しよう。 核兵器禁止条約は、核兵器の完全廃絶を訴える被爆者と市民社会の運動の役割を強調した。被爆者とともに、いまこそ未来をきりひらこう。「核兵器のない平和で公正な世界」への扉が開かれたいま、若い世代とともに、その実現に向けて意気高く歩んでいこう。 2017年8月5日 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-08-06/2017080605_01_0.html 2017年8月6日(日) 核兵器禁止から廃絶へ 禁止条約にサインする政府つくろう 広島 志位委員長が訴え http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-08-06/2017080601_02_1.jpg (写真)報告する志位和夫委員長(左)と大平喜信衆院議員=5日、広島市中区 日本共産党中央委員会・広島県委員会は、広島への原爆投下から72年目を翌日に迎える5日、核兵器禁止条約を採択した7月の「国連会議」の画期的な中身を伝える街頭演説を広島市内で開きました。志位和夫委員長が「核兵器禁止から廃絶へ―『国連会議』の報告」と題して演説し、「被爆国・日本で、核兵器禁止条約にサインする政府をつくろうではありませんか」と呼びかけました。 多くの通行人が足を止め、志位氏らの訴えを熱心に聞き入る聴衆が歩道沿いにぎっしり。 大平喜信衆院議員は、条約採択の歴史的瞬間に立ち会った感動を語り、「世界中の政府や市民の代表と心から共鳴し合った」「安倍政権を終わらせ、『核兵器のない世界』の実現へ先頭に立つ政府をつくろう」と訴えました。 次期衆院選の垣内京美比例中国ブロック候補と小選挙区6候補が紹介されました。 志位氏は冒頭、原爆犠牲者への哀悼の気持ちを述べるとともに、「核兵器のない世界」を実現するために力をつくすと表明。志位氏が「国連会議」での核兵器禁止条約の採択(7月7日、ニューヨーク)について報告し、「採択の瞬間、会場を揺るがす拍手と歓声が起こりました。各国代表も市民社会代表も抱き合って喜びました。議場は『歴史が動いた』との感動に包まれました。広島のみなさんとともに、歴史的壮挙を喜びあいたい」と述べると、聴衆から大きな拍手が起こりました。 被爆者の参加は会議成功の「推進力」だった 志位氏は「国連会議」の画期的な特徴を紹介しました。それは、同会議が、国連の核軍縮会議で初めて、各国政府と市民社会の代表によって構成されたことです。志位氏は、この中で、「とりわけ会議成功に大きな貢献をしたのは被爆者のみなさんです」と強調しました。 「同じ地獄をどの国の誰にも絶対再現してはならない」(藤森俊希さん)、「広島や長崎でなくなった人々の魂の声を感じとっていただきたい」(サーロー節子さん)と、同会議での被爆者の訴えを紹介すると、聴衆は静かに聞き入りました。 エレン・ホワイト議長は、条約採択後の記者会見で、「被爆者が出席してくれたことは、この会議の交渉を成功に導く推進力でした。それはすべての(政府)代表を感動させ、人間の魂に訴えかけるものでした。それは、理性とハートを結ぶプロセスでした」と述べました。 志位氏が、この発言を紹介し、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の長年の取り組みにふれ、「ついに世界を動かした被爆者のみなさんに心からの敬意と感謝を申し上げたい」と述べると、大きな拍手がわき起こりました。 志位氏は、日本共産党が市民社会の一員として同会議に参加し、要請・懇談などを通して、「禁止条約を一致できるところで作成し、核兵器廃絶への一歩を踏み出そう」と呼びかけたことを報告、「会議成功に向けて一つの貢献ができました」と語りました。 世界と日本のたたかい、広島・長崎の声がつくった条約 日本共産党の志位和夫委員長は5日の広島市での街頭演説で、核兵器禁止条約を条文にそって丁寧に解説しました。 条約の思想を示した「前文」では、核兵器の非人道性を厳しく告発し、違法性を明確にする太い論理が貫かれていると指摘。「原水爆禁止運動が一貫して訴えてきたことが、ついに国際社会の共通認識となりました」と強調しました。また、条文には「ヒバクシャ」の言葉が2カ所盛り込まれており、「被爆者が戦後歩んだ、苦難はあるが気高い道のりを正当に評価したものではないでしょうか」と力を込めました。 第1条では、核兵器を抜け穴なしに全面的に禁止していると指摘するとともに、第4条で核兵器完全廃絶にむけた枠組みが、第6条・7条で被爆者援護が盛り込まれていることを詳細に語りました。 志位氏が、「戦後、日本の原水爆禁止運動は、核戦争阻止、核兵器禁止・廃絶、被爆者援護・連帯―三つの柱を掲げ、不屈のたたかいをしてきました。この三つは、広島、長崎のみなさんが一貫して願ってきたことだったと思います。条約には、その内容が全面的に盛り込まれています。戦後、70年余の世界と日本のたたかい、広島・長崎の声がつくった条約であることを確信にし、前に進もうではありませんか」と呼びかけると、聴衆は大きな拍手で応えました。 21世紀の新しい世界の姿、 追い詰められた逆流 志位氏は、「『国連会議』には、21世紀の新しい世界の姿が現れました」と強調。国際政治の「主役」が、一握りの大国から、多数の国々の政府と市民社会に交代し、「国連会議」でも議長を務めたホワイト氏の出身国であるコスタリカをはじめ、オーストリア、アイルランドなど、「小さな国」が「大きな役割」を果たしたと述べ、こう力説しました。 「今の世界で大切なのは国の大小ではありません。世界のすべての国々と市民社会―世界の民衆が、対等・平等の資格で、世界政治の『主役』となる新しい時代が到来しました」 一方、核兵器にしがみつく逆流はいよいよ追い詰められたと強調。会議をボイコットした日本政府を、唯一の戦争被爆国の政府にあるまじき恥ずべき態度だと批判しました。その上で、「北朝鮮に核開発を放棄させるうえでも、核兵器禁止条約がいよいよ大切です。日本政府も条約に参加してこそ、北朝鮮に対して最も強い立場にたてます」と訴えました。 条約を力に、「核兵器のない世界」 の実現に進もう 最後に志位氏は、禁止条約採択を新たなスタートに、「核兵器のない世界」の実現というゴールに向けて、(1)核兵器禁止条約そのものがもつ力(2)条約をつくりあげた世界の多数の諸政府と市民社会の力(3)一つひとつの核保有国と同盟国で、禁止・廃絶を世論の多数にし、核兵器禁止条約に参加する政府をつくる―という三つの力を合わせて進もうと力を込めました。 「被爆国・日本の動向は大きなカギとなっています。日本政府に核兵器禁止条約へのサインを求めましょう。サインをしないなら、私たちの手でサインする政府をつくろうではありませんか」と呼びかけた志位氏。野党と市民の共闘の課題として核兵器禁止条約を位置づけることを提案すると、大きな拍手と歓声がわき起こりました。 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-08-06/2017080601_02_1.html 2017年8月6日(日) 主張 広島・長崎被爆72年 被爆者の悲願、実現する政治に 1945年8月、アメリカ軍が広島(6日)、長崎(9日)に人類史上初めて原子爆弾を投下しました。爆発による強烈な熱線、爆風、人体を貫く放射線は、一瞬でまちを壊滅させ多くの人々の命を奪いました。あれから72年、今年の原爆投下の日はこの「悪魔の兵器」を初めて違法とする核兵器禁止条約が国連会議で採択された歴史的な出来事を受けて迎えます。 自らのむごたらしい体験を世界で語り、なんとしても「核兵器のない世界を」と訴え続けてきた被爆者の悲願が国際政治を動かすなかで、安倍晋三政権の姿勢がいよいよ問われます。 人間を破壊する残虐兵器 広島で14万人、長崎で7万4000人―。原爆によってその年のうちに死亡した人の人数です。きのこ雲の下、真っ黒に焦げて炭になったしかばね、全身が焼けただれずるむけになった体、内臓が飛び出した人、無数のガラス片が体に刺さり苦しむ人。水槽で抱き合ったまま亡くなった親子、水を求めて無数の遺体が浮かぶ川…。生き残った人も後障害にさいなまれ、子どもや孫への影響という不安を抱えて生き抜いてきました。 広島・長崎の惨状ほど、人間を破壊する核兵器の残虐性、非人道性を伝えるものはありません。日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)をはじめとする被爆者は、すさまじい被爆の体験を世界に向かって長年発信してきました。 この活動が、ついに多くの政府の代表者を動かし、人類史上初めての核兵器禁止条約の採択に結実したのです。禁止条約は前文で2カ所にわたり「ヒバクシャ」という言葉を明記し、被爆者の苦難と未来への役割について言及しました。「私たちは自らを救うとともに、私たちの体験をとおして人類の危機を救おうという決意を誓い合った」日本被団協の結成宣言(1956年)の精神が反映したことにほかなりません。「人類と核兵器は共存できない」「生きているうちに核兵器の廃絶を」。被爆者の叫びに各国政府は今こそこたえる時です。 ところが、安倍政権の態度はあまりに情けないものです。アメリカなど核保有国に追随し国連会議をボイコットし、禁止条約の署名を拒み続けています。唯一の戦争被爆国の政府にもかかわらず、核兵器禁止の世界の流れに逆らう姿勢は失望と批判を集めています。 日本政府はこの立場を抜本的にあらため、禁止条約への参加を真剣に検討すべきです。核兵器禁止条約にサインし、核兵器廃絶の先頭に立つ政府を被爆国・日本でつくることが痛切に求められます。 被爆者援護で政権冷たく 被爆者援護での日本政府の対応も冷たく、被爆者援護規定を盛り込んだ核兵器禁止条約との落差は大きすぎます。原爆症新認定基準でも被爆者健康手帳の所持者約16万4600人のうち原爆症に認定されたのは約8100人、5%未満です。実態にあわない線引きを使い、被爆者が医療を受けるための援助を切り捨てることは許されません。日本被団協はすべての被爆者に被爆者手当を支給した上で、病気や障害の程度に応じた手当加算などを提言しています。国は原爆被害への国家補償に踏み切るべきです。被爆者の平均年齢は81歳を超えています。時間は残されていません。 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-08-06/2017080601_05_1.html 2017年8月6日(日) きょうの潮流 72年前の光景が目に焼き付いています。血を流し、ぼろぼろの姿で家の前を歩いていく人たち。一人の女性が缶詰を開けてくださいと。当時、母の陰から見ていた3歳の目には幽霊のように▼東京大空襲を機に一家で広島に疎開してきた箕牧智之(みまきとしゆき)さん。あの日、爆心地から20キロほど離れた自宅前でピカッと光ったことを覚えています。翌日、母に連れられ広島駅で働いていた父を捜しに市内に入り、被爆しました▼数年後、原因不明の病を患い、高熱にうなされ生死の境をさまよいました。長期の休学を余儀なくされたことも。そうした体験を長年、国内外で証言し続けました▼父親が被爆2世の弘中孝江さんは昨年、胎内被爆者の伯母から聞いた話にはっとしました。米国が被爆者を研究対象にした検査を受けたことがある、ほんとうに悔しかった―。その言葉に、身内には被爆者がいて自分は被爆3世なんだと、改めて自覚したといいます▼高校の時に民青に入り、原水爆禁止世界大会に参加。歴史を学び、全国の仲間に励まされながら広島から平和を発信してきました。箕牧さんも弘中さんも、人類が初めて到達した核兵器を禁止する条約の交渉の場にいました▼「大きな前進。生きている間に廃絶を」。被団協の代表理事を務める75歳の箕牧さんは直接の被爆体験を語る最後の世代として。「ヒバクシャ国際署名を広げ、日本政府と核保有国を追い詰めたい」。31歳の弘中さんは日本共産党員として。世代をこえ、ともにめざすは核のない世界です。 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-08-06/2017080601_06_0.html 2017年8月6日(日) 被爆者を見舞う 党国会議員団 養護ホームなど訪問 広島 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-08-06/2017080604_01_1.jpg (写真)大平喜信衆院議員(手前背中)から花束を受け取る入所者=5日、広島市東区 日本共産党の大平喜信、高橋千鶴子両衆院議員と井上哲士参院議員、垣内京美衆院中国比例候補は5日、広島市内の養護ホームなどを訪れ、花束を贈って被爆者を見舞いました。 原爆養護ホーム「神田山やすらぎ園」では、ホールに集まった30人ほどの入所者に拍手で迎えられました。 広島市出身で被爆2世の井上氏は「今年はみなさんに嬉しい報告ができる」と述べ、国連会議での核兵器禁止条約の採択について報告。「条約には被爆者へのみなさんの支援が明記されました。みなさんが安心して健康で暮らしていけるように国の支援を求めて力を尽くしていきたい」と新たな決意を表明しました。 同施設の小川博司園長は「被爆者のケアを第一に、子どもたちに被爆体験を語り継ぐことで恒久平和に役立てていきたい」と述べました。 広島県被団協・被爆者相談所では、県被団協の佐久間邦彦理事長や吉岡幸雄副理事長らとヒバクシャ国際署名の取り組みについて懇談しました。 佐久間氏は「(日本政府に)核兵器禁止条約を批准してほしいという被爆者の強い思いを届けてほしい」と要望しました。 高橋氏は「核兵器禁止条約を実効性のあるものにし、政治にいかすために頑張っていきたい」と述べ、国会で被爆者援護法の改正に取り組むことを約束しました。 広島赤十字・原爆病院では、有馬準一副院長と懇談。被爆直後の困難な状況での医療活動、白血病や悪性腫瘍の治療など被爆者医療の拠点として同病院が果たしてきた役割について説明を受けました。 同日の行動には、辻恒雄県議と広島市議団が参加しました。 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-08-06/2017080604_01_1.html
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