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東京都議選の街頭演説に立つ安倍晋三首相。「こんな人たちに負けるわけにはいかない」との発言はこの場で飛び出した=東京都千代田区のJR秋葉原駅前で1日、藤井達也撮影
この国の倫理、転落の危機
安倍政権の閣僚の暴言や曲解発言の問題点については、これまでもこの欄で継続的に書いてきた。だが、南スーダン国連平和維持活動(PKO)に派遣された陸上自衛隊部隊の日報の廃棄などをめぐる稲田朋美防衛相の発言、学校法人「森友学園」に対する格安での国有地売却問題や、学校法人「加計(かけ)学園」の獣医学部新設問題をめぐる安倍晋三首相や関係閣僚、官僚の発言は、安倍政権の内実と体質を“集大成”するように露呈した「3点セット」となった。
なぜ、かくも重大な問題が同時多発的に顕在化したのか。そこには、単なる偶然ではなく、そうなる必然というべき要因があったと思う。それは、首相自身をはじめ、安倍政権を忠実に支える閣僚や、内閣官房をはじめとする官僚たちの、問題に対する姿勢や言葉そのものの中にある。特徴別に列挙すると、次のようになろう。
(1)「記録文書はない」「文書は廃棄した」「記憶にない」と言って、事実を不透明にする。文書の探し方はおざなりで、批判されると調べ直して「ありました」と説明はするが、意味づけはあいまいにする。
特に、法的に保存を義務づけられていない報告文、連絡文(加計学園問題における文部科学省の内部文書はその象徴)などは「備忘メモ」などと呼び、内容の信ぴょう性を否定する。事案の全体的経緯の中での意味づけこそが重要なのに、そういう検証は棚上げしてしまう。
国会での官僚の答弁も、事実関係の解明を期待する国民を裏切るものばかりだった。森友学園への国有地売却をめぐり、答弁に立つ度に「記録がないので経過は分かりません」と、録音テープを再生するかのように全く同じ言葉を繰り返したのは、後に国税庁長官に栄転した財務省の佐川宣寿理財局長だ。
「権力者に仕え、出世コースを歩む高級官僚の精神性」という点で、私はすぐにある人物を想起した。ナチス・ドイツのユダヤ人ホロコーストの責任者だったアイヒマンである。彼はイスラエルの法廷で「私は上官の命令に従っただけだ」と証言し、無罪を主張した。
(2)厳しい批判や暴露的文書に対し、攻撃的な決めつけの言葉を浴びせて「印象操作」をする。安倍首相は論理的な思考が苦手なのか、すっかりこの言葉が気に入ったようで、相手からの批判をすぐに「印象操作」と決めつける。
ところが自らは、国会で質問者に「日教組!」とやじったり、東京都議選における秋葉原での街頭演説で、群衆の「帰れ、帰れ」の大合唱に対し「こんな人たちに私たちは負けるわけにはいかない」と叫んだりする。
「こんな人たち」と蔑視する言い方は印象操作ではないか。加計学園問題をめぐり、文科省の内部文書が報道された時、菅義偉官房長官が「怪文書」と決めつけたのも同様である。
(3)批判的な質問に対しては、事実関係についてまともに答えず、一般論を述べてはぐらかす。加計学園問題に関する国会審議で、安倍首相も山本幸三地方創生担当相も、国家戦略特区の政治的意義や官僚の壁を破ることばかりを論じ、疑惑の焦点となる事実関係には触れない。菅氏は記者会見で、加計学園問題の事実関係に関する質問に対し「わが国は法治国家ですから」と、まるで答えにならない言葉を繰り返した。
(4)批判する相手を人格攻撃することで社会から排除し、批判を封じようとする。秋葉原演説における安倍首相の「こんな人たち」発言は批判者を低く見る言い方だ。加計学園問題を告発した前川喜平前文科事務次官に対し、菅氏が「地位に恋々としがみついていた」などと前川氏の人格をおとしめるような発言をしたのも、権力者の傲慢さをむき出しにしたものだ。
安倍政権下における政治家や官僚による、これまでの戦後史の中では見られなかったような政治倫理観の衰退と言葉(表現力)の壊れ方を見ると、この国の指導層の人間性が劣化しているのでは、とさえ思えてくる。
そう言えば、安倍首相の宿願だった道徳の教科化が、2018年度から始まる。文科省の新学習指導要領には、道徳の目標として「物事を多面的・多角的に考え(中略)、道徳的な判断力、心情、実践意欲と態度を育てる」と書かれており、学習内容には「公正、公平、社会正義」などが挙げられている。しかし、道徳の教科化を実現した首相自身の言動を、もし道徳の模範とするなら、こんなふうになるだろう。
社会人になって、自分にとって都合が悪いことが生じたら「記録はありません。記憶にもありません」と言えばよい。批判されたら、強くて攻撃的な「決めつける」言葉を返せ。厳しく追及されたら、まともに答えずに一般論でごまかせばよい。相手を排斥するには、人格攻撃をして社会的な信用を失わせるのが手だ−−。
このように書くと、誰もが「そんなばかな」と言うだろう。だが、教育の理念と世の中の現実は、このように大きくずれている。それをどうするのか。はっきりしているのは、この国のあり方が権力者の傲慢さによって揺さぶられ、倫理的に転落の危機に直面している−−という現実だ。この国をこれからどうするのか、国民一人一人が真剣に考えることが求められている。
2017年7月22日 東京朝刊(コラム《深呼吸》)
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