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2017年7月21日 岸 博幸 :慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授
加計と稲田に厳しく蓮舫に甘い報道の「わかりやすい構図」
加計学園、稲田大臣、蓮舫氏など政治をめぐる重大な報道が相次いでいる。これらの報道において、メディアの追求の厳しさに差を感じるのはなぜか(写真はイメージです)
今週は政治関連で色々な報道がありました。加計学園問題では日本獣医師会内部の議事録が流出し、防衛省では南スーダンPKOの日報の隠蔽に稲田大臣が関与した可能性を示す内部証言が出ました。一方で、民進党の蓮舫党首は二重国籍疑惑に関する会見を行ないました。
それらの報道を見ていて、マスメディアの扱い方にすごく大きな差があるなあと改めて感じたので、そうした差が生じる理由を考えてみたいと思います。
加計問題・稲田大臣と蓮舫党首で
報道の厳しさに差があるのはなぜ?
加計学園問題でのメディアの追求は、いまだに収まる気配なく続いています。どこかから内部文書が流出するというイベントが定期的に起きつつ、もう2ヵ月以上も続いています。
同様に、稲田大臣に対するメディアの追求もずっと続いています。稲田大臣の場合は発言と行動が軽すぎて、自ら追求のネタをバラまいている感もあるので、自業自得ではありますが。しかし、野党は来週の予算委員会の閉会中審査で、加計学園問題のみならず稲田大臣も追求するつもりのようで、メディアも日報の隠蔽疑惑をかなり大きく報道しています。
それと比べると、蓮舫氏の二重国籍疑惑についての報道は非常に軽いものでした。今週18日に記者会見がありましたが、マスメディアの報道はその日で収束しましたし、何よりその内容にすごく違和感を感じました。
そもそも蓮舫氏の対応は明らかに国籍法違反です。国籍法第14、16条は以下のように定めています。
・20歳以降に外国及び日本の国籍を有することとなった時は、その時から2年以内にいずれかの国籍を選択しなければならない。
・日本の国籍の選択は、外国の国籍を離脱するか、日本の国籍の選択と外国の国籍を放棄する宣言(選択の宣言)によって行われる。
・選択の宣言をした国民は、外国の国籍の離脱に努めなければならない。
記者会見によれば、蓮舫氏が選択の宣言を行ったのは昨年10月ですので、国籍法第14、16条違反に罰則はないとはいえ、それまでは国籍法違反の状態をずっと続けていたのです。
かつ、蓮舫氏はその間に国会議員となりましたが、公職選挙法では次のように定められています。
・第235条/当選を得又は得させる目的をもって公職の候補者若しくは候補者となろうとする者の身分、職業若しくは経歴…又はその者に対する人…の推薦若しくは支持に関し虚偽の事項を公にした者は、2年以下の禁錮又は30万円以下の罰金に処する。
・第251条/当選人が235条の罪を犯し刑に処せられたときは、その当選は無効とする。
したがって、蓮舫氏が二重国籍の状態で選挙に出ることは法律上明示的には禁止されていませんが、二重国籍という国籍法条の違法状態を隠していたことは第235条の“身分の虚偽”に該当する可能性があり、仮に第251条で刑に処せられたら当選は無効となるのです。
蓮舫氏の法律違反を厳しく
追求しないマスメディア
つまり、この問題の本質は政治家として長い間ずっと法律違反をしていたという点に尽きます。蓮舫氏は今まで国会議員を務めてきた期間ずっと、かつ国務大臣を務めた時代、さらには政権奪取を目指す政党の代表になって以降も、説明責任を一切果たさず、かつ法律違反の状態を速やかに解消しようとしなかったのです。本来は政治家としての道義的責任が問われて然るべきです。
それにもかかわらず蓮舫氏は会見で、「戸籍情報を開示した」「人権保護上好ましくないけどあえてした」「他の人の前例にしたくない」と、まるで自分が被害者であるかのような説明ばかりしていました。
そして面白いのは、マスメディアの大半が蓮舫氏の会見のトーンに合わせた報道をしていたことです。しかも、会見からわずか2日でもうこの問題は沈静化し、蓮舫氏の責任を追及する報道もありません。
憲法改正発言で護憲派が団結
“勧善懲悪”のわかりやすい構図
このように、加計学園問題や稲田大臣と蓮舫氏とでは、マスメディアの追及に随分と差があります。それはなぜでしょうか。
もちろん、マスメディアの役割の1つは権力の監視であり、特に相手が一強政権の総理や大臣と落ち目の弱小野党の党首では、追求の軽重に差が出て当然です。しかし、それだけでは説明できないくらいに報道の量や追求の厳しさに差がある理由として、2つのポイントがあるのではないかと個人的に邪推しています。
1つは、メディアによる加計学園問題の追求は5月から急激に激しくなったことです。3月頃から森友学園問題の延長でチラホラと報道はされていましたが、朝日新聞が5月中旬に最初の文科省内部文書流出を報道したように、5月から一気に潮目が変わったかのようになりました。だからこそ、わずか2ヵ月で支持率は20ポイントも急落しています。
その原因として考えられるのは、5月3日の憲法記念日に安倍首相が「2020年までの憲法改正」を明言したことです。すなわち、それまで明示してこなかった憲法改正の具体的なスケジュール感が示されたことをきっかけとして、野党や一部メディアなど憲法改正に反対する護憲派の諸勢力が一致団結して、加計学園問題で政権を攻撃するようになったという流れは否定できないと思います。
つまり、一部メディアについては憲法改正反対というベースがあるからこそ、加計学園問題の報道がこれだけ厳しくなるのではないでしょうか。
もう1つは、メディアは“勧善懲悪”というわかりやすい構図をつくり上げるのが好きだということです。
森友学園問題ではそれが成立しませんでしたし(籠池氏、財務省、昭恵夫人という明確な悪役はいたが、明確な善玉がいなかった)、加計学園問題でも最初はそれが不明確でした(官邸、内閣府という悪役が明確だっただけ)。ところが、前文科次官の前川氏が表舞台に現れたことで、官邸が悪玉、前川氏が善玉というわかりやすい“勧善懲悪”の構図ができたのです。
稲田大臣についてはもっと簡単で、国民は東日本大震災以降、無意識のうちに自衛隊は国民を守ってくれる善玉と思っているので、その自衛隊に関する情報を隠蔽したり選挙の道具に使う稲田大臣という悪役との対比で“勧善懲悪”の構図ができています。
そう邪推すると、蓮舫氏の二重国政問題に関するマスメディアの報道がゆるゆるになって当然です。蓮舫氏は弱小野党の党首であるだけでなく、一致団結した護憲派の側の人であり、さらには蓮舫氏が悪玉とわかっていても善玉がいないので“勧善懲悪”の構図がつくれないのですから。
来週の閉会中審査で
安倍政権の真贋が判明する
この私の邪推が正しいとすると、気になるのは官邸と自民党のマスメディアに対する危機意識・対応が緩すぎるということです。
政権の関係者の多くが、7月10日の閉会中審査に関する報道について、「野党や前川氏の良いところばかりで、加戸氏(元愛媛県知事)の良い発言や自民党の質問者が前川氏を追及するところをほとんど報道しないのはひどい」と愚痴ばかり言っていましたが、特に護憲派の一部メディアは政権を貶めるのが目的だし、“勧善懲悪”の構図を強調したいのですから、そうなるのはわかり切ったことです。
それにもかかわらず、萩生田官房副長官が「記憶にない」と政治家のいかがわしさ、悪役の悪さを象徴するような答弁をするのを許容していては、護憲派の一致団結した総攻撃に勝てるはずがありません。
逆に言えば、来週7月24日、25日の予算委員会の閉会中審査は、安倍政権の真贋を見極める格好の場となるのではないでしょうか。
つまり、安倍政権にとって本当の敵は民進党などの野党ではなく、一致団結した護憲派に属し“勧善懲悪”の構図が好きな一部メディアなのです。国民の多くがその一部メディアの報道を通じて情報を得る以上、「メディアや野党が印象操作をするから」といった言い訳は意味がありません。たとえばサッカーの日本代表の負け試合で、「アウエーだから」が言い訳にならないのとまったく同じです。
それら護憲派メディアの報道を通じて、国民の側が「真相はこうだったのか」と多少なりとも納得するような説明をできなかったら、安倍政権の負けだと思います。というのは、加計学園問題程度でそれができないようなら、護憲派メディアがより一層厳しく報道するであろう憲法改正で多くの国民を納得させることなど、不可能だからです。
たとえば、安倍首相や参考人として出席する和泉補佐官はもちろん、政府側の答弁者が1人でも「記憶にない」などといった悪役の悪さを強調する、そしてメディアの報道で切り取りやすい言葉を使っただけでも、アウトだと思います。
だからこそ、7月24日、25日の閉会中審査をじっくりと見守りましょう。
http://diamond.jp/articles/-/135884
2017年7月21日 みわよしこ :フリーランス・ライター
生活保護で大学に通うのは、いけないことなのか?
生活保護のもとでの大学進学が原則として認められていない日本。厚労省は大学等への進学に対して一時金の給付を検討中だが、それだけで抜本的な解決策になるとは思えない(写真はイメージです)
生活保護のもとでの大学進学は
世帯分離という裏技で認められる
厚労省は、大学等(以下、大学)に進学する生活保護世帯の子どもたちに一時金を給付する方向で検討を開始している。金額や制度設計の詳細はいまだ明らかにされていないが、2018年度より実施されると見られている。
現在、生活保護のもとで大学に進学することは、原則として認められていない。家族と同居しながらの大学進学は、家族と1つ屋根の下で暮らしながら、大学生の子どもだけを別世帯とする「世帯分離」の取り扱いによって、お目こぼし的に認められている。
しかし、この取り扱いには以下のような問題点がある。
・生活保護世帯である家族の人数が減る。
・家族の保護費のうち生活費分(生活扶助)が人数に応じて減額される。
・家族の保護費のうち家賃補助(住宅扶助)も人数に応じて減額される。それまでの住まいは、相対的に「家賃が高すぎる」ということになり、ケースワーカーに転居するよう指導されることもある。
・進学した子どもは、医療を含め、生活保護でカバーされていたすべてを失う。このため生活に必要な費用のすべて、学費、国民健康保険料などを稼いだり借りたりする必要がある。
生活保護世帯の子どもは、大学に進学する以前も、進学して以後も、その家族の一員であり、衣食住・水道光熱費などの消費を共にしているはずだ。しかし、大学に進学すると、「生活保護で暮らす家族の一員ではないが同居している」という存在になる。それどころか、自分が進学することによって生活費が減少して厳しいやりくりを強いられる家族を目の当たりにすることになる。
さらに、家賃補助が減額されると、家族は減少した生活費からの持ち出しで家賃を支払わなくてはならなくなる。まして「ケースワーカーに転居を指導される」となると、当然、人数に応じたより家賃の低廉な住宅への転居となる。
生活保護世帯の子どもは、大学に進学すると、制度面では「いるのにいない」とも「いないのにいる」ともつかない“座敷わらし“のような存在にされてしまうのだ。しかし、彼ら彼女らは”座敷わらし“ではなく、生身の人間だ。したがって、生活、健康、学業を支えるためには現実の資源が必要であるはずだ。
現在、厚労省が検討している支援策は、「世帯分離の取り扱いは現状のまま」「進学時に一時金を給付する」「進学後も家族と同居し続ける場合には、家賃補助(住宅扶助)は減額しない」というものだ。言い換えれば「進学したら、医療を含めて生活保護の対象から外し、生活にかかわる費用は出さない(ただし一時金を除く)」という取り扱いは現状のままということだ。
「何もないよりマシ」なのは間違いない。では、何がどの程度期待でき、何が期待できないのだろうか。
私は、社会保障・社会福祉を研究する桜井啓太さん(名古屋市立大学講師)に、現在報道されている厚労省方針についての意見をうかがうことにした。桜井さんは、「自立」の研究で博士号を取得した若手研究者で、元生活保護ケースワーカーという経歴を持つ。また、今回の厚労省方針に影響を与えたと見られる堺市の調査にも参加している。
中途半端な厚労省方針
最大の障壁は家族の困窮
桜井さんは、開口一番「なんとも中途半端ですね」と語った。
「生活保護世帯の子どもの大学進学のために制度設計をすること自体は、良いことだと思うんですよ。進学した子どもを世帯分離したら保護世帯の人員数が減ることを理由とした住宅扶助のカットはやめる。それから、生活のために一時金を給付するわけですよね。でも、どうしても『中途半端だなあ』という印象を受けてしまいます」(桜井さん)
聞きながら、私は「桜井さんは紳士だ」と感じる。私の第一印象は「え? やる気あるの?」であり、その次に浮かんだ思いは「特大のダメを大ダメに軽減したからと言って、『前進』とは呼べないよねぇ? 生活保護に甘えてない?」であった。ここで言う「甘え」とは、生活保護制度を積極的に使わせない、充実させないことを良しとすることに制度運用側が慣れてしまっていることを指している。
ともあれ、生活保護世帯の子どもが大学に進学した場合、最初の大きな障壁となり得るのは、家族と本人の「住」だ。
まず、埼玉県さいたま市に住む母親(40代)、高3男子、中2女子の3人から成る生活保護母子世帯を例として、高3の子どもの進学が何をもたらすかを見てみよう。もともと首都圏に住んでいるのだから、高3の子どもは自宅から通学できる範囲で進学先を見つけることが可能だろう。しかし大学に進学すると、以下のような変化が母親と中学生の子どもを襲うことになる。
・一家の人員数 3人→2人
・一家に給付される保護費の生活費分 4万9780円減少
・一家に対する家賃補助上限 5万9000円→5万4000円
もしかすると母親は、思春期に突入した2人の男女の子どもに個別のスペースを与えられるよう、若干の無理をして家賃6万4000円のアパートに住んでいたかもしれない。すると、これまでも持ち出していた5000円の差額に加え、新たに発生する5000円の差額を、約5万円減少した生活費から捻出することになる。
さらに、基準額を家賃が1万円上回ることになる。生活費を切り詰めて家賃を支払うと、「健康で文化的な最低限度」の生活が営めなくなるし、「生活保護では許されないゼイタク」ということになりかねない。上回っている金額によっては、「高額家賃」として転居を指導されることになる。そこに、高校時代までは同じ生活保護世帯の一員だった子どもが現在も住んでいるにもかかわらず、である。
同居の子どもを「いないもの」に?
悪い冗談のような行政の転居指導
「生活保護世帯で、子どもが大学進学によって世帯分離し、生活保護世帯の人員数が減り、その人員に対する家賃基準より現在の家賃が高すぎる場合には、子どもを“いないもの“として転居指導する」という悪い冗談のような取り扱いは、つい最近まで行われていた。
このような場合に転居指導をしないこととなったのは、2017年4月、つい3ヵ月前からだ。厚労省は2018年4月から、さらに減額も取りやめる方針のようだ。桜井さんは、この方針をどう見るだろうか。
「今年度から転居指導の扱いをやめ、来年度からは減額もやめるというのは……当然そうあるべきだろうという話ではあるんですが……どういう意図に基づいた制度設計なのか、よくわからないというのが正直なところです」(桜井さん)
私には、気がかりがもう1点ある。生活保護世帯の子どもが大学に進学した場合の家賃の減額をやめるとなると、その分の財源はどこかから確保されることとなる。「他の生活保護世帯から削り取って大学進学の財源に」という成り行きだけは避けてほしいところなのだが、最も可能性が高いのはまさに「それ」なのだ。しかも、問題は「住」だけではない。
目的がよくわからない給付金構想
「生活保護で大学へ」はいけないのか?
子どもを大学進学させた生活保護世帯は、衣食・光熱費を含めた生活費全体において、同世帯ではないけれども同居している大学生の子どもの存在により、厳しい生活を強いられることになる。保護費の生活費分(生活扶助)が、同世帯ではなくなった子どもの分だけカットされるからだ。
生活保護の対象とならなくなった大学生の子どもには、さらに医療費という負担が発生する。国民健康保険料と医療費の自費負担を、自ら支払わなくてはならない。その負担に耐えられず、国民健康保険に加入せずにいると、無保険状態になる。厚労省が構想しているという一時金は、これらの問題をどの程度軽減できるのだろうか。
「普通に考えて、世帯分離の取り扱いを止め、大学への世帯内就学を認めればいいんです。現在の高校進学と同じように。そうすれば、これらの問題は全部クリアできます。その上で、学費など、大学での修学に必要な費用に使うアルバイト収入は、収入認定の対象から外せば、学生支援機構奨学金を借りるとしても最小限で済みます。これらの変更は、厚労省の局長通知だけでできます」(桜井さん)
大学等への進学率は、浪人を含めると80%を超えている。長年、「生活保護でも認める」の基準とされてきた「一般普及率が70%」という指標から見ても、生活保護で暮らしながら大学へ進学することは、認められるべきであろう。「いつやるの? 今でしょ!」だ。
桜井さんは、そもそも大学進学にあたっての給付金という厚労省構想にも疑問を感じている。
「意図は何なんでしょうか。世帯分離とはいえ、大学進学後も保護世帯の家族と一緒に住んでいる子どもが大半なんです。大学進学のための特別な需要があることは間違いありませんが、何なのでしょうか。優先度はどの程度なのでしょうか」(桜井さん)
何を根拠にしているのか、“イミフ”(意味不明)なのだ。
「生活保護世帯の子どもは、大学に進学すると、在学中ずっと生活困窮状態に陥り続けているんです。不利や困難は、ずっと続いているんです。就学時限定の給付金は、使いにくいものになるだろうと思います」(桜井さん)
さらに、桜井さんの懸念は止まらない。「生活保護優遇」という制度設計になり、不公平感をぶつけられる可能性もあるからだ。でも、広い関心と議論を呼び起こす機会でもある。
生活保護と大学進学問題を機に
「ナショナルミニマム」の拡大を
高校進学率は100%に近くなり、ほぼ「延長された義務教育」のようなものとなっている。生活保護世帯でも、1970年、世帯分離をせずに親と暮らしながらの高校進学が認められるようになった。さらに2005年には、生活保護費の中で必要な費用がカバーされるようになった。カバーできていない部分はいまだに多々あるのだが、最大の問題は、「教育」として認められているわけではないということだ。
生活保護には、職業生活の維持・発展を目的とした「生業扶助」というメニューがあり、高校での学修に関する費用は「生業扶助」で保障されている。失業者に対する職業訓練と同じイメージだ。要は「高校を卒業できれば職業に就けて生活保護が不要な成人になる可能性が高い」ということである。「本人に高校教育を受ける権利があるから」ではない。
桜井さんは「『自立助長のため』から抜け出せてないところが根深い」としながら、
「生活保護での世帯内大学進学が実現されたら、『生活保護が必要なのに受けていない家庭の子どもがかわいそう』『大学に行かない子どもがかわいそう』という意見が、必ず出て来るでしょう。でも、生活保護での大学進学で、世帯分離の取り扱いを止めるということは、日本全体の『ナショナルミニマム』が久しぶりに拡がる、ということなんです」(桜井さん)
ナショナルミニマムとは、国が国民に対して「これ以下の生活はさせない」と保障する基準だ。日本で言えば、生活保護基準や生活保護で認められる「健康で文化的な生活」の最低限度がナショナルミニマムに当たる。
「生活保護で世帯内大学進学を認め、世帯分離しなくてもよくすることは、多くのご家庭で大学進学が重い負担となり、大学生が奨学金という名の借金まみれになることを解決する方法の1つなんです。生活保護行政の大切な仕事の1つは、日本全体のナショナルミニマムを決めることです。生活保護世帯の大学生だけに対する優遇、ということではありません」(桜井さん)
しかし現在、生活保護世帯の子どもが大学に進学すると、ナショナルミニマムから弾き出されてしまうことになる。
「だから、そこまで、ナショナルミニマムを拡大しようという話なんです。すると、生活保護は受けていないけれども大学生の子どもがいるために貧困状態に陥っているお宅も、生活保護の対象になります。現在の生活保護世帯だけの話ではないのです」(桜井さん)
困ったときに「助けて」と言える社会、
助ける手段がたくさんある社会を望む
本連載の著者・みわよしこさんの書籍『生活保護リアル』(日本評論社)好評発売中
とはいえ、生活保護で何もかもを解決することはできない。国公立大学では、学費減免制度が比較的充実している。しかし、私学や専門学校はどうすればよいのか。生活保護世帯の子どもたちは、様々な理由で、大学ではなく専門学校を選択することが多い。下宿している貧困状態の大学生もいれば、児童養護施設の退所者もいる。
「結局、ナショナルミニマムを拡大し、より普遍的な給付制度を構築する必要があるのでしょう。たとえば、失業給付の学生版、学生であるということに対する何らかの手当があってもよいのかもしれません」(桜井さん)
誰もが、困ったときには「助けて」と言える社会。具体的に助ける手段が数多く存在して選べる社会。そんな社会に生きられたら、と私も思う。
(フリーランス・ライター みわよしこ)
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