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立憲4党と語る、これからの日本 自由党編 「勝つための共闘を」 玉城デニー幹事長、森ゆうこ議員 市民連合インタビュー
http://shiminrengo.com/archives/1735
May312017 市民連合
「経済か平和かという従来の不毛な対立構図を乗り越えて、基地負担の軽減という平和への歩みこそが経済の起爆剤になる、という翁長流の考えが、オール沖縄の原点になった。細かい枝葉の政策ではなく、いくつかの共通理解を幹として結集する。そうしてまずは、まとまって選挙に勝つ。何よりもお互
市民と立憲4党の共闘の原点は、尊厳ある個々人の暮らしを守るための「リスペクトの政治」。 そこから浮かび上がる日本の課題、また必要な政策対応はどのようなものなのでしょうか。 市民の声に応え、衆院選で確かなオルタナティブを提示するために、 立憲4党それぞれが構想する未来の展望をじっくり聞いてみました。
「経済か平和かという従来の不毛な対立構図を乗り越えて、基地負担の軽減という平和への歩みこそが経済の起爆剤になる、という翁長流の考えが、オール沖縄の原点になった。細かい枝葉の政策ではなく、いくつかの共通理解を幹として結集する。そうしてまずは、まとまって選挙に勝つ。何よりもお互いを尊重しながら、共闘を強固に作っていくことから始めること」と玉城デニー幹事長が語った。
「事実上一騎打ちになる1人区で、自民党・公明党に対抗するのにバラバラだったら勝てるはずがない。そういう意味で、野党共闘は非常に合理的。それだけでなく、選挙で勝てたのは、ママたちを中心に市民が一丸となって戦えたからだ」と森ゆうこ参議院会長は、2016年夏参院選の自らの経験を振り返った。
森さんの勝利は、さらに新潟県知事選挙での脱原発派候補の勝利にもつながった。「3.11以降、原発をなくし、新しいエネルギー産業で地域を起こしていくというのは当然とるべき政策だ」と言いきる。
小沢一郎と山本太郎という二枚看板を有する自由党からは、ともに沖縄と新潟における選挙戦を統一候補として勝ち抜いてきた、野党共闘を象徴する政治家にお話を伺った。
自由党ってどんな政党? ーー小沢一郎という羅針盤
津田 こんにちは、ジャーナリストの津田大介です。本日は市民連合主催の「立憲4党と語る、これからの日本」の最終回、自由党の議員さんにインタビューをします。市民連合から岡歩美さんと一緒に、自由党幹事長の玉城デニーさん、参議院議員の森ゆうこさんにお話を伺っていきたいと思います。
自由党はどのような党で、どのような成り立ちなのでしょうか?
森 私が初当選した16年前は、小沢一郎代表が率いる衆参合わせて30名の小さな政党でした、その後、民主党と合併をして、民主党小沢代表の元で自民党と二大政党の一翼を担い、政権交代に成功。しかし、消費増税の問題があり、「国民との約束を守らないのはおかしい」ということで、民主党から出ることになりました。その後、脱原発を一番の政策の柱として「日本未来の党」になった。それはあまり上手くいきませんでしたが、一貫しているのは、まっとうで穏健な保守層、大部分の日本人の期待に応えることができる政党であるということです。
津田 中道右派って感じですよね?
森 どちらかというと右というイメージを持たれていたと思います。小沢一郎といえば改憲派と思われていました。
津田 しかし、自民党時代の小沢さんからみるとだいぶ変わっていると思います。
森 小沢さん自身は変わっていません。憲法や安全保障に関して、日本の平和主義、国民主権、基本的人権、国際協調主義を大切にするという信念はまったく変わっていません。戦後の平和主義を壊してはいけないと考えています。自衛権の拡大解釈が過去の戦争を生んできた。集団的自衛権も同じです。急迫不正の事態に自衛のために闘うが、それは国連の集団安全保障活動が始まるまでと限定しなければいけません。
津田 玉城さんはなぜ自由党に入ったのでしょうか?
玉城 最初に国政に出たのは2003年の衆議院選挙です。喜納昌吉さんが当選した後に声がかかりました。最初は市議会議員でした。しかし、2004年の郵政改革法で選挙があってぼろ負けしました。市議会議員のときに、「上が変わらなければ、社会は変わらない」と思い、自分の考えと近い民主党に入りました。2005年の衆議院議員選挙で落選してからは、自分の政治のお手本になる人がいなかったのですが、この人だけは唯一自分の考えと近いと思った、その人が小沢さんでした。
日本は独立国家ではありません。もともと対米従属で、さらに小泉純一郎元総理の新自由主義政策によって、従来の対米関係よりもさらに酷いものになっていきました。そういうことに対する考えも含めて、2009年民主党で当選してから小沢一郎という政治家の考えを政治信条にしています。
津田 対米従属のことで考えると沖縄では本土よりもより色濃く感じられるのではないでしょうか?
玉城 沖縄では自民党が保守で社会党系が革新です。ですから、革新と一緒に戦えば変わると思っていました。ところが、革新のみなさんと活動し始めると、憲法の話をしない、対米従属の話をしない、憲法は立派だからさわらない、と言うんです。「それで沖縄や日本の将来はどうなるの?」、と思っていました。ここに沖縄の限界がありました。55年体制で政治が仕組まれてきたことの影響が残り、国が言っていることに付き従うヒエラルキーができあっていました。私が革新の中でより根本的な改革を主張すると、「デニーは革新じゃない」と言われはじめました。
津田 よく沖縄は右左じゃないと言われます。平和と経済の2つの軸があるように思います。どちらもちゃんと追求する形で政治をしていく必要があるということですよね。
玉城 そういうときに、自分の考えに一番共感してくれた人が小沢さんでした。
岡 小沢さんって一体どんな方なのでしょう?
森 いい意味でも悪い意味でもカリスマだと思います。決して盲目的に小沢さんを持ち上げているわけではありません。政治姿勢の羅針盤になっています。
津田 森さんは小沢さんとはどういうきっかけで知り合ったのですか?
森 新潟で自由党の女性の候補を応援したことがきっかけになりました。
岡 いわゆる「小沢ガールズ」と呼ばれていますよね。
森 この年になってガールズはないだろって言ってますけどね(笑)。
男女共同参画も遅いし、女性の政界進出もまだまだという中で、小沢さんが一番、男女の平等を考え、女性がもっと政治に入れるようにしようとしていると思います。選択的夫婦別姓についても、いち早く導入した方がいいと言っていました。
津田 岡さん、自由党についてはどのようなイメージがありますか?
岡 生活の党から自由党に党名を変更した理由や、どんな人がいるのかがよくわかりません。
森 「国民の生活が第一」というのが基本になっています。日本未来の党で掲げた原発ゼロの政策はそういう理念に基づいていました。3.11以降、原発をなくし、新しいエネルギー産業で地域を起こしていくというのは当然とるべき政策だと思います。私たちには、しがらみがないからこそ一番重要なことが主張できます。
津田 確かに日本未来の党は、「卒原発」的な、割と現実的な提案をしていたと思います。国民の生活が第一と考えたときに、経済政策や税制についてはどう考えますか?
玉城 規制緩和と税制のあり方を見直すべきです。いま安倍政権が考えているトリクルダウンは結局のところ起こりません。企業の内部留保ばかり増えて、利潤が庶民のところに流れていきません。私たちが考える税制のあり方は、民主党政権で一緒にやったときから変わっていません。「まず財源を持ってきてからその政策を実現しなさい」というムードにまるめこまれてしまうのではなく、必要な政策にしっかり財源を使っていこうということです。そうしなければ日本は先細りしていきます。だから、根本的な分配をやっていかなきゃいけない。
自由党が目指すものとそれぞれの決意
津田 これから特に注力していきたい問題はなんですか?
森 残念ながら、自民党の妨害で、民主党政権の掲げたチルドレンファーストが徹底されず、いまは「安倍友ファースト」、「森友学園・加計学園ファースト」になってしまいました。そもそも、2009年政権交代の時点でも子育て支援を拡充するのが遅すぎでした。あの時が最後のチャンスだったと思います。というのも、どれだけ子育て支援を充実しても、子どもを産める女性の数自体が減っていってしまうからです。自民党は、給付型奨学金を創設しましたが、ごく一部の学生にしか適用されません。アリバイ作りにすぎない。本気でやるならもっと大胆にやったほうがいいです。
津田 教育の無償化は、憲法改正の道具に使われていますね。
森 介護保険料、介護サービス利用料引き上げの法案が成立しました。国民の負担を増やすことばかり考えています。デフレの悪循環は、社会保障政策の失敗によって作り出されている。しかしその話をすると、すぐ消費税増税の話にすり替えられてしまう。
玉城 国会を運営するときに、国民にこれ以上負担をかけないようにやるという視点が必要です。少子高齢化の中で貧困化が進めば、100均でしか買い物ができなくなってしまいます。根本的に政治を転換させなきゃいけない。
津田 岡さんは生活実感としては何を期待していますか?
岡 私はやはり保育の問題や教育にもっとお金を使って欲しいと思います。
森 それはできますよ。しかし、公共工事等のためには平気で借金するのに、なぜか教育や社会保障充実の話になると、「財源はどうするんだ」という話になります。消費税増税などでお金を無理やり集めることが財源を確保することにならないし、結果的に経済を悪くしている。なぜそれで国民のみなさまが納得してしまうのかわかりません。
津田 経済の貧困の問題に関してはどうお考えですか?
玉城 全国では6人に1人、貧困問題に直面しています。沖縄では3人に1人が貧困です。私の地元のうるま市の平均所得は168万円。沖縄の平均は206万円。200万きったらワーキングプアなんですよ。そういう現状にあるのだから、社会保障をどこに分配しなければならないかといえば、子育てと教育の環境をきちんと作らないといけない。若い人たちからとるのではなく、若い人たちに与えていくこと。
沖縄では「基地か経済か」と言われます。しかし、この貧困は基地があろうとなかろうと直面している問題です。実際、基地経済は沖縄のGDP4兆円の5%、2000億円くらいしかありません。もらっている予算と同じ額の税金を国に納めています。基地がないと貧困の家庭が増えるというのはデタラメです。貧困の問題を解決するためには、半分は子どもや人材育成につかっていくべき。民主党政権時代に地方分権の形として、沖縄を先駆的なモデルとしてやろうということになり、それで徐々に良くなってはいますが。
津田 玉城さんはラジオDJをされていた頃から政治のこととか考えていらしたんですか?
玉城 考えるわけないよ!毎日ロックンロール(笑)タレントとしてデビューしたのは30代くらいです。それから30代も後半になって、将来自分が何をやりたいかと考えたときに、いろんな人たちに会って勉強をしたかった。そこでいろんなことを学びました。
本当はNPOを立ち上げて下支えなどをしたかったのですが、一度はタレントとして表に立ったのだから、最終的に表に立って政治家をやろうと思いました。「二足のわらじだ」と相当ボロクソ言われたり、「議員になって苦労しなくてもいいさ〜」とも言われました。議員になって欲しくないという人もいっぱいいましたが、なにか世のため人のためにできるならと思って議員になりました。自分の人生のことだから自分で決めたかったというのもあります。
津田 森さんはどういう経緯で議員になられたのですか?
森 私は逆にすごく意識低い系でした(笑)。昭和63年に夫の母と同居するために、地縁、血縁のない所に家を建てました。1万人くらいの町だったのですが、たまたま近所に住む教育長さんから、一番下の子どもが幼稚園に入るときに、社会教育指導員という仕事をしてほしいと。これからはお任せ民主主義の時代ではない。自らの頭で考えて行動する町民を育てて、新しい町づくりのムーブメントを起こしてほしいと頼まれました。
津田 いままでそういうことされていた経験は?
森 なんにもないですね(笑)。3人の子育てや、自分の仕事で忙しくて、社会変革とはまったく無縁でした。1番目の子どもを育てるときに新進党ができて、「へえ日本も変わるのかな」と思いました。新潟では田中角栄の人気がすごかったので、その愛弟子である小沢さんへの期待もありました。
津田 そういう意味でも小沢さんが自民党から出たのは衝撃でしたか?
森 新しい政治を作ってくれそうな小沢さんを一度総理にしたいという人はたくさんいました。
私はまちづくりのイベントや介護・保育等のボランティアを育て、その事務局をやっていました。介護保険がちょうど始まる年の地方統一選挙のとき、自分たちの代表を政策決定の場に送らねばということになり、いつの間にか外堀を固められ、選挙に出るしかなくなってしまった。だから、玉城さんとは真逆(笑)。私は最後まで抵抗しました。町会議員の選挙は一番難しいんです。申し合わせで街宣車も回さないし、朝晩知り合いのお家に行ってお仏壇のお参りをするのが選挙運動という土地柄です。そして、その町では初めての女性議員でした。
勝つための共闘を――市民が参加する新しい選挙のかたち
津田 そんな風に嫌々議員になってからは、小沢さんの懐刀になりましたね。
森 懐刀ではないですけどね。国会議員としての怖いキャラの森ゆうこと、地域のまちづくり、ひとづくりからやってきた、市民連合的な活動をしてきた森ゆうことのギャップがありますね。
津田 そうやって市民目線でやってきたということですね。野党共闘は前と違って本当にいろんな垣根がなくなっていますね。
森 怖キャラで野党統一候補には一番向かないとみんな思っていたと思います。「あの森ゆうこをなんで応援しなきゃいけなんだって思っているでしょう」っていうところから演説をしました。だから、合言葉は「ニュー森ゆうこ」でした(笑)。
一同 (笑)
森 事実上一騎打ちになる1人区では、当然、自民・公明党が強い。そこに対抗するのに、他の政党がバラバラだったら勝てるはずがありません。ですから、この共闘は非常に合理的だと思います。これは小沢さん的なリアリズムでもあります。市民連合が一番汗をかいてそれをやってくれたと思います。参院選、新潟県知事選挙と、2連勝できたのは、こういう状況の中で希望の光になったかな。
津田 沖縄での共闘はいかがですか?
玉城 翁長さんが県知事選挙のときに、経済か平和かで対立をさせられてきました。しかし、経済人の中に平和が大事という人がいて、また平和は経済からという人もいる、なのになんで一緒にできないんだろうという思いがありました。そういうときに、もっとも保守だった人が歩みよってきた。沖縄にこれ以上の基地負担をさせないで、そこを返還して経済の起爆剤にしようと。これが翁長流の考えでした。翁長さんは革新側にも呼びかけて、大きな柱を作って見せてくれました。これがオール沖縄の原点になっています。
岡 私は2016年の参議院選挙で野党統一候補を応援しましたが、新潟の経験をもっと知りたいです。森さんが、市民と一緒になって選挙をやってよかったことはありますか?
森 新潟には安倍さんをはじめ、閣僚がたくさん応援に来ました。菅官房長官は一番大事なときにNSC(国家安全保障会議)をサボって新潟に応援にきたくらいです。そういう選挙で勝てたのは、特にママたちを中心に、市民が一丸となって戦えたからだと思います。「僕たちの選挙プロジェクト」略して「ボクセン」というのもできました。かっこいいでしょ。身近な生活と未来のために、新しく事務所にきた人たちも、新しい感覚で参加できるように工夫しました。新しく、かっこよく、自然に活動に参加できるっていう取り組みができたと思います。それがさらに進化したのが県知事選挙でした。
津田 最後に、次の衆院選に向けてどのように戦っていきますか? また自由党として打ち出したいことはありますか?
玉城 細かい枝葉の政策が違うということではなく、いくつかの軸で幹を作り、その共通理解の中でいろんな人を集めてやっていくことが必要です。小さい枝葉のところから議論を始めると絶対にまとまりません。まずはまとまって選挙に勝つことが大切です。それが政権を変えることになり、政権を変えることが生活を変えることになり、生活を変えることは未来への希望をもう一度打ち立てることになります。ですから、まずは何よりもお互いを尊重しながら、共闘を強固に作っていくことが一番重要です。
森 もう一つ、野党としては、今の政治の私物化、独裁を象徴する森友学園、加計学園、安倍友ファースト、これを今後も徹底的に追求していきたいと思います。
津田 ありがとうございました。
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