73. 一隅より.様丁寧な返信ありがとうございます。いろいろと勉強になりました。 私と一隅より.様の違いはファクトの認識の違いというよりも思考方法の違いによるような気がします。 そのことを説明するのは難しいことと、私の能力不足からとりとめのない長文になってしまいました。 読まなくてもいいですし、返信の必要もありません。 >貴殿は、「それに代わる共闘の核を作り出していくという論理を否定することもありません」とおっしゃり、
しかし同時に、「それを作るのにどれくらいの時間がかかるのか」と(悲観的に)書かれているので、
現在われわれに(時間的に)ゆるされている方法としては、(残念ながら?)「いまある」民進党を中核にする「しかない」との(苦渋の?)お考えでしょうか。 そのとおりです。 ただし、これは民進党だからということではなく、物事を立ち上げる時に何の瑕疵も問題も無く成功することなどありえないという意味においてです。問題が多々ある中で、現実的には民進党を中核とした野党連合が最善だと私は考えています。 それを作るのにどれくらいの時間がかかるのかと言ったのは、安倍内閣は一刻でも早く終了にしないと、増々この国がおかしくなると感じているからです。ですから理想の野党共闘の構想を立てるのは重要なことだとおもいますが、まず今やらなければならないことは、安倍政権を潰し、政権交代を成し遂げる事であり、そのためには民進党を中核とした野党連合しかないとおもっているからです。 私は自由党の支持者なので、野党は全員、小沢一郎の考えに付き従って行動してくれるならばそれが一番いいともおもいますが、そんなことは現実的ではありません。 考え方が違う人と一緒になってもまた分裂するだけだと言う人もいますが、それは捕らぬタヌキの皮算用ほどの意味しかありません。 >民進党のほうは、「前提に」「現実主義」「直視し」「国際連合をはじめとした多国間協調」など、何をいわんとするのか意味不明確です。これらと、「日米同盟を深化させ」とはどう整合するというのでしょうか。 民進党のいう「私たちは、専守防衛を前提に外交安全保障における現実主義を貫く」が「日米同盟を深化させ」とどう整合するというのでしょうかということですが、民進党は専守防衛を前提とした集団的自衛権における、「日米同盟の深化」ということを言っており、これが自民党の、ほぼフルスペックの集団的自衛権による「日米同盟の深化」との違いであり、自由党のいう「日本の安全保障の根幹は日米同盟である」とほぼ近いのではないでしょうか。 自民党の戦争法案はアメリカの侵略戦争に加担する事も出来ますが、民進党や自由党はそこまでの集団的自衛権は認めていません。 >意味不明ながらも、この党をさまざまな利益代表の(小選挙区制下での公認・当選目当ての)烏合の集団と解すればこのような綱領も理解できます。 なぜそのように決めつけるのか、よく意味がわかりません。 >民主党・民進党とは、さまざまな利益代表の烏合の集団ではあっても、日米安保体制を前提に出発するという根本のこの一点では、その内に違いはありません。
このような政党は、「不都合があるならば正せばいい」「変えるように圧力をかければ良い」といえるレベルではない、と考えます。
この点で、それは「重箱の隅をつつくような足の引っ張り合いじみた論争」ではないと思います。 増々意味がわかりません。 政党を結成するにはそれぞれの理由があるのは当然の事です。利益代表の集団がなぜ烏合の集団になるのでしょう。これほど強い集団が他にあるでしょうか。問題は利益代表の集団であるかないかではなく、人間性があるかないかです。 自由党が「利益代表の集団」ではないのは、単に規模が小さいということではないでしょうか。民進党くらいの規模になったとき全員が森ゆうこや山本太郎のような人ばかりになるとはとても考えられません。 民進党の「日米安保体制を前提に出発する」と自由党の「日本の安全保障の根幹は日米同盟である」とにそれほどの違いがあるのでしょうか。 >個々の議員の良心とは別問題 おそらく、一隅より.様と私の考え方の違いの大半はここにあるとおもいます。 自民党は野党のときTPPに反対していました。ISD条約は毒素法案であり、売国法案であると言っていた人が与党になったとたん口を拭っています。民進党にも同じような人がいます。法案とか政策は重要なことなのですが、個々の議員の良心はそれ以上に重要なことだとおもいます。一見立派な法案のように見えても、運用する権力が安倍政権のようなものならば国民の首を絞めるだけのものになります。加計学園問題の国家戦略特区も、運用する人に良心がなければ、国家私物化特区と化します。 したがって私の判断基準の多くは人間性です。 人間とは他者に思いやりを持つ人のことなので、人間的な政治家は国家、国民、公共の福祉を考えます。人間性が欠落した政治家の政治行動はもっぱら自分ファーストです。 私の与野党観の違いは政策やイデオロギーの違いではなく人間性における方向性の違いです。 特定秘密法案や戦争法案の頃、頻繁に国会傍聴に通いました。審議そのものは野党の質問に与党はほとんど答えません。 時間が過ぎて強行採決の時を待っているだけの時間稼ぎの質疑に終始していました。 もっぱら私は委員会室にいる議員の様子を観察していました。 NHKのテレビや国会のアーカイブ動画では見えない部分も見る事が出来ました。 民進党の小西ひろゆき議員が質問席外から横畠内閣法制局長官を恫喝しています。 昭和47年見解に一部の集団的自衛権を認める法理などどこにもないと怒鳴っています。 これ以上やると拘束されかねないのではとおもうほど鬼気迫るものがありました。 横畠長官は全く動じず前を見つめて身動き一つしません。 横畠長官が見つめる先に傍聴席があります。 いつもは立ち見なのですが、この日は運悪く傍聴席の最前列に座っていました。 負けてたまるかとにらみ返してやりました。 横畠長官の底なし沼のような目を見ていると魂を吸い取られるような気がして、情けない事にすぐに目をそらしてしまいました。 敵は、とても素人が太刀打ちできるような相手ではありません。 この国会傍聴で感じた事は、与党と与党もどきは、国民のための政治をやる気などさらさらないということです。 答弁や国会運営の不誠実さもありますが、さすがに国会でこのハゲーとは言いませんが、ヤジや野党の質問に対する表情などの一挙手一投足を観察すると理解できることもあります。 民進党をはじめとする野党は国民のためにこれ以上はできないだろうというほどの働きをしていました。 社会のどこを見ても、これほどの人間性を感じる人たちを見た事がありません。 だからといって野党が間違いもせず完璧だということではありません。 批判するのはいいことですが、それと同時に国民は応援したり力付ける努力をするべきでなないでしょうか。 野党共闘は国会の中で始まっています。 少なくとも、その動きに棹を差すようなことは、国民はするべきではないでしょう。 >歴史的にも、ナチ党とか、維新、都民ファーストとか(残念ながら悪い例ばかりですが)。 ただそのときのための準備はしておかなくてはなりません。 私も準備はしておかなくてはならないとはおもいますが、今やるべき事は今やらなければなりません。 >憲法改変が具体的スケジュールにのぼり、野党第一党たる民進党を最終的にはその賛成に回らせることができる、という見込みが立てられている恐れがある状況では。 自民党においてさえ、その可能性は減少しています。民進党が自民党に加担する事はありえません。 民進党は最大野党なのでいろいろな考えや立場の人がいます。その事自体が悪い事ではありません。人間性の欠如が問題なのです。 私の観察では民進党は自民党に比べれば人間性に関してはたいした問題はありません。 民進党は原発推進などと決めつける人がいますが、そんなことはありません。 新潟知事選で森ゆうこが八面六臂の大活躍で米山陣営が勝利を得た事に異論を挟む人は無いでしょう。 選挙戦の最後になって応援演説をしたといって蓮舫を非難する人がいます。 絶対的な評価ではそうでしょう。しかし人間社会では相対的な評価が重要です。 貧者の一灯とか寡婦の献金とかいう教えがあります。 金持ちのポケットマネーの百万円よりも、食事を削って献金した貧者の300円の方が価値があるんじゃないのという考え方です。 森ゆうこの自由党は反原発なので方針に悩む事はありません。民進党の方針も原発廃止ですが支持団体の連合は推進勢力もあるので、蓮舫は複雑な状況に置かれています。ちゃぶ台返して連合を切れば方針は定まるでしょうが党首の立場では支援を受けている議員の事も考えなくてはなりません。そこで党の方針は保留して自由投票にする。本人は最後に原発反対陣営の応援に入る。結果的に連合の大半が原発反対陣営に投票した事により反原発知事が誕生する。これは森ゆうこの働きに匹敵するような働きだとおもいますが、絶対的な評価を判断基準にする人たちには納得できないでしょう。 私と一隅より.様のくい違いはこのへんにあるのではないかとおもいます。
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