政府は2007〜10年にスタートした第二次世界信用収縮と金融大恐慌は、ドル一極からユーロ・円三極への移行が根因。これを認識し対策しなかったのでアベノミクスは諸刃の剣となった。 そして株式や不動産や債券等の信用商品の大暴騰&大暴落は、各レベルが、自己防衛的に利己的に思考し行動するために避けられない。 しかも大恐慌の中心となる日本は、商品の世界的優位性を維持するため完全な悲観論一色にはならない。これが致命傷になる。 そして紙幣を土台とした金融商品は、自然に信用を膨張させバブルを発生させる。人間はバブルから教訓を学び、二度と繰り返さないように、制御コントロールしようと努力する、だが、バブルは姿を変えるために、その破裂を予知できない。 物価や金融商品と原材料の値上がりを放置しながら、消費者の購買力を縮小させたまま、人為的にインフレ発生させ、国家と企業の悩みを解消したいというインフレ待望論者の妄想は、雄鶏の首を締め殺せば、早起きから開放されると考えたイソップ物語の寓話とそっくりではないか! 消費者の所得は増やさないまま、生産工場を海外に移転すれば、どうなるか? その答えは、国内市場が縮小するため、消費者物価のインフレは発生することができない。そして、輸出の好調のセイで、3年半ごとの景気循環さえ見えなくなる。 金持ちのかまどの煙しか気にする様子がない自民党政府。TPPなど包括関税引下げ交渉は行き詰まり、二国間の交渉に中心が移った。これは第一次世界信用大恐慌前後と同じ状況に突入したことを意味する。 信頼感などが永遠につづいたためしはない。バブルは、信頼感を崩壊させる事件を連続させる。そのため、世界で膨張する巨大なドルのマグマは、地震や火山の爆発のように、出口を求めて徘徊する。 そして日本の財閥系の有名企業は、政府のてこ入れにもかかわらず、アベノミクスの失政で消滅する。 ところが,第二次世界金融大恐慌や世界経済全体に波及する,その影響は限定され、景気は軟着陸できるに違いない。そう、国民や世界のエコノミストたちがそう考えるのも無理はない。しかし日本政府は馬鹿だということを日本の国民のほとんどは信用しない。 しかも貧乏人には我慢、自己責任,増税,金持ち大企業には減税,借金棒引き,補助金・交付金では、バブルの発生は避けらないし、回復する時間を長期化させた。そのために第二次世界金融大恐慌が先送りされている。 第二次世界金融大恐慌のスタートが、2007〜10年に不可避だったのは、人間がバブルに巻き込まれ財産を失うのも、ムズムズ(機会損失)の心理法則に支配されるためだ。 かくて、国家予算の二倍もの個人資産は、山頂から崩落する溶岩のように、一気に流出する。 こうして、ニクソンのキン離れによる為替フロート制は終わる。そして、世界の為替システムは、まず、ドルとユーロ通貨に各国がリンクする固定レート時代へ移行する。次に、国家がキン買いの主役となるキン獲得競争の勝者が三極目&四極目の世界通貨となる。 経済学の常識では、キンの希?性と通貨慣習だけが強調される。そのため、キンの助けを借り、世界の金融システムは一時的に安定させざるをえない。 世界の通貨はキンの束縛から開放され、膨張を加速した。その膨張は、地球の内部で底動するマグマに似ている。巨大なドルのマグマは出口を求め、地震や火山爆発のごとき突発的な災害に、人類を巻き込むことを不可避にさせた。 キンを大量に保有する国の通貨が世界通貨であることは、それ自身矛盾し、信用の膨張が避けられない。キン返りによって、キンが世界通貨の信頼を直接支え、為替を固定化することに成功しても、時間とともに、キン相場とキンの公定相場との乖離が再発する。その結果、再びキン離れへの移行が不可避となる。 世界の金融システムは、キンに代わって厳格な通貨発行のルールを構築しなければならない。そうしなければ、バブルの発生を根絶することができない。 キンを通貨から駆逐する方法として、紙より薄い半導体フィルムの紙幣&ナポレオン金貨の大きさの軽い半導体チップや半導体コインを採用すればよい。そうすれば、各国の通貨発行量を厳重に国際監視することができる。又、盗難・洗浄・偽造も阻止できる。 そして戦争が金融恐慌を救うという妄想から脱出し,次期産業革命へ大胆にシフトすることです。次期産業革命とは「放射能・CO2を発生させない動力」への転換革命です。 次期産業革命に早期シフトした国家は、CO2の発生を75%減らすことに成功すると同時に、世界の技術革新をリードし、全産業を活性化させることができます。又、第二次産業革命に早期シフト企業は、大不況下でビジネスを飛躍できます。 抵抗する大企業は解体し再生すべきです。しないと日本の大企業の消失が誰の目にも見えてくる。東芝やタカダだけではない。この消失は自民党政府と公明党や維新のセイであうることを認識することです。たっぷりと体験しょうではない
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