ウィキペディア「創価学会」 1930年(昭和5年)11月18日に、『創価教育学体系』が発刊され、尋常小学校の校長であった牧口常三郎と、戸田城聖ら当時の教育者などが集い、日蓮の仏法精神に基づく教育者の育成と雑誌の発行を目的とする「創価教育学会」(初代会長:牧口常三郎、理事長:戸田城聖)を創立した。1937年(昭和12年)に、創価教育学会は日蓮正宗の講の1つとして位置付けられた。この組織が創価学会の前身となる。 戦時中は弾圧を受け、第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)6月に牧口、戸田を含む幹部が治安維持法並びに不敬罪で逮捕され、牧口は1944年(昭和19年)11月18日に獄死。1945年(昭和20年)7月、出獄した戸田は、組織名を「創価学会」に改称し組織を整備、1952年(昭和27年)、宗教法人の認証を得る。戦後の1951年(昭和26年)5月3日に第2代会長に就任した戸田城聖の下で、75万世帯を目標にした「折伏大行進」という名の大規模な布教運動が行われ、日本国内での創価学会の勢力は急拡大した。1958年(昭和33年)4月2日に戸田第2代会長が死去した後、1960年(昭和35年)5月3日に池田大作が第3代会長に就任した(現・名誉会長)。1991年(平成3年)11月に日蓮正宗宗門から破門される。 教義的には日蓮を末法時代の本仏と定め、法華経の肝心・南無妙法蓮華経の御本尊を認定して掲げ、「南無妙法蓮華経」の唱題を実践し、「法華経」思想の布教を宣言(広宣流布)し、仏教思想に基づく平和的な社会の実現を目標とするとしている。1964年(昭和39年)には、「公明政治連盟」を創設し、日本の政党の要件を満たしている唯一の宗教政党として「公明党」を結成し、日本政治にも関与し始めた。 (終わり) 先日、元公明党議員の話を聞く機会があった。創価学会、そして公明党が陥っているアイデンティティー危機は想像以上に深刻なようである。何よりも、カリスマ的指導者に祭り上げられてきた池田大作名誉会長が、もはや巨大な学会組織の統合力としての機能を失っている。周知のように、池田は2010年5月の本部幹部会に出席して以降、今日まで6年半にわたって一切、人前に姿を現していない。その原因は元議員によれば重病で「正常な判断力を示すことができない生ける屍」状態にあるからである。 学会が昔のように日蓮正宗の信者団体という位置づけであれば、会長が交代すればいいだけの話だが、教義やご本尊の扱いをめぐる対立が高じて、91年に日蓮正宗から破門された後は「池田教」として組織の存続を図らなければならなくなったのだから、これは存亡の機である。 ところが、700年からの歴史を持つ教義とご本尊を捨てて、別の何かを立てるのが容易なことではないことは、門外漢にも分かる。混乱続きの末に、13年には信濃町に「大誓堂」を建設し、それに合わせて「日蓮世界宗創価学会」という世界的な宗教団体を立ち上げ、その会長を日本創価学会の会長が兼ね、その配下に「創価学会インタナショナル(SGI)」加盟の世界156団体を支部として組み込むという組織構図に移行しようとしたが、異論続出でまとまらず、結局、今も教団としての形すら定まらない。その状態で池田が生ける屍ではまずいので、「元気にしておりますよ」という話にして、その虚構を維持するために流行作家並みの勢いで本を出したり、写真展を開いたりしているが、もちろんすべて本部スタッフの代作である。 学会それ自体がどうなろうと世間とは無関係だが、問題はこの教団が公明党という政治部隊を抱えていて、教団が危機に陥れば陥るほど、権力からの介入・弾圧を恐れて限りなく自民党にすり寄っていこうとしていることで、これが日本の政治を著しく歪める原因となっている。現在、ミイラ同然の池田の威光を背に学会を仕切っているのは原田稔会長、谷川佳樹・八尋頼雄両副会長ら「東大閥」で、彼らは組織崩壊を恐れて自民党にしがみつこうという路線に徹している。 それに対して、正木正明前理事長はじめ「創価大閥」は、もうこんなことはやめて、連立解消、小選挙区制撤退、平和の党に戻ろうという路線だが、今のところ前者の「毒を食らわば皿まで」派の優位は変わりそうにないという。 創価学会なんですが、最初は創価教育学会といいまして、 宗教団体ではありませんでした。それが、道徳教育には宗教が必要だという考えもあって 日蓮正宗へ参加します。でもって袂を分かつんですが、日蓮正宗方の言い分は 邪流に走ったから破門なんですが、創価学会方の思いは「散々、貢がせておいて いらなくなったらポイっかい」というものです。
なので、創価学会は寺院も坊さんもおらず、葬式も友人葬として学会員で行います。 日蓮正宗が学会を池田教といえば創価学会は正宗を日顕宗と呼んだりしています。 悪く言えば、しいたげられても尽くしてきたのに、必要がなくなったら あっさりとフラれたときの逆恨みとでもいいましょうか、 聖教新聞なんかを見るとあからさまな攻撃記事がありますね。 共通点と言えば、双方とも何か言えば必ず反論してくるところです。 (日蓮の話) 末法思想と言う言葉を知っておられる方は多いと思います。 末法思想とは、釈迦が説いた正しい教えが世で行われ修行して悟る人がいる時代(正法)が過ぎると、次に教えが行われても外見だけが修行者に似るだけで悟る人がいない時代(像法)が来て、その次には人も世も最悪となり正法がまったく行われない時代(=末法)が来る、とする歴史観のこと。 そうして末法の時代に入ると釈迦の生まれ代わりのような人物が登場し仏教を立て直すといます(釈迦の予言でもあります)。 日本では1052年から末法がはじめると言われていました。当時は鎌倉時代。日本大衆仏教が興った時代でもあります。 釈迦の生まれ変わりを「本仏」と言って、日蓮が、その本仏であると言う話が興っていたようです。 その経緯次のようなものです。 日蓮でさえ、日蓮本仏論は、日蓮の死後弟子のあいだから言われたもの、それを創価学会は池田を本仏にしたて上げようとしている。 仕立て上げなければ教義が成立しないのである。 「池田大作本仏論」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 池田大作本仏論(いけだだいさくほんぶつろん)は宗教法人創価学会の一部信者による同会名誉会長の池田大作を現人神として扱う教義、思想の敬称である。 本仏論の原型 本仏論の原型となるものは意外に古く、戸田城聖が会長を勤めていた1950年代まで遡る。戸田は常日頃より「創価学会の組織の中にいつかご出現されるであろう久遠の一念三千様が・・必ずやご出現なされるのだ!」と周りに予言していた[1]。戸田は広宣流布の一切の後事を青年部全体に託したが、後継者として特定された個人名を出さずに他界する。 無罪判決と本仏論の始まり。 戸田の死後、池田が創価学会会長に就任するが当初は本仏論を主張する動きはなかった。しかし、1962年に大阪事件の無罪判決が言い渡されると一部信者が久遠の一念三千様は池田会長のことではないかと勝手に解釈、戸田が生前、池田を後継者に指名していたという誤った話が学会内に広まる事となる[2]。補足ではあるが創価学会のHPでは戸田は広宣流布の一切の後事を青年部全体に託したとされており、特定の個人を後継者に指名した記述は一切ない。 (創価学会第三代会長池田大作交尾録) 創価新報より。「……今は離婚して寺田姓を名乗っているが、 昭和三十八年に金銭問題が発覚するなどして、 高知支部の婦人部長の役職を解任され、学会から除名された、 いわくつきの退転者。また男性問題で蒸発するなど、 夫婦間の争いもたえない札つきの女性でもあった……」 いかにも私が学会のお金を使い込んだかのように書いたり、 また何を血迷ったのか男性問題で蒸発したとか―― このように学会を離れた人間に対して、 事実を捏造し誹謗するのは、彼らの常套手段なのです。しかし、いくらなんでも、 私が学会のお金を「二千万円」拐帯して男と逃げたなどと書かれたんでは、 私の名誉にかけても許すわけにはいきません。 私は釈明と反撃の機会がほしかったのです。 事実は逆なのです。創価学会の草創期、私どものような最古参の人間は、 学会の活動資金を自分たちで持ち出していたのです。 とくに選挙となると、すべて持ち出しでした。 後に、【【【学会員の夜逃げが各地で続発しました】】】けれども、 たいがいは、選挙資金の肩代わりや、 学会活動の資金を立て替えているうちに、事業が倒産したりしたためでした。 15.池田の子を中絶したY子の場合 笠貫の女子部での活動歴は浅い。それが、たちまちにして全国女子部長になった。抜擢の背景には、 池田に対するY子の思い入れがあるのはもちろんだが、池田から見れば、笠貫の「尽くしに尽くすタイプ」を 側に置いておきたかったのである。やがて、【【【Y子は池田の子を身寵った。】】】 その子の中絶を手配したのが、横浜日赤で外科部長をしている、学会ドクター部幹部の森田修平だった。 このことについては、藤原行正が、「何代か前の女子部長」という匿名の表現で、中絶の件を暴露した。 池田は、それに対して過剰反応を示した。池田夫人・香峯子(かねこ)をして、 笠貫の妊娠を否定するアリバイ作りに加担させたのである。 池田夫人から婦人部の最高幹部が直接指導を受ける記事が、『聖教新聞』紙上に掲載された。 このようなことは、普通では、まずありえない珍事である。今年2月11日の『聖教新聞』7面には、 次のようぬなY子の記事が載った。「優しい妻に 強い母に 力ある婦人に_これは婦人部進出にあたり、 先生の奥様からいただいた指針です。」 池田は、女性スキャンダルのカムフラージュに夫人まで使って恥じるところがない。 この様な話が、まだまだ続く。 こんな男が本仏になぞられるとは、まったく笑止。 何故か知らないが、こんな男が主唱する創価学会が800万の信者を集め、公明党という政党をつくり国家を左右する。 創価学会員が信者として池田をあがめようが、池田がハーレムを作ろうが、それは構わない。 しかしながら池田の様な奴に国政に参加されてたまるか。 公明党も創価が会がそうである様に、一応のたいさいを整えるために国民の為の政治を語るが、それは創価学会が日蓮集を騙っているのと同じこと。 その証拠に公明党は政権政党に取り入ることを常とし国民の為に政権と対峙する気持ちなどないのである。 彼らは創価学会の別動隊として創価学会を守るために存在しているのである。
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