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「沖縄『慰霊の日』と大田元知事の思い 2017.06.24 報道特集
「沖縄『慰霊の日』と大田元知事の思い20170624hou... 投稿者 gomizeromirai
#報道特集
― きむらゆい (@yuiyuiyui11) 2017年6月24日
沖縄慰霊の日に寄せて
大田昌秀元知事が遺したもの@
平和の礎には沖縄戦で亡くなった全ての人の個人名が刻まれている。軍人、民間人、米国、韓国、日本の区別なく全て。
この設立をしたのが大田氏 pic.twitter.com/4zlrNAZC5h
#報道特集A
― きむらゆい (@yuiyuiyui11) 2017年6月24日
平和の礎に込められた想い
慰霊の日、安倍総理が挨拶しようとすると
ひとりの男性が
安倍晋三にここに来る資格はない。沖縄の声を抹殺しておいて何が慰霊祭だ!
と抗議。拍手が起きた。 pic.twitter.com/eeUSP9XF5N
#報道特集B
― きむらゆい (@yuiyuiyui11) 2017年6月24日
大田昌秀元知事
弱いところ(沖縄)を犠牲にする形で、自ら(本土)の安全を維持しようということは理解しがたい pic.twitter.com/KWI6eXPW8K
#報道特集C
― きむらゆい (@yuiyuiyui11) 2017年6月24日
1996年楚辺通信所の使用期限が切れ(大田知事が代理署名を拒んだ)た際、橋本内閣は法案を提出し米軍が引き続き使えるようにした。野党も賛成したが、野中氏は演説の最後原稿にはない、沖縄への思いを発言した。
沖縄の人々を軍靴で踏みにじるような結果にならないことを。 pic.twitter.com/1VqovInfL8
#報道特集D
― きむらゆい (@yuiyuiyui11) 2017年6月24日
大田昌秀元知事の執務室がある沖縄国際平和研究所に金平さんが訪問
全てのページに付箋がつけられ、書き込みがいたるところにある書籍の数々
膨大な書物と、米国の情報公開で集めた資料や写真。
大田さんの人柄が偲ばれる pic.twitter.com/jo1F9Rsj6y
#報道特集E
― きむらゆい (@yuiyuiyui11) 2017年6月24日
大田昌秀元知事が読んでいた資料は雑誌「世界」にとどまらず「正論」なども。
大学の教え子で県知事時代は秘書を務めた桑高氏が大田氏を語る pic.twitter.com/erjfziOXgD
#報道特集F
― きむらゆい (@yuiyuiyui11) 2017年6月24日
辺野古の海 大浦湾の今
金平さんがサンゴ礁の海に潜る pic.twitter.com/sjjRlI9P0m
#報道特集G
― きむらゆい (@yuiyuiyui11) 2017年6月24日
20年前から100回以上大浦湾に潜っている水中カメラマンの長田勇さんの警告 pic.twitter.com/ptMICSddjm
#報道特集H
― きむらゆい (@yuiyuiyui11) 2017年6月24日
大田昌秀元知事が平和の礎に、個人の名前を刻むことにこだわった訳 pic.twitter.com/eU7B0NDAqN
#報道特集10
― きむらゆい (@yuiyuiyui11) 2017年6月24日
金平さん
今の沖縄の現状を考えると大田さんは無念の思いで亡くなられたと思います
これほど沖縄と国の溝が深かったことはない
戦後最悪のレベル
県知事選挙国政選挙で何度も示されている沖縄県民の民意がないがしろにされているそこに最大の原因がある pic.twitter.com/Di8nmuBbD5
報道特集は「大田元知事と平和の礎」
― acacia (@freie_Herz) 2017年6月24日
これから特集始まるよ。 pic.twitter.com/9RaJe7F1x5
「戦争屋の安倍」#報道特集 pic.twitter.com/DOtiNyABzO
― 云々降車【月曜午後を返せ】 (@sao954) 2017年6月24日
沖縄慰霊の日
― Moon (@NightOfFrogs) 2017年6月24日
「命こそ宝」ってTシャツ着てる外国人がいたのが印象的#報道特集#大田昌秀元知事#沖縄に基地はいらない pic.twitter.com/n8SkuQCCeA
#報道特集
― Tad (@CybershotTad) 2017年6月24日
2007年の国会で、大田昌秀氏と安倍首相。 pic.twitter.com/pV5GOklNBk
#報道特集
― Tad (@CybershotTad) 2017年6月24日
今年1月に大田昌秀さんが遺したメッセージ。「基地をつくらせてしまったら戦争が起きたときに、真っ先に攻撃の的になる」 pic.twitter.com/C1E0nxLaJI
報道特集【沖縄『慰霊の日』と大田元知事の思い】
http://o.x0.com/m/521607
2017.06.24 Mediacrit 抜粋
昨日、慰霊の日を迎えた沖縄に金平キャスターは行っています。
金平さん。
平和の礎に来ております。
沖縄の今を伝える本土メディアの報道がこのところかなり減ってきているように思います。
問題は解決されているのでしょうか。
後ほどの特集で私たち「報道特集」は沖縄の今をお伝えします。
特集は沖縄です。
現地にいる金平さんに伝えてもらいます。
再び沖縄です。
ここ平和の礎は12日前に亡くなった大田昌秀元沖縄県知事が発案してつくった世界でも類例を見ない記念碑です。
二度と戦争をしてはならないという大田さんの思いは果たして受け継がれていくのでしょうか。
国による埋め立て工事が進められている名護市辺野古の現状など、沖縄の今を考えます。
沖縄の本土復帰後、4代目の知事を務めた大田昌秀氏が今月12日、亡くなった。
奇しくもその日は92歳の誕生日だった。
久米島に生まれ、19歳のときに鉄血勤皇隊と呼ばれた少年兵として沖縄戦を経験。
以後、戦争の残酷さを語り、平和を希求し続けてきた大田氏。
その大きな功績の1つが平和の礎の建立。
国内外、住民、軍人を問わず、沖縄戦で亡くなった1人1人の名前を刻んだ礎。
慰霊の日の昨日、礎の前では頭を垂れ、沖縄県民の4人に1人が亡くなったとされる沖縄戦の終結から72年となる慰霊の日を迎えた昨日…最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園では多くの人が平和の礎に刻まれた名前に手を合わせていた。
自身も沖縄戦を経験した大田昌秀元知事らによって建てられた平和の礎。
私の祖父がこっちですね。
与那嶺ちかのり。
郵便局長で戦争に巻き込まれて。
どこに手を合わせていいかわからない。
自分たちの仏壇だけではね。
おじいちゃんをいつも忘れないんだけど。
特にこの日だけは、いつも来てます追悼式には遺族ら4900人が参列した。
安倍総理の挨拶の直前、1人の男性が…先週木曜日、大田昌秀元知事の告別式が営まれた。
翁長雄志知事を初め選挙戦で争った稲嶺恵一氏、仲井真弘多氏ら歴代の県知事も参列した。
その死を惜しむ一般参列者の列は終わる時刻まで途切れることがなかった。
1990年、琉球大学の教授だった大田氏は、基地撤去を公約に掲げ、県知事選に立候補。
出征する兵士のイメージを嫌い、鉢巻きやたすきは使用せず、当選した際の万歳も拒んだ。
1995年に起きたアメリカ兵による少女暴行事件を機に、アメリカ軍が民有地を使用するのに必要な代理署名を拒否するなど日米両政府に対し徹底して抗う姿勢を示した大田氏。
沖縄と本土の関係を次のように語っていた。
その後、参議院議員となり、最後の質疑で当時の安倍総理に、こう問いかけた。
官房長官や自民党幹事長など政府・与党の要職を歴任した野中広務氏は大田氏の死去に肩を落とした。
惜しい人を亡くしてしまった。
大田さんというのはどんな人物だったんでしょうね?人間のよさと人物の深さ、これはもう体に表れておりました。
しかし、それが逆に人を威圧するような感じに受けとるほど、大田さんは沖縄の怒りをぶつけるときがありました。
1996年、沖縄のアメリカ軍用地のうち一部の使用期限が切れ、不法占拠状態となった。
このため、当時の橋本内閣は土地をアメリカ軍が引き続き使用できるよう法案を国会に提出。
野党・新進党や民主党もこれに賛成した。
衆議院特別委員会の委員長だった野中氏は本会議で異例の発言をした。
そして私たちのような古い苦しい時代を生きてきた人間は再びこの論議を通じた国会の審議がどうぞ大政翼賛会のような形にならないように、若い皆さんにお願いをして私の報告を終わりたいと存じます、ありがとうございました。
突然出ただけなんです。
委員長報告を読んで、ずっと読んどったら、私が沖縄に行ったとき宜野湾の手前で私に泣き崩れて…この人たちは沖縄で戦争が起きてあれだけの人が、沖縄の人間が、あるいは大地から行った人が犠牲となった沖縄で地上戦が行われたんだと、しかも米軍もあそこで犠牲になったんだと。
そこのところが今、大きなギャップになってるんです。
大田氏が抱いていた平和への思い。
活動の拠点としていたのが沖縄国際平和研究所。
県知事時代に秘書を務め大田氏とは40年来の付き合いだった桑高英彦さんに案内してもらった。
これが大田先生が生活していた空間です。
大田氏が今年の4月に入院するその日まで使い続けた書斎。
あそこが机ですよね。
この机が好きで、大学時代からこの机とイスに座って。
ほぼ一日中、このイスに座り本を読み、資料に目を通し、ものを書いていた。
あっ、これ書かれてた、大田さんのですか?そうですね、大田先生のメモ書きですね。
生き地獄の沖縄戦への…最期まで沖縄戦のことは…。
最期まで沖縄への思いを手書きのメモで残していた大田氏。
本には大量の付箋が貼られ、開くと、至るところに書き込みがあった。
これもホントに読んでたんですね。
これはもう、ほとんど付箋というか付せんのないところはない。
全部読んでるんですね、これ。
沖縄戦関係のものは、これくらい付箋がつきますね、大体。
書斎の隣の部屋に足を踏み入れると、そこは本で埋め尽くされていた。
何度も書庫と書斎を往復していたと言う。
主義や思想に縛られることなく本を読みあさっていたと桑高さんは話す。
速いんですよね、また読むのが。
勘どころがわかるんでしょうね。
さらに上の階には、大田氏が自ら集めたアメリカの公文書や沖縄戦の写真などの資料が保管されていた。
晩年に書き残した原稿からは、沖縄を軽んじる本土への怒りが伝わってくる。
基地の問題で、どんなに日本政府と交渉してもなかなか道が開かない。
しかし自分は諦めないと。
大きな壁にあたったとき、大体ほとんどがあきらめてしまうけれども、しかし、沖縄は諦めるそんなゆとりはないんだとそんな言い方をされていましたね。
普天間基地の県内移設に一貫して反対してきた大田元知事。
今週水曜、辺野古のキャンプ・シュワブのゲート前。
抗議行動は1080日を超えた。
辺野古への移設に反対する理由の1つは大浦湾の生態系への影響。
海上のクレーンなどをぐるりと囲む形で張り巡らされたフロートの内側は制限区域とされ、立ち入りが禁止されている。
あそこが護岸工事が今行われているところで、今、砕石が、海の中に土砂が砕石が下ろされているところがありますけれども。
今年4月に工事が再開された護岸では、砕石をダンプで運び込みクレーンで次々に海に投入する様子が確認できた。
着実に工事が進む大浦湾。
工事現場からおよそ1kmのポイントに金平キャスターが潜った。
目の前に広がるのは2007年に発見されたというアオサンゴの群集。
斜面に沿って棒状のサンゴが無数に立ち並んでいた。
サンゴのそばに生えていたイソギンチャクの陰にはクマノミの姿も。
さらに200mほど離れた別のポイントで潜ると…先ほどとは打って変わってミドリイシと呼ばれるテーブル状のサンゴが一面に広がる。
群れをなしてサンゴの上を泳ぐのはデバスズメダイ。
住みかにしているサンゴなしでは生きていけない魚だという。
埋め立て工事によって湾内の潮流が変化し大浦湾全体に影響を及ぼす危険性を指摘する専門家もいる。
我々の取材に同行してくれた水中カメラマンの長田勇さんは20年前から100回以上大浦湾に潜っている。
サンゴもいろんな種類がありますし生き物でここにしかいないという生物もいるので。
1カ所に全部集約している海なんですね。
もう間違いなく残してほしいなと思います。
これが親父。
萬次郎というのが親父で、これが姉です、僕の。
元沖縄タイムスの記者、玉城眞幸さん。
沖縄戦当時3歳だった玉城さんの記憶に父と姉の面影はない。
しかし、この場所には特別なものがあると話す。
ここに来ると会いに来るという?会いに来るというかね、何て言ったらいいのかな…なんか胸に迫るものがあります。
大田昌秀氏の琉球大学時代の教え子で、最期を看取った。
字誌と呼ばれる地区の記録をまとめた資料を可能な限り集めていた大田氏。
1人1人が体験した沖縄戦の証言を大切にしていた。
玉城さんは個人の名前を礎に刻んだ大田氏の思いを次のように語った。
それこそ1人1人の命がすべての命、つまりトータルで戦争の犠牲者と言うんじゃなくて個人、あるいはみんなが持っている肉親、あるいは地域の人、この人たちの犠牲に立って戦争というのは必ず起こるのだから、それだけは止めようじゃないかというのが先生の言い分なんですね。
戦争体験は引き継いでいくというのも大事だけど、今の沖縄の基地をすることに対する反対とかこういうの、もっともっと大事なことがあるわけ。
大田昌秀元知事が亡くなられて喪失感を抱えている沖縄の方たちが多いように感じましたけれども、現場で取材をしていていかがでしたか?確かに精神的な支柱を失ったと感じている方がとても多いなと感じました。
自らの戦争体験を原点とした大田さんの考えは命どぅ宝という考えで、戦後の沖縄を貫く精神を象徴していたわけですけれども、それゆえに大田さんはアメリカ軍の基地の返還や、基地があるゆえの犯罪、差別、不利益に対して非常に強い憤りを抱いていました。
今沖縄が置かれている現状を考えるとき、恐らく大田さんは無念の思いを抱きながら亡くなられていったんではないかと思います。
それにしても、国と沖縄の間の溝、どんどん広がってしまっています。
この溝、将来どうなるんでしょうか?1972年の沖縄の本土復帰以来、これほど国と県の間で話し合いの余地が失われている状況は過去に例がないと思います。
その意味では戦後最悪のレベルに達していると思います。
その原因の多くは、知事選挙ですとか国政選挙で何度も示されている沖縄県民の民意がないがしろにされていると。
そこに最大の原因があるのではないでしょうか。
今でも辺野古に基地はノーだというのが県民の多数派であることは明らかです。
辺野古の護岸工事が行われているところでダンプカーから土砂が次々に海の中に投げ入れられているシーンをこの目で見ました。
埋め立て工事が行われている大浦湾は世界でも有数のサンゴ礁の群生地です。
実際に潜ってみて見えた風景の一部をご覧いただきましたが、ごく普通のアメリカ人に、この海を埋め立てて、あなたの国の軍事基地をつくるんだと説明したらどういう反応が帰ってくるんだということを想像してみてもいいのではないかと思います。
環境保護という観点からはもちろんですけれども、安全保障という国策の負担がなぜ沖縄だけに集中的に押しつけられなければならないのか。
とりわけ本土に住む私たち日本人は自分たちのこととして考えるべきだと、この地で取材して改めて思いました。
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