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あったことをなかったと言わせるな メディアと国民が問われている
http://mainichibooks.com/sundaymainichi/column/2017/06/18/post-1590.html
サンデー毎日 2017年6月18日号
倉重篤郎のサンデー時評109
三者三様のジャーナリズムを紹介する。
共同通信元ワシントン支局長・松尾文夫氏(83)のライフワークは、「歴史的和解」にある。
1972年のニクソン米大統領の電撃訪中に際しては、事前にその胎動を感知し、誰もがまだ米中冷戦思考の枠組みから抜け出せない時に、米中が和解に向かう可能性を強く示唆する記事を発表した。
次に日米和解を追っかけた。日米両国は、戦後緊密な同盟関係を結んできたが、心の奥底では和解できていない。日本は米国による広島、長崎への原爆投下を本音では許してないし、米国では日本の真珠湾奇襲が卑劣な行為として語り継がれている。政府間が建前の親善を強調しても、草の根レベルで国民同士が戦争を引きずっていては、真の和解とは言えない。
そんな問題意識から献花外交を提案した。つまり、日本の首相が真珠湾まで赴き、慰霊と反省の意を込めて献花し、同時に米国の大統領が広島を訪れ、献花を返す。両国民を民主的に代表した人物の象徴的な儀礼を交換することによって、両国民に奥深く刺さった棘(とげ)を抜き去ろうという構想だった。英米と独がドレスデン無差別爆撃についていち早く首脳レベルの和解のセレモニーを実施したのを取材し、なぜ日米でそれができないか、という疑問から出発した。
松尾氏によると、「日本流にいえばお線香をあげること」だったが、これがなかなか実現しなかった。歴代政権に提言し続けること11年。ようやく昨年オバマ大統領が原爆慰霊碑で、安倍晋三首相がアリゾナ記念館でそれぞれ花を手向けて、松尾構想が結実した。
だが、松尾氏には、日本の対中国、南北朝鮮との歴史的和解という新たな仕事ができてしまった。
安倍首相がせっかくの真珠湾演説で、アジアには一言も触れなかったこと、日中関係が必ずしもうまくいってないこと、朝鮮半島情勢が緊迫しつつあることが、氏の新たな使命感を目覚めさせた。
例えば、中国に対しては、重慶や南京への献花外交ができないか。朝鮮半島は、この危機をむしろ南北統一(半島の最終和解)の機運に結び付けることは不可能か。
さすがに国際ジャーナリストである。現在の半島分断は米国の戦後政策の失敗によるもので、最終的には自らその責を負うべきだ、という動きが米国内にあることをつかんでいる。かすかに聞こえる和解の音を聞きもらさない。「余生をその取材にかける」という。
◇「圧力」がなかったことにしようとする権力 大本営発表並みの暴挙
富山県にあるチューリップテレビは、90年に開局された社員70人の小さな地方テレビ局である。素朴な疑問から出発し、執拗(しつよう)な取材を重ね、富山市議会の政務活動費不正事件を発掘、ついには自民党市議28人のうち19人の不正・不適切処理を突き止めた。
市議会のお手盛り議員報酬引き上げ問題で取材が始まり、その仕事ぶりのチェックのため、政務活動費支出伝票の情報公開を請求、記者2人だけで連夜黒塗りだらけの伝票と格闘し、ようやくあるボス議員関連伝票にたどり着いた。
伝票は、公民館で市政報告会を実施した、としているが、使用申請書を情報公開請求したところ、使用実績がなかったことが判明、別の場所だったとするボスの弁明をも突き崩したことで、疑惑が他の議員にも一気に広がった。
閉鎖的な地方都市。議会も市も一体となってボスを守ろうとした旧弊強権の壁に「ビクビクし、圧力を恐れ、悩みながら」(取材班代表の宮城克文氏)挑戦、取材の正攻法を地道に貫いた特ダネだ。
森重昭氏(80)は、45年8月6日広島で被爆した。爆心地から2・5キロ。たまたま橋上にいた森氏は熱風に飛ばされ川に転落、命は助かった。すさまじいばかりの黒い雨が降り、みるみるまに水かさが増えていったのを覚えている。
日本人の遺体が転がる中、なぜか米兵の遺体があった。原爆の悲劇は国籍を超えたものだという原点をそこで得た。既存のジャーナリズムが取り上げてこなかった被爆米兵問題に関心を抱き、会社員としての仕事もしながら、休日を使ってコツコツと調査を続けた。
その結果、被爆死した米兵が12人であることを突き止め、その名前も割り出し、遺族に対してその情報を伝えることができた。成果は『原爆で死んだ米兵秘史』(16年、潮書房光人社)にまとめた。これは米国でも高く評価され、昨年オバマ大統領が広島演説の後、森氏を抱いた映像は世界に流れた。
「誰にも頼まれず、誰からも支援されず、カネも組織もない孤立無援の取材活動」(森氏)が40年の努力の末、実を結んだ。記者でもない市井の人に真相解明作業の原点を見せつけられた思いである。
この三者が17年度の日本記者クラブ賞を受賞した。その記念講演(5月30日)を聴き、この記事を書かせてもらった(講演模様は日本記者クラブホームページからユーチューブで見られます)。それぞれにジャーナリズムの力と可能性を身をもって示してくれた好例だ。
それにつけても加計(かけ)学園問題である。安倍晋三政権が国家戦略特区に獣医学部の新設を半世紀ぶりに認可したことに、圧力や行政を歪(ゆが)める行為があったか、なかったか。
認可を行った文科省の当時の最高責任者が「あった」と具体的かつ詳細に明言していることに対し、それを「なかった」ことにしようと時の権力が躍起になっている。戦中の大本営発表並みの暴挙である。ここは真実を発掘し確定させる役割を担うジャーナリズムにとって大事な局面である。先の三者に負けるわけにはいかない。もちろん国民世論にとっても正念場だ。フェイク権力を高い支持率で支え続けるのか否か。その意味ではメディアと国民が試されている。
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