新聞の営業は地元の販売店が行うものではなく、新聞社の下請けの セールス会社のかたが行っているようです、その仕組みを作ったのは あの正力松太郎で当初は警察OB+893だったようです。 下記の記事は新聞の拡張員(外注の営業員)ゲンさんのホームページです。 ---------------------------------------------------- http://siratuka.sakura.ne.jp/newpage5.html
拡張の歴史 since.2004.7 3 更新2005.5. 3 日本の新聞普及率は世界第2位で人口1000人当たり570部ほどやと、ハカセから聞いた。発行部数にして6840万部という計算になる。 もっとも、押し紙や残紙なんかがあるから、実質は1割減やろうけど、それにしても大したもんや。ワシらも実際、毎日拡張で廻っとるから分かるが、ほとんどの家でどこかの新聞を読んどるというのは実感する。 たまに無読の人間がおるが少ない。日本をこれほどの新聞大国にした功労者は間違いなくワシら拡張員や。 Y新聞社なんかは発行部数1000万部突破で世界一と自負しとるようやが、それも拡張員なしでは考えられんことや。 それにしても、業界でもトップクラスの悪評があるのがこのY新聞の拡張員やいうのはちょっと皮肉やけどな。 世間では、拡張員を毛嫌いする言動は良う耳にするが、それと同じほどの罵声を新聞社にかける人間をワシは知らん。やらす者とする者とは同罪やと思うんやが、違うんかな。 殺人なんかは場合によったら、殺人を指図命令した者のほうが実行犯より罪が重いのにな。ところが、新聞では悪者は拡張員だけやとなる。 ワシらにしたら、理不尽極まりない話や。それに、そもそも、何でワシら拡張員がそこまで嫌われるんやろと思う。 確かに一部の拡張員は押し売りまがいの脅迫めいたやり方で勧誘する者がおる。しかし、それにしたかて、客に損をさせるわけやない。それどころか、景品や金品を与え、購読料の無料サービスまでするんや。 条件も今読んでる新聞を、ワシらの勧誘する新聞に変更して欲しいと頼むだけや。今の日本の新聞なんか書いてあることは皆同じやから、どこのでも一緒やと思うんやけどな。 第一、同じ新聞を長年、読んでても大したサービスなんかないはずや。集金のときせいぜいゴミ袋をもらうくらいやろ。釣った魚に餌はやらんが、新聞社や新聞販売店の大方針やからな。 まあ、それでも長年読み慣れた新聞を変えへん家がほとんどや。不況や不況や言うても、そんな損得なんかどうでもええちゅうほど、日本人はまだ裕福なんやろな。 もっとも、ワシらの誘いに乗って皆が、拡材(拡張のための景品や金品、サービスなど)目当てに新聞を変えたりしたら、あっと言う間に販売店は潰れるやろ。そうなったら、新聞社も終わりやけどな。 ハカセから面白い話を聞いた。拡張員は外国にもおったらしい。拡張員の発祥の地はイギリスやということや。 デイリー・ヘラルド社というのが有名で一時はここだけで5万人もの拡張員がおったという。今から、70年も前の話や。 その当時のイギリスの拡張員いうたら、エンビ服に山高帽子、ステッキ片手に現れて格調高かったんやろな。それが、日本に伝わるとなぜか格調とは縁遠い存在になる。何でもそうや。 余談やけど、例えば競馬。これはイギリスではもともと貴族の娯楽やったんや。一般の貧乏人には縁のないもんやった。それが日本に伝わると……。 説明せんでも分かるやろ。最近、イメージが多少良うなったというても、日本じゃ、競馬はギャンブル、博打の世界や。哀しいけど、これが日本なんや。 この時のイギリスの拡材は、10週間契約でカメラなんかがあったらしい。この当時のカメラは、今の日本の使い捨てカメラと違うて、人気の高級品や。値段は良う知らんけど安い物やなかったやろと思う。 これで、デイリー・ヘラルド社は20年ほどの間に、発行部数25万部から200万部にまで成長させたという。 この後もエスカレートして、新聞の拡材合戦による拡張戦争と呼ばれる時代になるんや。何や、今の日本と良う似とるな。 結果、どうなったか。今から40年前、1964年9月にデイリー・ヘラルド社はついに倒産した。拡材競争がもたらした経費の増大が原因や。 このデイリー・ヘラルド社はそれに気がつくのが遅く、拡材を縮小、廃止しようとしたらしいけど、拡材で釣られた読者は拡材に魅力が無くなれば離れるもんなんや。仕方なく、駄目やと分かっても続けるしかなかったんやろと思う。 今の日本の新聞社の大半が、このデイリー・ヘラルド社が置かれた状況に酷似しとると思う。ワシが憂いても仕方あらへんが、この先、日本の新聞はどうなるんやろ。 ワシら拡張員の明日はあるんか?多分ないわな。それに、もともと明日のある身が拡張員なんかしてへんもんな。 新聞社レベルの経営なんかワシには分からんけど、拡材競争の果てに潰れた販売店なら幾つか知っとる。 拡材競争が激化するのは概ね各新聞社の力関係がその地域で拮抗しとる場合や。 これは、奈良県のある地域での話やが、ここはワシの知る限りでもかなり激しい拡材競争をしてた。 奈良県は昔からA新聞の強い所として知られとるが、この地域だけは、Y新聞、M新聞、S新聞と各社かなり力を入れとるから勢力的には大差なかった。 ワシはこの頃、S新聞の拡張に大阪から来てた。普通、新聞勧誘の契約は1年なんやが、ここでは4年契約いうのが多かった。 拡材も他に比べたらええ。4年契約で、5万円分の百貨店、大手スーパーの商品券。1年分の購読料無料。テレビ、冷蔵庫、洗濯機等の家電製品。まだ、他にもあるが、客はこの中から好きなサービスを選べる。 しかも、これが上限というわけやない。あくまで基本ベースや。他社と競い合えば、販売店の裁量で拡材は増える。 この拡材が始まった頃は、ワシら拡張員には天国のような場所やった。面白いように契約が取れた。 今、新聞を購読して頂けたら5万円分の商品券をお渡しします、と言えば、勧誘を断ろうと思うてたかて、何、それ?と必ず聞き返す。 そこで、新聞記事なんかどこでも一緒ですよ。オウムの事件(この頃はこれが話題の中心やった)が載ってない新聞なんてないでしょ、という営業トークがなぜか説得力を持つんや。 まあ、聞き返して来た客はその場で、5万円分の商品券を握らせたら終了や。せやから、この界隈は一時、拡張員だらけやった。拡張銀座と呼ばれとった。道一本違えば必ずどこかの拡張員がおったもんや。 こんなやから、一足遅れの客に出会すことも多い。つい、今しがた他の新聞と契約しました、という客や。しかし、このときはこんな客でも仕事になった。 ほとんどの客が4年契約なんやが、その後の4年先、8年先の契約でもOKという状態やった。場合によれば、12年先の契約まで認めとった。 しかも、拡材は契約したその時に渡すことまでしとった。1,2日で4社ほどの拡張員から契約した客で、20万円分もの商品券を手にしていたという話まである。 それでも、これくらいはまだ序の口やった。この状況はまだまだエスカレートするんや。 この時、いろんな伝説が生まれた。ワシが聞いた極めつけなんは、Y新聞の契約で、生涯契約というのがあった。死ぬまで新聞を読みます、ということらしい。この時の拡材が、何と新車の乗用車1台やった。 誰が聞いても、そら嘘やと言いそうやが、ワシらは妙に納得したもんや。あのY新聞の所長やったら、それくらいはするかも知れんなと。 これに、拡張員で悪さする奴が拍車をかけた。根っから腐った奴らは、ただ契約が上がるだけでは満足せえへんかった。 稼げる時はどんなことをしてでも稼げというわけや。何をしたかというと、てんぷらカード(架空契約)を混ぜていたんや。 この時、ちょっと慣れた拡張員なら平均して1日、10本(拡張では1契約を1本と数える)ほど上げとった。この中に1,2本のてんぷらカードを混ぜるんや。 狙いは、カード料よりも1本、5万円分の商品券や。てんぷらカードやから、この商品券の行き先は拡張員の懐の中ちゅうわけや。 ワシら拡張員は、てんぷらカード自体は悪いことやとは思うても、それほど罪悪感はない。生きるためには、ある意味仕方のない行為やと思うとる。拡張員を続けとると誰でもやったことがあるはずや。もちろん、ワシもしたことはある。 拡張の仕事には波がある。そこそこ成績を上げとる者でも、坊主(契約がないこと)の時がある。調子が悪いとそれが続く。 拡張員はほとんどが日銭で暮らしとるから、坊主が続くとめしが食えんようになる。てんぷらカードはその時のためのワシらにとっては危機回避手段なんや。 ついでに言うと、その日に上げたカード料は販売所が団に支払う。会社が会社に支払うと思えばええ。 ワシらは、次の日、貰う分のカード料の半額くらいを団から前借りという形で貰う。1000円、2000円のためにてんぷらカードを上げるちゅうのが実状なんや。 せやから、普通、契約が上がった時は、てんぷらカードは出さん。この時みたいに商品券目当てで、てんぷらカードを上げる奴は外道や。 しかし、この時はこういう輩が多かったな。 客の中にも、えぐいのが出て来とった。他府県へ引っ越しするのが分かっとって数社と契約する奴。急に親戚を増やして同じ家で名前を変えて契約する奴。空き家をさも自分の家のように装って偽名で契約する奴。皆、目当ては5万円の商品券や。 まさに魑魅魍魎が跋扈する百鬼夜行の世界や。こんな異常な状況が長続きするはずがあらへん。 案の定、潰れる販売所が出た。M新聞の販売所やった。やはり、というかここが一番経済力がなかった。バックのM新聞社にも冷たく切られたということや。 表向きは、販売所同士の販売拡張合戦やったけど、それぞれの新聞社が尻を叩いてんのは明白や。 少なくとも、この状況を新聞社が知らんというのは考え辛い。せやけど、新聞社は知らん顔をする。 現在、このM新聞の販売所での読者は、当時の半分以下に減っているとひとづてに聞いた。このことがあって、この地域では協定のようなものが結ばれたらしいが、なかなか修復は難しいようや。 こんなことは氷山のほんの一角やと思う。このままやと、日本の新聞も間違いなくデイリー・ヘラルド社の二の舞や。 イギリスの場合は、こんな不毛な拡材競争による読者獲得よりは、紙面そのもので勝負しようといち早く方針を転換したエキスプレス社のような良識ある新聞社がいたから、事なきを得ている。 横並び、右へ倣え、模倣社会の今の日本ではそれを望んでも無理や。おそらく行き着くところまで行かな分からんと思う。 日本の新聞のトップと目されるY新聞社の元社長W氏が社員に対する訓辞で「1000万部を1部たりとも割ることは許されない」と部数至上主義を公言して憚らなかったことでも、推して知るべしや。 1998年、5月。景品の3.8ルールというのが業界で取り決めされた。拡材競争に歯止めをかけようというものや。景品の上限を、3ヶ月の購読料金の8%以下にするという。この通り実行されれば、大改革となったかも知れん。拡張員も死滅したやろう。 結果は、完全に絵に描いた餅で終わった。まあ、それも当然で、ルールが優先されるんやったら、1998年5月以前は原則的に景品勧誘は禁止やったんやで。 餌で釣った魚は餌を欲しがるし、猿も朝三暮四でごまかして現状維持が精一杯や。サーカスの猛獣かて、餌なしで言うことなんか聞かへん。下手したら食われるで、ほんま。 Y新聞社のW元社長が、この業界ルールの制定後、こんなコメントを残した。「知恵を出して、創意工夫を凝らし固定読者を増やして行かなければならない」と。懸賞制度が認められて、そのことの効果について語ったとのことやが、ワシはそうは受け取らん。 「知恵を出して、創意工夫を凝らし読者を増やす」というのは、ワシら拡張員が今までやってきた手法やないか。その結果が今と違うんかい。残念やけど、これで未来は絶たれたわな。
[32初期非表示理由]:担当:要点がまとまっていない長文
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