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安倍「加憲」で全世界が知ることとなる日本の「身勝手な論理」 英訳したらバレてしまう…
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51870
2017.05.30 伊勢崎 賢治 東京外国語大学教授 紛争屋 現代ビジネス
もしも「加憲」が実現したら?
安倍加憲。
安倍政権の「9条をそのままに自衛隊を明記」は、最終的にその追加の条文がどういうものになるかわかりません。
でも「自衛隊」そのものの単語が条文に現れることになったら、かなり見た目がマズいことになると思います。英訳のお話です。
9条は日本人が思うほどに世界に知られているわけではありません。国家戦略として9条を公報してきたわけではありませんので当たり前といえば当たり前ですが。
しかし、戦後初めて憲法が変わるとなったら、それなりのニュースバリューをもって世界に報道されると思います。日本政府は当然、改正された憲法条文の公式な英訳をつくらなければならなくなるでしょう。
現状の9条2項で保持を禁ずる「戦力」の日本政府の公式英訳は、GHQ以来ずっとforces です。そして、自衛隊の"隊"も forces です。現在の9条をそのまま残すとしたら、2項で陸、海、空の forces を持たないと言っているのに、追加項で自衛隊 self-defense forces を持つと言うことになります。
現在、国連憲章では、PKOのような国連安保理が承認する集団安全保障は例外として、2つの自衛権 self-defense(個別的自衛権 individual self-defense と集団的自衛権 collective self-defense)以外の名目の武力行使は厳しく違法化されていますから、自衛 self-defense 以外の「戦力」forcesの行使は許されません。
よって、「戦力」(=国連憲章でself-defense のためだけしか存在を許されていない)の forces と、自衛隊の self-defense forces は、見た目はおろか、国際法の世界では全く同じものなのです。
ですから、安倍加憲は、改悪なんて「まとも」なものではなく、とうの昔から自衛隊を「戦力」と見なす国際法と、「隊」に言い換えそうじゃないモンと自分だけに言いきかせてきた"軍事大国"日本のジレンマを、そんなことに注意をはらうほどヒマじゃない国際社会に、日本自身が大々的に宣伝しまくること。ただこれだけ。
日本語の世界だけで言葉を弄ぶ遊びでは、もう済まなくなります。
日本国内でしか通用しない解釈
「自衛隊は『戦力』未満、個別的自衛権に基づく武力行使は『交戦権』未満」と解釈し憲法9条を維持してきた日本。
ちなみに、「戦力」の行使から非人道性を排除するために人類が歴史的に積み上げてきたWar(戦争)の慣習法、つまり「戦闘」で「やっちゃいけないこと(多数の民間人を殺傷したり、捕虜を虐待したり、病院や原発を攻撃したり)」や「使っちゃいけない武器(現在でも対人地雷やクラスター爆弾の禁止などたゆまない努力が続いています)」をルールとして交戦資格者に課す戦時国際法、別名国際人道法は、自衛隊を交戦資格のある「戦力」として見なします。
同時に、自衛隊はこれまでずっと同法の交戦資格のある「戦力」としての識別義務(敵からそう分かるように)を忠実に履行してきました(PKOの自衛隊を見てください。作業着で赴いていません)。
PKOでも、そしてイラク、サマワへの陸自派遣のような非PKOでも、日米地位協定の米軍が公務上の過失に関して日本の司法から訴追免除されるように、「戦力」を行使する駐留"軍"と「一体化」して、現地政府との兵力地位協定により、同様の裁判権上の特権を享受してきました。
さらに、日本人が合憲と考える個別的自衛権は、上記のように、それと集団的自衛権、集団安全保障の3つの言い訳しか許さない国連憲章、つまり現代の「開戦法規」が国家に武力の行使(use of forces)を許す言い訳の1つであり、それが一旦行使されれば自動的に「交戦」、つまり上記の国際人道法、別の言い方をすると「交戦法規」のルールで統制される「戦力」の行使になります。
個別的自衛権は、一旦行使されれば、たとえそれが最初の「ジャブ」であっても、「戦力」の行使として「交戦法規」つまり戦時国際法/国際人道法によって統制されます。
武力の行使の言い訳を統制する「開戦法規」から、武力の行使の開始後の戦闘の流儀を統制する「交戦法規」へ移る際の、その間隙にグレーエリアはありません。
それが、必要最小限で警察比例原則に則った反撃だと言い張っても、です。
つまり、上記の「未満」は、国際法の世界ではありえない空間なのですが、日本は勝手にそれがあると、国際社会の注意を引くこともなく、「『交戦』でない『個別的自衛権』の行使」を発明し、「戦力」でない自衛隊を通常戦力で世界第4位の「戦力」にしたのです。
日本の法体系の重大な欠陥
国際社会の注意を引くこともなく、勝手にやってきた重大な問題がもう一つあります。
上記の「交戦法規」、つまり国際人道法の違反をすると、これがいわゆる「戦争犯罪」となります。
考えてもみてください。
日本の上空を飛ぶ米軍オスプレイが墜落し多数の日本人が死傷したとしましょう。
これは日米地位協定上の公務内の事故と判断されるだろうから、その裁判権は日本にはありません。裁判権はアメリカにあり、米軍法で審理されます。
でも、もしここでアメリカ側が「あ、ゴメン。軍法無かった」と頭を掻いたら…。
法の空白。
これが、日本が現地政府と締結した兵力地位協定(南スーダン等での国連PKO地位協定、現行の日ジブチ地位協定)で、外地の民に強いている状況なのです。
それも、日本のような「平時」での地位協定ではなく、「戦時」「準戦時」の地位協定の支配する世界です。平時でも、軍事的な過失は引き起こされるのですから、戦時においては推して知るべしです。
(PKOで国連は、1999年以降正式に、PKO活動中に発生し、現地国からの訴追を免除されるPKO部隊の過失は、各PKO派遣国の国内法廷で裁くことを義務付けています。:参照→「日本はずっと昔に自衛隊PKO派遣の「資格」を失っていた! 」http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51058 )
日本には、国際人道法違反(=戦争犯罪)を審理する法体系はありません。(上掲リンク参照:日本は遅ればせながらジュネーブ諸条約追加議定書に加盟した2004年に、国内法として「国際人道法の重大な違反行為の処罰に関する法律」をつくったが、肝心の殺傷行為に関するものが一切ない)
世論も、「防衛予算は人殺し予算」と言ってみたり、「自衛隊(軍隊)は人殺し集団」と言ってみたり、軍事と刑事の違いが分かっていません。
「戦力」としての識別義務を負った者どうしが、国際人道法に則って「交戦」することは、「人殺し」に違いありませんが、それに直接手を下す個人の責を問う刑事とは全く違う世界です。軍事の主体は国家であり、責を負うべきは、個人に命令を下す国家の指揮命令系統です。
だから、国際人道法では、捕虜の保護を謳うのです。捕虜が"殺人"を犯しても、それは個人の意思ではなく、捕虜が所属する国家の命令行動だからです。
一般刑法では、例えば10人を殺傷したら、ほとんど確実に死刑が宣告されるでしょう。
でも、軍事行動で民間人をそれだけ殺傷しても、それが指揮命令系統を逸脱することなく結果したものであれば、その個人の刑事性が勘案され、無罪になる可能性がある。これが一般刑法と軍刑法の違いです。
そして、そういう「戦争犯罪」の責は、国家が、国際人道法を基調とする国際社会に対して負うのです。
これは、首相は「私が全責任を取る」と嘯(うそぶ)くことではありません。それを審理し、結審する法理があるかどうかの問題です。
日本には、この法理がないのです。自衛隊は「戦力」ではないし、「戦闘」することはないし、だから「戦争犯罪」を犯すという前提そのものがないからです。
自衛隊は「戦力」じゃない、つまり「自衛隊は合憲」というのは、日本国内での議論はどうあれ、外から見れば、自らが犯す国際人道法違反(=戦争犯罪)を審理する法体系を持たない戦力(それも世界有数の)の保持を合法化、つまり「非人道性」を合法化する無法国家としか見えません。
護憲派リベラルの皆様へ
護憲派リベラルの方々に申し上げます。
安倍加憲で日本特有の歴史的問題が露わになりますが、問題の本質自体は安倍政権のせいではありません。
民主党政権が派遣決定した南スーダンから自衛隊は撤退しますが、次の候補地を探しは始まり、依然、自衛隊のPKO派遣は継続します。ジブチにある自衛隊基地は半永久的な軍事基地になりつつあります(駆け込みで法制化したのは自民党政権ですが、実行化したのは民主党政権です)。
これは、海外派遣しなければいいという話ではありません。「戦闘」をする限り、「戦争犯罪」は、日本の領空領海領土内でも起こります。
安倍加憲とは、「9条もスキ、自衛隊もスキ」のポピュリズムを単純に解釈改憲から明文改憲するだけでそのポピュリズムに応える幼稚な「お試し改憲」にすぎませんが、この憲法の"完全破壊"の危機に、護憲派は深く自省を込めて覚悟すべきです。
9条を解釈改憲することにここまで慣れ親しんだ世論とメディアに十分な批判能力はない。そして、護憲派自身も「安倍の悪魔化」にしか反対の発露を見出せない、ということを。
安倍加憲のポピュリズムに対抗するには、まず、護憲派自身が9条ポピュリズムから脱することが必要です。
「自衛隊」を9条に併記するか否かとか、「隊」を「軍」にするか否かでもありません。そんな「言葉遊び」の土俵に、もう乗ってはいけません。
「戦力」の過失を審理し統制する法体系を持たないことは、国際人道法の観点から「非人道的」なのです。繰り返しますが、国際人道法の違反が、いわゆる「戦争犯罪」であるからです。
そういう法体系は、「戦力」を自覚しない限り、生まれません。
ですから、「戦力」であることを自覚しない「戦力」は、「非人道的」なのです。
近い将来に「戦力」を解消するから、という理由は通りません。自覚のない「戦力」を外地に出し、兵力地位協定で過失の訴追免除を享受している今、この瞬間の問題なのです。
というか、自衛隊は、もはや政治的に武装解除できません。自衛隊に限らず軍事そのものの人類の放棄を夢想するのは結構ですが、9条による「非人道性」は、現在の政治リアリティーです。
護憲派の方々、ここは、もう、あきらめてください。
9条2項の改良を、同項そのものをどうするかというより、「非人道性」をどう排除するか、この一点から考えましょう。
それは、もはや政治的に武装解除できない自衛隊という軍事組織が、国家の命で行使する自衛権もしくPKOなどの集団安全保障のための「戦闘」において、国家の義務として当然想定すべき誤射/誤爆に伴う国際人道法違反(=戦争犯罪)を審理する国内法体系を持つか否か、です。
これは、9条2項というより、特別裁判所の設置を禁じる76条の問題です。
もしかしたら、76条改訂がなくても、軍刑法はあるが軍事裁判所のないドイツの例のように、他の関連国内法の改訂だけで済む道が見いだせるかもしれません。
いずれにしろ、「戦力」が犯す国際人道法違反、そして、それを生む国際人道法の「戦闘」は「交戦」ですので、9条2項との矛盾は解消されません。
9条2項を残す「お試し改憲」としては、安倍加憲よりは数段、知性的。ただ、それだけの意味しかありません。
大切なのは、9条ができた時からは劇的に変化している「戦争」に対応すべく、9条の非戦の「精神」に則って、どう条文を改良するか。護憲派の手で9条2項を進化させる勇気を持つか否かです。
「実体としての『戦力』を国際人道法に則った国内の法理で厳格に統制する」。これが基本です。
それを憲法全体の条文に反映させるには、「9条2項を完全削除。軍事裁判所設置のために76条改定」も考えられるかもしれません。
個別的自衛権の行使は上記の「開戦法規」「交戦法規」の立派なwarであることを認識した上で、日本の個別的自衛権に国際法より更に厳格な縛りをかけるべく、76条改定に加え、新しい9条2項として、「日本の領海領空領土内に限定した迎撃力(interception forces)をもつ」+「その行使は国際人道法に則った特別法で厳格に統制される」とすることも考えられます。
保守改憲派の皆様へ
以上、護憲派に対するアピールになってしまいましたが、保守改憲派にも一言。
日本の領海領空領土を脅かす敵が現れたとして、その際、必然的に起こる「戦闘」での誤射、誤爆。例えば、その戦線が、隣国と係争中の領海で、その敵の真横に、敵に属する民間船や民間施設があって、自衛隊の一撃が当たってしまったら?
こういう国際人道法違反を審理できない、つまり、「撃った後」に責任を持てない国家は、法治国家であるなれば、単純に、撃 て な い のです。
どんな高価な武器で武装しても、撃 て な い ハ リ ボ テ なのです。
北朝鮮への敵地攻撃なんて、勇ましいこと、軽々しく言うべきではありません。その際に発生する全ての誤爆の責は、現在の日本の法体系では、個々の自衛隊員が負うしかないのです。
(*参照→「南スーダン自衛隊撤退ではっきりした日本の安保の「超重大な欠陥」 」http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51311 )
安倍加憲は、撃てない国家が、撃てない国家のまま、自衛隊を明文化することによって、個々の自衛隊員にもっと撃て、と言うことです。
こんなことが許されていいわけがありません。
今こそ、右/左、保守/リベラル、改憲派/護憲派、双方の「知性」が一致団結して、安倍加憲の「幼稚」に立ち向かう時です。
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