マルクスはやはり正しかった _ もうすぐ共産革命の嵐が吹き荒れる時代がやって来る グローバリズムというのは19世紀の帝国主義と同じもの。
帝国主義の次に共産革命が起きて共産国家ができるというのが経済学の定説: 帝国主義とは、資本主義の独占段階であり、ブロック経済から国際金融資本による他国の支配までを指す時代区分でもあり、列強諸国が植民地経営や権益争いを行い世界の再分割を行なう事を指す。 高度に資本主義が発展することで成立する国際金融資本が、市場の確保や余剰資本の投下先として新領土の確保を要求するようになり、国家が彼らの提言を受けて行動するとされる。いくつもの国家が帝国主義に従って経済的植民地を拡大するなら、世界は有限であるから、いつかは他の帝国主義国家から経済的植民地を奪取せねばならず、共産革命はその当然の帰結である とりあえず農地法と最低賃金法を廃止 農業で食べていけなくなった日本の農家の土地をすべて住友化学が捨て値で取得、モンサントの作物を時給100円の中国人を使って大規模経営する。 土地を買えるのはゴールドマンサックス・モンサントと組んだ住友化学だけだからね。 そして土地を売った農民や大企業を解雇された労働者が東京に集まってスラムを作り、そこから共産革命が始まる。 すべてマルクスの予言通りさ。 TPPに至る道は歴史の必然だから、ねじを逆戻しするのは不可能なのさ。 TPPを批判するのは神州の泉の様な保守反動側の人間だけなんだよね。 日本は共産革命と共産国家への道をひた走っていてもう止められない。 これから日本にもレーニンが現れるのさ、わくわくするね:
1891年、レーニンが21歳を迎えたその年、沿ヴォルガ地方は大規模な飢饉に見舞われた。このとき、地元のインテリ層の間で、飢餓に苦しむ人々に対して社会的援助を行おうとする動きがわきあがったが、その中でただ一人、反対する若者がいた。ウラジーミル・ウリヤーノフである。以下、『秘密解除されたレーニン』から引用する。
「『レーニンの青年時代』と題する、A・ペリャコフの著書を見てみよう(中略)それによれば、彼(レーニン)はこう発言していたのだ。
『あえて公言しよう。飢餓によって産業プロレタリアートが、このブルジョワ体制の墓掘人が、生まれるのであって、これは進歩的な現象である。
なぜならそれは工業の発展を促進し、資本主義を通じて我々を最終目的、社会主義に導くからである―― 飢えは農民経済を破壊し、同時にツァーのみならず神への信仰をも打ち砕くであろう。そして時を経るにしたがってもちろん、農民達を革命への道へと押しやるのだ――』」 ここの農民の苦しみなど一顧だにせず、革命という目的のためにそれを利用しようとするレーニンの姿勢は、すでに21歳のときには確固たるものとなっていたのだ。
また、レーニンは『一歩前進、二歩後退』の中で自ら「ジャコバン派」と開き直り、党内の反対派を「日和見主義的なジロンド派」とののしっているが、実際に血のギロチンのジャコバン主義的暴力を、17年の革命に先んじて、1905年の蜂起の時点で実行に移している。再び『秘密解除されたレーニン』から一節を引こう。 「このボリシェヴィキの指導者が、(亡命先の)ジュネーブから、1905年のモスクワでの『12月蜂起』前夜に、何という凶暴な言葉で、ならず者とまったく変わらぬ行動を呼びかけていたことか!(中略)
『全員が手に入れられる何かを持つこと(鉄砲、ピストル、爆弾、ナイフ、メリケンサック、鉄棒、放火用のガソリンを染み込ませたボロ布、縄もしくは縄梯子、バリケードを築くためのシャベル、爆弾、有刺鉄線、対騎兵隊用の釘、等々)』(中略)
『仕事は山とある。しかもその仕事は誰にでもできる。路上の戦闘にまったく不向きな者、女、子供、老人などのごく弱い人間にも可能な、大いに役立つ仕事である』(中略)
『ある者達はスパイの殺害、警察署の爆破にとりかかり、またある者は銀行を襲撃し、蜂起のための資金を没収する』(中略)建物の上部から『軍隊に石を投げつけ、熱湯をかけ』、『警官に酸を浴びせる』のもよかろう」
「目を閉じて、そのありさまを想像してみよう。有刺鉄線や釘を使って何頭かの馬をやっつけたあと、子供達はもっと熟練のいる仕事にとりかかる。用意した容器を使って、硫酸やら塩酸を警官に浴びせかけ、火傷を負わせたり盲人にしたりしはじめるのだ。
(中略)そのときレーニンはこの子供達を真のデモクラットと呼び、見せかけだけのデモクラット、『口先だけのリベラル派』と区別するのだ」 彼の価値観はきわめて「ユニーク」で、「警官に硫酸をかけなさい」という教えだったのだ。 http://archive.fo/OffX7
朝鮮半島の危機 2017-05-05
フランス大統領選挙(決選投票)が二日後に迫ってきていますが、実はその後、つまりは5月9日、フランス大統領選挙以上に我が国に影響を与える「選挙」が行われます。
すなわち、韓国大統領選挙です。
韓国大統領選挙は、一時は安哲秀が文在寅に迫ったのですが、急速に失速。冗談でも何でもなく、このタイミングで「親北朝鮮」というか、北朝鮮のスパイにしか思えない候補が、韓国大統領の座に王手をかけています。
『韓国大統領選 最大野党の文候補大幅リード http://www.news24.jp/articles/2017/05/03/10360527.html 韓国の朴槿恵前大統領が罷免されたことに伴う大統領選挙を今月9日に控え、3日に発表された投票前最後の世論調査で、最大野党の文在寅候補が支持率42.2%と大きくリード。安哲秀候補は18.6%と失速、北朝鮮により厳しい姿勢の候補に支持が流れたか。(後略)』 安哲秀の失速は、皮肉な話ですが、北朝鮮危機が深刻化するに連れ、彼よりも対北政策が厳しい洪準杓に、保守派の支持が流れてしまっているためです。 安哲秀と洪準杓の支持率を合わせると、文在寅に迫ります。保守派が候補を統一することができたならば、勝負になるかも知れませんが、既に手遅れです。
文在寅が韓国大統領の座を射止める可能性は、現時点では極めて濃厚になっています。
文在寅は、朝鮮戦争の際に北から逃げてきた両親の下で、韓国に生まれました。
チェ・スンシル事件の関連で、朴槿恵大統領の弾劾手続きが進んでいたとき、文在寅は、 「(憲法裁判所が弾劾訴追案を棄却すれば)革命しかない」 と、発言しました。
それ以外にも、 「似非保守を火で焼き払え」 「国の大掃除が必要だ」 「(大統領に当選した場合)米国よりも北朝鮮に先に行く」 などなど、文在寅は親北発言、あるいは「革命」的な発言を連発しています。
さらに、文在寅は「戦時作戦統制権」について、韓国が持つこととする。THAAD(終末高高度防衛ミサイル)の配備は、先送りする。
と、明らかに北朝鮮を利する公約を堂々と掲げているのです。それで、現時点で支持率トップ・・・。
文在寅の支持層を見ると、20代、30代、40代が50%超と高く、50代以降はガクッと減ります。つまり、文在寅を支持している中心層は、韓国の若い世代なのです。
「恋愛」「結婚」「出産」「マイホーム」「人間関係」「夢」「就職」の7つを諦めざるを得ない、韓国の若い世代。いわゆる「七放世代」という言葉で総称される韓国の若者たちが、文在寅を支持しているわけです。
そして、なぜ韓国の若年層失業率が高く、七放世代といった言葉が生まれるほどに困窮してしまったのかといえば、もちろん「グローバリズム」の影響です。韓国は、97年のアジア通貨危機の際にIMF管理に陥り、グローバリズムの優等生として生まれ変わりました。
結果的に、日本以上にグローバル化が進み、国内が少数の勝ち組(財閥オーナー、オーナー家族、役員など)と大多数の負け組に分断されていきました。
グローバリズムが国内の格差を拡大し、「革命家」と呼んでも過言ではないような人物が、政権の頂点に立とうとしている。
カール・マルクスは、自由競争が「古い経済生活と古い半家父長制的諸関係」の破砕を促進すると指摘し、 「ただこの意味でのみ、諸君、私は自由貿易に賛成するものなのである。」 と、語ったと、レーニンが書き残しています。
要するに、自由貿易が保守的な社会を壊し、革命の下地ができるという話なのでしょうが、そのままの光景を、我々は玄界灘の向こう側に見ているのです。
北朝鮮危機に加え、日本は韓国で文在寅大統領が誕生し、廬武鉉を超える親北政策を推進するという、「朝鮮半島の危機」に備える必要があると考えるべきです。 http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12271785222.html
グローバリズムと革命、国民統合の崩壊 2017-05-06
フランス大統領選挙(決選投票)を明日に控え、エマニュエル・トッド教授が日経新聞のインタビューに答えていました。
『仏社会「徐々に分裂」 大統領選控えトッド氏に聞く
http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM01H2S_S7A500C1FF1000/ フランス大統領選挙は7日、中道のマクロン候補と極右のルペン候補による決選投票を迎える。第1回投票で二大政党が敗退し、反欧州連合(EU)勢力が支持を伸ばした。仏社会に何が起きているのか。歴史人口学者のエマニュエル・トッド氏にパリで聞いた。』 「グローバル化疲れ」という、現代の世界の政治を動かす現象を、見事に表現したトッド教授ですが、インタビューを読むと、何というか本人も「疲れている」感がありありと出ています。
トッド教授によると、
「高齢者や中流、上流階層がマクロン、フィヨン両氏を支持し、若者や労働者階層がルペン氏や急進左派のメランション氏に多く票を投じた。」 とのことです。 これは、意外です。イギリスのブレグジットの際は、逆でした。つまりは、「相対的に」高齢者がEU離脱を望み、若者が残留を欲したのがブレグジットなのですが、フランスは逆なのです。
若者が、ルペン党首やメランション氏、つまりは「EU離脱」を中心に、反グローバリズムを訴える候補を支持したのが、フランス大統領選挙第一回投票だったのです。
昨日、韓国において、グローバリズムの犠牲(というか、敗者)となっている傾向が強い、20代から40代が、「革命」を訴えているも同然の文在寅を支持していることをご紹介しました。
フランスは、韓国同様に、グローバリズムの呪縛に(相対的に)捉えられています。何しろ、EUとは、モノ、ヒト、カネの国境を越えた移動を自由化するという「グローバリズム」を固定化する国際協定です。
フランスもまた、韓国と同じく「グローバル化」が進んだ国の一つです。
しかも、フランスの場合は、トッド教授もインタビューの最後に語っていますが、 「EUのルールとユーロの下で、仏大統領には何の力もない。ドイツの求める緊縮財政をとるしかない。寂しいことだ」 という状況になっているのです。
すなわち、グローバリズムの呪縛により「主権」を(事実上)失った状況にあるのが、現在のフランスという話です。
グローバリズムにより、特に割を食っているのが「若い世代」です。フランスの若年層失業率は、何と25%!
とはいえ、EUに入っている限り、フランスは積極的な若年層向け雇用対策を打つことはできません。結果的に、フランスの若い世代が「EU離脱」を主張する候補者に流れた、という話です。
興味深いことに、トッド教授は、「EUのルールとユーロの下で、仏大統領には何の力もない」ことを理解し、かつ、国民戦線の政策について、 「国民戦線の移民政策は容認できないが、ユーロ離脱と若干の保護主義を掲げる経済政策は私の観点ではまともだ。」 と、ある程度の評価を与えておきながら、決選投票を棄権するとのことです。
「相対的」な投票をする場合、トッド教授はルペン党首に投票せざるを得ません。とはいえ、国民戦線に票を入れる(もしくは「票を入れると表明する」)ことはできない。
フランスの「苦難」が、ありありと分かります。
いずれにせよ、昨日もご紹介した、自由競争が「古い経済生活と古い半家父長制的諸関係」の破砕を促進するが故に、
「ただこの意味でのみ、諸君、私は自由貿易に賛成するものなのである。」 と、自由貿易に賛意を示したマルクスの慧眼通り、グローバリズムの進展は社会を壊し、革命の下地を醸成しつつ、国民統合を崩壊させていくことが、フランスや韓国の現実から分かります。 トッド教授は、 「フランス社会は少しずつ分裂し始めている。人々がイデオロギーや宗教でなく、高齢者や労働者といった階層単位で振る舞う。新大統領の下でも社会は緊張を抱え続けイスラム勢力のテロのような政治的な暴力のリスクは高まる。力を増す高齢者に若者が対抗するため、暴力でよりよい扱いを実現しようと考えるなら、おぞましい事態だ」 と、国民統合の崩壊と「暴力革命」に関し、懸念を表明していますが、EUに残り続ける限り、トッド教授の恐れは次第に高まっていくことになると確信します。
現在のフランスや韓国の状況からは、グローバリズムが最終的に「何をもたらすのか?」が、明瞭に見えてくるのです。 http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12272103610.html
怒りを消すことが危険な理由と、暴力の時代が到来する理由 国と国の対立。民族と民族の対立。人種と人種の対立。個人と個人の対立……。 人間社会には争いと対立と衝突と不寛容と暴力と破壊に満ちているのは、まわりを少し見回しても、歴史を少し辿っても、テレビを見ても、映画を観てもすぐに気付くはずだ。 宗教が平和を呼びかけるのは、逆説的に言うと世の中は平和ではないからでもある。社会に法律があるのも、対立と衝突があるからである。 そして、国連のような組織が存在するのも、国と国の暴力が止まらないからである。人間社会から対立と暴力が消えないというのは、誰も否定できないことでもある。 では、この対立と暴力を生み出す根源的なものは何か。 それは「怒り」である。人間には様々な感情があるのだが、その感情の中には「怒り」という原始的かつ本能的なものがあり、人はそれを消すことができない。 対立や衝突や暴力は誰にとっても悲しい事態だ。だから、誰もが「怒りという感情はない方がいい」と単純に思う。 しかし、人間を含め、すべての動物に「怒り」という感情が組み込まれているということは、それ自体が重要なものであると気付かなければならない。 「怒り」とは、自分の存在が消されないための戦い
人間の心の中からは「怒り」が消せないが、人間だけでなくライオンでも虎でも熊でも象でも、すべての動物は怒りという感情を持っている。 鳥類も、爬虫類も、昆虫も、私たちが知っている生物の多くは「怒り」という感情を持っている。 「怒り」が多くの生物を網羅した普遍的な感情であるということは、それが生物にとっては欠かすことができないものであることを示唆している。 「怒りはない方がいい」と私たちは考えるのだが、生物学的に見ると逆に怒りという感情はなくなっては困るから残っていると言っても過言ではない。 いったい、何のために「怒り」という厄介な感情が残されているのか。そもそも、怒りという感情はどんな時に感じるものなのか。それは以下のものであると言える。 (1)自分が不意に攻撃された時 (2)自分の縄張りを侵された時 (3)自分の利益を奪われた時 (4)自分の所有物を取られた時 (5)自分の行動を邪魔された時 (6)自分を存在を否定された時 (7)劣等感や欠乏感を感じた時 (8)自分が騙された時 (9)物事がうまくいかなかった時 (10)軽蔑された時 こうやって生物の中に「怒り」が湧き上がる状況を俯瞰して見ると、あることに気付く。「怒り」を感じる時というのは、自分の存在が消されそうになった時なのである。 「自分の存在が消されそうになる」というのは、自分が殺されるとか、追い払われるとか、心身にダメージを受けるという広範囲の状況をすべて含んでいる。 そうなった時、生物は激しく「怒り」を感じ、その状況に立ち向かっていくことになる。「怒り」とは、自分の存在が消されないための戦いの感情だった。 「怒り」という感情が多くの生物を網羅した普遍的な感情であるということは、それが生物にとっては欠かすことができない感情であることを示唆している。 なぜ配偶者を奪われると「怒り」が湧き上がるのか?
「怒り」は往々にして破壊衝動を伴う。なぜなら、自分を消し去ろうという存在と立ち向かい、戦い、勝ち抜かなければならないからである。 たとえば自分が不意に攻撃された時に怒りを感じないでいると、どうなるのか。為す術もなく殺されてしまう。そして自分の存在が消されてしまう。 「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」などと言っていたら、殺されてしまうことになる。不意に攻撃されたら生存本能の赴くがまま、怒りを持って立ち向かわなければ生き残れないのである。 自分の縄張りが侵されたら、怒りと共に立ち向かわなければ自分が明日から生命の危機に陥ってしまう。 たとえば、自分の家に他人が勝手に上がり込んで追い出されると、明日から自分が路頭に迷って通常の生活が送れなくなってしまうのは明白だ。 縄張りを侵されるというのはそういうことだ。自分の縄張りを守るというのは生き残りのための重要な生存本能なのである。だから、すべての生物は縄張りを侵されることを激しく嫌い、「怒り」を感じ、相手を破壊しようと戦う。 利益を奪われるのも所有物を奪われるのも、みんなそうだ。自分の生存のために必要なものを奪われるというのは、自分の生存が脅かされるということなので、「怒り」という感情で激しく戦えるようになっている。 自分の配偶者を奪われた人も、凄まじい「怒り」を感じて相手を殴ったり殺したりすることもある。そうした事件は世界中で毎日のように起きている。 なぜ配偶者を奪われると「怒り」が湧き上がるのか。 それは自分の遺伝子を残すための生物的な手段を横取りされて、自分の遺伝子を残せない危機に陥るからである。それもまた遺伝子単位で見ると生命の危機でもある。 つまり「怒り」とは、広い範囲で自分の生存が脅かされることで生まれる感情だったのだ。 「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」などと言っていたら、殺されてしまうことになる。不意に攻撃されたら生存本能の赴くがまま、怒りを持って立ち向かわなければ生き残れないのである。 暴力の時代は、いつか必ずやってくる
そう考えると「怒り」を自分の感情から消すというのは、実は危険な行為である。 途方もなく長い時間をかけて生き残ってきた生命は、生き残るための重要な行動を「本能」として生命体に組み込んでおり、そこには不必要なものは一つもない。 「怒り」という感情が自分の理性とは別のところで湧きあがってくるのも、生命として「怒り」という感情が必要だったからである。 「怒りを消す」というのは、下手すると自分の存在を自分で消すことにつながりかねないものだったのだ。個体レベルで見ると「怒り」という感情が残っているのは正常であることに他ならない。 自分の存続が脅かされる状況にある時、「怒り」がないと生き残れない。 しかし、個体の生存本能として見れば正しいはずの「怒り」も、社会全体で見るとそれ自体が対立を生み出すというのも事実である。 その対立が、たとえば個人と個人の対立、人種と人種の対立、民族と民族の対立、国と国の対立と大規模になっていけばいくほど暴力のスケールも巨大なものになっていく。 人間社会の歴史のすべての時期で、暴力と戦争と殺戮が絶えないのは、人間の本能に「怒り」が組み込まれているからであり、それはどうしても避けようがないというのが歴史の教訓である。 つまり、人間社会は必ず大量殺戮を生み出す。 今日が平和だから明日も平和であるとは限らない。「怒り」は自分の存続が脅かされると突如として発生し、それは突発的な破壊衝動を生み出すからだ。 暴力の時代は、どんなに平和を求める民族の国であっても、いつか必ずやって来る。 それが歴史の教えるところだ。 今日が平和だから明日も平和であるとは限らない。「怒り」は自分の存続が脅かされると突如として発生し、それは突発的な破壊衝動を生み出すからだ。 https://www.bllackz.net/blackasia/content/20170503T0310520900.html
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