http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/467.html
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Special Report
「消費は本当に弱いのか?」経済統計を考える
消費行動を精緻に測る 経済指標の在り方とは
2017年4月21日(金)
飯村 かおり
消費の勢いがなかなか上向かない。その一方、経済統計の課題も指摘されている。高市早苗・総務大臣の下で2016年、「速報性のある包括的な消費関連指標の在り方に関する研究会」が発足。同研究会の国友直人座長ほか2人の専門家が、消費統計の現状と課題について議論した。
(写真=陶山 勉)
1 熊谷亮丸 くまがい・みつまる
1966年生まれ。東京大学大学院修士課程修了。ハーバード大学経営大学院AMP(上級マネジメントプログラム)修了。2015年より大和総研執行役員 調査本部副本部長 チーフエコノミスト。
2 国友直人 くにとも・なおと
1950年生まれ。スタンフォード大学Ph.D(経済学)。東京大学教授を経て、2016年より明治大学政治経済学部特任教授。2013〜15年、日本統計学会会長を務める。
3 高市早苗 たかいち・さなえ
1961年生まれ。神戸大学経営学部卒。93年衆議院議員初当選(現在7期目)。内閣府特命担当大臣や自由民主党の政務調査会長などを歴任し、2014年9月より総務大臣。
4 渡辺 努 わたなべ・つとむ
1959年生まれ。ハーバード大学Ph.D(経済学)。日本銀行、一橋大学教授を経て、2011年より東京大学経済学研究科教授。日経CPINowなどを配信するナウキャストを創業。
高市 いつの時代でも、景気は話題の中心になりますが、景気を肌で感じられるのは、やはりGDP(国内総生産)の6割を占める個人消費を通じてではないかと思います。消費動向に関して皆さんがよく使っている指標は、GDPの家計最終消費支出なども含めて大体7つくらいでしょうか。それぞれに特徴があるのですが、不十分な面も感じています。
例えば総務省では家計調査を実施していますが、毎月発表しているのは「2人以上の世帯」の結果です。昨今では、いわゆる“おひとりさま”の消費行動が商品開発や販売戦略でも無視できない状況ですが、こうした単身世帯の動向が家計調査では捉えきれておらず、物足りない部分もあります。
家計調査(消費水準指数) 家計消費指数 消費総合指数 GDP速報(QE)(家計最終消費支出) GDP確報(家計最終消費支出) 消費活動指数 商業動態統計調査
所管省庁 総務省 総務省 内閣府 内閣府 内閣府 日本銀行 経済産業省
公表周期 1カ月に1度 1カ月に1度 1カ月に1度 四半期に1度 1年に1度 1カ月に1度 1カ月に1度
公表日 翌月末 翌々月中旬 翌々月中旬 翌々月中旬(1次速報) 翌年末 翌々月上旬 翌月末(速報)
ミクロ/マクロ ミクロ(世帯単位) ミクロ(世帯単位) マクロ(国全体) マクロ(国全体) マクロ(国全体) マクロ(国全体) マクロ(国全体)
データ元 需要側(調査世帯の家計簿を集計し作成) 需要側(家計調査を他調査で補完し作成) 需要側+供給側(各種統計を合算し作成) 需要側+供給側( 各種統計を合算し作成) 需要側+供給側(各種統計を合算し作成) 供給側(各種統計を合算し作成) 供給側(調査企業・事業所の売り上げを集計し作成)
景気判断には多くの指標が使われるが「物足りない」面も
●消費動向を見る際に使われる主な統計指標
家計調査だけで判断できない
国友 消費動向をどう捉えるか、というのは複数の視点が交錯するので難しい問題です。今大臣がおっしゃった通り、家計調査は、もともとは「世帯」の消費構造やその動向を見るためのミクロ統計であり、社会全体のマクロの消費動向を示すものではありません。世帯当たりの人員はここしばらく減少が続いています。4人の世帯が一般的であった時代と、今のように世帯の平均人員が3人を切る時代を比べれば、世帯の消費は減って当然です。
一方で、世帯数はまだ増え続けているわけですから、GDPなどのマクロ統計と比較して見る場合には、この点に注意しなければなりません。
渡辺 景況判断は、家計調査だけではなく、他の指標も用いながら、多角的に分析するのが理想なのでしょう。エコノミストをはじめとしたプロのユーザーの方々には、複合的な視点が求められていると思います。
熊谷 確かに、そこが腕の見せどころだと思います。ただ、我々エコノミストはタイミングよくリポートを出さないといけないので、やはり即時性を必要とします。その意味で、速報性のある家計調査の結果は注目していますし、様々な分析でも重要視されています。
一方で、家計調査の月々の振れ幅を嫌う意見も多くあります。確かに小売店舗などを調査対象とする、いわゆる供給側の統計と比べると、消費者側から調査する家計調査の振れ幅は大きいですよね。
国友 家計調査の場合、振れの原因としてサンプル調査の誤差が指摘されることが多いようですが、誤差は供給側統計にもありますし、そもそも月次統計には誤差以外の不規則な変動が存在します。百貨店の売り上げにも、お中元やお歳暮シーズンなどの季節性が含まれますが、政府統計でもこういったものを除去した「季節調整値」などを提供していて、多くの方々はこうした数値を見ていると思います。
しかし、基調的な動きを捉えるにはこれだけでは不十分なこともあり、工夫が求められます。
家計調査は日々の家計簿から
●家計調査の記入例と調査方法
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/278202/042000062/p3.jpg
家計調査では、統計理論に基づいて、全国からまんべんなく約9000の世帯を抽出し、各世帯の家計収支を調査する。調査世帯に家計簿を配布し、購入したものとその価格など、毎日漏れなく記入してもらう。これを集計することで、日本の消費動向を表す数値が出来上がる(出所:総務省「家計調査」)
消費の減少は構造的な問題
高市 総務大臣として、毎月、家計調査から見える家計消費の動向を閣議の場で報告しています。しかし、他の経済指標が改善しているのに対して、家計調査が示す世帯の平均消費は、底堅さはありますが、なかなか上向かない弱い状況が続いています。
熊谷 短期的には節約志向といった面が見受けられますが、中長期的には国友先生がおっしゃった平均世帯人員の減少に加えて、高齢化の影響も強く表れていると思います。今、団塊世代が70代に差し掛かろうとしています。現役を退いて年金を受給する年代になると、消費はやはり減っていきます。
さらに、東京オリンピック・パラリンピックの頃には世帯数の減少も予想されています。つまり日本経済は、個人消費がマクロとミクロともに縮小する潜在性を構造的に抱えている。この構造変化はデフレギャップや消費動向を考えるうえでも重要なファンダメンタルです。
渡辺 確かに、日本は人口減少社会を迎え、このままではマクロの消費も弱くなっていくでしょう。しかも、当面は不可逆的です。国内消費を維持拡大するためには、海外からの消費の呼び込みと国民の消費水準を一段高い次元に引き上げる必要があり、そのためにも消費行動を精緻に解析しなければなりません。
熊谷 政府の中でも経済統計を見直す動きが広がり、研究会が多く立ち上がりました。家計調査をはじめ、統計のつくり方に問題提起がなされています。こういう動きは我々も歓迎しています。
ただ、この動きは色々な見方をされていますね。2016年末にGDPが新たな国際基準への適合により、30兆円以上増えました。これ自体は基準の変更による当然の結果ですが、実際のGDPはもっと高いのではないかという声も聞かれますし、景気を良く見せようと恣意的に数字を操作しようとしているのではないか、という見方をする人もいます。多様な意見は歓迎されるべきですが、うがった見方をされるのは残念です。
高市 それは私も残念に感じています。私は、統計は社会を正確に映す鏡であってほしいと思っています。経済統計の改革についても、総務大臣になる前から強い問題意識を持っていました。
消費が弱まっているのであれば、それをきちんと知り、問題の背景を理解できるようにしたい。新たな指標開発も、我が国の置かれている状況を精緻に把握するためであって、政権にとって都合の良い指標をつくるなどということは絶対にあってはなりません。
国友 今大臣がおっしゃったことは戦後の統計の原点です。都合の良い数字をつくって統計の信頼性を破壊した時代を、戦後、深く反省してつくり上げたのが現在の統計制度です。
世帯の平均人数は減っている
●平均世帯人数と総世帯数の推移
出所:総務省「労働力調査」より作成。いずれも総世帯の値
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/278202/042000062/p4.jpg
統計によって結果が違う場合も
●消費支出の推移
出所: 内閣府「国民経済計算」、総務省「家計調査」より作成。いずれも季節調整済みの実質値
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/278202/042000062/p5.jpg
ただ、ここにきて人口減少という、長らく経験のない局面を迎えました。大きな構造変化が起きているわけですから、人口統計だけでなく、経済統計でもその点をしっかりと捉える必要があります。
熊谷 確かに、一つの歴史の転換点と言えます。政策立案やマーケティングでは、こうした構造変化を踏まえることが重要で、経済指標はマクロとミクロの両面から見ることが必要です。政府にはそういった指標の開発に真摯に取り組んでいただきたいと思います。
また、いかに景況を把握するかという点では、家計消費だけでなく、インバウンド消費や交際費などの企業消費を捉えるのも有効かもしれません。
高市 企業消費はGDPでは最終消費に含まれませんが、交際費などの最終需要的な消費もありますし、生産波及効果を生むので、産業連関表には一部が含まれています。よって、景況につながるというのは実感が湧きます。
また、景況の把握という観点で言えば、振れ幅を持つ月次の数値変動の中から基調となる動きを把握するのも有効だと思います。
政府統計は政策立案の羅針盤ですから、不規則な動きに惑わされずに経済動向の本質的な動きを見極めることが重要です。これは総務省でもしっかりと考えていきます。
ビッグデータの速報性は革新的
渡辺 先ほど、熊谷さんのお話にあった通り、マクロとミクロの両面から包括的に消費を捉えるような指標が求められています。
しかし、景況判断に求められる速報性に対して、正確性や包括性というのはトレードオフの関係にあります。そこをクリアする可能性を秘めているのが、ビッグデータだと思います。ビッグデータの魅力は、即時性に加え、非常に細かい粒度で分析が可能だという点が挙げられます。
私はこれまで、ビッグデータを使った物価指数の作成に取り組んできました。通常、私たちが買い物をすると、レジを介して「いつ」「どこで」「何が」「いくらで」買われたかという販売データ、すなわちPOSデータが蓄積されます。本来は販売店側が売り上げを集計・分析するために使っていたものですが、ここから価格決定や市場のメカニズムを読み解く統計をつくれないか、というのが最初の着想です。
POSデータは物価指数をつくるうえで非常に強力なデータソースです。日々自動的に生み出されるものですから、あとはこれを集計する枠組みさえつくればいい。
現在、私どもがPOSデータから作成している物価指数では、日次で細かく、さらに、例えば性別や年齢別で物価の動向を追うことまでできます。加えて、今日の物価指数は明後日には分かる、という速報性も兼ね備えています。
熊谷 物価というと、総務省の消費者物価指数が我々エコノミストにとっては重要な指標です。消費者物価指数は、調査員が小売店へ足を運んで調べた価格を基に積み上げたものです。それゆえに正確で信頼に足るものですが、私たちが知り得るのは、月次の物価水準です。それが、日次で、しかもすぐに得られるというのは革新的です。
渡辺 ビッグデータには、全体の合計や平均からは見えてこない国民生活の多様性や社会経済のメカニズムを映し出す可能性があります。
例えば、物価を日次で集計すると、特売と物価の関係が可視化されます。特売はあくまで一時的な価格の下落ですが、特売の頻度が多くなれば、これは長期的な意味でも、物価水準の下落と捉えることができるでしょう。価格競争が激しい今、必ずしも1カ月継続して同じ価格が維持されるわけではなく、その日その日によって価格が変わり、当然、その売り上げも変わります。従って、物価や消費も月次ではなく日次で見るからこそ見えてくるものがある。そういった分析は、ビッグデータが非常に得意とするところです。こうしたメリットを政府統計にも生かせるといいと考えています。
高市 ビッグデータの活用も含めた、新たな視点から消費統計を整備することが急務だと考えています。また、調査で得られた情報を統計上の分類に仕分ける作業など、AI(人工知能)が統計実務を大幅に省力化する可能性を秘めているとも聞きます。今後の統計作成の現場は大きく変わり得ると思います。
国友 その可能性は大いにあると思います。政府統計ではいまだにビッグデータを十分に活用しておらず、伸びしろは大きいと思います。
一方で慎重にすべき部分もあります。私は、政府統計の政府統計たるゆえんは、作成方法の正統性にあると考えています。ビッグデータだけでは正直、その担保が難しい。
家計調査など、政府の統計調査の実施環境は年々厳しさを増していますが、統計理論に基づいて調査設計を行うという基本スタンスは変えるべきではありません。そのうえで、調査が完璧には実施できないという現実もありますから、そこを補う補完的なデータ活用はあり得るでしょう。
従来型の統計に優位性も
渡辺 おっしゃる通りで、私自身も、家計調査は家計調査のままでいいと考えています。もちろん、調査方法に改善の余地がありますが、確かな理論に支えられた統計調査の優位性は、ビッグデータと相対しても揺らぐものではありません。
ビッグデータは非常に魅力的なデータソースながら、強い癖があります。もともと統計を作成するために集められたデータではなく、個々の取引データなどから副次的に得られるものですので、それ自体は日本の平均的な消費行動を捉えたものではありません。
例えば、先ほどのPOSデータも、大手のスーパーやコンビニエンスストアなどの売り上げに限られたものになります。こういったデータ固有の癖をできる限り取り除く作業が不可欠です。
しかし、それは容易なことではありません。統計にどのような癖が想定されるのか、ユーザーにきちんと開示して理解を得ることが、政府として必要な責任だと考えます。
この取り組みは一朝一夕ではいかないもので、中期的な視点が必要になると思いますが、政府が取り組むべき課題として非常にチャレンジングで面白いものになると思います。
高市 ビッグデータはマーケティングではかなり一般的になってきていますが、政府統計では世界的に見てもまだまれで、未開拓と言えます。ぜひ、国際的にも高く評価され得るような指標を開発していきたいと思います。
このコラムについて
Special Report
日経BP社の媒体の中から、読者の反響が高かったものを厳選し、『日経ビジネスオンライン』で公開します。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/278202/042000062/
マインドなき大臣が更迭されない理由
小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 〜世間に転がる意味不明
2017年4月21日(金)
小田嶋 隆
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/042000091/illust.png
山本幸三地方創生担当大臣が、4月16日、大津市内で講演を終えた後、観光を生かした地方創生に関する質疑の中で
「一番のがんは文化学芸員と言われる人たちだ。観光マインドが全くない。一掃しなければダメだ」
と述べたのだそうだ(こちら)。
最初に《「学芸員はがん」=山本担当相が発言》という記事の見出し部分を見た時、私は、単純に、意味がわからなかった。
「どうして大臣が特定の学芸員の病状に言及しているのだろうか」
と一瞬疑問に思ったほどだ。
で、リンク先の本文を読んで、ようやく大臣の発言の真意を了解したわけなのだが、それでも、大臣の目指しているところと学芸員の仕事のどの部分が対立しているのかを理解できたわけではなかった。
理由は、私自身が、学芸員の仕事と、地方創生担当大臣が担っている役割を正確に把握していなかったからだ。
ついでに申せば、山本幸三という政治家の来歴や人柄についても、知識を持っていなかった。
なんというのか、私は、はじめから最後まで、ろくに事態を掌握していなかったわけだ。
こういう時、インターネットは頼りになる。
大臣を批判する立場の人々と、大臣の発言を擁護ないしはフォローする人々との間でやりとりされている論争をひと通り眺めて、しかる後に、「学芸員」と「地方創生担当大臣」についてウィキペディアとネット上の各種辞書(私はJapanKnowledgeというところの会員制辞書サービスを利用している)を当たり、ついでのことに「山本幸三」で検索をかければ、15分前よりは、ずいぶん見識が高くなっている。
無論、15分で身につけた情報は、その時間に見合った中味しか持っていない。至極薄っぺらな知識だ。
とはいえ、簡単な感想を述べるだけのことなら、15分前とは別人に見える。その程度の粉飾は可能だ。
一定の文章力を持っている書き手なら、この15分間で仕込んだネタを足場に、それらしいコラムを書くことだって不可能ではない。
が、今回はそれはしないことにする。
今回のこの件に関して、15分前までは学芸員の何たるかさえ知らなかった私が、あれこれときいたふうな説教を垂れることは、大臣がやらかした臆断とそんなに変わらないやりざまになると思うからだ。
でなくても「相手をよく知らないからこそカマせる大胆発言」みたいなクリティカルヒットは、入社半年までの新入社員とグラビアアイドルだけに許された特権みたいなもので、私のような年嵩のコラムニストが人前でやってみせて良いことではない。
ツイッターや巨大掲示板をざっと巡回して意外に思ったのは、大臣の発言を擁護する立場の人間が少なくないことだ。
逆に言えば、この種の見解(学芸員に観光マインドを求めるみたいな考え方)が、一般に広く共有されているからこそ、大臣は、「がん」という強い言葉を使って学芸員の仕事を論難しにかかったのであろう。
中には、こんな意見もある。
これは、さる記事サイトにのったテキストで、タイトルもそのものズバリ
「学芸員についての山本大臣発言は間違っていない」
となっている。
内容は、大臣の発言の真意を忖度してさらに敷衍したお話と言って良い。
本文の中で、筆者は
「美術館や博物館、それに所蔵物は10年ごとに見直して、原則20年で全面リニューアルか廃止にしてはどうか。」
と言っている。
この記事の書き手が、あてつけやもののたとえでなく、本当にこの通りのことを文字通りに主張しているのだとすると、思うに、彼が大いに持ち上げているフランスのルーブル美術館も、たぶん無事では済まない。大英博物館も、エルミタージュ美術館も、軒並み、シンガポールの空港の中のスーベニアショップみたいなものに生まれ変わることになるだろう。
でもまあ、山本大臣の言う「観光マインド」というのは、要するにこういうことなのである。
一部の政治家やコンサルタントが博物館や美術館を目の敵にする傾向は、いまにはじまったことではない。
美術館や博物館に対しては、以前から「税金の無駄遣い」「美術や学芸の利権を独占する特権階級による資産のかかえこみ」という声はあがっていたし、町おこしや観光地の集客事業にかかわる関係者からも、「1000円に満たない入場収入で観光客を何時間も足止めさせる観光事業への妨害施設」といった感じの意見が出ていた。
つまるところ
「観光客にカネを使わせない施設は無駄だ」
というお話だ。
個人的には、この種のものの見方は、短絡的に過ぎると思っている。
美術館や博物館自体が、単体で地域の収益に貢献していなくても、それらを目当てにその地域を訪れる観光客は決して少なくないはずだ。美術館に立ち寄った訪問客が、美術鑑賞だけをしてメシも食わずにまっすぐに帰宅する、と決まりきったものでもない。当然、美術館の客は、飲食もすれば宿泊もするし、別の観光施設を訪れることもあれば、土産だって買う。ということは、美術館は、十分に地域に貢献しているではないか。
逆に考えて、たとえばの話、ルーブル美術館の無いパリや、大英博物館を最新のアミューズメントパークに改装したロンドンに観光客は集まるだろうか。あるいは、エルミタージュ美術館をまるごとカジノにリノベーションしたサンクトペテルブルクは、魅力を増すのだろうか。ちょっと考えれば誰にだってわかるはずのことだと思うのだが。
それでもなお、学芸員のような立場の人間に「観光マインド」を求める声は消えない。
学芸員に観光マインドを求める態度は、大学の教員や医者に「接客マインド」を求め、研究者に「起業家マインド」を要求する昨今流行の市場経済万能主義から派生した拝金思想と軌を一にするもので、ついでに申し上げるなら、そもそも「古い」からこそ価値を持ちこたえている博物館や美術館の収蔵品に「リニューアル」を求める思想の本末転倒の浅薄さは、文楽に現代的な演出を求め、仁徳天皇陵を電飾でデコレーションして世界遺産登録を促そうとする政治家の馬鹿さ加減と見事なばかりに呼応しているわけで、結局のところ、この人たちは地域をネタに一儲けをたくらむ野盗コンサルの手先みたいなものなのだ。
さて、山本大臣の発言が、閣僚の資質を疑わせるに足る問題外の失言であるのだとして、しかしながら、だからといって彼が即座に更迭されるべきであるのかどうかは、また別の議論になる。
10年前の常識なら、このレベルのバカな発言を漏らした大臣は、まず一もニも無く、即座にクビだったはずだ。
それが、昨今は、そういうことでもなくなっている。
なぜだろうか。
私の考えを述べる。
10年前なら即座にクビが飛んでいたはずの失言で大臣のクビが飛ばなくなった理由のひとつは、この10年ほどの間に、大臣のクビを次々と飛ばし続けていた理由がいちいちあまりにもくだらなかったからだ。
わかりにくい言い方をしている。
もう少し噛み砕いた言い方をすると、第1次安倍政権から民主党政権の時代を通じて、些細な言葉尻をとらえたメディアによるバッシングで閣僚が辞任に追い込まれるケースが相次いだことが、現今の状況をもたらしているということで、つまり、現在の、閣僚が相当に悪質な失言をやらかしてもクビが飛ばずに済んでいる状況は、過去においてあまりにも安易に大臣のクビが飛ばされてきたことへの反動ないしは、それらの事態がもたらした副作用なのである。
別の側面から見れば、メディア主導の報道圧力で大臣のクビを飛ばせなくなっているこの数年間の状況は、メディア自身が招いたメディア不信の結果でもある。
「死の街発言」や「放射能付けちゃうぞ発言」で大臣の責任を追及し、「絆創膏会見」を理由に大臣の辞任を迫ったマスコミは、文脈から切り取った発言をネタに大臣の首を取ることを自らの手柄であるかのように振る舞うその態度の不遜さを理由に、読者・視聴者の支持を失うに至った。そういうふうに考えなければならない。
彼らは、大臣のクビを無駄に飛ばすことを通じて、自分たちのクビを締めたのだ。
山本大臣の発言が論外の暴言であること自体は、多くの国民がそう思っているところだろう。
この点に異論は少ないはずだ。
彼自身の政治家としての評価も、今回の失言とセットで伝えられた過去の不祥事からして、地に堕ちたと考えて良い。
にもかかわらず、山本大臣が即座に更迭されるべきだと考えている国民は、そんなに多くない。
たぶん多くの国民は、
「別にいいんじゃねえの?」
と思っている。
というよりも、
「誰に代わったからって何が変わるわけでもないだろ?」
ぐらいに考えている。
一番の危機は、実にここのところにある。
つまり、誰も閣僚に高い見識や立派な人格を期待しなくなっているというこの状況こそが、安倍一強体制がもたらしている最も顕著な頽廃なのである。
われわれは、メディアにも、政治にも、粗忽軽量な大臣にも、代わりにやってくるかもしれない新任の大臣にも、あらかじめうんざりしている。この頽廃は、簡単には回復しない。たぶん、もう1回戦争がやってきて、もう1回反省するまで、この状況は改まらないだろう。
4月17日、すなわち山本大臣による「学芸員はがん」発言があった翌日、安倍首相は、都内の商業施設のオープニングセレモニーに出席し、地元・山口県の物産も積極的に販売するよう「忖度(そんたく)していただきたい」と挨拶して、笑いを取ったのだそうだ(こちら)。
ジョークの出来不出来は別として、このタイミングで、「忖度」という言葉を使って笑いを取りに行った神経に首相の「意地」のようなものを感じる。
この局面でのこのジョークは、
「オレは、全然参ってないよ」
という意思表示に聞こえる。
ふざけてみせることで自分の優位を印象づけるヤンキーに独特な行動形態のようでもあれば、なにかにつけて、語尾に「w」や「(笑)」を付加したがるツイッター論客の論争術のようでもある。
いずれにせよ、この半月ほどメディアで話題になっている「忖度」というネガティブなワードを、あえて笑いを取るための言葉として使ってみせた態度は、ホームランを打たれた投手が帽子を取って打った打者に最敬礼した時みたいな強がりを感じさせて、なんだか鼻白む。
安倍さんはどうやらマスコミを舐めてかかる段階に到達している。
しかも、その態度は、思いのほか多くの国民に支持されている。
このことは、別の言い方で言えば、われわれが他人をバカにする人間に頼もしさを感じる段階に立ち至っていることを意味している。
19日の衆議院決算行政監視委員会での質疑では、こんな一幕があった。
《−−略−−首相「『そもそも』という言葉の意味について、山尾委員は『はじめから』という理解しかないと思っておられるかもしれませんが、『そもそも』という意味には、これは、辞書で調べてみますと…」
山尾氏:「調べたんですね」
首相:「念のために調べてみたんです。念のために調べてみたわけでありますが(笑)、これは『基本的に』という意味もあるということも、ぜひ知っておいていただきたいと。これは多くの方々はすでにご承知の通りだと思いますが、山尾委員は、もしかしたら、それ、ご存じなかったかもしれませんが、これはまさに『基本的に』ということであります。つまり、『基本的に犯罪を目的とする集団であるか、ないか』が、対象となるかならないかの違いであって。これは当たり前のことでありまして」−−略−−》
(出典はこちら)
以上は、産経新聞による書き起こしだが、ごらんの通り、言い合いに近いやりとりだ。
個人的には、自分の使った言葉を辞書で引くという動作の異様さにあきれている。
あらためて言うまでもないことだが、人間同士の対話は、互いにあらかじめ辞書を引くまでもなく知っている言葉をやりとりすることで成立しているものだ。
知らない言葉を使ったら対話にならないし、辞書を引きながらの対話は、揚げ足の取り合いに過ぎない。
特定の言葉について、対話の相手が間違った使い方をしていたり、誤解をしているように思えた場合に、辞書上の語義を持ち出して先方の誤解を正したり、言葉の使い方の間違いを指摘することはあり得る。しかしながら、自分が口にした言葉について、事後的に辞書を引くことは、普通、考えられない。
自分の使った言葉について辞書を参照するのは、自分がその言葉の意味をよく知らずに使っていた場合か、でなければ、辞書に書いてある語義を足がかりに何らかの詭弁を弄しにかかる場合に限られる。
しかも、朝日新聞が伝えているところによれば、どうやら、「そもそも」について「基本的な」の語義を掲載している辞書は存在しない(こちら)。
どうでも良い話を長々としてしまった。
本当は、こんな話は、はじめからどっちでも良いのだ。
大切なのは、首相が、辞書に載っている(とされる)語義をネタに、山尾議員を揶揄している点だ。嬲っているという言葉を使っても良い。とにかく、首相は、相手を嘲っている。これは辞任に値するとまでは言わないが、到底品格のある態度ではない。
少なくとも、首相の国会答弁にはふさわしくない態度だ。
「忖度」をジョークのネタにしたこともそうだが、この半年ほど、首相の言動には、対話の相手を嘲弄したり、質問そのものを揶揄するような、不真面目な態度が目立つ。
このこと自体は、私がたしなめてどうなることでもないし、仕方のないことだとも思っている。
首相にしてみれば、あれこれと責められて反撃したい気持ちがあるのだろうし、ああいう立場にある人間にフラストレーションがたまるのは、考えてみれば当然のことでもあるのだろう。
私が懸念するのは、首相が野党をバカにし、閣僚がマスコミを軽視しているその態度が、なんとなく支持を集めているように見える昨今の状況だ。
どうしてこういうことになっているのかまではよくわからないのだが、首相が野党やマスコミの質問をはぐらかしにかかる態度は、実のところ、そんなに評判が悪くない。
「バカな質問にいちいち真面目に答える必要はないだろ」
「相手がバカなんだからバカな答え方をするのは鏡の法則からして当然だよ」
と、むしろ歓迎されているかもしれない。
現政権が大臣を辞任させないのは、責任を認めて辞任させるとかえって政権の支持率が下がるであろうことを学習したからだと思う。
第1次安倍政権も、民主党政権も、相次ぐ閣僚の辞任で、求心力を失い、支持を失い、最終的に政権を投げ出さざるを得なくなった。責任を取ったことが、かえって責任を追及される弱みになってしまったカタチだ。
とすれば、責任など、取らない方が良い。
と、政権側がそう考えるのは、むしろ当然の帰結なのかもしれない。
仮に、責任と呼ばれているものが、取るからこそ生じるもので、取らなければじきになくなってしまうものであるのだとしたら、そんなものは、はじめから取らない方が良いに決っているではないか。
多くの国民は、失言の悪質さを理由に辞任を求めるというよりは、むしろ、辞任したという結果から失言の悪質さを逆算するぐらいの関心度で政治報道を眺めている。
とすれば、辞任せずに知らん顔をしていれば、多くの国民は「たいした失言ではないのだな」と判断してくれるはずで、そうである以上、辞任などしない方が良いにきまっているわけだ。
私はいま皮肉を言っているつもりなのだが、これは、結果として、皮肉にならないかもしれない。
いずれにせよわれわれは、ジョークがジョークとして通用せず、皮肉が皮肉として響かない時代に足を踏み入れつつある。
そんなわけなので、できればこの原稿は笑わずに読んでくれるとありがたい。
(文・イラスト/小田嶋 隆)
コラムの書き手が変わったからって、何が変わるわけでも…
と、思わせないように編集部も頑張ります。
当「ア・ピース・オブ・警句」出典の5冊目の単行本『超・反知性主義入門』。相も変わらず日本に漂う変な空気、閉塞感に辟易としている方に、「反知性主義」というバズワードの原典や、わが国での使われ方を(ニヤリとしながら)知りたい方に、新潮選書のヒット作『反知性主義』の、森本あんり先生との対談(新規追加2万字!)が読みたい方に、そして、オダジマさんの文章が好きな方に、縦書き化に伴う再編集をガリガリ行って、「本」らしい読み味に仕上げました。ぜひ、お手にとって、ご感想をお聞かせください。
このコラムについて
小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 〜世間に転がる意味不明
「ピース・オブ・ケイク(a piece of cake)」は、英語のイディオムで、「ケーキの一片」、転じて「たやすいこと」「取るに足らない出来事」「チョロい仕事」ぐらいを意味している(らしい)。当欄は、世間に転がっている言葉を拾い上げて、かぶりつく試みだ。ケーキを食べるみたいに無思慮に、だ。で、咀嚼嚥下消化排泄のうえ栄養になれば上出来、食中毒で倒れるのも、まあ人生の勉強、と、基本的には前のめりの姿勢で臨む所存です。よろしくお願いします。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/042000091/
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