http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/199.html
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日本会議の中枢をなす国体思想を良く教えてくれる良文であるとおもい紹介する。
「(最近まで)世界第2の経済大国」をアイデンティティの中心に据える思考は、日本を生命体のように思う点で国体思想の亜流であるし、官僚には賠償も権利も主張せず国民が忠誠を尽くしてくれた戦前は一面でうらやましい境遇であろう。日本には戦前に逆戻りしやすい素地がある。そして国体思想とは強靭で手強い『敵』である。まずは、敵を知るべし。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51438
「世界が警戒する日本の「極右化」?私たちはいま、重大な岐路にいる」内藤 朝雄
・森友学園問題と日本の右傾化
・「超タカ派」勢力が動かす日本政治
・どのような戦前を目指しているのか
・二つの国家観を理解する
この節も白眉である。国体信仰が、性に結びついた形で強烈化しているのを不審に思ったことのある人は多いハズだ。
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第一の国家観では、国家を、ひとりひとりの人間の共存と福祉のための公共財である機械装置と考える。
国は水道や電気や医療や交通網のように、ひとびとの生存にとってきわめて重要なものだ。その意味で、危険な国家メンテナンス業務をおこなっている自衛官は、高圧線上で危険な業務をしている技師と同様に、尊敬されて当然である。
また、国に軍隊があるのも当然である(この観点から、日本が普通の先進諸国なみのリベラル国家になった後で憲法9条を改正すべきだと主張する筆者は、「リベラル・タカ派」と呼ばれることがある)。
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それに対し、第二の国家観では、国家はひとりひとりの生命を超えた、より高次の崇高なる集合的生命とみなされる。このような現実感覚を生きるひとびとにとって、国家装置の防衛メンテナンスのための危険業務組織(軍隊)は、集合的生命の男根のように感じられる。
アメリカに負けて憲法九条を押しつけられたのは、「全能感を断念しなさい」と去勢されてしまったような、屈辱の体験である。
また集合的生命の根本にあるはずの神聖にして侵すべからず天皇を、単なる「象徴」にされてしまったのは、河童に尻子玉を抜かれ、腑抜けにされてしまったような屈辱である。
そして雄々しき大日本帝国は、自由だの人権だの民主主義だの甘ったるいおしろいをぺたぺた塗られて、女にされてしまったと感じる。
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・国体をひかり輝かせること
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集合的生命としての国体は、単なる全体への外形的服従の積み重ねから成るものではなく、臣民ひとりひとりが自発的に個人であることをやめ、〈全体において永遠の今になる〉ことの内側から高次の命としてひかり輝く。
カミカゼ自爆攻撃などで死ぬ瞬間こそが、その永遠の今であり、人として生まれた最高の栄誉であり、「本当に生きること」である。それは華やかに花が咲いたような生のきらめき(散華)でなければならない。
このような国体の覚醒剤的な疑似哲学作用は、軍隊の合理的運用すら破壊した。
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・教育勅語はなぜ問題なのか
この節が白眉の中の白眉。国体信仰の極北である。
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その後、昭和初期から敗戦にかけて、政府は『国体の本義』(1937年)と『臣民の道』(1941年)によって全体主義としての国体の本性を分かりやすく、あけっぴろげに露出する。
この2冊を熟読すれば、閣僚の8割、国会議員の半分弱を占める勢力が、どのような「美しい国のかたち」をめざすかを理解することができる。
いくつか抜粋しよう。
「我らの行住坐臥(ぎょうじゅうざが)の一つとして国家に関係ないものはない。」、「我らの生命は我がものにして我がものにあらずといわねばならない」、「日常我らが私生活と呼ぶものも、畢竟(ひっきょう)これ臣民の道の実践」、「一腕の食、一着の衣といえども単なる自己のみのものではなく、また遊ぶひま、眠るまといえども、国を離れた私はなく、すべて国とのつながりにある。かくて我らは私生活のあいだにも天皇に帰一し、国家に奉仕する念をわすれてはならない」(『臣民の道』)
「人は孤立せる個人でもなければ、普遍的な世界人でもなく、まさしく具体的な歴史人であり国民である。従って我らにあっては、人倫すなわち人がふみ行うべき道は、抽象的な人道や観念的な規範ではなく、具体的な歴史の上に展開せられる皇国の道である。人たることは日本人たることであり、日本人たることは皇国の道にのっとり臣民の道を行ずることである。(『臣民の道』)
「皇国の道と一体たり得ざる学は、真の学たり得ざるもの」(『臣民の道』)
「祭政一致の我が国体」(『臣民の道』)
「我が国こそまさしく世界の光明である」(『臣民の道』)
「我が皇位が天壌無窮(てんじょうむきゅう:天地ともにきわまりない)であるという意味は、実に過去も未来も今において一になり、わが国が永遠の生命を有し、無窮に発展することの意である。我が歴史は永遠の今の展開であり、我が歴史の根底にはいつも永遠の今が流れている」(『国体の本義』)
「我らは、その生命と流動の源を常に天皇に仰ぎ奉るのである。それ故に天皇に奉仕し、天皇の大御心を奉体することは、我らの歴史的生命を今に生かす所以(ゆえん)であり、ここに国民のすべての道徳の根源がある。…絶対随順は、我を捨て私を去り、ひたすら天皇に奉仕することである。この忠の道を行ずることが我ら国民の唯一の生きる道であり、あらゆる力の源泉である。されば、天皇の御ために身命を捧げることは、所謂(いわゆる)自己犠牲ではなくして、小我を捨てて大いなる御稜威(おみいつつ:天皇の威光)に生き、国民としての真生命(真の命、ほんとうの命)を発揚する所以(ゆえん)である」(『国体の本義』)
我らは「忠において生命を得」る。(『国体の本義』)
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・日本に蔓延する全体主義
「ビジネスと政治が分かれない祭政一致の社会は、すさまじく腐敗するのである。「森友劇場」の口利きや忖度、国有地格安払い下げに関する疑惑のエピソードをながめながら、このことを思い出した。」と締めている。
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