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017年4月14日 岸 博幸 :慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授
人生格差を拡大しかねない教育無償化ブームの本末転倒
安倍首相の高等教育無償化、小池都知事の私立学校無償化、小泉進次郎氏らの“こども保険”など、教育無償化ブームが起きている。これらは結果として本末転倒だ Photo:首相官邸HP
安倍首相の高等教育無償化
問題提起は正しかったのだが……
安倍首相が今年1月の施政方針演説で、「誰もが希望すれば高校にも専修学校、大学にも進学できる環境を整えなければならない」と述べ、高等教育の無償化に意欲を示しました。
もちろん、安倍首相の悲願である憲法改正の“道具”に使われている観は否めません。それでも、格差が拡大する中で高所得層の子弟ほど高学歴と高所得を実現できる可能性が高いという現実を考えると、憲法で保障された“教育を受ける権利”をより公平に行き渡らせるという観点からは重要な問題提起です。
これまでかけ声ばかりで本格的な改革はすべて先送りの安倍政権で、久々に良い改革テーマが提示されたなあと私も期待しているのですが、その一方で、その後に官邸以外から提起される教育関連の政策を見ていると、首をかしげざるを得ないものばかりになっています。
その典型は、安倍首相の問題提起を先取りする形で小池都知事が打ち出した、東京都の私立高校授業料の無償化です。
東京を含む全国の公立高校の授業料は民主党政権時に無償化されましたが、私立高校の授業料については、これまで国の奨学支援金に東京都独自の給付型奨学金を加えることで、世帯収入に応じて補助をしてきました。
たとえば生活保護世帯ならば、都内の私立高校授業料平均の約44万円を全額、年収350万円の世帯なら年間約37万円、年収760万円の世帯なら年間約22万円を補助してきました。
小池都知事はこの仕組みを抜本的に変えて、今年度から年収760万円までのすべての世帯を対象に、私立高校の授業料平均の44万円を補助することにしたのです。
小池都知事による志の低い「先取り」
高収入世帯まで私立学校を無償化
公立高校のみならず私立高校の授業料も無償化してしまうのですから、一見すると思い切った政策、大英断のように感じられますが、私はニュースでこの決定を見て「アホか」と思いました。というのは、この政策は都道府県の間の教育格差を拡大するだけだからです。
私立高校の授業料に対する補助の現状を見ると、国の奨学支援金は日本全国の世帯に提供されていますが、それに都道府県が独自の上乗せをしています。その結果、私立高校の授業料が無償化される世帯年収の上限は、都道府県によってかなり異なります。
たとえば、岩手県、群馬県、山梨県、島根県、山口県、鹿児島県、沖縄県では、県内の私立高校の授業料平均まで全額補助されるのは、年収250万円の世帯までです。大都市を擁する自治体を見ても、大阪府は年収590万円まで、愛知県、福岡県は年収350万円までです。
こうした数字と比較すると明らかなように、今回の措置で、東京都は頭抜けて高収入の世帯まで私立学校の授業料を無償化したのです。それは裏を返せば、もともと住むところによって世帯の教育費の負担(=子どもの私立学校への通わせやすさ)に差があったのに、その格差をさらに大きくしてしまったことに他なりません。
もちろん、小池氏は東京都知事なんだから、東京のことだけを考えていればよいのかもしれません。でも、仮にもかつては長く国会議員を勤め、国務大臣の経験もある方が、自分の自治体は税収も潤沢だから、そこの住民だけ良ければそれで良しという都議選目当てのバラマキ政策を行い、結果として国民の教育格差の拡大を助長するような政策を講じてしまうのはいかがなものでしょうか。その視野の狭さと志の低さにはげんなりしてしまいます。
もう1つは、小泉進次郎氏をはじめとする自民党の若手有志が提言した“こども保険”です。小学校入学前の子どもへの幼児教育・保育を無償化するため、厚生年金・国民年金の保険料に0.5%を上乗せして、児童1人当たり月2万5000円を支給しようという構想です。
この構想は、自民党で議論されている“教育国債”(高等教育無償化の財源として使途を教育に特化した新たな国債)へのカウンターという要素はあるのでしょうが、そもそもの発想からして間違っています。
というのは、“保険”の意味をまったく理解していないとしか思えないからです。保険とは、基本的にはもしものことがあったときへの備えとして用意されるべきものです。だから、すべての児童に支給すると言っている時点で、裕福な家庭の子どもも貧しい家庭の子どもも対象になるので、それは保険とは言えないのです。保険料の名を借りて国民から強制的に原資を徴収しようというだけです。
自民党若手の世論迎合的な発想
なぜ幼児教育・保育だけが対象に?
ただ、それ以上に個人的におかしいと思うのは、すでに述べたように私立高校の授業料への補助で大きな格差も生じるのに、なぜあえて幼児教育・保育にだけフォーカスするのかということです。おそらく、待機児童問題がメディアで大きく報道され、国民の関心が高いからではないでしょうか。
でもそれって、言葉を変えて言えば単なるポピュリズム、世論に媚びているだけです。教育格差が将来の所得格差につながることを考えると、特に第四次産業革命により日本でも格差が一層拡大する可能性がある中では、幼児教育や高等教育など教育の特定分野に限定せず、トータルのパッケージとして教育全体をどう改革するかを示すのが、政治家の役目ではないでしょうか。
このように考えると、安倍首相の最初の問題提起は正しかったのにもかかわらず、その後の教育をめぐる個別の政策論議は随分おかしな方向に行きつつあるように感じます。
しかし、教育政策のポピュリズム化とも言えるこうした動きで、日本の教育全体が良くなるとはとても思えません。それを防ぐためにも、憲法改正とは別次元の問題として、様々な環境変化に直面する今の日本で、憲法で保障された“教育を受ける権利”を全国民に行き渡らせるためにはどのような制度改革が必要か、という根本からの骨太な議論を、官邸主導で早く始めるべきではないでしょうか。
(慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授 岸 博幸)
http://diamond.jp/articles/-/124817
【第44回】 2017年4月14日 山本尚毅 :HONZ
大学全入時代に生き残る大学、消える大学の違い
『消えゆく「限界大学」:私立大学定員割れの構造』
苦しい時代を組織一丸となって、乗り越え成長してきた大学の一例に武蔵野大学がある。200人の単科女子大学と400人の短大を併設したお嬢さま大学から入学定員2000人を超える総合大学へ転換することに成功した
進学率が現状維持で推移すると
定員500人の大学が200校以上消える!
2020年、東京オリンピックの開催の裏側で、大学入試センター試験の改革が着々と進んでいる。次の中学3年生が高校3年生になるタイミングであるから、もう間近である。高校も大学も塾も、その準備に追われてとても大変になることは想像に難くないが、その手前にも、大きな問題が来ることは随分前から囁かれていた。2018年問題である。
1992年に200万人を超えた18歳人口は、2008年に120万人台まで減り続け、その後横ばいで推移した。その安定期は2018年には終わりを告げる。2016年度の出生数は100万人を切っているため、おおよそ20万人が減ることになる。
『消えゆく「限界大学」:私立大学定員割れの構造』
小川洋
白水社
232ページ
2000円(税別)
これは大学経営に大きな衝撃を与えるだろう。大学進学率が現在の55%前後で変わらず推移すると仮定すれば、大学進学者は10万人以上減ることになり、入学定員500人の大学が200校以上消えてしまう計算なのだ。
事実として、この10年で廃止された大学は10校を超える。2015年段階で、定員割れしている大学数は250校、そのうち定員の充足率が80%未満の大学が114校である。充足率が低下すれば、文部科学省からの補助金の減額幅が大きくなり、経営は苦しくなる。
いつ破綻してもおかしくなかった大学だが、幼稚園から高校を含めた学園全体で辻褄をあわせて、赤字の大学を支えていた。しかし、公立の中高一貫校の登場などで市場環境が変化し、高校以下の安定経営も難しくなっている。また地方では、私立大学の公立化というウルトラCが繰り広げられ、ますます既存の私立大学は窮地に追いやられている。
このような厳しい環境の中、同じ私立でも、近畿大学のように着実に成長を続ける大学もあれば生徒の募集や教職員の取りまとめに苦戦し、息絶え絶えの大学がある。そこにはどのような違いがあるのか、著者は歴史を遡り、統計データを駆使して明らかにしていく。
過去には、大学にとって驚くほどおいしい時代もあった。1986年から92年のゴールデンセブンと呼ばれる7年間である。受験戦争は加熱し、受験校数は平均で10回を超え、受験料収入だけでも莫大な収入になった。さらに、文部科学省は受験戦争の加熱化をおさえるため、臨時定員を設け、生徒数は増え、学納金収入も大幅に伸びた。準備があったにも関わらず、89年から93年の五年間で毎年40万人前後の不合格者数が出ていた。これはバブル崩壊により高卒の求人倍率の急降下などの要因により、予想以上に大学進学率が上昇したためだった。もちろん、予備校や塾などの周辺産業にとってもおいしい時代だった。
なぜ四大化した短大が
学生募集に苦戦しているのか
この時代以降、大学は急激に増え、私立大学は334校から604校になった。そして、新設された大学の7割強の母体は短大だった。短大側から見ると、最大500校あった短大のうち、半数以上が大学経営に進出したことになる。そして、受験バブルの恩恵を受けて、短絡的に四大化した短大が今、厳しい競争環境に晒され、学生募集に苦戦している。こういった短大の経営難を、歴史とデータを丁寧に追っていき、責任ある教育機関として目も当てられないような不祥事やずさんな経営体制の事例を交えながら、明らかにしていく。
その一方で、苦しい時代を組織一丸となって、乗り越え成長してきた大学がある。武蔵野大学、共愛学園前橋国際大学などである。武蔵野大学は200人の単科女子大学と400人の短大を併設したお嬢さま大学だったが、総合大学へと見事転換し、入学定員は2,000人を超える。学部構成も「情報」や「環境」や「総合」などを掲げた新しいコンセプトを作り出す他大学とは真逆で、オーソドックスな構成になっている。
前橋国際大学は、定員225人、教員組織も30人強と小規模ながらも、文部科学省が支援する事業に私立大学6位の6件も採択されている。教職員が一体化し、風通しのよい組織をつくっている。また、産業界と共創する仮想企業による商品化のプロジェクトなどにより組み、地元からも高い評価を受けている。
うまくいっている大学は長期的な視点で身の丈にあった取り組みをし、衰退している大学は、流行に追随し、その場しのぎの改革に取り組んでいるように思える。ありきたりで、身も蓋もない話ではあるが、大学経営でも変わりのない真実である。
2050年には1億人を下回り、出生数は60万人を下回る。そして、将来の推計人口は予測を大きく外れることはない。少子化の煽りを受ける大学及び教育機関の撤退戦は、この先もずっと続いていく。この逆境に負けない、力のある大学を見分けるヒントも本書『消えゆく「限界大学」:私立大学定員割れの構造』にはある。
(HONZ 山本尚毅)
http://diamond.jp/articles/-/124735
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