>>48. LKXRYf922A さん また、また、難しいものを引っ張り出しちゃって。私の方が眠ってしまいそう・・・ あ、今ね、貴方のために、強烈な睡眠コメント用意しましたから、載せるわね。なが〜いわよ。絶対コロリと眠れます。保障するわ。では行くわよ、お風呂入って、歯磨きした後で読みなさいよ。すぐに寝入っちゃう長いものにしましたからね。 ●は小沢氏本人の談話、官僚の早期退職の解決策も談話に入っていますよ。 ※は、独りファシズムさんよりのもの。 ◎は、国家公務員一般職組合スクラムよりお借りしたもの。 ■は山本博一さんからお借りしたものです。 では、↓どうぞ。 ●小沢一郎は「財務省解体、歳入庁・創設」を主張していた。 地方分権化のためには避けて通れないと言う主張だった。ここから凄まじい動きが出てきた。そのときの動きは省略するが、メディアに乗って共産党も小沢の「政治と金」を追及したことは特筆しておく。裁判で白黒はっきりした後も、メディアの小沢一郎・批判は止まず「未来の党」潰しに加担した。全ての政治勢力が財務省の手中に落ちた瞬間だった。そして消費税・増税が実行された。 ●民主党の政権交代で小沢氏が目指した統治機構改革とは(小沢氏の談話) 行政の大改革を意味する。「官僚主導から政治主導へ」と言うことです。 官僚機構の支配の源泉となっておりますのは,財源の ・いわゆる税金の徴収権。 それからもう1つは,そのお金の配分権。これがともに,官僚機構に握られておるということであります。それともう1つは,これらの権力を維持するための法的な支配制度。これは立法府を官僚が事実上牛耳ることによって,彼らの法的な・制度的な権力の源泉を築いている。 こういうことでありますから,ここをですね,変えないと「統治の機構」だのなんだの言ったって,何もできない,ということであります。 結局は官僚におんぶに抱っこ,言葉の遊戯に終わってしまう。 こういうことに伴って,特会(=特別会計)の廃止とか,あるいは特殊法人 ・ 独法(=独立行政法人)の廃止とかいうことも,自然に行なわれてくると思います。もちろん法的な処置が必要ですけれども,中央官庁で現実に自分達でお金の配分権がないということになれば,自分の懐に,特会やら何やらに,貯め込んで自分で勝手に使うという事もなくなります。特会の中にかなり貯め込まれている金があるということはもう周知の事実であります。そういう意味で,そういうような(勝手に貯め込む・流用するなどの)必要性もないし,そういうこともできなくなってしまうということになりますんで,この官僚主導から政治主導へということを,やろうとしたらば,まずここの“金目の権限”をしっかりと転換させないと何もできない,ということになります。 中央集権的国家統治になっているため、今の大きな公共事業は,ほとんどが大手の事業者が取得するわけですけれども,このお金は,人件費=地元の労務費を除けばほとんど東京に還流されるお金であります。ですから地域には,何十億,何百億(予算を)付けても,そのほんの一部しか,地域にお金は残らない。あとは全部,東京に行っちゃうということであります。中央集権的国家統治改革で、そういうバカげたお金の使い方もできなくなるし, したがって地域経済の潤いにもなる。そういうことであります。 「財源がない,財源がない」と言われたんですけれども,これはもう充分あるんですよ。(強調して) だって自民党政権になったら,金,バンバン,バンバン使ってるじゃないですか。民主党政権のときには「ない,ない,ない,ない」言われてて。 (笑)ということを見ればまず,具体的なことを聞かなくても分かる通り。 国会の官僚支配から脱却することです。 これは前回申し上げました。 委員会制度の見直し。国会の立法調査権限の強化。クエスチョンタイムのあり方。通年国会・委員会開催の柔軟性,等々。政府委員の廃止。委員会だって,ほとんどの部分が役人答弁でしょ。 だから昔ね,前にも言ったかな…ある大臣が質問を受けて,「それは大変重要なことでありますので局長に答弁させます」と言って,クビになりましたけどね。これじゃあ国会議員が主導することなんか,できるわけがない。 変えなくちゃならない 公務員改革は、公務員制度を少しスリムにすることは当然必要だと思っております。 一般職の官僚と公務員は世界と比べてむしろ少ないくらいだけれど、そん中でもね,やっぱり,どう見てもキャリアの数は多すぎるね。 あんな(大勢の数は)いらない。局長に残るなんてのは,数人なわけだから。そんなに(大勢)いらないじゃないかっていう話しです。キャリアは,僕は半分でいい,トタに(≒今すぐに急激に)半分にしたって全然不都合は起きないと思っております。 役人の任用,公務員の任用ですけれども。 例えばよくアメリカを例にとって,政治任用を全面的に取り入れろという議論が(あり)それが新しいやり方だみたいに言う人がいますけれども,アメリカの官僚制度というのは非常に失敗してますね。 なぜかと言うとね,大統領が変わると,何千人って変わるでしょ。ほとんどの管理職は,皆変わっちゃうわね。これはもちろんプラスの面もありますけれども,これをやりますとね,プロパーの官僚が・人材が育たない。そういう欠点があるし,それから,継続性が失われがちになります。 官僚の継続性,と言うか,これは非常に必要であると思います。 ただ,一面ね,組織が既得権益化してきて,硬直化してきます。ですから,これを変える方法を考えなくちゃならない。それで僕は,じゃあこれはどうしたらいいか(と考えた)。 俗に言う「指定職」これは自由競争の原理を取り入れたらいいと,私は思っているんです。 キャリアの中でもって我と思わん者は,指定職に挑めばいいと。そん中から大臣が,指定職の人間を選べばいいと。能力ある人が自分で手を上げて(挑む)。その代わり失敗したら自分で責任を負う,というような形、そんな形の要素を少し取り入れて,この管理職はやったらいいんじゃないかなと。 公務員制度については,天下りは全面禁止すべきだと私は思っております。 その代わり、年金積み立てを充実させ、老後に備える措置を与える。英仏独,この状況を見てみますと、現職の給与の6割から7割にあたる年金を受け取る,と。ですから天下りを禁止しても退職した後は困らない。この話を役人にしたら、本当にやってくれるんだったら,それで結構,と。これと定年延長を少しやったら,もう問題ないですよ。と、言います。 ところが,天下りを事実上放置しておいて,それによる弊害・お金の損失っちゅうのは,莫大なもんだ。それに比べて 年金なんて,大したことないよ,こんなもん。公務員の年金やるぐらいの金は。 それ以上,今の,天下りと,政・官・業の癒着という構造でどれだけ大きな損失を国民は被っているか。(厳しい口調で。以下も。) ほとんどイギリスの王立のシンクタンクとか戦略研究所とか,これには政治家・官僚・軍人等のOBが皆,入っていますけどね。ほぼ皆,無給だと思います。 ですから,自分の経験を活かして,その後色んな社会的な貢献はするんですけれども,給料取ってということではなくて,その意味ではヴォランティアで,公務員としての経験を活かして奉仕活動を継続する,というような形になってまして。それには「秘密保護法案」じゃないけれども,そういう権力を利用して,私腹を肥やしたり,もちろん機密の問題もそうだけれども,そういうものは公務員法で強くきつく罰すればいいだけの話し。 ※小沢氏が民主党の政権交代で成し遂げようとした事>マスコミが報道しない小沢一郎の英雄的行為とは何だったのか?「独りファシズム」より転載 小沢一郎の疑獄事件には、この国の利権構造が集約されている。壮絶なパッシングのモチベーションは小沢が掲げていた政策をみればあきらかなのであり、政界、財界、官僚、米国、報道これら全ての既得権益の解体を目指したことに他ならない。 マニフェストの骨子とは @特別会計の廃止、 A独立行政法人など外郭団体の統廃合、 B天下りによる官僚OBの不労所得の禁止、 C米国による内政干渉の排除、 Dクロスオーナシップ(新聞社によるテレビ局経営)の禁止と電波オークション制度の導入、 E企業団体献金の廃止(「政党評価表」による外資支配の排除)、 F消費税引上げ禁止、 G最低賃金法の導入と非正規労働の規制強化であり、つまり政策本質とは支配体制の破壊そのものであったわけだ。 あらためて説明するが、@‘特別会計’とはこの国の実効予算であり国家会計の本質だ。新規国債や年金、郵貯資金からの調達分(財政投融資)を合算し総額は400兆円規模、一般会計との重複を差し引き実効額は270兆円と推定されるが、国会の承認を得る必要がないことから、使途は実質の官庁裁量となる。つまり官吏によって私物化されているわけだ。 既述のとおり単式簿記という前近代的な会計方式により使途の遡及は極めて困難であり、財政のブラックボックス化がGDPの3倍超となる破滅的な国家債務をもたらしたと言えるだろう。 つぎにA‘独立行政法人’だが、繰り返し論述したとおり旧特殊法人である100余の外郭団体群が、財政投融資を通じ500兆円ちかい債務を累積してきたわけだ。大半の法人は一般事業と重複し民業を圧迫するか、もしくは何らの生産活動も行っていない。つまりB‘天下りによる官吏OBの不労所得’の最大が目的化されているのであり、官僚利権の本質と言えるだろう。年間の補助金だけで消費税額とほぼ拮抗する12.7兆円に達し、天文学的な財政投融資も国債に置換され、国民からの租税によって償還されているのが実情だ。 ◎財政破綻論の大ウソ-資産が借金を上回る日本政府のバランスシート、世界一の金あまり日本 (国家公務員一般職組合スクラム) 財務省は、国の財政赤字1000兆円まで増え、わが国の国民、大人から赤ん坊まで、一律膨大な借金を背負っているとしています。額面どおりに受け取ると、まさに孫子の代まで借金漬けですが、本当にそうなのでしょうか?日本は「財政破綻」寸前なのか?財務省の「誇大広告」=孫子の代まで借金漬け? 財務省は、この十数年来、財政を家計にたとえて大変な状況だと説明しているのですが、これは「誇大広告」のたぐいです。加えて罪深いのは、財政に対する一面的な見方を国民の間に広げ、日本の進路を間違った方向に導きかねない危険性を持っています。家計でも借金だけ見るのは間違い。そもそも、家計の問題を考えるときでも単純に借金だけを見るのは間違っています。家とか土地とか金融資産などがどれくらいあって、一家としてのバランスシートはどうなのかを見ないといけないのです。 たとえば、住宅ローンを借りて家を建て借金が1千万円ある家計と、持ち家などは無いけれど借金はまったくない家計を、借金の金額だけを問題にして比較するのは、おかしな話になってしまいます。国の場合も同じで、借金が多いことだけを問題にするのは一面的な見方なのです。借金だけではなくて、資産の方も見なければいけないのです。日本政府のバランスシートは「資産が借金を上回っている」そして「世界一の金あまり国」なのです。 日本政府は、世界一の金融資産494兆円を持ち(2012年現在)、いろんな固定資産等579兆円も持っていて、日本政府のバランスシートは資産が借金を上回っており、借金の全額は資産で担保されています。2010年12月末で、日本の国内余剰資金は251兆円もあって、日本は「世界一の金あまり国」でもあります。他の国の余剰資金は、2位が中国167兆円、3位はドイツ114兆円で、日本はドイツの2倍以上、他の国の何倍もの余剰資金があるのです。「世界一の金あまり国」というのは何を示しているかというと、日本政府は大きな借金を抱えているけれども、まだお金が借りられる条件があり、日本経済には貸す力があるということなのです。 事実は借金どころか「孫子に資産を残す」なのです。 ですから、マスコミなども「孫子の代まで借金を残していいのか」などと「誇大広告」をしますが、事実は、子どもや孫たちに借金だけを残すわけではなくて、あわせて金融資産や固定資産をきちんと残すことになるのです。日本の財政問題を考える際に、「借金だけ」を取り出して議論する人を見かけたら要注意です。財政の問題を考えるときは、借金と資産の両方を同時に見なければ、議論の前提自体を間違えます。 国の財政と家計は性格が違う。単純には比べられない国の財政と家計 国の財政と家計はそもそも性格が異なるということを、きちんと認識しておかないとおかしな議論になりますので注意が必要です。当たり前の話ですが、家計というのは収入が限られていて、収入を簡単に増やすことはできませんから、その収入の中で暮らしていかなければなりません。家計では、まず収入の方が先にあって次に支出の方を考えることになります。 ところが政府というのは、家計とは性格が違います。そもそも政府をなぜ私たちが持っているかというと、市場の世界だけでは供給されない公共サービスなどを国民に提供させるためです。すべての国民の暮らしを守るために政府はある。たとえば、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」、「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と憲法25条に明記されているように、政府はすべての国民に生存権を保障しなければなりません。あるいは、教育などもそうですね。政府はさまざまな公共サービスを国民に提供する役割があるのです。 政府の役割抜きに借金だけを問題にするのは本末転倒。 そうすると、政府というのはさまざまな公共サービスを提供する役割が最初にあって、そのために税金を集める必要があるということになります。政府の果たすべき役割からスタートする必要があるから、出す方(支出)が先で入る方(収入)は後で考えるという順番になり、家計とは逆転して考えなければいけないのです。それなのに、家計にたとえてしまうと、政府の大切な役割はどこかに消えてしまって、「とにかく借金をなくさなければいけない」という話だけになっていってしまう。政府の大切な役割として、これだけのサービスを提供する必要があるから、税金を集めなければいけないのだけど、足りないとなれば当面は借金をしてでも政府のやるべきことをやっていく、と考えるべきなのです。こうした政府の役割の問題を抜きにして、借金だけを問題にする本末転倒した議論が非常に多くなっていおり注意が必要です。 「いますぐ国の借金を返さなければ大変だ」という「脅し文句」は社会保障費の削減や消費税を増税するための口実にすぎない。 それから、マスコミなどで、「いま生活は厳しいけれど、自分たちの世代の責任で国の借金を返さないと子どもたちに迷惑をかける」などという論調も見受けられますが、これも国の財政と家計を同じように考えている間違った議論です。住宅ローンなどの家計における借金は、一般的に借りる本人が子どもには残さないよう全額返すことを前提にしてローンを組みます。しかし、そもそも「政府には寿命」がありませんし、借金の全額を返さなければいけない「期限」もありません。事実、日本以外の国でも、借金を全額返したという国はなく、国の借金が減った国ほとんどありません。唯一ノルウェーが減らした国です。国の借金があること自体は問題ではないのです。 もちろん、現在の大きな借金のままでずっといいというわけではありません。しかし、「いますぐ返さなければ大変なことになる」などといった「脅し文句」は、社会保障などの公共サービス削減や公務員労働者の人件費削減、そして、消費税増税のための口実でしかありません。 ■借金を減らしている国はない(経済評論家・SPA!連載、山本博一) スティグリッツ教授が「日銀が買い上げた国債は無効にしていい」と発言、またシムズ教授が「債務はインフレで実質的に圧縮すればいい」と発言したために、増税派の財務省御用学者が早速反論めいた記事を書いているようです。でもこれ完全にミクロな話ですよね。もうちょいマクロ的に見てほしいのですが。 『「財布に入っている1万円札が日本銀行の借用証書であり、お札の持ち主が日銀に1万円を貸している」と考えている人はほとんどいないのかもしれない。しかし「実はそうなのである」ということをここであらためて考えたい。最初から注意を促しておきたいのであるが、1万円札は「日銀がいつまでも返済する必要のない借金」などではなくて、「日銀がいつでも返済することを期待されている借金」なのである。紙幣が「返済される」からこそ日々無数の経済取引が紙幣を介して滞りなく取り結ばれている。当たり前であるが、この大切なことを一部の人は忘れているようである。 「返済しなくてよい」なんて、誰が言った? 現在、盛んに議論されている金融政策提言の中でも、アデア・ターナー氏(英金融サービス機構・元長官)やジョセフ・スティグリッツ教授(米コロンビア大学)が主張する大胆な提言では、日銀が保有する国債について「いつまでも返済する必要がない」のであるから「ないもの」とすれば、日本の公的債務問題はずいぶんと解消されるというものである。いったん日銀が保有する国債が無効とされれば、日銀は紙幣や当座預金を返済する原資を永遠に失ってしまう。一方、クリストファー・シムズ教授(米プリンストン大学)が主張している慎重な提言では、国債の「返済されない度合い」を政策的に微調整できるとして「当面、返済されない」国債や紙幣が実質価値を下げて物価が上昇することを期待している。 しかし、これら2つの考えは、国債と紙幣が「返済される」という大前提によって1つ1つの通貨取引が守られているこの仕組みを、根底から殺(あや)めてしまう点ではまったく同じである。私たちの社会にとってきわめて大切な通貨制度の根幹を揺るがしてまで達成しようとすることが、公的債務を踏み倒し、通貨や国債の価値を毀損して物価を上昇させることにあるならば、そのような経済政策は「どうかしている」としかいいようがないと思う。』 >「返済しなくてよい」なんて、誰が言った? 誰も言ってないですそんなこと。別に我々もスティグリッツ氏も、シムズ氏も借金の貸し借りの信用までを否定しようとしているわけではないんですよ。ミクロ的な個別の国債の償還や借り換えは当然ある。それを前提として、国債の実質的な負担についてはインフレによって圧縮できるし、日銀と政府の統合政府で考えれば名目的には国債は日銀にあるのだけれども、実質的には負担は無いと考えて差し支えないと言っているだけ。借金は踏み倒していいとは言ってないです。すでに日本の財政は健全化してます。 >1万円札は「日銀がいつまでも返済する必要のない借金」などではなくて、「日銀がいつでも返済することを期待されている借金」なのである。って、 この一橋大学教授の斉藤 誠って人は金本位制の時代の人なんでしょうか?金本位制の時代はお金、紙幣の価値を担保するために同価値の金(ゴールド)を中央銀行が保有していたのですが、現在は金本位制ではありません。通貨の価値を担保しているのは金(ゴールド)ではなくて、その国の信用です。信用って言っちゃうと曖昧なんですが、モノやサービスの生産供給能力、経済力が通貨の価値を担保していると考えれば良いのかなと。 この人は、なんか古い理論を持ち出して、スティグリッツ氏やシムズ氏が「国の借金を踏み倒せ!」とかとんでもないことを言っている様な印象操作をしようとしている様に思える。完全な論点そらしをやってますね。もう少しマクロ視点で日本の経済、財政を見て欲しいと思います。国家の財政、債務をマクロ的にみると、短期にはあるかもしれませんが、国債の残高を減らしている国は存在しないんですよ。(一部の小国や、産油国などの資源が豊富に産出される国は除外しますが)で、先進国で2006年から2015年までの10年間で政府債務が唯一減っているのがノルウェー(マイナスだと減少)。ただ、ノルウェーは北海油田を保有しており、ヨーロッパ随一の資源国です。国の規模、人口も大きいとはいえないので、産出された原油の利益でノルウェー政府はやりくりできてしまいます。結果、財政収支が黒字になりって政府の債務(国債残高)が減少してしまうのも当然だと思います。 上位の国、10年間で政府債務が200%、つまり3倍以上に増えている国が複数あるのですが、2015年時点の政府債務対GDP比はそれほど高くありません。100%超えていないですね。オーストラリアなんか10年で借金が6倍に増えている。一方で日本は10年間でたったの30%程度しか政府債務を増やしていません。これは先進国で見てもかなり少ない方なのですが、皆さん御存知の通り、政府債務対GDP比は250%に迫る水準。先進国で最悪の数字ですね。この違いは何なのか?それは名目GDP、インフレ指数の増加が関係しています。要するに借金が増えてしまっても、その分経済成長してGDPから見た債務の割合(政府債務対GDP比)を圧縮する。もしくはインフレにしてしまって債務の価値、負担自体を相対的に縮小してしまえば、政府の債務というものは問題なくなるということですね。 日本のマスコミは毎年のように「国の借金が過去最高を更新!」などと報道しているけど、政府の借金が過去最高を更新しているのは他の国も同じで、こんなアタリマエのことをなぜニュースで報道するのかワケが分かりません。政府の借金は経済成長と共に増えていくのが当たり前で、前回のエントリー「起きるはずのないハイパーインフレをなぜ心配するのか」で引用した日経の記事で、インフレで債務を減らすとかそんなうまい話があるわけがないとか書いてましたけど、そんなうまい話が他の国ではごくごく当たり前のように、日常的に起きてるんですよね。 日経が言ってるような「うまい話」そして一橋大学教授が言っている「どうかしている政策」の成功例は周りにいっぱい転がってるのにね。なぜそれを無視し、目をそらして「消費税増税しか無い」なんて結論になるんだろうか。。。わけわかりませんね。日本は借金を増やしているから財政が悪化しているのではなくて、経済成長していないから、デフレだから財政が悪化しているのです。それなのに景気を悪化させ、デフレを深刻化させてしまう消費税増税をやったら、日本の財政がかえって悪化してしまいます。 ハイ、↑お疲れ様。お休みなさい。
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