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加川良追悼! 教育勅語復活のいまこそ思い出せ、国のために命を捨てることのばかばかしさを歌った「教訓T」( リテラ)
http://www.asyura2.com/17/senkyo223/msg/747.html
投稿者 赤かぶ 日時 2017 年 4 月 08 日 21:10:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

             
                加川良公式ホームページ「TWINS Ryo Web」より


加川良追悼! 教育勅語復活のいまこそ思い出せ、国のために命を捨てることのばかばかしさを歌った「教訓T」
http://lite-ra.com/2017/04/post-3058.html
2017.04.08 加川良「国のために命を捨てるな」 リテラ


「教訓I」、「こがらし・えれじぃ」、「親愛なるQに捧ぐ」、「下宿屋」などの楽曲で知られるフォークシンガーの加川良が、今月5日、急性骨髄性白血病のため亡くなったと報じられた。69歳だった。

 加川良は、高田渡、岩井宏、岡林信康、高石ともや、遠藤賢司、ザ・フォーク・クルセダーズ、中川五郎らとともに1970年代のフォークブームを牽引した人物。作詞に困った吉田拓郎が、加川と思しき男性が恋人に宛てたと思われる手紙の文面をそのまま歌詞にした「加川良からの手紙」の人物としてもよく知られている(この「加川良からの手紙」の制作過程には諸説ある)。

 そんな彼の一番の代表曲は、なんといっても、1971年に発表された「教訓I」だろう。この曲は〈青くなってしりごみなさい にげなさい かくれなさい〉というサビのフレーズを繰り返しながら、「国のために命をすてる」という美学のくだらなさをこう暴いていく。

〈命はひとつ 人生は1回だから命をすてないようにネ あわてると ついフラフラと御国のためなのと言われるとネ〉

〈御国は俺達死んだとてずっと後まで残りますよネ 失礼しましたで終るだけ 命のスペアはありませんよ〉

〈死んで神様と言われるよりも 生きてバカだと言われましょうよネ きれいごと並べられた時も この命をすてないようにネ〉

 45年近く前につくられた歌ではあるが、「教訓I」はまさにいまこそ再び聴かれるべき歌である。

「国に危機が迫ったなら忠誠心を発揮してその身命を捧げ、それによって、永遠に続く天皇様の勢威を支えよ」といった意味合いの〈一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ〉なる文言が入った教育勅語を安倍政権およびその支持者たちは熱狂的に支持し、あろうことか、7日の衆院内閣委員会では義家弘介文部科学副大臣が、教育現場の朝礼などで子どもたちが教育勅語を朗読することについて、「教育基本法に反しない限りは問題のない行為であろうと思います」などと答弁した。この考え方が太平洋戦争の悲劇を生んだ歴史は見なかったことにして、彼らはこの極右思想を教育現場に復活させようとしている。

 加川は「教訓I」で、こういった教育勅語的な考えからの逃避と反発を歌っているわけだが、「国のために命をも含んだすべてを奉仕せよ」という全体主義やマッチョイズム的価値観への憎しみは他の曲でも登場し、同時期に発表された「できることなら」という楽曲ではこのような歌詞が歌われている。

〈他人を信じちゃいけませんよ 祖国を愛するなんて信じるなんて 泣かないうちにおやめなさい できればあなた自身も信じぬように 女々しく女々しく暮らしましょうよね〉

 加川良は社会派フォークシンガー一本槍の人ではなく、アングラフォークのブームの後は、もっと自身の生活に寄り添った歌やラブソングなどを歌うようになり、「教訓I」もコンサートで歌わなくなっていく。しかし、だんだんとその考えは変わっていった。なぜなら、「国のためなら個人の思いは踏みにじってもかまわない」という価値観は時が経ても変わらず、「教訓I」の伝えるメッセージは残念なことに新鮮なままだったからだ。「アサヒグラフ」1989年5月26日号に収録されたインタビューではこのように語っている。

「『教訓I』? もう必要ないんやないかって、十年くらい歌わなかった時もありましたけど、今すごい新鮮な歌です。平和そうやけどこのままでええんやろうか、原発のことも含めて今みんな疑問を持ち始めてるのと違いますか」

 その思いは21世紀に入ってからも変わらない。小泉政権がイラク戦争に自衛隊を派遣した際には、その動きに反対する集会が各地で行われ、加川もそういった場所で「教訓I」を歌ったことがあった。「週刊金曜日」2004年6月11日号のインタビューで加川はこのように答えている。

「自分の歌も、フォークソングと呼ばれようが、歌謡曲と呼ばれようが、結局は僕の音楽なんです。かつて作ったから古くさく、新しいから新鮮に歌えるなんてことはない。ライブでも毎回、そのときに新鮮に歌える曲を選んでいます。「教訓I」もどんな時期に歌ってもいいと思っているだけです。僕らが歌い出したころと、そんなに世の中は変わっていないし、僕らもそんなに変われるものではないですよ」

 結局、「教訓I」は発表されてからいまにいたるまで一度も古びることはなかった。いや、むしろ、いまの時代にこそ「教訓I」で歌われている言葉は強く響くのではないだろうか。原発事故で故郷を奪われた人々の心は踏みにじられ続ける一方で、国家的行事の東京オリンピックには湯水のように税金が投入される。また、政権とそれを支持する人々からの「愛国」の強要はかまびすしく、あろうことか首相は自衛隊のことを「我が軍」とまで呼び出し、いつ死者が出てもおかしくなかった南スーダンへの自衛隊派遣も、数々のインチキを押し通して強行してきたのはご存知の通り。「御国のため」なら命の一つや二つ失われても何の心も痛まないということの証左だろう。

 2014年11月16日の西日本新聞に掲載されたインタビューで加川は、「教訓I」についてこのように語っている。

「当然、歌ってますよ。新曲ですよ。歌うたんびに新曲だと思えるんです。今は「集団的自衛権」というタイトルで歌ってます(笑)。歌詞は何も変えてません。「福島第1原発」というタイトルでもこのまま(当てはまるわけ)ですし。当時はベトナム戦争があってましたから反戦の歌だと思われがちですけど、ほんとは命の歌。生きているからこそ良き人と出会っていい時間を持てる。生活も大笑いも大泣きも…年取るってそんな悪いもんじゃない。命は一つでも100回生きたという人もいるでしょうし。やっぱ生きてないといかん、という歌ですから。(中略)戦争のことでも歌えます。原発事故のことでも歌える。命の歌ですから、歌い始めて四十数年たちますけども(時代に)合わないなと思った時代は一度もないですもん。変わってないんですよ、世の中なんて」

 これまで加川は「教訓I」について「新鮮に歌える」と語ってきたが、ここにきて「新曲」とまで表現するようになった。それは、「国のためなら命を捨てろ」という全体主義的価値観が日を増すごとに強くなっている現状に危機感を抱いていたからなのかもしれない。西日本新聞のインタビューでは続けてこのようにも語っている。

「私はあんまりこういうことは言わないようにしてるんですけど、今、ヤバいなと思うのは戦争に行ったことがない、戦争を知らない人たちが政治を動かしている。僕らの小さい頃はまだ戦争を知ってる人がたくさんいた。戦争に行った人は皆、二度と戦争はするな、戦争は絶対やったらいかんと言った。今は戦争を知らない人が戦争やろうと言う、ような。それはお国のためというよりお金のためじゃないですか。でもね、この世界をつくったのは戦後生まれの僕ら。選挙で一人一人がちゃんと人を選ばないかんと思います…」

「教訓I」で歌われているメッセージは、安倍晋三的な価値観とは180度真逆にあるものだ。「国のために命を捨てることは格好いいことでもなんでもない。しっぽ巻いて逃げたってそれは弱虫じゃないんだ」と伝える「教訓I」は、「教育勅語の復活」というグロテスクな右傾化がはびこるこれからの時代、ますます真に迫った歌として聴かれることになるのだろう。

(新田 樹)










加川良 「教訓 I」 Kagawa Ryo "Kyokun I" (Lesson One)


教訓T /加川良

2017/04/06 に公開
教訓T/加川良
作詞・作曲:加川良
2002年加古川チャリティーコンサート


 

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コメント
 
1. 2017年4月08日 21:25:17 : NBQgWrfstA : DnCmWc@vvBk[1]
往年になってからの歌い方のほうが好きだな
高田渡の自衛隊に入ろう、なぎら健壱の教訓Uも一緒に。
平和はありがたい。

2. 2017年4月08日 22:00:21 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[832]
「国の為や家族の為に命を〜」がばかばかしいことなのでは無く「利権に溺れたひとでなしの為に〜」「平和である為にやれる事を放棄すること」が赦せないことこの上ないということではないか。

この世界とはあくまで「平和である為に何をすべきか」の方法論の模索の場でしかない。その意味では、どこであっても教育の現場となりうるものである。


3. 2017年4月08日 23:05:21 : h5CJ21mnts : GvPAgvPx8Io[15]
今の安倍政権の考えなら次の敵は中国だよ。君は一人で十人を相手に槍で果し合いをするかね。勝ち目は全くない。、

アメリカは日本のそれも右翼日本の味方ではないよ。アメリカは靖国神社もカルト思想も嫌悪している。

日本と中国が戦争をしなければならない理由などどこにもない。無人島ごときで誰が国に命令されて死ぬか。


4. 2017年4月08日 23:43:04 : LKXRYf922A : cCBGkda1vHE[1206]
加川良とは懐かしいですね。この教訓Tのような明確なメッセージのあるものよりも、私はなぜか「下宿屋」という歌が好きでした。この歌の不思議な魅力にひかれ、京都の大学に進学した、という人もいらっしゃるようです。
私は当時、京都のある大学の学生でしたが、スーパーでアルバイトをしていました。そうしたら店内で、時々この歌が流れてきました。

ご冥福をお祈りいたします。

https://www.youtube.com/watch?v=cCSCA6cAhGo


5. 罵愚[4978] lGyL8A 2017年4月09日 04:42:12 : LPgYYlYYWk : d6@UKqcdGRA[32]
 家族を愛しなさいとか、故郷の自然を愛することには戦後左翼も反対はしていない。ただ、祖国の危機に際しては命を捧げて戦いなさいの部分に反対している。自己犠牲は…もちろん自分自身が優先で、家族、親族、近隣、職域、宗教、民族と広がるほどに薄まっていき、祖国にいたっては、むしろ憎しみの対象にしているのが★阿修羅♪のオタマジャクシたちなんだな。
 このボードをみていると、それがよく伝わってくるのだが、それでも残る疑問は、もしも、万が一、まちがってこのパヨクたちが政権を握ったとしたら、この国は誰が守るんだろうか?

6. 2017年4月09日 07:11:59 : esmsVHFkrM : Z3UQbl@PdwA[973]

>>5、暗愚、

武力によって人民の命は守れないというあの悲惨で非道で愚劣な戦争から日本人が血で贖った教訓を学べない馬鹿がここにいる。

武力で国を守るということは、日本の国土で日本人が外国軍隊相手に市街戦をやるということだ。そうなれば、市街戦を戦う日本人のほか市街戦が戦われる地域の日本人が大量に死ぬ。戦火が日本全土を覆えばそれこそ日本人が数限りなく死ぬ。その郷土全部を戦場とした沖縄を見れば、その悲惨さと残虐さと非道さがよくわかる。軍隊が人民などまったく守らないばかりかその戦争遂行のために平気で人民を殺すことがよくわかる。だから、武力によって日本の人民は守れない。人民は使われて殺されるばかりだ。

それにもかかわらず武力で守れと主張する人間は、守れというときにその対象に日本の人民(金も権力も特権もない普通の日本人)などまったく考えていない。考えているのは、天皇制とか国家とか民族とかいう空虚で自分勝手な妄想か、権力とか利権とか財産とかの自分のケチな特権とかを守ることで(暗愚君は、前者を「真正右翼保守」後者を「金権右翼保守」と呼ぶ)、そのために人民を動員し戦わせ犠牲にするということだ。女子供が何十万人も空襲で殺されたあのアジア太平洋戦争の終盤を見ればそれがよくわかる。「国体」と称する右翼天皇制国家主義イデオロギーとそれを信奉する権力者のん力と利権と特権を守るために、空襲で女子供が日々大量に焼き殺されているにもかかわらず、自分たちの命惜しさで戦争はだらだらと継続された。

だから、日本人を守るということは戦争を行わないということだ。周りの国々や世界の国々と仲良くして、信頼され尊敬され愛されることだ。そのために、平和外交に努力し活発に展開するばかりでなく、発展途上国への経済援助や、技術交流、文化交流や、NPO活動、民間のボランティア活動や、相互のツーリズム振興や、個人の国際交流に至るまで日本の平和ソフトパワーの涵養と展開に努めなければならない。

そういうソフトパワーに支えられた平和外交により、東アジアの緊張緩和と平和環境の創設を通じ、日本人の平和民主主義への世界の信頼と敬愛を勝ち取り、同じ平和民主主義を採用する国を増やして世界における平和民主主義の流れを作り出しそれを力強いものとしていくことだ。

あの戦争を戦って生き延びた苦難や悲惨に比べれば、これらのことは困難であっても日本人にそれを引き受ける覚悟と勇気がないはずがない。実際1947年には保守政治家に至るまで日本人はその覚悟で一体となったではないか。それが、アメリカの犬となった自民党と右翼利権官僚によって、アメリカの都合に合わせて、時間をかけてなし崩しにされてきただけだ。

人民が平和で幸福に暮らす共同体としての「祖国」は武力では守れない。「武力によって」と称して人民を殺して守る「祖国」とは、常に時の権力や政権の言いだ。だから、日本の右翼国家主義者が言う「祖国」とは、人民を貧窮化させ不幸にするばかりか人民を殺してまで自分たちの利権を守ろうとする自民党=利権官僚政府だ。そんなものは「祖国」ではない。本当の祖国とはわれわれ日本人の一人一人だ。だから自民党=利権官僚政府や右翼保守がいうそんな「偽りの祖国」が憎まれるのは当然のことだ。

この国はわれわれ日本人一人一人が守る。われわれはわれわれの命を平和民主主義の思想とその平和外交と平和ソフトパワーによって守る。

憲法に書かれたこの戦後日本国の国是を、それを否定するいわば国家反逆者である右翼保守にとやかく言われる筋合いはない。


7. 2017年4月09日 07:49:48 : g9Sh5YnDmc : A6YoXtWhhCw[12]
[このボードをみていると、それがよく伝わってくるのだが、それでも残る疑問は、もしも、万が一、まちがってこのパヨクたちが政権を握ったとしたら、この国は誰が守るんだろうか?]


だれも守りません、日本を中国共産党、北朝鮮にさしあげ

中国共産党、北朝鮮の指導のもとに日本国民は生きて行くことになる

それだけです。 

キムジョンイル マンセイ シュウキンピラ マンセイ

マンセイ マンセイ が日本中でこだまする。

マンセイしなかったら、収容所送り、即銃殺されるだけです。  


8. 人間になりたい[314] kGyK1ILJgsiC6IK9gqI 2017年4月09日 15:42:30 : Igew9LiSCV : jX5tMsGMxX4[138]

さーみんなで、青くなってしりごみしましょう、にげましょう、かくれましょう。
それでもこの国は安泰です。
籠池先生や石原慎太郎国士や稲田朋美国防大臣が命に代えてこの国を護ってくれるでしょう。
似非右翼やカルト患者もここぞとばかり命を捨ててくれるでしょう。
それでも足りなきゃ、日本は神の国です、
あの世から、牟田口廉也や石原莞爾が駆け付けてこの国を護ってくれるでしょう。
 
 

9. 罵愚[4987] lGyL8A 2017年4月11日 05:28:35 : LPgYYlYYWk : d6@UKqcdGRA[41]
>>8
 パヨクはネトウヨが守ってくれると、ネトウヨはパヨクと一緒に守ろうと…

10. 2017年4月11日 08:09:54 : esmsVHFkrM : Z3UQbl@PdwA[979]

>>9、暗愚、

皮肉だよ、皮肉。

君もまっ先に志願して、前線で死ぬんだろう? そのはずだよな?

右翼になるような低脳は、こうも日本語が読めないのかねえ。

大笑い。


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