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戯言(ざれごと)では済まなくなっている!
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2017/04/05 07:04 半歩前へU
▼戯言(ざれごと)では済まなくなっている!
最初は安倍首相安倍政権頭の弱い防衛相の稲田朋美の戯言(たわごと)と思っていた教育勅語。そんな戯言(ざれごと)では済まなくなっている。
官房長官の菅はきのう(4日)、「適切な配慮の下で取り扱うことまでも、あえて否定すべきではない」と、重ねて教育勅語を容認する考えを強調した。
教育勅語の核心部分は、個人よりも国家を優先し、「一端コトあれば国のために命を捧げよ」と説いていることである。
戦前回帰を公然と口にする安倍政府。日本は危ういところに差し掛かっている。毎日新聞も朝刊で警告を発した。
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毎日新聞の社説
教育勅語を学校教材として活用するのを否定しないとする答弁書を安倍内閣が閣議で決めた。菅義偉官房長官は教育勅語を道徳教育に使うことも「否定できない」と述べた。
戦前の教育規範だった教育勅語は国家主義を支え、軍国主義を推し進める役割を果たし、戦後、国会の決議で失効した。この経過を踏まえれば、こうした言動は看過できない。
1948年、教育勅語について衆院は基本的人権を損なうとして憲法に照らし排除の宣言を、参院は教育基本法制定により失効の確認をそれぞれ決議した。
政府が道徳での活用を「否定しない」態度はとりわけ問題だ。教育勅語は親孝行など12の徳目を示しているが、菅長官は「適切な配慮の下」でなら「懸念は生じない」と言う。
だが、親孝行など道徳的な教えは教育勅語を持ち出すまでもないことだ。教育勅語の核心はこうした徳目を実行することで「天壌無窮(てんじょうむきゅう)の皇運」(永遠の皇位)を助けよ、と要請し、国の非常時には天皇のために命を懸けよ、と説いている点にある。
それがどう使われたかの歴史的文脈を無視するような姿勢は、新憲法により天皇中心の国家観を否定し、国民主権となった戦後の日本の歩みに逆行しているかのようだ。
「適切な配慮」の定義もあいまいだ。解釈が広がるおそれがあり、教材としてお墨付きを与えることにつながりかねない。
教育勅語を巡っては、学校法人「森友学園」の幼稚園が園児に唱和させ、稲田朋美防衛相が国会で「核の部分は取り戻すべきだ」と再評価する発言を繰り返し問題となった。
政府として活用する考えはないというが、ならばなぜ全否定をためらうのか。
憲法や教育基本法に抵触せず、適切に活用するとすれば、教育勅語が軍国主義教育を助長していった負の歴史の教訓と反省を説く教育以外にはないのではないか。
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