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「ブーメランの女王」辻元清美氏の戦略はどこが間違っているのか
2017年3月30日 窪田順生 [ノンフィクションライター]
森友学園騒動が、民進党の辻元清美氏にまたもやブーメランとして突き刺さっている。なぜ民進党や辻元氏は、繰り返しブーメラン現象を引き起こすのか。彼らの戦略を分析してみると、1つの大きな誤りに気づく。(ノンフィクションライター 窪田順生)
籠池爆弾が炸裂
またもや民進党にブーメラン
野党のみなさんが、安倍首相のクビをとるために国会まで引っ張り出してきた「籠池爆弾」が、ここにきて思わぬ方面で炸裂して、被害を広げている。
15年前、小泉純一郎首相(当時)や鈴木宗男氏を舌鋒鋭く批判するも、自ら秘書給与流用で議員辞職に追い込まれた辻元氏は、いわば「ブーメランの女王」。辻元氏、そして民進党の一体何がブーメラン現象を引き起こしてしまうのだろうか? Photo:Natsuki Sakai/AFLO
籠池泰典氏の妻・諄子氏と、安倍昭恵氏の間に交わされたメールを、自民党の西田昌司参院議員が公開したことで、民進党の辻元清美氏に対して、本件に対する「関与疑惑」が浮上してしまったのだ。
メールによると、籠池夫人は辻元氏を名指しで、森友学園の幼稚園に「侵入しかけた」と批判。さらに、マスコミの前で工事の不審点を証言した者についても、「さしむけた」「潜らせた」という表現で、辻元氏が関与している可能性を昭恵氏に訴えていたのだ。
この「疑惑」に対して、民進党は「虚偽」として声明を発表。さらに、辻元氏がホームページで「このようなデマにくれぐれも惑わされないようにお願いいたします」とコメントをした。
これが「デマ」なのかどうかは、籠池夫人を国会で証人喚問しても明らかにならないだろうが、この段階でひとつだけはっきり言えることがある。それは、民進党と辻元氏の対応が、またしても「例のお家芸」を引き起こしてしまっているということだ。
籠池氏が国会で「人払いして、安倍晋三からですと100万くれた」と発言した後、昭恵夫人はfacebookで「事実と異なる」とコメントを出したところ、民進党の榛葉賀津也参院国対委員長は記者会見でこんな苦言を呈した。
「昭恵夫人はフェイスブックなどの飛び道具ではなくて、まずはメディアの前に出てきて、自身の口から説明することが大事ではないか」(2017.3.24 産経ニュース)
もうおわかりだろう。「昭恵夫人」と「フェイスブック」を「辻元氏」と「ホームページ」に置き換えると、きれいな放物線を描く特大ブーメランになっているのだ。
ダブルスタンダードを貫く
懲りない民進党の気質
辻元氏自身の言動にも、その傾向がみられる。2月24日、民進党の森友学園調査チームの記者会見で、辻元氏は以下のようなマスコミ記者たちがウンウン頷くパワーワードをおっしゃった。
「自分たちの関与がないということも含めて、調査をしっかりしますというのが普通の対応だ」
この辻元理論でいえば、籠池夫人にここまで名指しで関与の可能性を訴えられている以上、自分の関与がないことを含めて調査をするのが筋なのだが、「デマ」の一言で片付けている。「ないことを証明するのは悪魔の証明だ」と野党の追及をかわす安倍首相の姿と、モロかぶりとなってしまっているのだ。
民進党の支持者のみなさんからすると、「そんなの屁理屈だ」「安倍政権の回し者の印象操作だ」ということになるのだろうが、なぜこういうブーメラン現象が起きてしまうのかは、ちゃんと理屈で説明できる。
連日のマスコミ報道をご覧になってわかるように、ここ数ヵ月の「森友学園狂奏曲」で野党がとってきた基本スタンスは、「安倍晋三・昭恵夫婦より籠池夫婦の言っている方が信用できるから、口利きがあったことを認めろ」というロジックである。ならば、信用に価する籠池夫人のメールも、それなりの検証をしなくては論理が破綻する。
しかしこれまでの民進党の対応を見る限り、政権批判の文脈で登場する時は「信用できる人」で、自分たちに都合の悪い話をしはじめたら「信用できない人」に切り替わる、という「ダブルスタンダード」になっている。
実はこれこそが、民進党内に蔓延している「ブーメラン気質」の正体でもある。
ブーメランが刺さりやすい人の
特徴とは何か
民進党議員の多くは、他者を批判をする材料が、自分たちにもガッツリとあてはまるにもかかわらず、どういうわけかその批判は自分たちにはあてはまらない、と過信しているフシがあるのだ。
たとえば、現在のもうひとつの政権批判イシューである「南スーダン日報問題」。自衛隊の日報に「戦闘」と書かれていた事実を政府は隠蔽したのではないか。辻元氏はそう厳しく批判した。
しかし、野田政権時代の2012年にスーダンと南スーダンとの間で大規模な武力衝突が発生した際にも、自衛隊部隊の報告書には「戦闘」という表現が使われている。それを安倍首相に指摘され、例によって見事なブーメラン弾を受けた辻元氏は、余裕の笑みを見せてこんなことを言った。
「そうムキにならずにですねえ。おっしゃったことは、全部承知して質問しているんです」
そんなことはわかっているけれど、「隠蔽」という悪事は自分たちにはあてはまらない、という「ダブルスタンダード」が言葉の端々から感じられる。
このような現象を見ていると、なんとなく「ブーメランになりやすい人」というものの特徴が浮かび上がってくる。それは一言で言うと、「他者を批判することが習慣になってしまっている」ということだ。
実は今から15年ほど前にも、辻元氏は超巨大ブーメランが後頭部に突き刺さったことがある。
当時、辻元氏は一部のマスコミから「社民党のジャンヌダルク」なんて感じでもてはされていた。小泉首相に対して「ソーリ!」を12回も繰り返して厳しく迫る。鈴木宗男氏にも「あなたは疑惑の総合商社ですよ!」とバッサリ。ショートカットで凛としたたたずまいの辻元氏に詰め寄られて、おじさんたちがうろたえる姿は、「スカッとジャパン」みたいで多くの人々のハートをわしづかみにした。
しかし、そんな「正義のジャンヌダルク」が、ある報道を境に、一転して「ヒール」になってしまう。
「週刊新潮」が、元参院議員の私設秘書の女性の名義を借りて、政策秘書の給与約1500万円を国からだまし取った疑いがあるとスッパぬいたのだ。辻元氏は社民党本部で会見をして事実無根だと一蹴した。
「記事の内容は事実と違い、心外だ。法的措置も含めて今後の対応を検討する」(2002/03/20 東京読売新聞)
「人を責める」戦法だけでは
民進党に成長はない
だが、残念ながらこれは事実だった。こういう取り繕いもマズいが、もうひとつマズかったのが、秘書給与の流用も認めた辻元氏はこんな釈明をしたことだ。
「私はカツラ代に使った山本さんとは違う。私的流用はない」(2004/03/30 朝日新聞)
「山本さん」とは、秘書給与流用事件で逮捕され、懲役1年6ヵ月の判決を受けて433日の獄中生活を送った元衆議院議員の山本譲司氏。当時、流用した金でカツラを買ったとか妻の服を買ったなどという報道が氾濫したが、実はこれは「デマ」だったのだ。そのあたりを確認しないでなりふり構わぬ自己保身をした、と山本氏は獄中から抗議をしたという。
頭の回転が速く、次から次へとマスコミ受けする言葉が飛び出す辻元氏が、なぜ「人を引き合いにして自分の正当性を訴える」という、世間がシラける見苦しい釈明をしてしまったのか。ご本人にしかわからぬことだが、個人的には「他者を批判すること」が骨の髄まで染み付いていたことが大きいと思う。
冷静に考えることができれば、この窮地から脱するためには誠実な説明こそが必要だと思い至っただろう。しかし、常日頃から脊髄反射のごとく「他者批判」を繰り返してきた辻元氏は、「私はあの人よりもぜんぜん悪くないですよ」という釈明が自然と口をついて出てしまったのではないのか。
このような「批判癖」をあまりにこじらせた人が、「自分は批判されない特別な存在だ」と勘違いをはじめる、というのは実社会でもよく見かける現象だ。つまり、「政権の批判が一番」という気質こそが「ダブルスタンダード」に対する感覚の麻痺を引き起こし、ブーメランのフィーバー状態に入っている可能性があるのだ。
その後、辻元氏は議員辞職に給与返還はもちろん、逮捕・起訴され、懲役2年の判決で執行猶予5年がついた。ちょうど今から13年前の04年3月28日、大阪府高槻市で催された「辻元清美さんの裁判を支える会」の報告会で、辻元氏は事件から2年後に初めて地元選挙区でこのように謝罪をした。
「私は税金の取り扱いであやまちをした。しかも事実と違ううそを言ってじたばたとごまかそうとした。一度に潔く認めることが怖くてできなかった。おわびのしようがない」(2004/03/30 朝日新聞)
一方の山本氏は、辻元氏に抗議した後に、以下のように思い直したという。
「その後の週刊誌報道は彼女のプライバシーも何もあったものじゃない。振り返れば、事件発覚のとき自分も自己保身に走った。彼女を責めるのは思い上がっている。自分の中におごりがある。人を責めるがごとく自分を責めよ、自分を許すがごとく人を許せ」(2004/03/30 朝日新聞)
獄中で政治家とは何かということに正面から向き合った山本氏の言葉から、民進党が学ぶことは多い。
ここらでダブルスタンダードは止めて、与党を責めるがごとく身内を責めてみたらどうだろう。辻元氏がかつて口にしたように、「一度に潔く認めることは怖い」ものだ。しかし、広報戦略的観点から見ると、敢えてここに踏み込めるかどうかが、その後の世論形成を大きく左右する。
これをせずに逃げ回ったばかりに傷口が広がり、収拾がつかない事態に追い込まれるという事例は、15年前の辻元氏はもちろん、政治家や企業など枚挙にいとまがない。蓮舫代表に追及される疑似体験ができる「VR蓮舫」なんてゲームを開発している場合ではないのだ。
「他者批判」一辺倒の硬直化した戦略では、残念ながらブーメランを自ら生み出す悪循環を繰り返すだけだ。これでは民進党は与党の座を奪還することはおろか、野党として存在感を出すこともできないだろう。
http://diamond.jp/articles/-/123005
【第132回】 2017年3月30日 山田厚史 [デモクラTV代表・元朝日新聞編集委員]
アベノミクスへの対抗軸を示す注目の学者・井手栄策の思想
民進党の新たな動きに重要な役割を演じているのが、若手財政学者・井手英策慶大教授だ Photo:AFLO
森友学園の騒動に隠れているが、野党第一党の民進党に新たな変化が起きている。
アベノミクスへの対抗軸を鮮明にしようという動きだ。重要な役割を演じている学者がいる。論壇で注目される若手の財政学者・井手英策慶応大学教授である。
3月12日、都内で開かれた民進党大会に招かれ、来賓として行った演説が「心揺さぶられるスピーチ」とネットで評判になった。
「民進党が政権を取れば、かつてのような成長を取り戻せるでしょうか。僕はそうは思いません」と突き放し、「経済を成長させ、所得を増やし、貯蓄で安心を買うといという自己責任モデルは破綻した」と言い切った。
では、アベノミクスへの対抗軸となる政策を井手は、どう語っているのか。
党大会での井手演説から民進党が目指す新たな道を探ってみた。
なぜ学者の井手英策があえて
特定政党の応援を買って出るのか
「普遍的な真理を追い求める学者が、特定の政党を応援する場に来る。これはとても勇気のいること、いや、むしろ、恥ずべきことでさえあります。だからこそ、僕が迷いを抱えてまで、今日この場に来た理由、想いをお話しさせてください」
会場で井手教授のスピーチを聞き、「こんなに痛快、そして熱く語る学者がいるとは」と驚いた。
井手は自分が呼ばれたのは、蓮舫代表が設置した「尊厳ある生活保障総合調査会」のアドバイザーだから、と述べつつ、調査会に参加することを知った友人たちから「もう民進党はダメだ」「あんな政党と関係を持たないほうがいい」と助言されたと明かした。
「勝てる勝負、強者の応援なら誰にだってできます。そんなものは僕にはまったく価値のないことです。一介の学者に向けられた、政治家の熱い思いに応える。強いものに立ち向かおうともがき苦しむ民進党のみなさんとともに、国民が夢を託す『もうひとつの選択肢』を作ることができる。こんなに愉快なことはない。人間には、生まれたことの意味を知る瞬間があります。それはいまです。学者としての命をかけるならここだ、そういう覚悟でいまこの場に立っています」
学者として考え抜いた理論を現実に生かせるなら、学者の枠からはみ出て、政党と組むことも厭わない。覚悟を語ったのである。
矛盾に満ちた経済社会への処方箋を考えるのが経済学者だと井手は考える。「強者の応援」は御用学者に任せればいい。興味はない。どん底の民進党だから、現状への鮮明な対抗軸が創れる、というのだ。
「格差放置社会」日本で
もはや自己責任は果たせない
井手英策は1972年4月生まれの44歳。東大で財政学者・神野直彦名誉教授の指導を受け、「高橋財政の研究、昭和恐慌からの脱出と財政再建への苦闘」(有斐閣)を35歳で書いた。財政・金融と社会を絡めた財政社会学が専門で2015年、「経済の時代の終焉」(岩波書店)で大佛次郎論壇賞を受賞。朝日新聞の論壇委員などを務めている。
目下の関心は、日本が「格差社会」になっていることだ。
「北欧諸国と並んで平等主義国家と呼ばれた日本でしたが、いまではジニ係数でみても、相対的貧困率でみても立派な格差社会…あえて言えば、『格差放置社会』です」
多くの障がい者が殺された「やまゆり事件」を例にとり、
「加害者は、職を失い、障がいを持つ社会的な弱者でした。小田原市の問題と同様、弱者がさらなる弱者を痛めつけて喜ぶという、絶望的な事件だったのです」
小田原の問題とは、福祉課の職員が生活保護者を見下すような文字が入ったジャンパーを着て受給者と接していたことだ。
小田原に住む井手は、市長に依頼されこの問題を検証する委員会の座長を引き受けた。そこで絶望的状況を知ったという。
生活保護家庭をまわるケースワーカーは重労働にもかかわらず、仕事の悩みを語ったり事情を理解してもらえる職場環境になかった。「弱者がさらなる弱者を痛めつけて喜ぶ」という出来事がここでも起きていた。
「人間どうしが分断され、生きることが苦痛となるような社会を子どもたちに絶対に残すわけにはいかないのです」
3児の父親としての主張だ。
今の日本は「平気で弱者を切り捨てる冷たい社会」という。なぜこんな社会になったのか。「自己責任モデル」の破綻に原因はある、というのが井手の見立てだ。
経済を成長させることで、個人が所得を増やし、貯蓄を蓄えることで将来の安心を買う。日本は、それぞれ個人の責任で自分や家族の幸せを築くという「自己責任社会」だった。
前提は「経済成長」だった。成長すれば所得が増える。能力と運に恵まれた人は大きな所得を得る、そうでない人もそれなりに。ところが今はどうか。
「子どもの教育であれ、病気や老後の備えであれ、貯蓄がなければ生きていけない社会なのに、家計貯蓄率は、ほぼゼロにまで落ちました。夫婦二人で働くようになったにもかかわらず、世帯収入はこの20年間で二割近く落ちました。年収300万円以下の世帯が全体の34%を占め、国民の9割が老後に不安を感じると答える。異様です」
低成長で所得が伸びず、安心を買う「貯蓄」ができない。つまり「自己責任」が果たせない経済になっている。
経済成長に頼らない政策を
アベノミクスの対抗軸に
処方箋はなにか。主流派の考えは「経済成長を再び」である。アベノミクスもこれだ。首相はことあるごとに「成長戦略」を口にする。
メディアのアベノミクス批判も「成長戦略がはっきりしない」というパターンが多い。
エコノミストやTVで経済を語るコメンテーターも「成長論者」がほとんどだ。
学者では証券エコノミスト出身の水野和夫法政大学教授などが「成長の時代は終わった」と論ずるが、少数派だ。
「成長を諦めるのは敗北主義」と安倍首相は言う。
成長を取り戻せば日本社会に漂う不安や閉塞感は払拭できる、というのが大方の思いではないか。井手はこの常識に疑問符を投げかける。
「成長率を高めるためには、いくつかのポイントがあります。労働力人口、生産性、国内の設備投資。しかしどれも期待できない。潜在成長率が1%さえ超えられないという現状がそのことを雄弁に物語っています」
「最後の希望は技術革新ですが、政府がイノベーションを生み出せるでしょうか。歴史を見る限り、日本経済が次々と新しい技術を開発し、もっとも高い成長率を記録した時代、それは、政府が景気対策も規制緩和を行う必要のなかった高度経済成長期です」
もうそんな時代に戻れない。成長を諦める必要はないが、政権党と経済成長を競い合うのでは野党として意味がない。
「経済成長に頼らない政策」をアベノミクスの対抗軸に掲げてこそ野党だ、という提案だ。
「期待できない経済成長に依存せずとも、将来の不安を取り除ける、そういう新しい社会モデルを示してこそ、対立軸なのです。不安に怯える国民が待ち望んでいるのは、このパラダイムシフト、発想の大転換なのです」
新しい社会モデルは「自己責任」の社会ではなく「分かち合い・満たし合い」の社会に変える。貧しい人だけではなく、あらゆる人びとのくらしを保障する。財政を通じた「再分配」でこれを行う。「オール・フォー・オール」が井手理論の核心だ。
成長の見えざる手による再分配に
代わる「ユニバーサリズム」の思想
「大きい政府」でもある。増税が伴う。
20世紀末からの思潮を振り返ると、ソ連崩壊で社会主義圏がなくなり、市場原理が時代精神となった。途上国の勃興、旧東側諸国の体制転換。地球丸ごと資本主義で競争は激しさを増し、自己責任を掲げる新自由主義がもてはやされた。
勝ち組アメリカが史上空前の繁栄を謳歌したが、それもバブルだった。リーマンショックを機に、成長が伸び悩む中でのパイの奪い合いとなり、格差問題を噴出させた。国家間・地域間の格差、豊かな社会の中の貧困。地球規模で分断と対立が激化している。
成長と見えざる手による再分配、という好循環は崩れた。競争原理と自己責任では「冷たい社会」になる。トランプ政権の誕生は貧困化する没落中産階級の怨念の結晶だ。
安倍首相が春闘に介入し、働き方改革で「非正規社員」に言及するのも「自己責任モデル」の行き詰まりを示している。
井手の経済思想は「ユニバーサリズム(普遍主義)」と呼ばれる財政理論である。
単純化して言えば、1億円の所得があるAさんと、100万円の所得しかないBさんがいるとしよう。ユニバーサリズムは同じ税率にする。税率20%だったら1億円のAさんは2000万円納税する。100万円のBさんにも20万円の税金を払わせる。
政府が集めた2020万円を、ひとしく分配する。子ども手当のような直接支払いでも、大学無償化というサービスでも、金持ちと貧乏人を区別しない。AさんもBさんも1010円の給付(再分配)を受ける。
その結果、Aさんは1億円−2000万円+1010万円で再分配後の所得は9010万円。
Bさんは100万円−10万円+1010万円で1100万円の所得になる。この結果、100対1の格差が、財政による再分配で9対1に是正される。
ユニバーサリズムの肝は「差別しない」。税率は等しい。金持ちも貧乏人も、同じサービスを受ける。所得制限は付けない。貧困だから、といって特別な計らいをしない。「施されることで傷つく尊厳」に配慮したい、と井手は言う。根底には母子家庭でそだった幼いころの記憶がある。
民進党右派の前原が感銘
増税を掲げての選挙に課題
この思想に感銘を受けたのが民進党の前原誠二だった。井手が顧問を務める「尊厳ある生活保障総合調査会」の会長は前原だ。
「マニフェストや個別の政策ではなく、あるべき日本の姿、民進党の拠って立つ国家像、社会像を示したい、だから力を貸してほしい、そう熱心におっしゃいました。僕が腹をくくった瞬間でした」
と井手は言う。前原調査会を舞台に民主党は「ユニバーサリズムに立った国家像」を示すことになるだろう。
民進党は寄り合い所帯で「国家像・社会像」はモザイクのようにまちまちだ。この政党で統一した社会観が築けるだろうか。しかも増税がセットになった再分配である。
「増税を掲げて野党が戦って政権が取れるのか」という現実論が吹き出るのは間違いない。安倍首相は、消費増税を掲げながら、先送りすることで選挙を勝ってきた。
「耳当たりのいい目先の政策では、どうしようもない状態に日本の政治も財政も陥った」そんな思いは前原と井手も共通している。
党内右派である前原は「私は社会民主主義者」と対談(岩波書店「世界」)で語るほど前向きになった。党首の蓮舫も同調している、という。
増税は財政再建のためにやるのではない。安心を得るために財政を変える、当てにならない成長に頼らず、公正な分配が人々の暮らしを明るくする。そんな筋書きの報告書が5月にはまとまるだろう。人々が安心してリスクを取れる社会になれば、結果として成長率が上がるかもしれない。
どん底の民進党だからこそ大胆な政策提示を期待したい。
(デモクラシータイムス同人・元朝日新聞編集委員 山田厚史)
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