http://www.asyura2.com/17/senkyo223/msg/209.html
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2017年3月27日
「自衛隊員の生命を守れ」というひとはいても、
南スーダンのひとたちのことは話題にしない
[橘玲の日々刻々]
古代エジプトの遺跡をめぐるナイル川クルーズの起点はアブ・シンベル神殿で、アスワン・ハイダムでできたナセル湖のほとりにあります。神殿の入口ではカラフルな民族衣装の男たちが民芸品を売っていて、ガイドは彼らに目をやると、「ちょっと先のスーダンから来てるんだよ」といいました。「あんな国に行くことはないだろうから、関係ないだろうけどね」
そのスーダンに駐屯している自衛隊の派遣部隊をめぐり、国会が紛糾しました。しかし私を含め、スーダンを訪れたことのある日本人はほとんどいないでしょうし、どこにあるのか知らないひとも多いでしょう。
自衛隊が国連平和維持活動(PKO)に参加しているのは南スーダンで、2011年にスーダン共和国から独立しました。歴史的には、エジプトが占領していたスーダン北部はアラブ系住民の多いイスラーム圏、イギリスが統治した南部は黒人の多いキリスト教圏で、1956年の独立後も北部と南部の対立はつづきます。1970年代に南部に油田が発見されると20年におよぶ泥沼の内戦が始まり、アメリカの支援を受けた住民投票で南部独立が達成されてからも、大統領派と副大統領派の部族衝突から内戦が勃発しました。この混乱で国連のPKOが秩序維持にあたることになり、11年9月に当時の民主党・野田政権が自衛隊の派遣を決定しました。
ところがその後も紛争状態は改善せず、16年7月には自衛隊の駐屯する首都ジュバで武力衝突が発生します。国会で問題とされたのは、現地の自衛隊が日報でこれを「戦闘」と記録していたのに対し、防衛相が「衝突」と言い換えて答弁した、というものです。自衛隊が「戦闘」に巻き込まれる恐れが明白になれば、「PKO参加5原則」が崩壊することを危惧したのでしょう。
この論争(というか、言葉遊び)で不思議なのは、「自衛隊員の生命を守れ」というひとはいても、南スーダンのひとたちのことは誰も話題にしないことです。今年2月、国連事務総長顧問は「大虐殺が起きる恐れが常に存在する」との声明を発表しました。ルワンダのような悲劇を防ぐために各国がPKO部隊を派遣しているのですが、「平和憲法の精神」を説くひとたちは、自衛隊を撤収してジェノサイド(民族大虐殺)の危険のなかに住民を置き去りにすることをどう考えていたのでしょうか。
「アフリカの国のことなんてどうでもいい」とか、「国民同士が殺しあうのは自己責任だ」という“ジャパニーズ・ファースト”の政治的主張もあり得るでしょう。ところが自衛隊撤収を求めるひとたちは、「非軍事の人道支援、民生支援に切り替えるべきだ」などといっています。軍隊ですら危険な地域に出かけていく民間人などいるでしょうか。
とはいえ、国民の多くが、なぜ自衛隊が南スーダンで危険な任務に就かなくてはならないか疑問に思っている以上、5月末で活動を終了すると決めたことは正しい判断でしょう。そもそも自衛隊は、「戦闘で1人の犠牲者も出してはならない」という世にも奇妙な組織です。それを国際貢献の名のもとに、PKOという「軍隊」として派遣したことが間違っているのですから。
『週刊プレイボーイ』2017年3月21日発売号に掲載
橘 玲(たちばな あきら)
作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ヒット。著書に『日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル』『橘玲の中国私論』(ダイヤモンド社)『「言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)など。最新刊は、小説『ダブルマリッジ』(文藝春秋刊)。
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http://diamond.jp/articles/-/122738
日本では議論されない南スーダン「絶望的な現状」〜これが本当の論点
未曾有の人道危機はなぜ起きているか
栗本 英世大阪大学大学院教授
社会人類学、アフリカ民族誌学プロフィール
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51265
南スーダン自衛隊撤退ではっきりした日本の安保の「超重大な欠陥」
国際社会にバレたら一大事!?
伊勢崎 賢治東京外国語大学教授
紛争屋プロフィール
積み上げてきた「理屈」が崩壊した
2017年3月10日、政府は南スーダンからの自衛隊撤退を表明しました。
僕はこれまで、こういう主張をしてきました。
*
日本が依然として派遣の根拠にしているPKO派遣5原則(1992年制定)は、「住民保護」が主任務になった現代のPKOでは意味を失っている。
もはや停戦があるかどうかなんて関係なく、治安が悪くなればなるほど、その状況の犠牲となる住民を保護するべくPKOは撤退しなくなる。
昨年の7月の首都ジュバでの大規模な戦闘を受けて、即座に国連安保理がPKO部隊の4000名の増派を決定したことからもわかるように、自衛隊が撤退できないのは安倍政権が「駆け付け警護」をやらせるために無理強いしているからではない。単純にそれを国際世論が許さないからだ。やったら、それは「住民も守るためにもっと戦え」と迫る国際社会の正義を敵にすることになる。
だからこそ、安倍政権の安保法制を政局にするのではなく、そもそも民主党政権時に南スーダンに自衛隊を送った民進党が歩み寄り、現場に小康状態が訪れたら即座に、そして静かに、代替え案をもって撤退させよ。
*
そう提言し、そのために政党、そして外務防衛関係者へのロビー活動もやってきました。(参照:「南スーダンの自衛隊を憂慮する皆様へ〜誰が彼らを追い詰めたのか?」 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49799)
交戦できない自衛隊は、弾がまったく飛んでこない場所でなら活動できます。そんな「仮想空間」を戦場につくり参加してきたのが、これまでの自衛隊によるPKOです。
それらは、
・「後方支援」(通常の施設部隊=兵站部隊に前方も後方もありません)
・「非戦闘地域」(こんなものが存在したら軍隊は基地を造る必要はありません。基地を一歩出たらそこは戦場です)
・「(武力行使と一体化しない)一体化論」(国連が南スーダンのような受け入れ国と一括して結ぶ国連地位協定をベースに、自衛隊に限らず全ての多国籍の部隊は国連の指揮下に一体化します)
などです。
南スーダンでもこれは成り立ってきました。首都のジュバは、もとは「安全」でしたが、昨年7月に、その「仮想空間」と、それを基に積み上げた「9条に抵触させない」理屈の数々が崩壊し、防衛省、特に陸上自衛隊はかつてない危機感を持ったはずです。
「駆け付け警護」など無意味
実際、今になって、政府は昨年9月から撤収を検討していたと明かしました。でも、そのさなかの11月に「駆け付け警護」の任務を付与したことになる。
そもそも南スーダンの自衛隊は道路や橋をつくる施設部隊ですから、国連司令部が歩兵部隊がやる能動的な警備業務を命じることはありません。当たり前です。そんな専門外の部隊を送ってそこで何か殺傷等の事件が起こったら、上記のように、南スーダン政府に対する地位協定上の責任は国連が負っているのです。
施設部隊に付随する警備小隊はある程度専門的な訓練を受けているでしょうが、歩兵部隊を使い果たした後で施設部隊に警備要請が来る状況というのは、例外中の例外。国連PKOにとって、本当に、壊滅的な状況です。全体で2万以下しかいないPKO部隊がその10倍以上の兵力の南スーダン政府軍とガチンコになり取り囲まれるような状況です。
その際には、PKO主力戦力を提供している周辺各国も当然援軍を送るでしょうから現場は混乱を極め、いくら住民保護のために撤退しなくなったPKOとはいえ、全軍撤退しなきゃならない最終非常事態です。”通常任務”として自衛隊が想定するべきシナリオではありません。
こういう非常事態では、各地に散らばっている人道援助要員を、最後の砦であるPKO基地に、歩兵部隊や国連文民警察特殊部隊(Formed Police Unitと言います)が避難させているはずで、そこに住民が最後の望みを託して大量に庇護を求めて押し寄せる。その中に、悪さする奴らが紛れていて(住民と見分けがつきません)戦闘になる。PKO基地に閉じ籠っている自衛隊は、これを想定すべきなのです。
つまり、「駆け付け警護」ではなく、「駆け付けられる警護」です。その際、もし、誤って住民を多く誤射してしまったらどうするか。これが後に展開する国際人道法違反(=戦争犯罪)であり、国連が真摯に想定してる「法的なシナリオ」なのです。日本は、これを全く考えてこなかったのです。
そもそも、自衛隊だから日本人を助けるというような同国人優先を国連は認めません。当たり前です。現場で働く人道援助要員の国籍は本当に様々です。一つのPKOの部隊は多くて20ヵ国ぐらいですから。
だいいち、世界で日本人の人道援助要員が働いているところは、自衛隊がいない国が圧倒的に多く、南スーダン国内でも自衛隊がとてもいけない危険な場所で彼らは働いているのです。首都ジュバで日本の自衛隊が日本人優先を言い出したら、それよりも圧倒的に多い自衛隊がいない状況で働く日本人が”差別”される理由をつくってしまいます。
「同じ現場にいる日本人を助けられない忸怩」というカンボジアPKO以来の感情論で始まった「駆け付け警護」ですが、もういい加減に止めましょう。
国籍で”トリアージ”するのは国連ではタブーなのです。
つまり、新たに任務付与された「駆け付け警護」は、蓋然性ゼロなのです。(詳しくはこちら「自衛隊『駆けつけ警護』問題の真実」http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48085)
NEXT ▶︎ なぜ日報を隠したか
なぜ「日報」は隠されたのか
蓋然性が全くゼロの代物を巡るこれまでの一連の政局は、全く意味がないドタバタのように見えますが、すべては安保法制のためという見方をすれば一貫しています。
昨年7月以降、「仮想空間」の論理は崩れているのに、認めない。そのうえで、安保法制の目玉だった「駆け付け警護」ができる部隊を派遣したという、蓋然性がゼロでも「自衛隊の進歩」の実績を、日本の国内向けだけに、何が何でもつくることに安倍政権にとっての意味があったのです。
「日報」が隠されたのも、そのためです。
「戦」の字が自衛隊の活動とくっついていてはまずい。任務を付与する前に南スーダンにいられなくなる。「憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではないことから、武力衝突という言葉を使っている」という稲田朋美防衛相の答弁は、狙いをそのまま言ってしまったものです。
一般論として、海外での軍事活動は常に国際人道法違反(=戦争犯罪)と隣り合わせです。ですから、その疑義の発生時の司法の場で証拠となる「日報」の作成と保管は重要です。
住民の保護のために好戦的になっている現代の国連PKOですが、だからこそ、国連PKO自身が同法違反を犯す可能性を真正面に見据え、1999年に国連事務総長告知として、それを対処する法的な枠組みを、国連史上初めて明文化したのです。
これによって、国際人道法違反の対処は、各兵力拠出国の国内法廷(通常は軍事法典、軍事裁判所)に課されることになりました。当然、日本を含む国連加盟国は、PKO部隊の派遣にあたって、その法整備を義務づけられたことになります。
(参照:「日本はずっと昔に自衛隊PKO派遣の『資格』を失っていた!」http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51058)
日本にそういう国内法廷があったとして(後に詳述しますが、ありません!)、その際に軍事行動の正当性を証明する重要な証拠となる「日報」の”破棄”は、日本が国際社会に対して法治国家としての責任を果さない、と宣言しているようなものです。
考えてもみてください。もし日本国内で、米軍が、日米地位協定上日本の裁判権が及ばない公務上の凶悪事件を発生させたとしましょう。その際、米軍の軍法会議に必要なハズの”日報”を破棄していたとしたら? われわれは日本人はどう思うでしょうか?
この「日報」騒動が、海外メディアに報道されないことを祈ります。日本人として恥ずかしい。
自衛隊撤退が生む波紋
撤収発表のタイミングは、今しかなかったのでしょう。
「日報」問題で連日攻められているときに撤収すれば、野党に屈した印象になる。矛先が「森友学園」問題にそれたときを狙ったのです。期せずして「政局にしない」状況が生まれたようです。
シリア軍とイスラエル軍の間の停戦監視の主要任務が、その両軍以外の理由(非合法集団の台頭によるシリア内戦の激化)で治安が悪化したゴラン高原PKOでは、治安悪化で主要任務ができないという主張は撤退の理屈として一応は成り立ちました(それでも、国連は、自衛隊撤退を受けて遺憾声明を出したのです)。
これに対して南スーダンPKOの主要任務は住民の保護です。治安が悪くなって犠牲になるのは住民なのです。治安悪化は撤退する理屈になるわけがありません。だから、国連は、ジュバの戦闘を受けて、逆に増兵を決定したのです。
南スーダンの治安情勢は「安定」はしておらず、軍事力によって辛うじて小康が保たれている、依然、準戦時状態です。
今回の自衛隊撤退の声明にあたってジュバの日本大使館、そして国連本部のあるニューヨークの日本政府国連代表部は、国連が遺憾声明を出さないように相当の根回しをやったハズです。その一つは、PKO司令部要員の継続そしてODA予算の積み上げです。
もともと自衛隊は施設部隊でも危険なところに行けない特殊な存在ですから、国連側にとって自衛隊の撤退で発生する軍事的な穴はほとんどないでしょう。
しかし、「国連外交」的な影響はあります。国連PKOはただでさえ兵力集めと結束が難しい多国籍軍です。自衛隊であれ一国の撤退が他の派兵国のやる気と忍耐に影響することが国連にとって一番痛手なのです。
NEXT ▶︎ PKO派遣をやめても残る問題
もういい加減に現実を見よ
しかし、たぶん今回は国連側から遺憾声明などあまり騒ぎ立てることはしないでしょう。
安保理による4000名の増兵の決定後、兵力を提供する国があるのかと一時は心配されたのですが形を整えつつありますし、去年の戦闘で住民を十分守りきれなかったという国際世論の激しい非難を受けて、PKO部隊全体として士気が高まりつつあるので(それを察してか悪さをする奴らも様子見で現場が小康状態になっている)、それを損なわないために、自衛隊撤退をあえて騒ぎ立てず、シラーっと流すハズです。
何より、いくらなんでも今回は、「仮想空間」が南スーダンのどこにも、一番安全なハズの首都ジュバのどこにも存在しないことを、日本政府は今まで自衛隊を「お客様」として扱ってくれていた国連に説明したハズです。
もはや「仮想空間」がない状況で自衛隊を抱え続けることは、大変大きなリスクになりますから、その理由でもシラーと流すハズです。
もし、自衛隊を巻き込む軍事的過失が起きてしまったら? 繰り返しますが、南スーダン政府に対して地位協定上の責任を負っているのは国連です。
1999年国連事務総長告知で、国連地位協定によって南スーダンのような相手国から犯罪時の裁判権を奪う代わりに、その処理を各派兵国の国内法廷に課しているのに、日本にはそれがない。
ただでさえ、好戦的になっている国連PKOに、偏狭な主権意識を刺激されている南スーダン政府です。国連PKOは進駐軍のような感じで、南スーダン政府との関係は最悪なのです。
もし、そんな中、自衛隊がらみの事故が起きてしまったら、南スーダン政府は、怒り心頭「軍事犯罪の落とし前もつけられない、いい加減な国の軍隊を我が国に入れたのか!」と、国連を糾弾する材料に利用するに決まっているからです。
南スーダン撤退表明後、自衛隊関係者からは、もう部隊としてのPKO派遣はしない。もしくは、住民の保護などの好戦性のないPKO、例えばキプロスの停戦監視ミッションを次の派遣候補に挙げる声が聞こえてきます。
思い返してください。南スーダンに自衛隊を送った民主党政権当時、南スーダンはまだ建国したばかりで、同PKOの主要任務は住民の保護ではなく「国づくり支援」でした。
南スーダン政権は、分離独立したスーダン内戦から成りあがってきた軍閥の集合体のようなもので、いずれは内輪もめが始まり、それが新たな内戦に発展することを国連はしっかり予想していたのです。だから、国づくり支援に見せかけて、こういう危ない連中のお目付役としてPKO部隊を投入したのです。
案の定、すぐに大統領派と副大統領派の確執が内戦化し、それによって犠牲になりだした住民の保護が主要任務になっていきました。
今は、自衛隊にフィットする「仮想空間」があるように見えるキプロス停戦監視PKOでも、いつ事態が悪化して主要任務が切り替わるかわかりません。
その事態が住民が犠牲になるものになったら、PKOの主要任務は住民の保護に切り替わり、その時はもはや、南スーダンと同様に、簡単に撤退できなくなるのです。
もういいかげんに、9条に抵触させないためだけの「仮想空間」探しは、止めにしませんか?
日本が抱える根本問題
今回、南スーダンで「仮想空間」が崩壊することによって、期せずして明らかになった自衛隊の法的な地位の根元的な問題は、単にPKOに部隊派遣を止めればいいという問題ではありません。
その根元的な問題とは、自衛隊が国際人道法違反を犯した時にそれを法治国家として適正に対処する法体系が日本にはないことなのです。
それを普通の国では、軍事法典、軍事裁判所といいますが、日本にはこれがありません。(最近、僕の教え子が、大変意欲的な学術論文を書きましたので、ぜひご参照ください。「日本の軍法の可能性」三浦有機 http://kenpou-jieitai.jp/kenkyuuronbun_miura_yuuki.html )
NEXT ▶︎ 平和憲法の国の思考停止
通常、軍隊で想定される犯罪は、大きく言って二つあります。
一つが「統制犯罪」。
軍隊も一つの官僚組織ですから、それ相当の内規があります。そこで定める服務の違反や組織の名誉を傷つける行為。まあ普通はその内規に沿っての懲戒処分ですが、任務の外で例えば窃盗や殺人を犯せば刑罰を喰らうわけです。これは日本でも現行の自衛隊法、そして刑法で対応できます。
問題は、もう一つの「軍事犯罪」です。任務中における市民への人権侵害や、国際人道法の違反、つまり戦争犯罪です。
例えば、一般の刑法でも、殺人は重犯罪です。そして、破壊行為の中でも放火などは死刑になりうる罪です。軍隊というのは、いわば、そういう殺傷、破壊の技術を日々訓練し、そういう能力に非常に長けた職能集団ですから、被害も通常以上に甚大になるはずで、だからこそ一層重い厳罰を課すのは当然です。
しかし、それが「命令行動」の一環で、それを誠実に履行したものであるのなら、どんなに甚大な被害でも、その刑事性が勘案されるというのが、一般法と軍法が違う大きなポイントです。
日本と同様の十字架を背負い戦後復興したドイツには、常設の軍事裁判所がありません。しかし、「軍事犯罪」を裁く軍刑法があり、事案発生に応じて通常の裁判所で運用します。
そのドイツ軍が、僕がその黎明期に関わったアフガニスタンでのテロとの戦いで、2009年、重大な事故を引き起こしました。これが、上記論文で詳述されている「クンドゥーズ事件」です。
詳細は同論文(第二章/第三節)に譲りますが、あるドイツ人将校の軍事的な判断でNATO軍の戦闘機が民間車を誤爆、なんと102人のアフガン市民が犠牲になったのです。
これは第二次世界大戦以来のドイツ軍が犯した重大な戦争犯罪として、まずドイツ国内で大騒ぎになりました。
ドイツ検察は、約1年間かけて捜査し、事件当時の現場の緊張した状況に照らし合わせれば(だから”日報”の作成と保管は必要なのです!)、限られた情報収集の中で敵への爆撃の判断を下すことは止むを得ず、後になって市民がいたことがわかっても、その将校と部下たちの判断は軍事的には合理的であり、国際人道法にも、ドイツ刑法にも違反しないと、不起訴にしました。
結果、ドイツ政府は被害者の遺族にたいして、空爆の法的責任は認めず、手厚い弔意金を支給したのです。
単に、金で解決した、のではありません。ドイツは、国家が犯した犯罪に、(たとえそれが不起訴でも)法治国家として法的な責任の所在を明らかにしながら、国家として説明責任を果たしたのです。
日本には、その説明責任を生む法体系がありません。あるのは、「統制犯罪」を扱う自衛隊法と、日本人が海外で犯す「過失」は扱えない(国外犯規定)刑法だけです。
日本は遅ればせながらジュネーブ諸条約追加議定書に加盟した2004年に、慌てて「国際人道法の重大な違反行為の処罰に関する法律」という国内法をつくりました。しかしこの中身は、文化財の破壊や捕虜の輸送を妨害するなど、はっきり言って、どうでもいい罪への処罰だけで、肝心の殺傷を生む罪に関するものが一切ないのです。なぜなら、自衛隊がいるところでは「戦闘」は起き得ないからです。
(ドイツのクンドゥーズ事件と対照的に、イラクでアメリカ政府が雇った「民間軍事(傭兵)会社ブラックウォーター社」が17人の一般市民を殺戮した軍事犯罪事件で、地位協定により現地政府に裁判権がないだけなく、正規軍じゃないので米軍法が適応できず、地球上にそれを裁く法がないという「法の空白」を引き起こした2007年の「血の日曜日事件」は、自衛隊の法的な問題が見越すべき先行事例と言えます。詳しくは、同論文第一章/第一節/第二項、もしくは、「自衛隊を活かす会」シンポジウム「戦場における自衛官の法的地位を考える」で僕の発言を参照あれ。http://kenpou-jieitai.jp/symposium_20160422.html)
これは憲法の問題だ
「私は自衛隊の最高司令官」、「すべての責任は私にある」というのは首相、そして防衛大臣の言葉です。言うのは簡単です。でも、最高司令官としての彼らの法的な責任を立証し、国内外に説明責任を果たす法体系を、日本は持ち合わせていないのです。
一方で、国際人道法違反=戦争犯罪に一番敏感にならなければならない平和憲法の国の国民が、自らが戦争犯罪を犯す可能性に備えがないことに疑問さえ抱かないのは、なぜか。
NEXT ▶︎ 何が国防の「礎」か
自衛隊は、国際人道法上の「交戦」をすることを想定していない「仮想空間」に生きる存在だと、だから何も問題がないのだと、いつの世でも権力に批判的であるべきリベラルをもが、現場の現実を見ずに自分たちを思い込ませてきたからです。
でも、南スーダンでは、いとも簡単に「仮想空間」が吹っ飛んでしまった。
自衛隊はPKOだけじゃなく、日米地位協定のような二国間の協定によって”駐留軍”としてジブチに駐留しています。(地位協定の問題については、「在日米軍だけがもつ『特権』の真実」http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48780 を参照あれ)
これは、PKOやジブチ、自衛隊が駐留する海外でだけの問題ではありません。日本の領土、領海内に敵が現れ、それに自衛隊が対処する時にも、同様に国際人道法は「交戦」と見なし、同法違反を統制する、ということを忘れるべきではありません。
というか、そもそも国際人道法とは、第一次大戦後のパリ不戦条約そして国連の誕生によって侵略戦争が厳格に違法化されて以来、自衛のための交戦を律するためにあるのです。
でも、9条の自衛隊の”ジャブ”程度の反撃なら、国際人道法上の「交戦」にはあたらないと、日本は”誰の断りもなく”定義し、運用してきました(防衛省HP「交戦権」http://www.mod.go.jp/j/approach/agenda/seisaku/kihon02.html)。
国際人道法違反に対応する法整備がないのですから、これは外から見たら、自衛隊は、国際人道法を全く気にしない、つまり戦争犯罪を全く気にしない野放図な打撃力の主体としか見えません。通常戦力で世界五指(クレディ・スイス2015:ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)とグローバル・ファイアーパワー(GF)で換算)の軍事力の”ジャブ”が、です。
そもそも、自衛権とは、国際人道法に則って徹底的に戦うという意思を、仮想敵に対して、知らしめること。これが、抑止力の「礎」でしょう。
それも、ただ、その意思を大げさにキャンキャン騒ぎ立てるのではなく、何より、自らが国際人道法違反を犯した時にそれを厳粛に対処する法整備をもって、その反撃の意思の”本気度”を、知的に、整然と、国内外に知らしめること。ここに国防の「礎」があるはずです。
この礎なしに、いくら高価な兵器を買おうと、ただのハリボテなのです。というか、これがないから逆に高価な買い物の購買欲が抑えられなくなっているのではないでしょうか。気がついてみれば、日本はすでに軍事大国です。9条の国が、です。
同時に、足元がしっかりしないから「脅威論」ばかりが席巻します。「礎」なき日本は、「安全保障のジレンマ」に最も脆弱な国民性を呈しているのではないでしょうか。
だからこそ「米軍が鉾、自衛隊は盾」で、自衛隊は「交戦」しないで済むのだ、という日米同盟強化の理屈を言う向きもあるのでしょうが、保守の間でもそれをヤキモキする議論がある、どうせどこまで本気かどうかわからない「鉾」でしょう。
貧弱な武器でも「礎」を持つからこそ示せる”凄み”か。それとも、当てにならない「鉾」と「礎」なしのハリボテか。一体、どちらが、抑止力として有効なのでしょうか。
今回の南スーダンからの自衛隊撤退で、期せずして、戦後初めて顕在化した国際人道法と自衛隊の法的地位の問題。これをPKOの問題というだけで幕引するべきではありません。
安保法制でさらに加速することが予想されるPKO以外の海外派遣、そして何より日本領土、領海内での国防に関わる問題なのです。これは、つまり、憲法の問題です。
改憲派/護憲派を超えて、今こそ考えるべきです。
(*伊勢崎賢治氏の過去記事一覧はこちら http://gendai.ismedia.jp/list/author/kenjiisezaki )
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48085
防衛省・南スーダン日報隠しの「深層」
元凶は、稲田大臣の統率力不足か
半田 滋
プロフィール
かくも軽視されている大臣
南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に派遣している自衛隊の「日報隠し」の背景に、稲田朋美防衛相の統率力不足があるとの見方が防衛省内に広がっている。「仮に防衛大臣が稲田氏でなければ、違う結論になったかもしれない」と話す幹部もいるほどだ。
森友問題も絡んで稲田防衛相の国会答弁は迷走、国政の混乱に拍車をかける中心人物の一人になっている。防衛省内には突然の撤収を発表した安倍晋三政権に対する不信感も浮上。さらに、ある政治家主導で断行した防衛省改革が「裏目に出た」との批判も飛び出し、不穏な空気が流れている。
日報は現地部隊が電子データとして作成し、陸上自衛隊のシステムを通じて海外派遣司令部にあたる中央即応集団に送っていた。担当者が日報をもとに毎日つくるレポートに反映させた後、削除していた。
情報公開請求に対し、昨年12月「廃棄を理由に不開示」としたが、その後、陸海空自衛隊を統合運用する統合幕僚監部のコンピューター内に保管されているのが見つかり、今年2月7日に発表した。野党が「隠蔽ではないか」と追及する中、安倍内閣は今月10日、突然、南スーダンからの撤収を発表、猛追から逃れるような急展開をみせた。
ところが、15日になって日報は陸上自衛隊にも保管されており、統合幕僚監部の幹部の指示で消去していたことなどが次々に報道され、隠蔽疑惑が濃厚に。「ないもの」が「ある」と変わるのは勘違いで済むかもしれないが、「あるもの」を「ない」と言い続けたのだから隠蔽と批判されても仕方ない。
稲田防衛相への省内の対応で奇妙なのは、統合幕僚監部が昨年12月26日に日報を発見しながら、今年1月27日まで一カ月も稲田氏に報告しなかったことだ。担当者は「黒塗りに時間がかかった」と話すが、防衛大臣に見せるのに黒塗りが必要だとすれば、稲田氏はどれほど信用されていないのか。
野党の追及を受けている最中に、陸上自衛隊でみつかった日報を破棄する指示が省内から出されていたわけで、これに稲田氏が関わっていないとすれば、どれほど防衛大臣としての存在を軽視されているのか。
日報とは別問題ながら、稲田氏は森友問題で「籠池氏の事件を受任したこともない」「裁判を行ったこともない」(13日参院予算委員会)と無関係を主張したが、大阪地裁の出廷記録が報道されたのを受けて「夫(稲田龍示氏)の代わりに裁判所に行ったことはあり得るのか」と前言を撤回した。
極めつけは「私の記憶に基づいた答弁であり、虚偽の答弁をしたという認識はない」と開き直ったことである。「記憶」と主張すれば事実に反しても問題ないというのだ。消費税増税を公約しながら二度にわたって延期し、「これまでの約束とは異なる新しい判断だ」と述べ、公約違反を「新しい判断」で上書きした安倍首相と通じるものがある。
稲田防衛相は日報問題を省内の特別防衛監察に委ねると発表した。結論を先延ばしして野党からの追及逃れを図るだけではない。自身が火の粉をかぶらないよう部下を切り捨てる一石二鳥の作戦とみられている。
防衛省幹部は「稲田氏は護衛艦に乗るのにハイヒールで来たり、南スーダンに派遣する部隊の演習視察に白パンツ姿で来たりで常識を疑いたくなる。昨年は沖縄行きや南スーダン行きをドタキャン。何かあると部下に当たるので腫れ物に触るようにしている」と明かす。「お姫様」のやりたい放題が面従腹背を招いているとはいえないだろうか。
NEXT ▶︎ 日報問題に通じる隠蔽の水脈
一種の内部告発だったのか
安倍首相が突然表明した南スーダンPKOからの撤収について、自衛隊幹部は匿名を条件にこう語る。
「安倍首相は去年の9月ごろから撤収を検討していたというが、10月に部隊派遣の延長を決めた際の声明で『7月の衝突後も部隊を撤退させた国はない』と国際協調を前面に押し出し、11月には『駆け付け警護』を新任務として与えた。誰だって当面は派遣を継続すると思う」
半年交代で南スーダンPKOに約350人の隊員を差し出している陸上自衛隊の中で、撤収の発表を知っていたのはごく少数のようだ。それも首相官邸で決め、「事後通告だった」と話す幹部もいる。
陸上自衛隊に日報が保管されていた事実はNHKが第一報を流し、15日のニュースでは内部告発者とみられる人物の証言映像が流れた。幕引きのあり方に対する意義申し立てが防衛省内部からあったと考えるのが自然だろう。
振り返れば、安全保障関連法案を議論した2015年の通常国会でも、河野克俊統合幕僚長が2014年の訪米時、「安保法制は15年夏までに成立する」と米軍首脳に伝えていたとする会談内容をまとめた内部文書や統合幕僚監部が作成した別の内部資料が共産党にわたり、国会で暴露された。憲法違反と批判された同法案に対する省内の不満が噴出したと考えるほかない。
17日になって、陸上自衛隊の三等陸佐が「身に覚えのない(河野氏訪米時の)内部文書の漏えいを疑われ、省内で違法な捜査を受けた」として、国に慰謝料500万円を求める国家賠償請求訴訟を起こした。現職の自衛官が雇用主でもある国を訴えるのは異例である。
訴状などによると、内部文書が国会で暴露された翌日、統合幕僚監部は文書を「秘文書」に指定し、各職員に削除を命じたという。三等陸佐は会見で「隠蔽を図ろうということだと思った」と述べている。隠蔽の水脈は日報問題に通じている。
「日報隠し」の背景に迫る
今回、にわかに注目を集めたのが統合幕僚監部という防衛省の組織である。「日報隠し」の背景に、防衛省改革の一環として行った背広組(ユニフォーム)と官僚組(シビリアン)を一体化する「UC混合」の失敗があるとの見方が浮上している。指揮命令系統が混乱しているというのだ。
UC混合は2015年10月、制服組と背広組の専門性を生かすとして、背広組牙城の内部部局(内局)から運用部門を切り離し、統合幕僚監部に飲み込ませることで実現した。
この結果、統合幕僚監部は幕僚長、副長および各部長の制服組と副長と同格の総括官、参事官という背広組が併存することになった。参事官のもとには国外運用班、国内運用班、災害派遣・国民保護班の背広組約40人がいる。
もともとUC混合は米軍のアフガニスタン攻撃に伴い、海上自衛隊が提供した給油量の取り違えや守屋武昌元事務次官の汚職事件など不祥事の背景に背広組、制服組の「問題意識の乖離」「業務の重複」があるとの名目から、2008年から検討が始まった。
「不祥事の解消と組織改変に何の関係があるのか」と省内外から疑問視する声が上がったが、もちろん狙いは不祥事解消などではなかった。シビリアン・コントロール、すなわち政治による軍事の統制を強めることに狙いがあった。
主導したのは当時の石破茂防衛相である。
NEXT ▶︎ 背広組と制服組の分断
そして分断が生まれた
石破氏は防衛相退任後、筆者の取材に「自衛隊が好きだからこそ口出しする。すると省内から強く反発され、最後は自衛隊が嫌いになって辞めていく大臣が何人もいる」と話し、排他的な組織を改革する必要性を強調した。
その結果、実現したUC混合は、皮肉なことに背広組と制服組の分断を際立たせている。防衛省幹部の一人は「UC混合から一年以上経過したが、制服組は相変わらず部隊の方しかみていない。一方、背広組は防衛大臣の補佐や法律解釈など内局がやってきたことを持ち込んだだけ。統合幕僚監部にもうひとつの内局ができたにすぎない」とあきれる。
防衛大臣の補佐役という役回りから、陸上自衛隊で見つかった日報の削除を指示したのは「統合幕僚監部の背広組」であることは「公然の秘密だ」という。
そんな中、17日の衆院外務委員会で民進党の寺田学議員は稲田防衛相に「辰己(昌良)総括官にお話を聞かれましたか」と統合幕僚監部の背広組トップの辰己氏の名前を出して質問した。
辰己氏は内局の運用企画局事態対処課長や報道官を歴任した人物。国会の委員会で稲田防衛相に想定問答を示したり、自ら答弁に立ったりで目立つ存在となっている。
独り言が多く、事態対処課長だった2009年4月、北朝鮮によるミサイル発射の際は防衛省地下の中央指揮所にいて、発射されてもいないのに指揮命令系統を無視して「発射、発射」と口走り、日本全国に誤報を流すきっかけになるなど奇行が指摘される人物だが、辰己氏は寺田氏の質問には臆することなく答弁した。
「辰己氏が堂々としているのは、陸上自衛隊で見つかった日報の扱いについて、内局のトップクラスと相談しているからではないのか。仮にそうだとすれば、日報問題の根は深い。『組織ぐるみ』でないことを祈りたい」と内局幹部は打ち明ける。
なに、心配はいらない。稲田氏が開始を明らかにした特別防衛監察は過去3回あり、結論を出すまで最長1年2ヵ月もかかっている。仮に同じくらい時間がかかるとすれば、そのころには衆院選挙や内閣改造が行われ、日報問題はすっかり過去の話になっているはずである。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51280
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