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政界の大先輩「安倍に一日も早く辞めてほしい」!
http://79516147.at.webry.info/201703/article_343.html
2017/03/25 22:29 半歩前へU
▼大先輩が「安倍には一日も早く辞めてほしい」!
自らの戦争体験に照らし、「安倍晋三の右寄り歴史観」に一貫して懸念を表明してきた人。藤井裕久。元財務官僚で財務(大蔵)相を3度務めた。
「森友問題と安倍政治の関連をどう語るか。聞いてみたかった」と毎日新聞のベテラン記者、倉重篤郎が迫った。
藤井さんが出演するTBS番組「時事放談」ではないが、最後に声を大にして言いたいことは?と倉重。
「安倍首相よ。力を持ったからと言って驕(おご)るなかれ、だ。もっとはっきり言いましょう。 安倍首相には一日も早く辞めてほしい」と藤井。
そして倉重は最後をこう締めた。
「森友疑惑」を生み出した核心には安倍政治がある。さらに言えば、それはまたいつか来た道につながる恐れがある。それが、藤井の最も言いたいことなのだ。
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私からのお願い。
「かつて田中角栄元首相がこう言った。『戦争を知っている人間が社会の中核である限り、日本は安全だ。しかし、戦争を知らない人間が中核になった時が問題だ』。
この言葉は私の記憶の中にこびり付いている。今の国会には戦争を知る者がほとんどいない。そのせいか勇ましい言葉が飛び交う。戦争はそんなに勇ましいものではない。かっこいいものでもない。残酷で悲惨だ。
今の世代はそれを知らない。知らなければ学べばいい。古武士のような凛とした藤井裕久の言葉を噛みしめていただきたい。長文だが、読むに値する、いや、読んで余りある内容である。
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以下は「サンデー毎日」最新号での倉重篤郎の藤井裕久へのインタビューである。
藤井が国有地の激安払い下げ以上に強調したのは教育問題だった。
森友問題の本質は、幼児に教育勅語を暗唱させる戦前回帰的な時代錯誤教育が、時の政権の歴史観と共鳴する関係の中で生まれてきた、という点にあった。
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戦前ですらあんな教育はなかった!
http://79516147.at.webry.info/201703/article_344.html
戦前ですらあんな教育はなかった!
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2017/03/25 22:34 半歩前へU
「日本会議」のメンバーでもある籠池が、“安倍歴史観”を教え込む教育の場を、幼稚園から小学校にまで拡大しようと動き、それを悪(あ)しからずと当初考えた安倍側が首相夫人の名を貸して結果的にこの籠池流教育商法をサポートした。
多分、安倍政権下でなければ実現しなかった国有地払い下げであり、学校認可ではなかったか。
地元市議の追及がなければ、そのまま小学校は開校していたかもしれない。籠池、安倍両間のこの相呼応した相互関係が、戦前を知る藤井にとって、安倍政治に対する懸念をますます高めるものにしたようだ。
「籠池のような教育をする人間が、幼稚園はもちろんのこと、小学校を作ることを許されるのか。僕が安倍に一番言いたいのは、ああいう偏った歴史観を持った人が安倍をあるべき政治家の理想、シンボルだと思い込んでいることだ。そこをもっと反省してもらいたい」
「私は日中戦争がはじまった年(1937年)の4月に幼稚園に入ったが、『日中戦争に勝て』なんて話は一つもなかった。12月に南京陥落。その時だけは園内で旗行列したのを覚えているが、それ以外はあの時代ですら、幼児にあんな教育をすることはなかった」
藤井からすれば、戦前でさえそうだったのに、森友ケースは何をかいわんや、ということであろう。
あの時代から学ぶべきは教育勅語ではない。二度と戦争を起こさないためにどうするか、ということではないか。それを安倍政治はわかっているのだろうか。
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米兵の無残な遺体が横たわっていた!
http://79516147.at.webry.info/201703/article_345.html
米兵の無残な遺体が横たわっていた!
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2017/03/25 22:37 半歩前へU
そこで藤井は「政治家としての原点」として、二つの戦争体験を披露してくれた。
「一つは忘れられない記憶だ。44年8月から翌春まで東京・小平に学童疎開していた時に目撃した。はるか頭上で米機B29と日本の戦闘機が激しく撃ち合い、最後は戦闘機がB29に体当たり、ともに火を噴きながら墜落したことがあった」
「すぐさま友達と墜落現場に向かった。救出のためでもやじ馬でもない。情けないことだが、食料探しだった。米軍は食料を大量に持っていると聞いていた。毎日空腹だったからビスケットぐらいはあるんじゃないかと、期待した。
だが現場には、米兵の無残な遺体が横たわっていただけだった。8体ぐらいか、手足や胴体がバラバラ。女性通信士も乗っていたのか、赤いマニキュアの片腕もあった。惨状を目の当たりにして子供心に『戦争には勝者も敗者もない。国民に犠牲が出るんだ』と思った」
もう一つの体験は、敗戦の年の1945年5月、藤井が東京高等師範学校(現在の筑波大学)付属中学校1年の時のことだ。
学校の教師からいきなり「君、金沢に行ってくれ」と言われ、同学年から選抜された30人で、金沢市にあった旧制四高(現金沢大学)に缶詰めにされ、短期集中的に英才教育を施されたことがあった。
それは「特別科学教育」というものだった。戦争末期になって、科学力における彼我(ひが)の差を知った日本が、今さらながら科学振興の底上げをせんとしてなした教育プログラムであった。
44年9月、永井柳太郎によって「戦時穎才(えいさい)教育機関設置に関する建議案」が衆院で建議され、高等師範付属中学校を軸に全国ネットで俊才を集め、45年1月からその授業が開始された。
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泥なわ それが軍国日本の実像だった!
http://79516147.at.webry.info/201703/article_346.html
泥なわ それが軍国日本の実像だった!
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2017/03/25 22:39 半歩前へU
高等師範の教官がじきじきに中学生たちに旧制高校(現在の四年制大学教養課程)レベルの授業を行った。
藤井も物理学の世界的権威で当時、原爆開発に当たっていた仁科芳雄博士の授業を覚えている。
「振り返ると、当時は新型爆弾と言っていたが、日本も早く原爆開発にたどり着かなければいけないという、一種の国策プロジェクトだったと思う。微分積分からアルキメデスの原理まで教わった。科学の実験や実習にも重点が置かれていた。しかし、すでに米国ではマンハッタン計画が終了し原爆が出来上がっていた。その時に日本では子供に英才教育だ。国家の構えとしては、とても話にはならない。ただ、それが軍国日本の実像だった」
戦争というもののこれ以上ないという惨劇。そして、それを構えるにあたっての国家としてのあまりの準備不足。あの戦争の本質というべきものであろう。それを今時、自らの実体験として自らの言葉で語れる政治家は稀少だ。
その藤井からすると、どうしても安倍の歴史観には違和感がある。
「歴史認識問題は、戦後70年談話以降、議論しなくなったが、私の脳裏には中国に侵略したかどうか、について明言を避ける安倍の姿が消えない。日本国の最高責任者としては侵略でしたと明確に言うべきだった。あの戦争への反省が欠けている」
「戦後レジームからの脱却」という言葉も気に入らない。
「戦後レジームとは、私に言わせれば、あの戦争を深く反省し、軍事力は極力抑える。集団的自衛権の行使も海外派兵もしない、という原則を世界に対し維持し続ける体制だ。
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小学生で無念の死を遂げた友達に殴られる!
http://79516147.at.webry.info/201703/article_347.html
小学生で無念の死を遂げた友達に殴られる!
http://79516147.at.webry.info/201703/article_347.html
2017/03/25 22:42 半歩前へU
吉田茂さんが路線を敷き、歴代首相が守ってきた。安倍の祖父の岸信介さんも『(集団的自衛権は)日本国憲法のもとでは行使できない。個別的自衛権で対処する』と明確に答弁していた。
皆が皆、集団的自衛権行使には改憲が必要という認識だった。孫の安倍さんが解釈変更だけで、海外派兵できるようにした」
「森友疑惑」を生み出した核心には安倍政治がある。さらに言えば、それはまたいつか来た道につながる恐れがある。それが、藤井の最も言いたいことなのだ。
「かつて田中角栄元首相がこう言った。『戦争を知っている人間が社会の中核である限り、日本は安全だ。しかし、戦争を知らない人間が中核になった時が問題だ』。まさに、田中さんが危惧した時代に突入している」
藤井さんが出演するTBS番組「時事放談」ではないが、最後に声を大にして言いたいことは?
「安倍首相よ。力を持ったからと言って驕(おご)るなかれ、驕る平家は久しからず、ただ、春の夜の夢のごとし、だ。もっとはっきり言いましょう。安倍首相には一日も早く辞めてほしい」
そこまで言いますか。
「ハイ。そうでなければいずれ私が鬼籍に入った時、小学生のまま空襲で無念の死を遂げた友達に殴られます。焼夷(しょうい)弾の直撃を受け、即死だった。東京大空襲でいまだにどこにいたかわからない子もいる」
安倍一極化で、今やあまり聞けなくなった老政治家の覚悟のこもったメッセージである。 (サンデー毎日4月2日号より)
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