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日本では議論されない南スーダン「絶望的な現状」?これが本当の論点
未曾有の人道危機はなぜ起きているか
栗本 英世大阪大学大学院教授
社会人類学、アフリカ民族誌学プロフィール
南スーダンで起きていた「戦闘」
2017年3月10日、首相官邸で開催された国家安全保障会議の結果、日本政府は国連PKOの一員として南スーダンに派遣されている自衛隊を5月末に撤収することを決定した。
昨年から、自衛隊の南スーダン派遣の是非と「駆け付け警護」という新任務に関して、日本の国会やメディアでは、さまざまな議論がおこなわれてきた。焦点は、2016年7月に南スーダンの首都ジュバで生じた事態が、「衝突」であったのか、「戦闘」であったのかという問題であった。
たんなる衝突であったという政府の主張にかかわらず、これは軍隊同士のまぎれもない戦闘であった。かつ、政府軍と反政府武装勢力の衝突ではなく、二つある政府軍が戦ったのだった。
まず確認しておきたいのは、7月8日に、ジュバでいったいなにが生じたのか、そしてだれとだれが交戦したのかという事実である。
この日、大統領官邸で、サルヴァ・キール大統領とリエック・マチャル第一副大統領、および南スーダン暫定国民統一政府(TGoNU)の閣僚たちのあいだで会議が開かれており、終了後には記者会見が開かれる予定であった。大統領と第一副大統領は、かならず警護隊に警護されて移動する。
7月8日も、大統領と第一副大統領の会談中、大統領官邸の周囲と構内に、双方の警護隊が待機していた。7月8日の戦闘の発端は、二つの警護隊のあいだで発生した銃撃戦であった。この銃撃戦は、2015年の和平合意後は沈静化していた内戦が再燃したものであり、その意味で内戦という戦争の一部と捉えられるべきである。
大統領警護隊と第一副大統領警護隊は、いずれも政府軍の兵士から構成されている。ただし、政府軍は二つある。つまり、スーダン人民解放軍(SPLA)とスーダン人民解放軍=野党派(SPLA-IO)である。
2013年12月に勃発した内戦状態のなかで、SPLAは、キール大統領の指揮下にとどまったSPLA本体と、マチャル元副大統領の側についたSPLA-IOに分裂し、内戦は主として二つのSPLAのあいだで戦われたのだった。政府軍と同様に、政権党であるスーダン人民解放運動(SPLM)も、SPLMとSPLM-IOに分裂した。
2015年8月の和平合意「南スーダンの紛争解決のための合意」(ARCSS)に基づいて樹立された現在の南スーダン暫定政府は、「一政府二政府軍」という、あまり類例のない制度を採用しているのである。
2015年の和平合意では、90日以内に、つまり2015年11月中にSPLMとSPLM-IOの両派と他の政治勢力が参加する南スーダン暫定国民統一政府が樹立されること、暫定政府の樹立後は、二つの軍隊が政府軍として併存し、180日以内に一つに統合されることが規定されていた。
また、ジュバから半径25キロメートル以内は「非軍事化」され、その圏内に駐屯していたSPLAの諸部隊はすべて圏外に撤退し、首都圏内には大統領警護隊と第一副大統領警護隊だけが存在することになっていた。
和平合意の執行は遅れ、SPLM/SPLA-IOの主要メンバーがジュバに戻って、マチャル元副大統領が第一副大統領に就任し、暫定政府が発足したのは2016年4月末のことであった。
それからわずか2ヵ月あまりの後に、ジュバで戦闘が再開され、和平合意は事実上破綻した。
だれも銃撃を止められなかった
7月8日に大統領官邸で発生した銃撃戦の直接の原因は、現在に至るまで不明である。ただし、その数日前から、SPLAとSPLA-IOとのあいだで殺傷事件が散発し、緊張が高まっていたのは事実だ。
銃撃戦は、大統領と第一副大統領をはじめ、暫定政府の首脳たちと、外国メディアを含むジャーナリストたちのすぐ目の前で発生した。その場での死者は100名を超えた。つまり、ほとんど全員が死傷するまで、だれも銃撃を止められなかったのである。
翌9日は、南スーダン共和国の独立記念日だったが、祝賀行事どころではなかった。戦闘は小休止を迎えたが、10日から11日にかけて、大統領側政府軍(SPLA)は、首都圏外から地上部隊と戦車部隊、および攻撃用ヘリコプターを動員し、副大統領警護隊の駐屯地を激しく攻撃した。
この軍事行為自体が、和平合意違反である。
このとき、ジュバにいたSPLA-IOの総兵力は副大統領警護隊の1,200名程度の兵士だけで、軽火器で武装していただけであった。SPLA-IOの主力部隊は、遠く離れた上ナイル地方におり、増援と武器弾薬の補給の可能性はなかった。つまり、軍事的にはSPLA-IOは圧倒的に不利だったのだ。
しかし、SPLAの総攻撃をよく持ちこたえ、11日にはキール大統領とマチャル第一副大統領が停戦を声明し、ジュバでの戦闘は終息した。
NEXT ?? 二人に一人が飢えている
内戦の再燃と未曾有の人道危機
マチャル第一副大統領とその警護隊の生き残りは、ジュバを脱出し、SPLAの追撃を防戦しつつ、逃亡を続けた。その間、大統領はマチャルを罷免し、首都に居残っていたSPLM/SPLA-IOの指導部は、鉱山大臣であったタバン・デン・ガイを新たな第一副大統領に選んだ。
これによって、SPLM/SPLA-IOは、マチャル派とデン派に分裂することになった。マチャル派は、もちろんデンの第一副大統領就任を認めていない。
2016年7月以降、再燃した内戦は新たな展開をみせた。それまで相対的に安定していたエクアトリア地方に戦火が拡大したのである。
2013年12月から2015年8月までは、内戦の主戦場は、スーダン・エチオピアと国境を接している北部の上ナイル地方の三州――ジョングレイ州、ユニティ州、上ナイル州――であった。
南スーダン共和国の地図
首都ジュバがあるエクアトリア地方は相対的に平和な状態が継続していた。この「エクアトリアの平和」は、2016年7月以降、破綻することになった。
その原因は、ジュバから逃亡した副大統領警護隊の一部が、マチャル元副大統領とともにコンゴ民主共和国領内まで避難するのではなく、中央エクアトリア州や西エクアトリア州にとどまったためと、エクアトリア人のなかからSPLA-IOと連携しつつ、キール大統領の体制に叛旗をひるがえす武装集団が誕生したために、SPLAと大統領民兵との戦闘状態が生じたことである。
SPLA-IOと、SPLA・大統領民兵の双方は、市民に対する攻撃と掠奪を繰り返した。とりわけ後者による被害は甚大であり、多数の人びとが生命の安全のために、国境を越えてウガンダに避難する直接的な原因となった。とくに中央エクアトリア州南部のイエイとカジョケジ地域では、大半の住民が難民となった。
国連難民高等弁務官事務所の統計によると、2013年12月に内戦が勃発した時点での南スーダン難民の数は約11万人であった。それから2年7ヵ月後の2016年7月はじめの時点では、84万人に増加していた。
それ以降、難民は急速に増加する。
9月には100万人を超え、2017年2月には150万人に達した。とくに、エクアトリア地方からウガンダへの難民の流入が著しい。同時期、国内避難民は210万人に達した。さらに数百万人が食糧不足に直面し、一部では飢餓が発生している。
南スーダンの総人口は、1,300万人と推定されている。現在の南スーダンは、全人口の3割ちかくが難民か国内避難民になり、半数以上が飢えに苦しむという、未曾有の規模の人道危機に直面しているのである。
エクアトリア地方だけでなく、上ナイル州では依然として、大統領側SPLAと元副大統領側SPLA-IO、およびそれぞれと連携する武装集団との戦闘が継続している。
昨年来、日本政府は、ジュバは相対的に安定していると繰り返し表明してきた。たしかに、昨年7月の戦闘終了後、ジュバでは軍事的衝突は発生していない。
しかしこれは、政権が安定しているからでも、キール大統領が国民的支持を得ているからでもない。大統領側が、反大統領とみなした勢力を首都から軍事的に一掃した結果にすぎない。
ジュバを一歩外に出ると、国土の大半は内戦状態にあり、政府は事実上機能しておらず、数百万という国民が生命の危機にさらされているのである。
NEXT ?? 稲田大臣の奇妙な見解
国際性が欠如した議論
2016年7月にジュバで生じた事態が戦闘ではなく武力衝突であったという認識の根拠として、稲田防衛大臣は10月の参院予算委員会において以下のように述べた。
つまり、「戦闘行為とは、国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷しまたは物を破壊する行為」であるから、ジュバの事態は戦闘ではなく衝突であるというのである。
稲田大臣は、2017年2月の衆院予算委員会でも同様の見解を繰り返した。これは奇妙な見解である。
まず、この戦闘行為の定義は、どの法に規定されているのか、あきらかにされていない。
つぎに、「国際的な武力紛争」が、国同士の紛争、つまりある国の政府軍とべつの国の政府軍とのあいだの紛争を意味しているとすると、これは時代遅れの、世界の現状に適合しない定義ということになる。
なぜなら、冷戦終結後の世界における武力紛争のほとんどは、「内戦」であるからだ。
稲田大臣の認識によると、いかに激しく、大規模であっても内戦は「国際的な武力紛争」ではないので、そこにおける戦いは戦闘行為ではないことになる。残念ながら、野党議員はこうした問題点を議論の俎上にあげることはなかった。
私は、日本における自衛隊の国連PKO派遣をめぐる議論は、内向きで国内事情だけを背景にしているという点で、一面的で表面的であると考えている。
つまり、自衛隊の派遣を規定している国際平和協力法(PKO協力法)に照らして適切かどうか、究極的には、派遣先に国や地域の状況が、「参加5原則」の第1項、「紛争当事者の間で停戦合意が成立していること」に相当するかどうかに議論の焦点がある。
そこでは、国際的な事情がまったく看過されている。
NEXT ?? いま本当にすべきこと
国づくりが破綻した状況ですべきこと
国際的な事情には二つの側面がある。
第一に、国連PKOの派遣対象国である南スーダンの状況である。
22年にわたったスーダン内戦をへて、2011年にスーダンから分離独立した、世界で一番新しい国家である南スーダンは、なぜ国連PKOの派遣を含む国際的な支援を必要としているのか、この国の政治・軍事・経済・社会的状況はどうなっているのかという問題がある。
第二に、南スーダンに派遣されている国連PKO(国連南スーダン派遣団、UNMISS)の目的と業績に関する評価という問題がある。
当初、UNMISSは平和構築の実現、平和の定着と復興・開発のために派遣された。言い換えれば、派遣の目的は、長年の内戦で荒廃した新興国家の国家建設(ステイト・ビルディング)と国民建設(ネイション・ビルディング)に貢献することであった。
内戦勃発後の2014年4月、派遣の優先目的は、市民の保護に変更された。
南スーダン情勢の変化に対応して、国連PKOの目的も変化している。派遣開始以来、流動的な情勢のなかで、目的はどの程度実現されており、そのなかで自衛隊が果たしている貢献はどう評価されるべきなのかという問題の検討が必要である。
2005年以降、日本を含む国際社会は、南スーダンに対して大規模かつ長期的な支援を実施してきた。国連PKOの派遣は、その一部である。自衛隊の派遣は、中期的には平和の定着と国家・国民建設の支援、短期的には市民保護と人道援助の支援という全体的枠組みの中に位置づけられねばならない。
現時点で、まず議論されるべきなのは、南スーダンの数百万の人びとが直面している未曾有の人道危機に、いかに対応するのかという問題だろう。
安倍晋三首相は、自衛隊の撤収を表明した3月10日の記者会見で、「南スーダンの国づくりが新たな段階を迎えるなかで、自衛隊が従事してきた道路整備の事業が終了すること」を撤収の理由としてあげた。
「新たな段階を迎えた国づくり」とはいったいなにを指しているのだろうか。南スーダンの状況を少しでも知っている者にとっては、現在の南スーダンは、国づくりが破綻した状況にある。自衛隊撤収の理由は理解不能である。
(つづく)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51265?page=4
南スーダン撤退 あの日報を引きずり出した情報公開請求の「威力」
全ては一つの疑問から始まった
現代ビジネス編集部
プロフィール
火をつけたのは、ひとつの文書
まさに青天の霹靂というほかない。3月10日、午後6時。安倍晋三首相は、南スーダンにPKO派遣されている自衛隊の部隊を、5月末をめどに撤収させる考えを明らかにした。
今国会では南スーダンの治安を巡り、与野党間で激論が交わされた。火をつけたのは、ひとつの文書だった。
政府はこれまで「自衛隊が活動する首都のジュバ市内は比較的安定している」と繰り返してきたが、現地の部隊が昨年7月に作成した「日報」が発見され、そこに<戦闘>という文言があったことが明らかになり、様相は一変。「戦闘地域に自衛隊を派遣することは、PKO法にも憲法にも反している」と指摘する声が続出したのだ。
安倍首相は撤退の理由について「南スーダンでの活動が今年1月に5年を迎え、部隊の派遣としては過去最長となり、一定の区切りをつけられると判断した」と語ったが、「日報」が発見されたことで議論が再燃し、それが撤退の判断に影響を与えたのは明らかだろう。
本来なら公開されることのなかったこの文書が明るみに出たのは、昨年9月、ジャーナリストの布施祐仁氏が防衛省にかけた情報公開請求がきっかけだった。布施氏が血道をあげた日報問題。その経緯を振り返りたい。
きっかけは「教訓要報」
そもそも情報公開請求をかけるには、ある程度具体的に「この情報を開示してほしい」と指定しなければならない。つまり、日報の存在を知らなければ、請求のしようもない。布施氏が防衛省に日報の公開請求をかけたのは、昨年9月末のこと。布施氏はどのようにして、日報の存在に気づいたのか。
話は2015年9月、安全保障関連法案が国会を通過した直後にさかのぼる。
「安保関連法が成立したことで、自衛隊の新任務として駆け付け警護が認められることになりました。当時より政府は南スーダンに自衛隊をPKO派遣していたので、最初に駆け付け警護任務が付与されるのは、南スーダンのPKO活動になることは明らかでした。そこで、南スーダンに派遣されている自衛隊の活動について、情報公開制度を利用して詳しく調べてみようと思ったんです。
とはいえ、こちらは防衛省がどんな文書を持っているかは分からないので、最初は大雑把な内容で請求をかけるしかない。まずは、2013年12月に南スーダンで内戦が勃発した時に活動していた、第5次隊の活動状況をまとめた文書を開示請求しました。おそらく、報告書のようなものは存在しているだろうから、それを出してほしい。と。
すると、『教訓要報』という文書が開示されました。いわば、現地で発生したさまざまな事案と、そこからくみ取るべき『教訓』をまとめた資料です。ここに<自衛隊宿営地近傍で発砲事案が発生し、全隊員が防弾チョッキ及び鉄帽を着用><宿営地を狙った襲撃・砲撃も否定できない>といった、現地の緊迫した状況が記されていたのです。『平和維持活動』と言っているけど、これはもう戦争だな、と」
「教訓要報」によって改めて南スーダンの危険な状況を認識した布施氏は、他にも重要な資料があるはずだと、以後、防衛省に継続的に文書の公開を請求した。
「その過程で、南スーダンに派遣される隊員を教育する『国際活動教育隊』が使っているテキストが開示されました。そのテキストに、隊員たちの訓練内容を検討する上で、派遣部隊が作成する『日報』を基礎資料として活用している、と書かれていた。これが、日報の存在を知るきっかけでした」
NEXT ?? 防衛省を追い込んだ「つぶやき」
あまりにずさんな防衛省の対応
布施氏が調査を進めていた最中の2016年7月、南ジュバで150人以上が死亡する大規模な戦闘が発生した。このとき、現地の自衛隊がどんな状況に置かれ、それにどう対応したのかを知りたいと思った布施氏は、防衛省に対し、戦闘の期間中に「南スーダンに派遣された部隊が作成した日報」の情報公開請求を行った。これが、2016年9月30日のことだ。
その後の防衛省のずさんな対応はすでに広く報じられているが、ここでもう一度確認しておきたい。
通常、情報公開請求を行うと30日以内に開示か不開示かが通知される。だが、10月30日に布施氏のもとに届いたのは<開示決定期限延長>の通知。「開示決定にかかわる事務処理や調整に時間を要する」というのが理由だった。
そして12月2日、防衛省から布施氏のもとに「日報はすでに廃棄しており不存在」という連絡が来る。開示でも不開示でもなく、すでに廃棄したので公開しようがない、というのだ。
実際に届いた不開示決定通知書
「この決定には強い違和感を持ちました。文書が届いてみたら『のり弁』のように重要な部分が黒塗りされていることはよくありますが、わずか3、4カ月前に作成された文書が廃棄されて存在しないというのは、初めてのことでした。しかも、これから先の訓練内容を考えるための基礎資料として活用されているような自衛隊にとっても重要な文書が、こんな短期間に廃棄されているなんてあり得ないと思いました。
その直前の11月15日、政府は新たに南スーダンに派遣する自衛隊の部隊に駆け付け警護の新任務を付与する閣議決定を行いました。そして、同30日に、第11次隊が青森から出国した。請求開示期限を延長したのは、新任務付与と派遣前に議論が起こることを避けたかったからではないかと思えてなりません。
とにかく、常識的に考えても廃棄したというのはおかしいだろう、と。そうSNSで発信したところ、ものすごい勢いで拡散し、方々から『これはおかしい』という反応が返ってきました」
布施氏がツイッターで公開したところ、4000件近いリツイートがあった
自民党の河野太郎議員も、「廃棄」に違和感を持った一人。元公文書管理担当大臣で、現在は自民党の行革推進本部長を務める河野議員が日報の存否を再調査するよう防衛省に要求、さらに稲田朋美防衛大臣も文書の再捜索を指示したこともあり、防衛省はついに「日報」を出さざるを得なくなった(といっても、隠ぺいしていたのではなく、廃棄されているはずのデータがたまたま見つかったというスタンスは最後まで崩さなかったのだが)。
NEXT ?? 厄介な「原則」
情報公開は有力な「武器」である
ようやく公開された「日報」。そこに「戦闘」という文言が何度も出てくるため、「ジュバは安定している」という政府の従来の見解に偽りがあるのではないか、という議論に発展したのは、周知のとおりだ。
「第11次隊が派遣される前に日報が開示されていれば、自衛隊に駆け付け警護を付与すべきかどうかについて、もっと活発かつ有益な議論が交わされていたはずです。国民や国会が真実をもとに議論する機会を奪われたということを、深刻にとらえなければなりません。
不幸中の幸いというべきか、今回の請求がきっかけとなって再度議論がはじまり、安倍首相は南スーダンの撤退を決断しました。日報が公表されたことが今回の撤収の政治判断に少しでも寄与したならば、情報公開によって国会や国民の間で活発な議論が行われ、それが政治判断に反映されるという、国民主権のひとつの「理想形」を実現できたことになります。それは喜ばしいことだと思っています。
そして、私は過去の取材でも情報公開制度を利用してきましたが、改めて情報公開の重要性を認識しました。
この国は、これまでにも増して重要な情報を国民に開示しない方向に傾いている――私はそう感じています。マスメディアが、国家権力が隠す『不都合な真実』を暴いてくれればいいのですが、残念ながら今のメディアの状況をみると、それにも限界があるでしょう。情報公開制度は私たちがもっと利用すべき、誰にでも使える有力な『武器』なのです」
日本で情報公開制度がはじまったのは、2002年のこと。総務省ホームページには施行以降の開示請求件数が公開されており、年々その数は増えている。が、主な請求内容は「不動産登記に関するもの」や「医薬品の承認関係」など、ビジネスに関わるものがほとんどだ。国の政策に関わるような情報の公開は、そもそも請求の数が少ないか、あるいは「不開示」とされる場合も少なくない。
さらに、総務省は不開示となる6つのケースを挙げているが、<審議・検討等に関する情報で、意思決定の中立性等を不当に害する、不当に国民の間に混乱を生じさせるおそれがある情報>というものがあり、これが厄介だ、と布施氏は言う。
「過去に情報公開請求を行ってきたなかで、何度かこの理由を盾に開示を拒まれたことがあります。しかし『この情報が表に出たら、反対意見が出てきて困る』というのは、前提がおかしい。可能な限りの情報を国民に提示して、反対意見も踏まえて議論しながら政策決定を進めていくのが、民主主義国家のあるべき姿でしょう。だから、情報公開法では『原則開示』とされているのです。
ところがこの国では、情報公開制度を支えるべき予算も人員も十分ではない。さらにいえば、そもそもなぜ必要なのか、という理念の共有が進んでいないのです。仏作って魂入れず、ということです。
今後も、私は情報公開制度を積極的に利用します。日本の場合は、重要な情報が真っ黒に塗り潰されて出てくることも多く、つい使えないと思ってしまいがちですが、そのこと自体をSNSを通じて発信し可視化することも重要です。今回の日報はまさにそうでしたが、そうすることで、政府・行政が何を国民に隠そうとしているのか、いかに情報公開に熱心でないかを訴えることができますから。
それを繰り返すことで、次第に現状の情報公開制度には問題がある、という認識が広まって、改善に向かっていくことを期待しています」
一通の情報公開請求が、国の決定を動かす可能性がある――。制度施行から15年という節目に起こった「日報問題」を奇貨とすべきだ。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51186?page=3
激動の世界に目を向けないような国会は、解散したほうがいいのでは?
森友事件に引きずられている場合なのか
長谷川 幸洋ジャーナリスト
東京新聞・中日新聞論説委員プロフィール
貿易戦争ののろしがあがった?
日本の国会は森友事件一色だ。だが世界に目を転じると、経済も安全保障も一段と雲行きが怪しくなっている。国会は怪しげな人物の言動に振り回されている場合なのか。
まず米国のトランプ政権である。政権発足からしばらく、株式市場はトランプ・ラリー(活況)に湧いていたが、にわかに不透明感が増してきた。東京市場は3月22日、NY市場の下落に引きずられた形で大きく値を下げた。
市場関係者が懸念したのは、政権が打ち出した減税政策がいっこうに具体化されない点である。加えて、18日に閉幕した20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議も悪材料になった。G20の共同声明から「保護主義に反対する」趣旨の文言が消えたからだ。
G20の声明は、これまで必ずと言っていいほど「保護主義に反対する」趣旨の文言を盛り込んでいた。たとえば、昨年7月のG20財務相・中央銀行総裁会議は「あらゆる形態の保護主義に対抗する」と訴えたし、同9月のG20首脳会議も「保護主義を拒否」すると書いていた。
麻生太郎財務相は会議後の会見で「『毎回、同じことを言うな』って言って、次のとき言わなかったら『なんで言わないんだ』という程度のもの」と語り火消しに努めているが、私は軽視できない。
トランプ大統領はかねて中国や自動車問題を抱えた日本、あるいはメキシコを念頭に、20%とか38%といった数字も挙げて高関税を課す発言を繰り返してきた。そんないまだからこそ、保護主義に反対するのは重要ではないか。
トランプ氏が大統領に就任して初めてのG20で「保護主義に反対する」文言が盛り込まれなかったとあれば、どう見ても「米国が反対したから」に決まっている。自由貿易の旗手だった米国が、あきらかにスタンスを変えてきているのだ。
かろうじて共同声明に「さらなる包摂性」なる言葉が残ったのは救いだったかもしれない。日本語だと分かりにくいが、英語は「greater inclusiveness」である。経済成長は少数の先進国だけが享受するのではなく、新興国や途上国を含めた多くの国が恩恵に与るようにすべきだ、と訴えている。この言葉はこれまでも入っていた。
世界が保護主義に走れば、資源の豊かな国と乏しい国、あるいは成長できた国と取り残された国の間で格差が一段と広がりかねない。「そうならないように努力する」と一応は確認した形である。
それでも「米国第一主義」を唱えるトランプ政権は、他国を犠牲にしても米国の利益を優先するだろう。そうなれば、G20や先進国首脳会議(G7)が貿易問題をめぐって激しい対立の場になりかねない。
たとえば米国の貿易不均衡が拡大し、トランプ政権が悪名高い通商法301条を発動したとする。この条項は米国が特定国の貿易慣行を不公正と認定すれば、一方的に制裁を発動できる、という内容だ。世界貿易機関(WTO)協定違反の疑いもある。
米国はWTOの紛争解決手続きに基づくパネル(小委員会)裁定を受けて、実際の発動を控えてきたが、トランプ政権が発動するようなら、日本を含め各国が黙っているわけがない。つまり、今回のG20は新たな貿易戦争の序章なのかもしれないのだ。
NEXT ?? 国会はなにをしているのか
そんな国会ならさっさと解散したほうがいい
懸念材料は他にもある。
米国を訪問したドイツのメルケル首相が3月17日、トランプ大統領と会談した際、記者団が2人に握手を求めたのに大統領は拒否した。メルケル首相は大統領にわざわざ「私と握手したいですか」と言葉をかけた。大統領はこれを完全に黙殺した。
先の日米首脳会談で安倍晋三首相の手を握って離さなかったのとは、対照的な非礼の扱いだ。背景にはメルケル首相がトランプ大統領のイスラム移民排斥政策を公然と批判してきた事情がある。
大統領もドイツの難民受け入れ政策を批判してきた。それだけではない。大統領は後で撤回したものの、一時は北大西洋条約機構(NATO)が定めた米国の欧州防衛義務も果たさない可能性を語っていた。大統領は欧州に冷ややかである。
そんな中、安倍首相は3月19日から欧州に出かけ、22日までにドイツ、フランス、ベルギー(欧州連合)、イタリアの4カ国を訪れた。これは欧州各国との連携強化に加え、5月にイタリアで開かれる先進国首脳会議に備えた地ならしだった。
米欧関係に冷たい空気が流れる中、安倍首相が欧州を訪問したのは重要な意味がある。日本の安倍首相が米欧間の調整役になりつつあるのだ。
2月17日公開コラム(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50998)で指摘したように、2月に開かれた日米首脳会談の大きな成果は、2人の首脳の間で交わされた「マルチの場では必ず日米首脳会談を開く」という約束だった。それは「世界の主要問題は日米が主導権を握って議論をリードしていく」という意味にほかならない。
いまや、それが現実になりつつある。欧州の首脳たちはトランプ大統領の人となり、政権の行方、対応策など安倍首相を質問攻めにしたに違いない。首相は大統領と1.5ラウンドのゴルフに加えて5回連続で食事した仲なのだ。こんな首脳は他にいない。
米欧関係が冷えているからこそ、日本の存在が大きくなる。とはいえ、米欧の溝が深まってG20やG7が分裂するようなら、日本は間違いなくダメージを受ける。まさに日本が米欧を相手にどう舵取りしていくか、に国益がかかる局面なのだ。
東アジアの情勢はどうかといえば、先週のコラム(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51236)で書いたように、韓国では親・北朝鮮政権の誕生が確実視される一方、北朝鮮の金正恩最高指導者は核とミサイルの開発を急ピッチで進めている。
世界がこれほど激動しているのに、日本の国会は何をしているのか。朝から晩まで野党が追及する森友事件に振り回されている。はっきり言おう。そんな国会ならさっさと解散したほうがいい。
産経新聞の阿比留瑠比記者も書いていた(http://www.sankei.com/premium/news/170320/prm1703200019-n1.html)が、私は3月20日放送のニッポン放送の番組「ザ・ボイス そこまで言うか!」で彼の記事を紹介しつつ「まったく賛成」と述べた。
本当に安倍首相が解散するかどうかは別にして、こういう真っ当な意見がほとんど出てこない現状はどうかしている。いつまでも森友事件に引きずられるようなら、首相は決断すべきではないか。
最後に「ニュース女子」の件にも触れておこう。番組を制作しているDHCシアターは3月13日に沖縄特集の続編を放送した(https://www.dhctheater.com/season/23/)。TOKYO MXは独自の判断で放送しなかったが、ぜひネットでご覧いただきたい。
私は25日に発売される「月刊HANADA」5月号に長文の総括記事を寄稿した。番組と私を批判した津田大介、青木理、山口二郎、香山リカ、深田実(東京新聞論説主幹)各氏らについても、実名を挙げて反論、徹底批判した。こちらも合わせて、ご一読を。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51288
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