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証人喚問前に読んでおきたい記事。できれば、菅野完著『日本会議の研究』も!!
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稲田朋美防衛大臣虚偽答弁スクープの裏側 - 森友学園・籠池泰典理事長独占インタビュー顛末記
https://news.yahoo.co.jp/byline/akazawatatsuya/20170315-00068712/
赤澤竜也 | 作家 編集者
3/15(水) 6:38
稲田朋美氏の虚偽答弁騒動を巻き起こした作家・菅野完さんによる「籠池泰典氏緊急独占インタビュー」。この取材が行われた長い一日を随伴者として同行した立場から書き起こしてみる。まずは以下のサイトの菅野さんの投稿を読んでもらいたい。
【森友学園問題】籠池泰典氏 緊急独占インタビュー! あの会見で語れなかったこと
https://hbol.jp/133139
●不倶戴天の敵同士が醸し出す不思議な雰囲気
今回の森友学園問題で常に取材の先頭を走ってきた菅野さん。批判の筆鋒はするどく、彼がメディアに提供した塚本幼稚園の軍国主義的教育の映像は数週間にわたってワイドショーを賑わした。
そんな菅野さんが森友学園の創立者である森友寛氏の仏前で手を合わせている。その横には御年82歳となる未亡人の佐代子さんがちょこんと座り、その前には籠池泰典理事長の長男・佳茂さんがあぐらをかいている。本来なら刺し違えてもおかしくない2人。なぜか同じ空間で静かに座っている。なかなかシュールな光景だった。
森友学園問題の取材を続けるなか、僕は主に塚本幼稚園での人権問題にフォーカスして記事を書いてきた。取材対象は菅野さんから紹介してもらった元保護者の方々だ。お話を聞かせてもらった5人はいずれも魅力的でパワフルな人ばかり。物証があるうえ、証言も極めて具体的であり、信憑性は高かった。
事の次第を確かめるため籠池泰典理事長に取材を申し込んだものの、受けてはもらえなかった。仕方なく2月17日の午前7時半、自宅前で直撃。その後、報道合戦が過熱していくと、さらに聞きたいことがでてきたため、再度自宅前で張り込んだ。3月9日の「瑞穂の國 記念小学院」の視察立ち会いの際は、ほかのメディアとともに敷地内で籠池理事長にボイスレコーダーを向けた。そんな僕もずっと追い続けていた籠池家の人たちと同じ空間でお茶を飲んでいる。不思議な感じがした。
●八方ふさがりの出口戦略
「ちょっと、ご相談があります」
菅野さんから電話をもらったのは3月11日の夜だった。
私はそれまでの取材に際し、菅野さんから数多くの情報提供を受けていた。ネットメディアから彗星のように論壇へのデビューを果たした菅野さんは既存メディア出身の記者のように情報を囲い込まない。ひたすら出して出して出し続けることにより、彼のもとに最新の情報が集まってくる。まったく新しいタイプの書き手である。
とはいうものの、もらうばかりでは申し訳ない。少しは恩返しがしたいと思っていた矢先だったので「喜んで手伝わせてもらいたい」と答えたのだった。
その夜は籠池理事長の長男である佳茂さんと三人で会った。前日、父親と並んで「瑞穂の國記念小學院の認可申請取り下げ」の記者会見場に登壇し、目もくらむほどのフラッシュを浴びた佳茂さんはさすがに疲労困憊の様子だった。これまでずっと表に出て来ていなかった佳茂さん。
「結婚相手のことで、親と仲がよくなかったという報道は事実です。でも、もうこういう事態に立ち至ったからにはほっとけませんから……」
悲壮な決意が感じられた。
翌日12日の朝10時、今度は佳茂さんのほか経営コンサルタント・川田裕介さんを交えて四人で懇談した。川田さんは3月2日発売の週刊文春にて「安倍晋三記念小学校"口利き"したのは私です」と実名告白した人物だ。
当初、川田さんは国有地8億円値引きの問題から安倍首相を引き離すため、官邸サイドの意向のもと記事作成に協力したとにらんでいた。タイトルには安倍晋三と打っているものの、中身を読んでみると「鳩山邦夫事務所 参与」の名刺で統括国有財産管理官に会ったということになっている。まさに死人に口なし。政治的な意図を持った告白記事だという認識だった。
ところが川田さんの話を伺っていると、彼の目的はまったく違うところにあったことが判明する。彼はマスコミの集中砲火から籠池家を守るため、あえて火中の栗を拾いにいっていたのである。
「私には小さい子どもも妻もいます。それにこんなことをしても何の得にもなりません。そりゃあ、随分迷いましたよ」
川田さんの説明は極めて合理的であった。強い信念に基づいた行動であったと知り、みずからの不明を恥じた。
会合では森友学園がどうなっていくのか、今後どうすべきなのかについて話し合った。小学校の開校はさておき、経営する幼稚園や保育園でも補助金の返還問題が取りざたされている。予想されるであろう事態は暗いものばかりなので、重たい雰囲気が漂っていた。
●テレビ的にはもう終わりですかね
そもそも9日の「瑞穂の國 記念小学院」の籠池理事長による視察立ち会いは完全な見世物と化していた。ワイドショーの時間帯に姿を現した籠池理事長は数多くの疑念には答えることなく自説を開陳。その様子は派手なナレーションとともにお茶の間に流された。夜のニュースでは、視察の際の映像の後、大阪府私学課の吉本課長が「同席していた籠池氏の妻が『マスコミに情報を流出させたのはあなたか』と職員のひとりを指さし、カメラ付き携帯電話で撮影。やめるよう何度も求めたが応じなかった」と話す様子が続く。
奇矯な性格の夫婦が引き起こした混乱劇。誰もが「こんな人たちに学校経営などできるはずがない」と感じただろう。確かにわかりやすい。そして次の日の森友学園側による「認可取り下げ」記者会見。こちらの方もまた100人を超えるマスコミが集まり、生中継された。籠池理事長は「マスコミに袋だたきにされ、報道が加熱して園児や保護者のプライバシーに危険が及ぶと感じた」とメディアへの恨み節を開陳。さらに独特の歴史観も披露するなど、こちらの方も視聴者に特異な印象を残してしまう。
会見が終わってから某テレビ局のディレクターはこういった。
「今回はなかなか、おいしい取材でした。でもテレビ的にはもう終わりって感じですかね」
おいおい、ちょっと待てや。そりゃあ、視聴率が大事なんはわかるでぇ。民放やもんね。でも、今回の件って森友学園だけが糾弾されて終わる話なん? 責めを負うべきは籠池夫妻だけなん? もっともっと隠された大事なことがあるんとちゃうのん……。
●創立者、森友寛の霊に突き動かされて
冒頭の部分に戻る。川田さんが所要のため、抜けた後、われわれ三人は佳茂さんの祖母、森友佐代子さん宅へと移動していた。藍綬褒章を受賞するなど、地域の幼児教育に多大なる功績を残した森友学園創立者・森友寛の暮らした家でもある。
籠池佳茂さんは祖父の思い出を語る。「いまの僕はずっとおじいちゃんにつき動かされているんです。僕はやっとわかりました。今日のこの日のために僕はいままで生きてきたんです」。籠池家を、そして幼稚園を守ることこそ自分の天命なのだというのだ。
さらに森友佐代子さんが先代との長い長い年月を語った。暗かった晩年の寛氏のことや、籠池泰典理事長と諄子夫人のなれそめなど、興味深いヒストリーについては菅野さんの筆を待とう。
午後3時を回ったころ、佳茂さんは立ち上がり、「親父の話、菅野さんしか理解できへんかも。豊中、行こ」と言い放つ。そしてわれわれは佳茂さんの運転する車に乗って豊中の籠池邸へと向かったのだった。自宅へ乗り込むと、菅野さんの記事にあるよう、押し問答が繰り広げられる。理事長は「君はなんの権利があってあそこまでするんだ、いくらなんでもやりすぎだろう」と叫んだ。
ようやく両者が椅子に座り、話し合いが始まる。ここからが菅野さんの真骨頂。あれほど激しく攻撃をしていた籠池理事長の懐に飛び込み、いけしゃあしゃあと、いや胸襟を開いて説得にあたる。次第に心を開いていく理事長夫妻。だんだん丸め込まれて、いや理解を示していく。その胆力と人たらしの能力には瞠目せざるを得ない。
さらに籠池夫妻をメディアから守るための様々な秘策を伝授。その語り口調は同行者である僕でさえ引き込まれてしまう。「菅野さん、怖いやっちゃなー」と思っていた矢先、塚本幼稚園の副園長である諄子夫人は叫ぶ。「あんた、ホンマに悪知恵が働く男やなー」。思わず僕も同調する。「ホンマにそうですねん」
●もしかしてスクープ?
面談のなかで稲田朋美大臣の話がでた際のこと。
「まあ、稲田先生はうちの顧問弁護士でもあったし」
「えっ」
「顧問弁護士やったし」
「龍示さんでしょ」
「まあ、両方やな」
「紙、ありますのん?」
「ここにはないけど、幼稚園にあるよ」
われわれは目が点になった。こりゃ大変や。ビッグニュースやがな!
菅野さんは動画でのインタビューを提案した。彼のロジックはこういうものだった。
かつて塚本幼稚園で講演してその教育を絶賛していた鴻池祥肇参議院議員は悪し様に「オバハンオバハン」と諄子副園長を罵った。昨年の10月22日に感謝状を贈っていた稲田朋美防衛相は森友学園問題が浮上すると、「面識はもちろんありましたけど、10年ほど前、大変失礼なことをされたということがありまして、それ以来、私は関係を絶ってきているということでございます」と突き放した。
今まで褒めそやしていた仲間がいざ窮地に陥ると、後ろ足で砂をかけて去って行く。平気で水に落ちた犬を打つ。そんな人間たちが「美しい日本」などとカッコイイことをのたまっている。
このままでは「籠池夫妻という特異なキャラクターがしでかした混乱劇」という形での幕引きとなってしまうのではないか? 事件を矮小化して責任をすべて森友学園に押しつける気ではないのか? このまま全部ドロを被って静かに隠遁生活するおつもりなのか?
籠池泰典理事長は事態を少しでもいい方向に展開させるため、持論を述べた方がいいだろうと判断し、インタビューを受けることを納得してくれた。
●森友学園の"女帝"の素顔
豊中のご自宅にわれわれが滞在している間、理事長は常に静かに話していた。その一方、諄子副園長のテンションは高かった。
とにかく声が大きい。僕の前に「これ、食べ」と言ってマドレーヌを持ってきてくれるのだが、手をつけないとわざわざ袋を開けて「はい、食べ」と促してくれる。ありがたくいただくと、また5分後には「これ、食べ」といってマドレーヌの袋を開けてくれる。数十分後には私の前にマドレーヌの空き袋が散乱していた。親切の押し売りと言うか、とにかく愛情表現過多なのだ。
佳茂氏は「愛の爆弾」と表現していたが、マンガみたいな人である。
面談の最中でもちょいちょい面白コメントを挟んでくる。
「菅野さんって常識ある人やねんなぁ。わざとアホみたいになっとったんやね」とか、
「鴻池さん、オバハン、オバハンって、そりゃ私はオバハンやけど、言い方が気に喰わんねん。アンタ、なに笑ってんねん」バシっとぶったたいたり、
菅野さんが「忙しすぎて、この鴻池先生の面談記録の処理ができなんだ」と言うと、
「私を追及するのに忙しすぎてな」と突っ込んできたり……。
菅野さんは籠池理事長とインタビューのコンテについて打ち合わせに入った。その間、僕は諄子副園長との雑談タイムを持つことができた。
3月9日売りの週刊文春「安倍晋三記念小学校『無礼オバハン籠池諄子夫人』と昭恵夫人の嘘」の記事を見せると「見てこのブサイクな顔、わたしこんな変な顔? むちゃくちゃ悪者になってるねん。ひどいわぁ」と大声を上げる。記事を読みながら「あー、これウソ、これウソやで、私が警察署で2日間勾留されたって書いてるけど、ホンマは18日間やねん」、「あー、年齢も間違ってる。なにが57歳や、60やがな」と自分が不利になるような情報でも平気で開陳する。
僕が「妻は(近畿財務局で)表情を一変させ、突然机をバンバン叩きながら『話になんないわ!』と怒鳴るなんて書いてありますよ」と言うと、「うん、確かに机を叩いて言うたった。だって腹立つねんもん」。とにかく開けっぴろげでいちいち面白い。直情的というか、直球しか投げられない人なのだ。
僕は塚本幼稚園を強制的に退園させられた元保護者の方々の話を聞いている。先にも書いたよう、誰もが園の仕打ちに対して心から怒っていて、その言葉には説得力があった。一方、目の前にいる諄子副園長が悪人であるようには見えない。感情の起伏は激しいようなので、もしかしたら怒りモードになると、フルスロットルで炸裂してしまうのだろうか?。諄子副園長の様子を見ていると、塚本幼稚園でなにが起こっていたのか、より一層わけがわからなくなってきた。
●いよいよインタビュー開始
8時半を過ぎ、いよいよ撮影開始の段になった。お嬢さんが櫛を使って理事長の髪を整える。そして諄子副園長と手を握り合って菅野さんの第一声を待った。その姿は誇りに思う夫、そして父親を気遣う仲の良い家族のものだった。
自宅にお邪魔する前、菅野さんはこんなことを言っていた。「籠池理事長が奥さんを見るときは目つきが必ず優しくなる」と。そして、実際にそうだった。「夫婦相和シ」を実践していることだけは確かなようだ。教育勅語を推奨しながらも、政治資金を愛人に突っ込んで逮捕された元航空幕僚長とは大違いである。
それほど大きくはない豊中の家の前には常にマスコミが張り込んでいる。前日までは僕も向こう側にいた。あらためて、衆人環視のなか部屋に閉じこもりながら新聞テレビでの連日の報道を目にせざるを得ない立場をおもんばかった。僕は加害者の側なので、こんなことを言う資格などまったくないのだが、それでもメディアスクラムに押しつぶされるご家族の心痛、親御さんを守らなければならないという子どもたちの悲壮な決意を実感せざるを得なかった。
理事長夫妻が命がけで取り組んできた小学校開設が風前の灯火となり、母体である塚本幼稚園は櫛の歯が欠けるように園児が去っていっている。森友学園は籠池泰典理事長が退任し、長女の町浪(ちなみ)さんが後継者になると発表した。課題は多かろう。訴訟案件にもなっている元保護者とのトラブルを一日も早く解決し、正常化することはできるのだろうか?
14日になって大阪府が刑事告発を検討しているとの報道も飛び込んできた。しかし、ここは要注意である。大阪府の私学審議会は誰が見てもおかしな認可のプロセスを踏んでいる。その部分の闇が解明されぬまま、「籠池ファミリーという風変わりな人達の引き起こした学園事件」というフレーミングされた形での幕引きを図ろうとするのは許されない。
政治家がかんでいるのであれば、その政治家の、もしそうでないのであれば、みずからの覚えがめでたくなるよう忖度した役人の責任が問われなくてはならないのだ。
ビデオの収録を終えると諄子副園長が食事を用意してくれた。温かいにゅうめんは美味しかった。いざ辞去する段になると、諄子副園長は玄関先に土下座し、床板に顔をこすりつけながら「ありがとうございます。よろしくお願いします」と叫んだ。最後までオーバーリアクションは健在だった。
収録前に籠池理事長の放った言葉が印象に残っている。
「日本会議のバッジ、ほら、してないだろ。外したよ」
ヨ
赤澤竜也
作家 編集者
大阪府出身。慶應義塾大学文学部卒業後、公益法人勤務、進学塾講師、信用金庫営業マン、飲食店経営、トラック運転手、週刊誌記者などに従事。著書としてノンフィクションに「銀行員だった父と偽装請負だった僕」(ダイヤモンド社)、「内川家。」(飛鳥新社)、「サッカー日本代表の少年時代」(PHP研究所・共著)、小説では「吹部!」(飛鳥新社)、「白球ガールズ」(KADOKAWA)など。
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