話題の「瑞穂の国」は、日本書紀・神代下の本文ではなく、一書曰、『葦原千五百秋之瑞穗國、 是吾子孫可王之地也。 宜爾皇孫、就而治焉。行矣、宝祚之隆、當與天壤無窮者矣。』 《葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の国は、わが子孫が王たるべき国である。皇孫のあなたがいって治めなさい。 さあ、行きなさい。 宝祚(あまつひつぎ)の栄えることは、天地と共に窮(きわ ま)りないであろう》 (宇治谷猛)現代語訳 ※千五百秋 限りなく長い年月 : 宝祚 天子の位 古事記は、水穂の国。 上巻5の葦原中國の平定、『天照大御~之命以 「豊葦原之千秋長五百 秋之水穗國者、我御子正勝吾勝勝速日天忍穗耳命之所知國。』で、日本書記の瑞(清らかな、 美しい)は、形容の意味をもっているようである。 ※アマテラスの子・オシホミミ、オシホミミの子・ ニニギとなり皇孫。 次に、山幸彦(ホウリ 古事記)、ウカヤフキアエズ、神武天皇である。 古事記と日本書紀は違いがあり、日本書紀の引用解釈が多いといわれる。 アマテラスで有名な 天の岩戸の物語。 この中のアメノウズメの神懸りは、日本書紀よりも古事記が面白い。 《爲~懸而 掛出胸乳 裳飼E垂於番登也。 爾高天原動而 八百萬~共咲。》 日本神話・神社まとめ 思金神の策 古事記 現代語訳 http://nihonsinwa.com/page/228.html 神懸りする話は、神功皇后にもある。 古事記の神功皇后は神懸りし、神を信じない仲哀天皇 (ヤマトタケルの子)に、神からの言葉として死を告げる。 記紀の神功皇后は万世一系や女系 天皇、現人神云々の常識に疑問詞がつく物語でもある。 皇統の始まりの神武天皇の父・ 鵜葺草葺不合命(ウカヤフキアエズノミコト)の生誕も物語として面白い。 《ここに海神(わたつみのかみ)の女豊玉毘売(むすめのとよたまびめの)命、自ら参出(まゐで)て 白(まを)さく、「妾(あ)は己(すで)に妊身(はら)み、今産む時になりぬ。 こを念(おも)ふに、天つ 神の御子は海原に生むべからず。 かれ、参出倒(まゐでてきた)れり」とまをしき。 ここに即ちその 海辺の波限(なぎさ)に、鵜の羽(は)を葺草(かや)にして産殿(うぶや)を造りき。 ここにその産殿 未だ葺きあへぬに、御腹(みはら)の急(せま)るに忍びず。 かれ、産殿に入りましき。 ここに方 (まさ)に産まむとする時にその日子(ひこ)に白して言はく、「凡て他国(あたしくに)の人は産む時に なれば、本(もと)つ国に形を以ちて産むなり。 かれ、妾(あれ)今本の身を以ちて産まむとす。 願はくは妾(あ)をな見たまひそ」とまをしき。 ここにその言(こと)を奇(あや)しと思ほして、その方 に産みますを窃(ひそ)かに伺ひたまへば、八尋和邇(やひろわに)に化(な)りて匍匐(ほ)ひ委蛇 (もごよ)ひき。 即ち見驚き畏(かしこ)みて、遁(に)げ退(そ)きたまひき。 ここに豊玉毘売命、その 伺ひ見たまひし事を知りて、心恥(うらは)づかしと以為(おも)ほして、すなわちその御子を生み置き て白さく、「妾恒(あれつね)に海(うみ)つ道(ぢ)を通して往来(かよ)はむと欲(おも)ひき。 然れ ども吾が形を伺ひみたまし、これいとはづかし」とまをして、即ち海坂(うみさか)を塞(さ)へて返り入り ましき。 ここをもちて、その産みましし御子を名づけて、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命 (あまつひこひこ なぎさたけ うかやふきあへずのみこと)と謂ふ。 …(中略)・・・ この天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命、その姨(をば)玉依毘売(たまよりびめの)命を娶(めと) して、生みし御子の名は、五瀬命(いつせのみこと)、次に稲氷命(いなひのみこと)、次に御毛沼命 (みけぬのみこと)、次に若御毛沼命(わかみけぬのみこと)、亦(また)の名は豊(とよ)御毛沼命、 亦の名は、神倭伊波礼毘古命(かむやまといはれびこのみこと)。 〈四柱〉 かれ、御毛沼命は、波 の穂を跳(ふ)みて常世国(とこよのくに)に渡りまし、稲氷命は、ははの国として海原に入りましき。》 古事記 上巻 (次田真幸)書き下し引用 古事記原文 海幸彦と山幸彦 http://www.seisaku.bz/kojiki/kojiki_07.html 神倭伊波礼毘古命(かむやまといはれびこのみこと)は、神武天皇。 日本書紀の本文〈日本書記 は本文と一書曰くとあり、本文と諸説が記述されている〉は、「豊玉姫方産化爲龍」で龍としている。 海幸彦と山幸彦で知られるが、神婚は一般に受け入れにくいので教えないようである。 で、この神武天皇紀の八紘一宇、神国や皇民教育があって判る言葉である。 八紘一宇の一節は 現代語訳(宇治谷猛)《上は天神の国をお授け下さった御徳に答え、下は皇孫の正義を育てられた 心を弘めよう。 その後国中を一つにして都を開き、天の下を掩(おお)いて一つの家にすることは、
また良いことではないか。》で、前段があり、八紘一宇である。 戦前は、原典にあたる書籍の入手も 難しかったであろう。 今はネットで読めても、いいとこどりした物語を常識としている。 日本神話・神社まとめ 三月辛酉朔丁卯 六合を一つにして八紘までを家にする 日本書紀 http://nihonsinwa.com/page/936.html 教育勅語も神国や皇民教育があって、臣民の忠君思想が説かれている。 「天は人の上に人を造 らず」とする民主主義と相いれない思想である。 教育勅語の忠孝一致の思想は、江戸の官学・ 朱子学が始まりで、上下定分の理(林羅山)が、身分制度の固定化を進めたとされ、江戸は幕藩の 連邦制に近いから君主(藩主)が分散されていた。 幕末は尊皇として君主を一人にして中央集権 の国家を創り出した。 朝鮮半島経由(慶長の役での捕虜・姜)の朱子学(李氏朝鮮の統治学)を もとに江戸、明治で強化された。 今も北朝鮮体制を望むような思想を好むのが保守のようである。
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