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籠池や稲田が持ち出した「教育勅語」の現代語訳は“偽物”だった! 作成したのは元生長の家シンパ(リテラ)
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/349.html
投稿者 赤かぶ 日時 2017 年 3 月 14 日 10:30:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

         
          左・稲田朋美公式サイトより/右・フジテレビ『バイキング』16年3月7日放送回より


籠池や稲田が持ち出した「教育勅語」の現代語訳は“偽物”だった! 作成したのは元生長の家シンパ
http://lite-ra.com/2017/03/post-2991.html
2017.03.14. 籠池、稲田、小藪が絶賛! 安倍政権が復活狙う「教育勅語」の正体(後編) リテラ


 籠池泰典理事長や稲田朋美防衛相はもちろん、芸人の小籔千豊までが口にする「教育勅語は悪くない」論。前編ではそうした主張が明らかに嘘とゴマカシであることを指摘した。

 連中は、「教育勅語は親孝行しよう、友達を大切にしよう、夫婦仲良くしよう、一生懸命勉強しましょうと説いているもの。当たり前の道徳、いいことを書いているだけではないか」と口をそろえる。たしかに、教育勅語には“12の徳目”とされるものが書かれており、11番目までは親孝行や兄弟、夫婦仲良くなどと、まあごく普通の道徳が書かれている。

 しかし、最後の12番目には〈一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ〉とあり、さらに〈以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ〉と続く。これは「国家のために勇気をもって身命を捧げ、永遠に続く天皇の勢威を支えよ」という意味だ。

 しかも、文章の構造を検証すると、そこまでの「当たり前のいいことが書いている」という徳目も、「以テ〜」以下にかかっており、すべての道徳が天皇を支えるという目的のために存在していることがわかる。まさに教育勅語は天皇中心国家を確立し、国民に天皇のために命を投げ出す教育をするためにつくられたスローガンだったのである。

 では、なぜ連中はそのことをネグって、「当たり前にいいことを説いているだけ」などと平気で言いはるのか。

 実は、教育勅語復活論者の多くがもちだす「現代語訳」にその秘密がある。
たとえば、戦後まもないころから教育勅語の復活を訴えている明治神宮のHPに掲載されている現代語訳。冒頭はこういう風に始まる。

〈私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。〉 

 しかし、これは実際の教育勅語とは似ても似つかないものだ。この部分に該当する教育勅語の原文は〈朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニコヲ樹ツルコト深厚ナリ〉、つまり「私が思うに、皇室の先祖である天照大御神が国を始めた遠い昔より、皇室はずっと徳を積み上げてきた」というもの。明治神宮の現代語訳にある「道義国家」に該当する言葉は一切出てこず、かわりに天照大御神を始祖とする皇国史観丸出しの文言が書かれている。

 決定的に違う箇所は他にもある。それは教育勅語の核心である12番目の徳目〈一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ〉から〈以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ〉へ続く部分。前述したように、これは「国家のために勇気をもって身命を捧げ、永遠に続く天皇の勢威を支えよ」という意味だが、明治神宮の現代語訳では、〈非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません〉とあるだけ。「義勇」を「真心」と置き換える訳にもかなり違和感があるが、それよりもっと驚くのは、〈以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ〉の現代語訳、つまり「永遠に続く天皇の勢威を支えよ」という箇所がすっぽり抜け落ちていることだ。

 いや、この部分だけではない。実は明治神宮の現代語訳では、教育勅語の肝である「天皇のため」「皇室のため」という言葉は一切出てこず、他の表現もことごとくソフトになっている。

 明らかに教育勅語が天皇支配強化、神格化という目的をもっていたこと隠すための詐術と思われるが、しかし、こうしたインチキな現代語訳を採用しているのは、明治神宮だけではない。明治神宮のHPに掲載された現代語訳の末尾には「国民道徳協会訳文による」との注釈がつけられている。つまり、訳文は明治神宮のオリジナルでなく、「国民道徳協会」という団体の訳によるらしい。そして、「教育勅語は悪くない」と復活を主張する連中の多くは、なぜか決まってこの国民道徳協会の訳文を持ち出すのだ。渦中の塚本幼稚園も、田母神俊雄もこの国民道徳協会の訳文を使っている。産経新聞の阿比留瑠比記者も13日、やはりこの訳文を提示して「どこが悪いのか」とがなりたてていた。

 稲田朋美防衛相も国民道徳協会の訳文を根拠にしているひとりだ。稲田は8日の国会で「教育勅語の精神を取り戻すべき」という過去の発言を問われ、「教育勅語の核である、例えば道徳、それから日本が道義国家を目指すべきであるという、その核について、私は変えておりません」と答えていたが、教育勅語の原文に載っていない「道義国家」という言葉を使ったのは、国民道徳協会の訳文に基づいているとしか考えられない。

 では、この国民道徳協会というのはなんなのか。何か公的な団体かと思いきや、そうではなかった。国民道徳協会は、戦後から1960年代頃まで自由党、自民党所属の国会議員だった佐々木盛雄なる人物がつくった団体で、佐々木はこの団体から『甦る教育勅語』(1972)という著書を自家出版。そこに書かれていた訳文がもっともらしく「国民道徳協会訳」として広まっているのだ。

 佐々木は戦前、報知新聞記者で論説委員まで務め、戦時中は海軍大本営に従事。戦後、政治家に転身すると、ゴリゴリの右派として鳴らし、「学生暴動が起きるのは、教育勅語を廃止したせい」「家制度を廃止したから日本は弱体化した」「諸悪の根源は占領憲法」「国益を無視した個人の権利を主張するようになって一億総無責任」「マスコミは偏った思想を押し付けている」「日本は食糧難なのに朝鮮人、韓国人に生活保護を与えている、強制送還しろ」「デモを規制しろ」などと、籠池はじめ日本会議の連中の口癖とほぼ同じような内容を、50年以上も前にがなりたてていた。


 この教育勅語の現代語訳もそのゴリゴリ右派の佐々木が、教育勅語を復活させるために意図的に天皇や皇室の部分を隠したマイルドな訳をつくり、それを発表したと考えられる。

 実際、佐々木は『甦る教育勅語』のまえがきで「今日となっては、政府による正式復活は、悲しいかな不可能に近いだろう。だから、せめてわれわれ民間人の手によって、日本人の心の中に、在りし日の栄光と、権威を復活したいと念じるのであって、それが本書の目的」とつづっている。

   しかし、議員引退後の佐々木は、評論、著述活動をしていたとはいえ、世間的には有名な存在ではなかったし、高い学術的見識があったわけでもない。著書も自費出版らしきものがほとんど。なぜそんな人物の、自費出版本に載っているだけの訳文がここまで広まっているのか。

 日本近現代史研究者の長谷川亮一氏はこの「国民道徳協会」訳の流布について、「発表直後に明治神宮発行のパンフレットに広く知られることになったのみならず、一九七九年頃からの神社本庁・「日本を守る会」等を中心とした教育勅語キャンペーンにおいても広く採用され、あたかも定訳であるかのような扱いを受けることになった」と日本思想史研究会で報告している。

「日本を守る会」というのは、1973年に発足した、明治神宮、生長の家などが中心となって運営していた宗教右派団体で、日本会議の前身。そう。このインチキな訳文の普及には、あの日本会議につながる人脈が介在していたのだ。

 しかも、その関係はたんに普及に協力したというレベルではではない。問題の訳を作成した佐々木はもともと、「生長の家」創始者の谷口雅春と非常に近い関係があった。現在の日本会議の中心に、谷口雅春の極右カルト路線に心酔していた「生長の家」元信者たちが入り込んでいることは有名だが、佐々木はその頃の生長の家がつくった右翼組織「日本青年協議会」の機関紙『祖国と青年』にもたびたび登場している。さらにさかのぼると、生長の家の出版部門である日本教文社から本を出版。その中で「尊敬する谷口雅春先生」と記したこともある。谷口雅春のほうも明治憲法の復元を主張する著書『私の日本憲法論』のなかで、佐々木の著述を引用している。

 さらに、両者の関係を裏付けるのが、「道義国家」という言葉だ。前述したように、この言葉は教育勅語の原文には一切該当箇所がないにもかかわらず、国民道徳協会の現代語訳に唐突に出てくる。「道義国家」という言葉自体は、戦前、軍部のクーデターにも関与したアジア主義者・大川周明が生み出したものだが、谷口雅春はじめ生長の家関係者は、戦後、侵略戦争や、国民の人権制限を正当化する大義名分としてこの言葉をしきりに使っていた。そして、いまも日本会議まわりの連中が使う典型的なタームとなっている。

 たとえば、日本会議会長の田久保忠衛は2016年7月13日の日本外国特派員協会での会見で「道義国家を目指す」と語り、外国人記者たちは意味がとれず困惑する一幕があった。また神道政治連盟も「世界から尊敬される道義国家、世界に貢献できる国家の確立」を掲げている。そして、極右路線時代の生長の家の思想に心酔している稲田防衛相も先述したように、この言葉を国会答弁で持ち出した。

 つまり、このインチキな現代語訳は谷口雅春に影響を受けた人物によってつくりだされ、谷口の熱心な信者たちが普及させ、そしていま、安倍政権でふたたび日本会議の連中によって教育勅語復活のツールとして活用されはじめているのだ。いわば、いま流通している国民道徳協会の訳文は日本会議をはじめとする右派勢力の組織ぐるみの詐術的訳文といってもいいだろう。

 しかも、気をつけなければならないのは、この教育勅語がインチキな現代語訳によってソフトになったからといって、彼らが目指しているものがソフトになったわけではない、ということだ。

 連中がめざしているのは、いまも、天皇、国家のために命を投げ出す国民を育てることだ。

 実際、稲田自身もいまでこそ、「親孝行の部分などは……」としか言わなくなったが、新人議員時代には「WiLL」(ワック)で「教育勅語は、天皇陛下が象徴するところの日本という国、民族全体のために命をかけるということ」と発言。国民に命を捧げさせる教育勅語の精神を復活させるべきと主張していた。

 ただし、それを直接的に言葉にすると、国民からは拒否される。そこで、そういった箇所をすべて隠し、親孝行などの徳目を前面に出し、言葉を「真心」などといったソフトなものに変換して目くらましをしているのだ。

 当の安倍首相の側近中の側近が、その手口を思わずもらしたことがある。憲法改正についての自民党プロジェクトチームの会合(2004年、第9回会合)で、加藤勝信一億総活躍相がこんな発言をしたのだ。

「個人・家族・コミュニティ・国という階層のなかで、日本人は国も捉えているのではないか。したがって、急に国に奉仕しろといわれても飛びすぎて、まず家族・コミュニティに奉仕をする延長線上のなかに国に対する奉仕も位置づけたほうがなじみやすいのではないか」

 自民党や日本会議などの右派勢力はいま、国民を国家に奉仕させるために、まず「家族」への意識から変えさせようとしている。最近の教育勅語復活の動きや、憲法に家族条項を創設しようという動きはまさにその一環といえるだろう。

 しかも、これは今から127年前に行われたやり口でもある。あのときも、日常に親しまれた「親孝行」などの徳目を利用して国民を戦争に動員させていったのだ。

 最後にもう一度いっておく。インチキな訳文を使って「教育勅語は親孝行などの当たり前の道徳、いいことを書いているだけ」などと甘言を弄する連中に騙されてはならない。

 「愛国は悪党の最後の逃げ場である」という言葉の正しさは、森友学園問題で醜態をさらしている自称愛国者たちが十分すぎるほど証明してくれたではないか。
(エンジョウトオル)




















 

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コメント
 
1. 2017年3月14日 10:33:20 : oQ2cIeqDsI : XFx7w7a3dAY[30]
おい、なんで今日国会中継しないんだよ。島田スシローとかテレビに出してるんじゃないよ。

2. 無段活用[1628] lrOSaYqIl3A 2017年3月14日 11:00:08 : BBhWYcTpFc : Sk3OkVUrOSM[5]

これならどう?

-----------------------------------------


私(明治天皇)が思うに我が皇室の御先祖様が国をお始めになったのは、遥か昔のことであり、その恩徳は深く厚いものです。

我が臣民は忠と孝を守り、万人が心を一つにしてこれまでその美をなしてきましたが、これこそ我が国の最も優れたところであり、教育の根本も実にこの点にあります。
あなたたち臣民は父母に孝行し、兄弟は仲良くし、夫婦は協力し合い、友人は信じ合い、人には恭しく、自分は慎ましくして、広く人々を愛し、学問を修め、仕事を習い、知能を伸ばし、徳行・能力を磨き、進んで公共の利益に奉仕し、世の中のために尽くし、常に憲法を重んじ、法律を守り、もし国家に危険が迫れば忠義と勇気をもって国家のために働き、天下に比類なき皇国の運命を助けるようにしなければなりません。
このようなことは、ただあなたたちが私の忠実で良い臣民であるだけではなく、あなたたちの祖先の昔から伝わる伝統を表すものでもあります。

このような道は実に我が皇室の御先祖様がおのこしになった教訓であり、子孫臣民が共に守らなければならないもので、今も昔も変わらず、国内だけではなく外国においても理に逆らうことはありません。

私はあなたたち臣民と共に心に銘記して忘れず守りますし、皆一致してその徳の道を歩んでいくことを切に願っています。


https://www35.atwiki.jp/kolia/pages/443.html

-------------------------------------

理念としては立派だと思う。個人的には私も賛成だ。

ただ、天皇と国民と「君」と「臣」、つまり、主君と家来の関係と規定した上での天皇の所感を述べる、という構成が現憲法で規定された国民主権の原理と象徴天皇制の枠組みに合わない。

「臣民」を「国民」と言い換えることは出来ない。「臣民」とは主君の家来。「国民」とは「国」という名のグループのメンバー。両者が意味する内容は全く違う。

「君」と「臣」の関係性について私自身はそれでいいと思っているが、それは飽くまでも現憲法で保証された個人の信条の自由の枠組みの中での話であって、それを他者に押し付けることは出来ない。

象徴天皇としての在り方を生涯かけて追求なさった今上様の生き方とも合わないように思える。

徳目が必要ならばまた作ればいい。でも、それも親が子をきちんと躾れば済むことであり、大きなお世話のように思える。



3. 2017年3月14日 11:27:03 : ix6J6VQDis : 7e3KKMrRj9s[30]
今頃こんなものを持ち出されては、今上陛下もお困りになるんではないのか?

昭和天皇は人間宣言をされているし、A級戦犯が合祀されたとたんに靖国神社に行かれなくなったわけも想像つきそうなもんだがね。


4. 2017年3月14日 11:28:33 : gGLk3QHFXE : wD3nD4hSJAw[58]

   「教育勅語」は「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ(天皇家の存続のために国民は命を捧げよ)」の文によって今日的意義は全く無い。

   教育基本法(旧)があるではないか。力強い前文を見よ。しかし2006年安倍自民はこれを改悪した。

   「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
   われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。」

   第一条(教育の目的) 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身とも健康な国民の育成を期して行われなければならない   以下第十条まである。



5. 2017年3月14日 11:43:04 : Uth8eW5rTM : nMv1Hu096QY[154]
> これは「国家のために勇気をもって身命を捧げ、永遠に続く天皇の勢威を支えよ」という意味だ。

フランス国家も「国家のために勇気をもって身命を捧げ」となっている。

フリガナ付き フランス国歌 ラ・マルセイエーズ 仏語歌詞 和訳付き
https://www.youtube.com/watch?v=yLhy5K667Ts
武器をとれ、市民たちよ
自らの軍を組織せよ
前進しよう、前進しよう!
我らの田畑に、汚れた血を飲み込ませてやるために!

イギリス国家も「永遠に続く女王陛下の勢威を支えよ」となっている。

イギリス(英国)国歌
http://www.world-anthem.com/lyrics/uk.htm
神よ我らが慈悲深き
女王陛下を守りたまえ
我等が高貴なる女王陛下の永らえんことを
神よ我らが女王陛下を守りたまえ
勝利・幸福そして栄光を捧げよ
御代の永らえんことを
神よ我らが女王陛下を守りたまえ


6. 2017年3月14日 11:47:05 : pilyoQB4SU : 12NFedhicFU[6]
君主が徳目を説いて臣民に課す、一言で言うなら君主にとって良き従順な臣民となり我を護れというのが教育勅語。

しかしだ、戦前この教育勅語があった時代、少年犯罪、大人の犯罪が無数にあったことを生長の家も神社本庁も知らないんだろう。
戦前の教育は教育勅語を以ってしても、抑えることはできなかった。

だいたい体罰教育など日本の伝統ではない。
戦前でも学校教育において子供を殴るなどするシツケ教育など公認されていない。
親が子どもが怪我させられたと学校に怒鳴り込んでくるなど、今でいうモンスターペアレントは普通にあった。

体罰教師が常態化したのは戦後、復員してきた元軍人たちが教師として就職する中で軍隊の気風が学校の団体生活の統制に活かせるとして、いつの間にか馴染んでいっただけだ。
その軍隊にしたところで陸軍は体罰は禁止されており、イギリスの影響を受けている海軍では体罰は禁じられておらず、昔は海軍上がりの教師に気をつけろと言う言葉もあったほど。

そもそも戦前の日本の家庭教育は放任であり、子供に甘かった。
教育勅語を以ってしても、本当の日本の伝統を抑えることはできなかった。
戦前回帰派の思い描く理想の日本、美しい日本、道義の国なんてなものはなかったのである。


7. 2017年3月14日 12:14:17 : 2ba1UeOS2E : 62OIab_eEe0[330]
本質は、どうして、これほど天皇にこだわらないといけないかなんだが

8. 2017年3月14日 13:29:11 : 9QrkboLZYY : MQYhkiXCzCw[2]
もういいんじゃない。
縄文時代にはなかったんだから、昔に戻るだけだ。

9. ネコの目[214] g2yDUoLMlto 2017年3月14日 15:15:48 : FEFO9fyVQM : 2m2Ur6y139M[56]
日本人は、日本語を訳さなければ、もう通用しなくなったのか?

確かに

チンオモフニ

の文語調の言葉は、現代では分りにくい。古文や漢文を習っていなかったら、何のことか分からないだろうし、一般人には特に分らない。ただし、稲田は弁護士ではないのか? 言葉というものを、大切に取り扱う職業ではないのか? 多分知っていることを、勝手に自分流に解釈してご大層に言っているに違いない。その目線は、下々を見下した目線だ=アヘの目線もそんな感じ。

自分はフランス語は余り知識が無いので、フランス国歌はさて置き、イギリスの国歌は、女王の上に、「神」という概念があり、そこを忘れちゃ困る。
この神は、言わずと知れたキリスト教の神であり、地上では目に見えない実存だが、教育勅語では、天皇=現人神?となっており、どんなに擁護しても、やはり勅語はおかしいのだ。
目に見える神=すなわちただの人である天皇が、臣民?に向かって、あれこれ指図するのは、理にかなっていない。

又、戦前であろうと前後であろうと、犯罪者は必ず居るものであり、勅語さえあれば「美しい犯罪の無い国」になるだろうと思考するのは、単純そのもの!
事実、狂熱的支持者の籠池氏の言葉は嘘だらけ。人間がいかに愚かなのをしめしている良い見本だな。


10. 2017年3月14日 15:16:57 : FEFO9fyVQM : 2m2Ur6y139M[57]
9です。

前後→戦後

でした。訂正致します。


11. 2017年3月14日 16:29:43 : ew4uBvtDSm : KzxkLhUz1Z0[3]
「稲田先生を支持する」「ともみ組」会長 渡部昇一

政治家には「勇」が必要である。しかし単なる勇気ではいけない。
「知」に基礎を置いた信念から出る勇気でなければならない。
かつて衰運一途にあるかに見えたイギリスで、サッチャー女史は
社会主義を知的に克服しなければイギリス再生はないと洞察し、
労働党の社会主義的主張をすべて論破するだけの知的な基礎をまず作った。

日本の政治家で今一番必要なのは東京裁判史観を破砕する知力を
基礎にした勇気である。稲田先生は弁護士時代からその稟質を示してきた。
今や政界においてその知力と勇気を発揮する秋(とき)が来た。
日本のサッチャーになる日を期待する。


12. 2017年3月14日 20:54:39 : MsLepB7A0c : yqFSRwIWuHA[13]
「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」

 これのなにがわるい、国家の危急存亡、他国からの攻撃があったら、反撃

 して戦う、どこの国でもやることだろ。

 日本は日本国憲法で米国がかわりに戦争してくれるのでだいじょうぶ

 そんなのいつまでも続かない、米国軍が日本から撤退するようなことが

 あれば、日本は日本人がまもらなくてはならない。

 もちろん戦争などないほうがよいのだが、満が一のときのはなしだよ。

 教育勅語はほとんど良いことが書かれている。

 バカサヨクは何でも反対、全部日本が悪い、自虐の集まり。


13. 2017年3月14日 21:49:23 : MsLepB7A0c : yqFSRwIWuHA[14]
「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」

 頭の悪いサヨクのために もう一度教えてやろう。


 義勇公ニ奉シ 国家の為に戦わなければならないときは戦うという意味だ

 だから 米国人は米国のために戦う、 ベトナムのベトコンはベトナム国の

 ためにゲリラ戦で戦った。 中国軍も同様、韓国軍も韓国の為に戦うだろ

 日本だけは日米安保で米軍がけが、日本国のために戦う、それはないだろ?


 理解できただろうか?


14. 2017年3月14日 23:44:14 : uTf5b9F6M6 : yHCAyVIPMP8[25]
ソーリにシツモん、どう訳す?一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ(゚∇^*)b

[32初期非表示理由]:担当:重複投稿多数のため全部処理
15. 無段活用[1630] lrOSaYqIl3A 2017年3月14日 23:51:42 : BBhWYcTpFc : Sk3OkVUrOSM[7]

>「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」
> これのなにがわるい、国家の危急存亡、他国からの攻撃があったら、反撃
> して戦う、どこの国でもやることだろ。

問題はそこにはない。文字面はともかく、実質的には『教育勅語』は自分の国の為に戦え、と言っているのではないのだ。

表面上、国のためとは書かれているが、主権者は天皇で「臣民」は天皇の家来だから、国のために戦え、ということは実質的に天皇のために戦え、いう意味になる。

要するに、『教育勅語』は「臣民」に天皇のために戦え、と言っているのだ。

しかし、当時は軍部が天皇の名前を勝手に使って戦争をしていたので、軍部は天皇の名前を使って「臣民」に対して軍部自身のために戦うことを要求できたし、実際にそのようにしてきた。

有り体に言えば、軍部は『教育勅語』を使って天皇の名前で、オレのために戦えと言ってきた。『教育勅語』はそのための道具として使われた。

いま、『教育勅語』が問題になっているのは、安倍一派がかつての軍部のように天皇の名前を勝手に使って自分たちのための戦争を行い、自分たちのために国民に戦うことを要求できる国づくりを画策していて、その道具として『教育勅語』を再び持ち出そうとしているからだ。

国のために戦うことは尊いことだが、自分がうっかりしていると、そのような者たちに自分の生命を食い物にされてしまう。そこが怖いのだ。

細かいことはさておき、ざっくり説明するとそうなる。



16. 2017年3月15日 06:54:39 : MsLepB7A0c : yqFSRwIWuHA[15]
15>>。ヨ表面上、国のためとは書かれているが、主権者は天皇で「臣民」は天皇
  の家来だから、国のために戦え、ということは実質的に天皇のために戦え
 、いう意味になる」

  天皇機関説を知ってるか、googleで調べればわかるわな

 天皇機関説(てんのうきかんせつ)とは、大日本帝国憲法下で確立された憲法 学説で、統治権は法人たる国家にあり、天皇はその最高機関として、内閣をはじめとする他の機関からの輔弼(ほひつ)を得ながら統治権を行使すると説いたものである。ドイツの公法学者ゲオルグ・イェリネックに代表される国家法人説に基づき、憲法学者・美濃部達吉らが主張した学説で、


  戦前、東大の美濃部達吉教授が主張した、つまり、統治権(主権)国家

  という法人にあり、 天皇というのはその法人国家の最高機関、国家

  運営の最高責任者でだり、絶対主権者ではないとする説。

  昭和天皇は天皇機関説でよいといわれた。

 、天皇みずから認めておられた、天皇は主権者ではない、主権は法人国家

  に属するものだと。


  会社組織のばああい、会社法人があり、会長、社長がTOPに立ち

  取締役会で会社の運営を決める、

  ただし、日本国の場合は会長代々 天皇家から出る決まり。

  比喩に問題あるかな?、不敬になるかも。


17. 2017年3月15日 09:58:04 : MsLepB7A0c : yqFSRwIWuHA[16]
天皇家は日本国株式会社法人の創業家(日本を建国した家柄)

代々 日本国株式会社法人の会長は創業家から出る決まりになってる。

平社員からは残念ながら会長にはなれない、ていうところかな。

めちゃくちゃ平たく 例えれば。

アシュラパヨクや わしも平社員、主権者平社員じゃから文句だけ

たれるだけなのじゃ。



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