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籠池氏 / 「私をズーっと追いかけている。報道の自由もわかるけど、基本的人権のほうが大切」
http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/598744bdecb99fbf426a831d14b8fe29
2017年03月09日 のんきに介護
赤旗政治記者 @akahataseiji さんのツイート。
-—籠池氏が会見。午後2時20分頃の映像。カメラに囲まれて〈マスコミ批判〉。TBSゴゴスマで放映。「疑念が出てきたと野党が予算委員会で一生懸命言うのはわかるけど、他にやることないのか」、「私をズーっと追いかけている。報道の自由もわかるけど、基本的人権のほうが大切」。必死の形相。(津)〔14:56 - 2017年3月9日 〕―—
皮肉にも、
この人が生きる知恵としての
「基本的人権」の意義を説いている。
あの稲田防衛大臣も
自分の発言の政治的責任を問われたとき、
教育勅語ではなく、
日本国憲法が掲げている
価値観の中に逃げ込もうとするだろう。
そして
恐らく今の時点でさえ、
現憲法に則った言い訳が用意されているだろう、
いわく、
私、民主主義を分かってませんでした云々。
安倍晋三の祖父、
岸信介が戦後、米軍の将、マッカーサーに対してした
命乞いの一節だ。
教育勅語とは何か――。
それは、
庶民に沈黙を強いる為政者の都合が書かれたものだ。
「お前たちは、親のため、兄弟のため、近隣のために死んで行け。
死ななきゃ国賊だ」と、
自爆を無理強いするための装置が
教育勅語だった。
それは、
天皇の権威を背景にして
為政者の無能、無策を隠ぺいするのに
その力を借り受ける
大変に便利な道具だった。
稲田大臣が
取り戻したがっているのは、
そのような
戦前の官僚・軍人たちが有していた
「お前たち、死んで来い」
という
強制力を行使する権威であり、権力だ。
高橋裕行 @herobridgeさんが指摘するように
――教育勅語を現代に復活させようとする人々は、教育勅語に書かれている徳目を復活させたいのではない。それを一方的に子ども達に押し付ける強制力を復活させたいのだ。人権意識が高まった現代、教育はただ威圧するだけではできない。無能な指導者はそれ以外に方法を知らない。だから権威にすがる。〔19:21 - 2017年3月8日 〕—―
わけなんだな。
しかし、人の血と涙によって富を築こうとする者は、
その無法によって倒される。
<森友学園>超ライブ「籠池理事長記者会見」フルバージョン
※8:00〜囲み会見、基本的人権のほうが大切。
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