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2017年02月19日 「ジャーナリスト同盟」通信
<暴君は言論の自由に不寛容>
政権を担当した米国の暴君は、ますます人類から嫌われている、といってもいいくらいである。正確には「1%を除いて」との条件付きである。民主主義を謳歌する国だというのに、身内を政権に取り組むようでは、もうそれだけで胡散臭い。民主の指導者ではない。行政経験ゼロなら、官僚をうまく使いこなさなければ落第である。現実は、自国やEUの情報機関に監視されているホワイトハウスといえる。異様で、先行き不透明である。目下、権力監視のメディアの格好の餌食にされている。その点で、日本の首相は幸運である。本人に言わせると、恐らく日本のメディアは皆私の傘下にある、というのであろう。暴君は言論の自由に不寛容である。
<民主主義の根幹>
国民が権力監視をすればいいのだが、そんな力はない。代わって、新聞テレビが担当するというシステムが、民主主義である。したがって、ジャーナリストは国民の代表としての自覚が求められている。メディアに携わる者は、みなこうした責務を負っている。その点で、民間企業の社員よりも、はるかに責任の重い職業である。
他方、民主主義国家の政治指導者は、言論の厳しい視線を受け入れながら職務を遂行するもので、結果的に国民は、憲法擁護の果実を手にすることが出来る。政府監視は、特に議会の野党も同様の任務を帯びており、成果を出せば政権の交代を実現できる。
ドイツの首相は、歴史認識で日本首相を、最近は言論の自由でワシントンの主を、一般論としてたしなめて注目を集めている。歴史の教訓を体現するドイツ首相は、難民問題で厳しい立場に追い込まれているが、しかし、ひるむことはしない。
<朝日新聞もひるまない?>
米メディアと対決しているアメリカ新大統領を前にして「私は朝日新聞に勝った。あなたも勝てる」と胸を張った日本の暴君首相の激励は、要するにメディアを屈服させることが、成功の秘訣であると教え諭した。
何をしても新聞テレビは、暴君首相の意のままという社会は、これはもはや民主主義ではない。その野望を、賢い日本国民は見抜くことが出来る。隣国と敵対関係を創ることで、野党も国民も民族主義者に仕立て上げて、平和憲法を破壊するというものだ。その間に、状況次第では戦争に巻き込む。これが怖い。
そこで、権力監視をする朝日新聞が、どうしても必要なのだ。朝日はひるまない、と思いたい。ひるめば、自ら首を絞めることになるのだから。部数にこだわる必要などない。NYタイムズ方式もある。高級紙復活でいい。この国の不正を許さない新聞でいい。
<国連で「平和に生きる権利」を採択>
昨年暮れに国連総会で採択された「平和に生きる権利宣言」を東京新聞が紹介してくれた。
これはすばらしい人類生存権規定である。日本国憲法の精神が組み込まれているもので、個人は国家が主導する戦争に巻き込まれない権利を手にしたものだ。
公然と戦争反対・阻止を個人に付与したものだ。憲法9条は日本政府に対して、戦争放棄を厳命したものだが、たとえ右翼政権が暴君の下で、憲法に違反して、戦争を強行しても、個人として戦争反対をする権利がある。
<戦争放棄を破っても個人として反対阻止が可能>
暴君の恐怖は、戦争をしかねない、との恐怖に絞られる。これに対して、国連の平和に生きる権利は、個人として抵抗することが出来るというものだ。この平和宣言を、やはり右翼の暴君は反対した。いわずもがな、である。いま国民は、戦争阻止への覚悟が必要かもしれない。
2017年2月19日記(政治評論家・日本記者クラブ会員)
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