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「高齢者」を65歳から75歳に引き上げると何が起こるか 二極化・格差社会の真相
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/199532
2017年2月14日 斎藤貴男 ジャーナリスト 日刊ゲンダイ 文字お越し
写真はイメージ(C)日刊ゲンダイ
安倍・トランプ会談については、本紙でも大きく報じているだろうから、本稿では詳しく論じない。差別主義者同士の蜜月ぶりには、将来への不安が従来にも増して高まったとだけ書いておく。
もっとも、ここで取り上げる話題も、その同心円状にあるとは言える。日本老年学会と日本老年医学会が新年早々に発表した、「高齢者」の定義を従来の65歳以上から75歳以上に改めるべきだとする提言のことだ。いかなる戦闘も“武力衝突”と言い換えれば違憲でないとした稲田朋美防衛相のトンデモ答弁と同様、恐ろしく重大な問題がロクに騒がれもしない状況は異常に過ぎる。
提言をまとめた大内尉義座長(虎の門病院院長)は、「あくまで科学的な議論を踏まえた提案で、社会保障制度のあり方論とは関係ない」旨を強調しているが(宮崎日日新聞1月26日付朝刊など)、本当だろうか。医学界と政治のズブズブ関係は常識だ。はたして政府審議会の常連である清家篤・慶応大学教授(労働経済学)あたりが、「定義の見直しは、若い人や将来世代の負担を軽くし、社会保障制度の維持につながるという点で意義がある」と大喜びしている(読売新聞1月19日付朝刊)。
年金支給年齢の引き上げや高齢者医療の大幅カットに使えるという意味だ。実際、事の善悪を度外視する限り、74歳以下が高齢者でないことにされれば、それが自然の成り行き。すでに消費税増税の口実とは裏腹に、政府は社会保障制度改革プログラム法で己の役割を「公助」から「自助」の“支援”へと勝手に変更してしまっているのだから、社会的弱者などさっさと死ねとあざ笑われているのと同じではないか。
老化には個人差がある常識を、彼らはあえて無視している。そもそも厚労省の統計でも、現在の日本人の健康寿命(健康上の問題がない状態で日常生活を送れる期間)は、男女とも75歳に達していない。
かつての「成人病」――糖尿病や高血圧、腎臓病など――が、1996年に「生活習慣病」と改称された悪夢が連想される。これらの病気に苦しむ人々が「自己責任」の罵声を浴びる現代社会の酷薄さは、意図的に導かれたのだ。遺伝や、自分自身ではどうにもならない環境の要素を抜きにした病気などあり得ないにもかかわらず。
1人を殺せば殺人罪だが、戦争で敵を大勢殺した者は英雄になるようなものではないか。つくづくくだらない世の中だ。せめて正気だけは保っていたいと思う。
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