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「自衛隊員死傷なら辞任」安倍首相の覚悟に、疑いを持ってしまう理由 海外派遣と「政治の責任」の歴史を辿る
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50941
2017.02.12 半田 滋 現代ビジネス
■その決意表明は本当か
安倍晋三首相は2月1日の衆院予算委員会で、南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に派遣している自衛隊に死傷者が出た場合、「首相を辞任する覚悟はあるか」と問われ、「もとより(自衛隊の)最高指揮官の立場でそういう覚悟を持たなければいけない」と述べ、首相を辞任する覚悟を示した。
死傷者など出ないことが一番だが、言葉通りなら、過去の海外派遣で自衛隊に対してみせてきた「政治の無責任ぶり」を吹き飛ばす決意表明となる。与野党で激しい論戦が交わされるのは派遣が決まるまで。決定後は忘れ去られ、棄民のように扱われてきたからだ。
これまでの「政治の無責任ぶり」は目も当てられないほどひどいものだった。当の自衛隊はほとんどの場合、沈黙してきたが、政治に対し「異議申し立て」した例がある。戦火くすぶるイラクへの派遣がその典型である。
2003年3月、米国のブッシュ政権は「フセイン政権が大量破壊兵器を隠し持っている」との根拠のない情報をもとにイラク戦争に踏み切った。小泉純一郎首相が世界に先駆けてこの戦争を支持したところ、米国から「ブーツ・オン・ザ・グラウンド(陸上自衛隊を派遣せよ)」と求められ、同年7月、自衛隊派遣を可能にするイラク特別措置法を成立させた。
ところが、11月に予定された衆院選挙でイラク特措法を争点にしたくない小泉政権はすぐに沈黙した。何の指示も出さず、「防衛庁(現防衛省)でやれることをやればいい」(福田康夫官房長官)と突き放した。その一方で、来日したブッシュ大統領には年内派遣を約束する始末。
首相官邸の指示がない防衛庁提出の補正予算は財務省が編成を認めず、イラクへ調査団さえ送り込めない。自衛隊は進退極まった。
「小泉首相は『殺されるかもしれないし、殺すかもしれない』と答弁したのに、万一の場合に起こり得る戦闘死に向き合おうとはしない」との疑念が陸上自衛隊内部に広がり、ひそかに葬儀のあり方が検討された。結論は以下の通りである。
イラクで死者が出た場合、政府を代表して、首相か、最低でも官房長官に隣国のクウェートまで遺体を迎えに行ってもらい、政府専用機で帰国する。葬儀は防衛庁を開放し、一般国民が弔意を表せるよう記帳所をつくり、国葬もしくは国葬に準じる葬儀とする――。
政治の命令を受けるはずの自衛隊が逆に命じる「逆シビリアン・コントロール」である。その後、防衛庁人事教育局長が首相官邸に出向き、「『万一の場合、国葬をお願いしたい』と自衛隊が言っていますが…」と伝えた。
内閣官房副長官補だった柳沢協二氏はこのときの様子を覚えている。「死者が出れば内閣が吹っ飛ぶ。なぜ自衛隊は葬儀のことを最初に考えるのか奇妙に思った」。隊員の死を心配するより、そうならないよう考えるべきだ、という筋論の前に棄てられた自衛隊の苦悩は官邸に伝わることはなかった。
当時、陸上幕僚長だった先崎一氏はイラク派遣が無事に終わった後、私の取材に国葬を検討した事実を認め、「死者が出たら組織が動揺して収拾がつかなくなる。万一に備えて(国葬の)検討を始めたら覚悟ができた。国が決めたイラク派遣です。隊員の死には当然、国が責任を持つべきだと考えた」と心情を明かした。
先崎氏の言葉から「政治家は自らの立場を優先させて自衛隊のことは考えない」という不信感がうかがえる。シビリアン・コントロールは「あてにならない」という恐るべき教訓が確認されたのである。
■あの時、安倍首相はなんと言ったか
イラク派遣の第二幕には、首相を補佐する内閣官房長官に就任した安倍氏が登場する。陸上自衛隊が撤収し、航空自衛隊が武装した米兵をクウェートからイラクの首都バグダッドまで空輸していた時期にあたる。政府は後に名古屋高裁から憲法違反と指摘される「戦闘地域への米兵空輸」の真相を隠し、「空輸は国連物資」などと発表していた。
バグダッド上空では毎回のようにミサイルに狙われたことを示す警報音が機内に鳴り響き、機体を左右に急旋回させる命懸けの回避行動が必要だった。英軍の輸送機は撃墜され、乗員20人が亡くなった。
首相官邸の安倍氏のもとへ、航空自衛隊の幹部が報告に出向いた。そのときのやり取りを幹部の言葉から再現する。
幹部「多国籍軍には月30件ぐらい航空機への攻撃が報告されています」
安倍「危ないですね」
幹部「だから自衛隊が行っているのです」
安倍「撃たれたら騒がれるでしょうね」
幹部「その時、怖いのは『なぜそんな危険なところに行っているんだ』という声が上がることです」
どこか人ごとのような安倍氏。政治の決定で危険な任務に就いているのに、政治家に知らんぷりされてはかなわない、そんな思いで話す幹部に安倍氏は答えた。
「ああ、それなら大丈夫です。安全でないことは小泉首相も国会で答弁していますから」
人ごとのように話したのは、覚悟を持つべきは首相であって、自分ではないとの気安さからだろうか。
派遣を命じる側の政治家が責任をとらないとすれば、自衛隊はどうすればよいのか。過去に出してきた答えはひとつしかない。自己責任で必要なことを必要なだけ実施することである。
自衛隊にとって重要なのは国民の支持を得て、任務を遂行すること。そのためなら自己犠牲は厭わない。そんな教訓は陸上自衛隊初の海外派遣となったカンボジアPKOで得られた。
カンボジア総選挙を控えた1993年5月、旧政府軍のポル・ポト派による邦人警察官の殺害事件が発生し、日本人41人を含む選挙監視員をどう守るか、国会を中心に「自衛隊に守らせろ」との声が広がった。自衛隊の任務は道路や橋の補修であり、武力行使を禁じた憲法に抵触するおそれのある警護任務は認められていないにもかかわらず、である。
急きょ、東京からカンボジアの宿営地に派遣された陸上自衛隊の将官は邦人を警護する手法を伝えた。選挙監視員が襲撃されたならば、隊員が撃ち合いの中に飛び込み、当事者となることで正当防衛を理由に選挙監視員を守れるというのだ。隊員に「人間の盾」になれというのである。世論を忖度した当時の陸上幕僚長の判断だった。
命懸けの任務を命じられた部隊は戦闘能力の高いレンジャー隊員を集めて選挙監視員の活動先を巡回したが、幸い襲撃はなかった。帰国した部隊は防衛庁長官から口止めのように最高賞の一級賞詞を与えられ、カンボジアPKOの現実は闇に葬られた。
「制服組に任せればなんとかなる」。もともと軍事に関心を持たない日本の政治家がそんな根拠のない自信を持ち、今日に至る無責任体制を築くとことになった原点がこのカンボジアPKOにある。その後、PKO協力法に基づく海外派遣は現在の南スーダンPKOまで14回を数え、死者ゼロ、発砲ゼロという記録を更新し続けている。だから政治家は「自衛隊にお任せ」でいられる。
昨年3月の安全保障関連法施行により、「駆け付け警護」は実施可能となったが、実は、自衛隊の自己責任による「駆け付け警護」はとっくに解禁されている。1994年、ルワンダ難民救援のため派遣されたザイール(現コンゴ民主共和国)で日本の医師団の車両が難民に奪われ、自衛隊に救援要請があった。部隊が武器を持って駆け付けると難民は散り散りに逃げ、自衛隊は発砲することなく医師団らを救出した。
2002年には東ティモールPKOに参加している自衛隊に日本人のレストラン経営者から保護の要請があり、自衛隊は武器を持って出動し、経営者らを宿営地まで連れ帰った。
どちらもPKO協力法の「輸送」名目で実施しているが、防弾チョッキで身を固め小銃を構えて出動するのだから同法にはなかった「駆け付け警護」そのものであろう。
■成功するか、全滅するか
みてきた通り、「自己責任で必要なことを必要なだけ実施する」のが陸上自衛隊なのである。機能不全に陥ったシビリアン・コントロールなど、あってなきが如し、なのだ。
とはいえ、違法すれすれの活動に不安を覚えた陸上自衛隊は安全保障関連法案に「駆け付け警護」を入れるよう求め、法案は成立した。ようやく法律が現実に追いついたのである。
では、南スーダンPKOで「駆け付け警護」を求められた場合、自衛隊はどう行動するのか。陸上自衛隊の佐官はこういう。
「成功するか、全滅するか、二つにひとつしかない。一人や二人隊員に犠牲が出たからといって任務を途中で放り投げるわけにはいかない。だから何人犠牲者を出しても任務を成功させるか、失敗して部隊が全滅するかのどちらかしかない。『駆け付け警護』を要請された隊長は悩みに悩むでしょうね」
安倍政権は昨年11月、南スーダンPKOに派遣される青森県の部隊を主力とする第11次隊に「駆け付け警護」の任務を与えた。しかし、付与=実施ではない。陸上自衛隊の内部資料には「(駆け付け警護は)対応可能な範囲で実施」「実施するか否かは個別具体的な状況により判断」とあり、隊長の判断を重要視している。ただ、最終的には首相がその決断をするのは言うまでもない。
防衛省は7日、「廃棄した」としていた南スーダン派遣部隊の日報「日々報告」が「見つかった」として公開した。昨年7月、首都ジュバで大規模な戦闘が起きた当時の分である。日報には「戦闘が生起」「流れ弾への巻き込まれ」「市内での突発的な戦闘への巻き込まれに注意が必要」と危険な状況が生々しく書かれ、国会で戦闘との表現を避けて「衝突」と言い換え、事態を矮小化した安倍首相や稲田朋美防衛相の答弁との落差が際立つ。
そもそも自衛隊のいるジュバとその周辺の情勢は「不安定な状態が続いている」とする国連の報告書と「比較的落ち着いている」とする日本政府の評価は180度違う。
「積極的平和主義」を掲げ、自衛隊を活用したい安倍首相にとって南スーダンPKOは、ソマリア沖海賊対処と並ぶ、自衛隊海外活動の二枚看板のうちのひとつである。活動を継続させたいがために、クロをシロと言い換えているのではないのか。そんな疑念が浮かぶのだ。
安倍首相に求められるのは、死傷者が出たら辞任する覚悟を持つこと以前に、「政権の都合」という色メガネを外して情勢を的確に分析し、必要とあらば大胆に撤収を命じる覚悟ではないだろうか。
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