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2017年02月10日 「ジャーナリスト同盟」通信
<ジャーナリズムを拒絶・否定する反民主政治>
5年前を思い出してほしい。安倍内閣が発足すると、まもなく公共放送、公正・客観報道を旨としてきたNHKで、最高責任者の会長が、三井財閥出身者に代わった。以後、NHKから権力に屈しない、本来のジャーナリズムが消えた。朝日新聞の誤報が表面化すると、他のメディアを総動員して、とことん叩きまくって、それまでの「日本の高級紙」を封じ込めて、読売化してしまった。右翼政権は、権力に屈しないジャーナリズムを拒絶する、否定する、そうして権力維持と継続を実現し、平和憲法を冒涜・暴走する。これほどの言論弾圧は、戦前はともかく、戦後に前例がない。戦前の軍国主義レベルであろう。
<宇都宮徳馬の口癖「権力に屈するな!」>
筆者は、平和軍縮派の宇都宮徳馬に師事する機会が多かった。彼の口から飛び出す言葉は、決まって「権力に屈するな」であった。耳にタコが出来たほど聞かされた。
このおかげで、権力に屈しないことが、ジャーナリストの道であることを、強く認識することが出来た、といえるかもしれない。ありふれた新聞人が、政府や右翼に懐柔されることなく、ここまで来れたのは、ひとえに宇都宮の日頃の薫陶による。
人間は、人生の過程で、いい人に出会えるかどうか、が鍵である。その人間の価値を決める要素かもしれない。その点で、筆者は幸せなジャーナリストといえる。
読売のナベツネのことを教えてくれた政治家が、宇都宮その人だったが、それはナベツネを読売に押し込んだ人物が宇都宮だったためだ。彼の教えに真っ向から反した、かつての愛弟子を、晩年の宇都宮は「忘恩の徒」と斬って捨てた。
権力を監視しないメディアは、もはやジャーナリズムではない。ジャーナリストでもない。夕刊紙「日刊ゲンダイ」がひとりジャーナリズムとして、列島で昂然と気を吐いている現状である。
日本特有の右翼政権の怖いところは、あらゆる手段で、権力に屈するメディア・言論人に変身させることにある。主権在民を否定する戦前の天皇制国家主義なのだ。
<大学の講座を排除して教師首>
筆者も、直接、その被害者となってしまったが、それは自慢するわけではないが、筆者をジャーナリストであるとの裏付けをしてくれたようなものである。
筆者を二松学舎大学国際政治学部の非常勤講師に推薦してくれたのは、読売の元政治部長の多田実である。彼とは中央大学の先輩後輩の関係にある。多田は、ナベツネの前の政治部長で、リベラル・平和主義の三木派と親しかった。対して、ナベツネは大野伴睦と中曽根康弘、そして児玉誉士夫の右翼・国家主義人脈である。
先輩は「現代マスコミ研究」の講座を、筆者に任せてくれた。数年後に教授にしたいという、彼の希望もあった。この講座の引き受けると、人気は急浮上、学部の中で一番学生が集まった。希望者が200人、300人と殺到して、大きな階段教室を使わねばならなかった。
ところが、3年をまじかに控えて、突然、この講座が消えて、お役御免となった。政界の右翼議員が、文科省に圧力をかけたのだ。今の大学は、政府の私学助成金という血税で経営している。文科省に狙われたら、大学の椅子はすぐになくなる。学問の自由もない。そのことを、まざまざと体験させられたのだ。
いまようやくにして、文科省の天下り組織が露見して、国民を驚かせているが、彼らは大学の人事権さえも壟断する力を持っている。大学は文科省の官僚ににらまれると、廃校するしかないのだ。こうした事実も、自ら体験して理解できる。
学問の自由のない日本の大学は、かなり厳しい事態に置かれているといえる。
<糧道を絶つ野蛮な手口>
二松学舎の講座を担当した最初の年は、97年4月である。3年続いてのだが、息子の医療事故も起きていて、仕事に意欲を無くしていたころである。学問の自由の侵害に対して、当時は対抗する気力もなかった。
そのころ、右翼政治批判を取り扱った著書は「小選挙区制は腐敗を生む」「誰も書かないPKOの正体」(いずれもエール出版)が93年、96年には「天皇の官僚」「中国の大警告」(いずれもデータハウス)。
98年に「台湾ロビー」(データハウス)を出版した。「天皇の官僚」を発表した時は、身辺に注意するようにとの声が、各方面から出たものである。
右翼のジャーナリスト弾圧の手口は、まずは糧道を絶つことである。
<内外情勢調査会講師も>
筆者が政治評論家にデビューした時、1冊の本を書いて、日本記者クラブで出版会を開いた。当時の在京政治部長会に中央大学OBがたくさんいた。読売・テレビ朝日・北海道新聞・ニッポン放送の政治部長らである。
彼らのお陰で、在京政治部長会の全員が発起人になってくれたため、盛大に出版会をすることが出来た。当時の首相も中央OBの海部俊樹だった。時事通信の政治部長は、内外情勢調査会の講師を用意してくれた。ここを舞台に、全国を歩きながら政局講演をする機会を得た。文教族だった海部は、嘉悦女子短期大学の講師に推薦してくれた。ここでも3年間、楽しい時間を過ごすことが出来た。
1か月数回の政局講演も、二松学舎の講座が無くなるころ、事務局からの依頼が無くなった。
<自民党の講演も>
恐らくは、継続しての自民党平河クラブの在任期間は、在京政治部長会と同様に記録的に長がった。その関係で、自民党本部職員との付き合いも長く、この線から政治評論家になる、全国の地方支部との会合での講演依頼が多くあった。これも生活安定に貢献してくれたのだが、いつの間にか、講演依頼が無くなった。
大学と講演などで、結構楽しく仕事をすることが出来た。このことは感謝したい。しかし、収入が無くなると、人間は生きられない。生活保護を受けるしかなくなる。家族・家庭持ちにとって深刻きわまりない。
既に、頼みの綱の宇都宮はいない。だが、幸運なことに年金が、わずかだが生活を保障してくれた。もし、年金が入らなければ、右翼に屈服するしかなかったのか。考えると、いやになるので、考えないことにしている。
それゆえに、ペンを折らずに生きている。宇都宮の叫びを、今も、これからも、実践できる。精神的に楽である。
<政府自民党にもブラックリスト?>
思うに、自民党大会を繰り返し見聞してきた。招待状が届くので、話のタネになると判断して、よく日比谷公会堂に行ったものである。それが、急に来なくなった。思い出すと、森が小渕内閣の自民党幹事長のころである。
別に行っても、行かなくてもいい自民党大会である。どうでもいいことだが、やはり多少は気になる。このころから、自民党擁護する人物と批判的な言論人を区別、批判的なものは排除する、つまりはそのためのブラックリストが作成されたのかもしれない。
韓国では、政府批判者のブラックリスト作成で、職務を失っている朴大統領が、法廷に立たされている。右翼政権の政府与党も、同じことをしている可能性が高い。ジャーナリストであり続けることは、これでなかなか容易ではない。ただし、無冠の帝王になれる!
2017年2月10日記(政治評論家・日本記者クラブ会員)
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