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問題の放送があった「ニュース女子」#91(画像は「ニュース女子」DHCシアターWebサイトより)
【MX「ニュース女子」問題】で謝罪した東京新聞 曖昧な反省ではなく事実の検証を
http://biz-journal.jp/2017/02/post_17952.html
2017.02.08 江川紹子の「事件ウオッチ」第72回 文=江川紹子/ジャーナリスト Business Journal
「反省」を辞書で引いてみる。
〈自分の行いをかえりみること。自分の過去の行為について考察し、批判的な評価を加えること〉(広辞苑)
〈過去の自分の言動やありかたに間違いがなかったかどうかよく考えること〉(大辞林)
ならば、東京新聞は自身のどのような「行い」、いかなる「言動やありかた」を問題にしているのだろうか。
■東京新聞が謝罪した「ニュース女子」問題
沖縄の米軍基地建設に反対する運動をしている人々を、「過激派」「テロリストみたい」などと非難した東京メトロポリタンテレビジョン(MXテレビ)のバラエティー番組「ニュース女子」に関し、東京新聞が2月2日付の1面で反省と謝罪を表明した。
深田実・論説主幹名で書かれたそのお詫び文は、同紙の長谷川幸洋論説副主幹が司会を務めたこの番組の内容が、同紙の社論とは異なるうえ、事実に基づかない論評があると批判。それが沖縄への偏見を助長し、沖縄の人々の心情を傷つけ、基地問題が歪めて伝えられることを懸念したうえで、こう書いている。
〈他メディアで起きたことではあっても責任と反省を深く感じています。とりわけ副主幹が出演したことについては重く受け止め、対処します〉
これだけでは、同紙が自身のどのような行為、言動、態度に問題を感じているのか、よくわからない。肝腎の長谷川氏が今回の問題についてどう考えているのかが、紙面ではまったく明らかにされていないことが、この謝罪文をさらにわかりにくくさせている。
文章には日本語の助詞の使い方がおかしいところもあり、かなり混乱した状況でつくられたように思える。
同紙には250件を超える批判や見解表明を求める電話、FAX、メール、手紙が寄せられたという。さらに、作家の佐藤優氏が、同紙の連載「本音のコラム」で「長谷川幸洋氏が、沖縄ヘイト番組に関与したことについて本紙は社論を明らかにすべきだ」と書いたことで、同紙としてはとり急ぎ対応する必要を感じたのだろう。
そうであっても、「反省」を語る以上は、自身のいかなる行為や態度を問題にしているのかは、やはり明確にしておくべきではないのか。
それは、長谷川氏が社論と異なる見解を、他メディアで自由に語ることを許容してきたことだろうか。
安倍政権に対し常にアンチの立場に立つ東京新聞に対し、長谷川氏の発言は政権寄りだ。憲法に関しても、護憲を掲げる同紙の社説に対し、長谷川氏はテレビなどで改憲を主張してきた。いわば、産経新聞の論説委員が、慰安婦問題の日本政府の責任を外で追及しているようなもので、東京新聞の社内には、長谷川氏の“活躍”を苦々しい思いで見ていた人もいるかもしれない。
しかし、新聞は政党の機関紙とは違うのだから、多様な意見の持ち主を内包することはむしろ望ましいし、それを外にあっても自由に語れることは、東京新聞の懐の深さや言論の自由を尊重する姿勢を印象づけてきた。
今回のことも、同紙が沖縄での新基地建設を批判する立場から報道を続けているのに、長谷川氏が個人として政府を後押し、基地建設反対派を批判する論陣を張ったということであれば、それは見解の違いであり、非難には当たらない。
■「ニュース女子」による悪質な印象操作
しかし今回は、そういう主張や路線の対立ではない。問題の本質は、事実への向き合い方だ。
番組で現地レポート役を務めた軍事ジャーナリストの井上和彦氏は、「過激派」「過激」「テロリスト」などの言葉を連発。テロップやナレーションでも「過激派デモの武闘派集団」などと、基地建設反対派が凶暴な集団であるかのように印象づけた。
ところが、あきれたことに井上氏は、わざわざスタッフと共に沖縄に取材に行きながら、高江ヘリパッドの建設に反対する人々が座り込む現場には行っていない。45キロも離れたトンネルの手前で、「この先は過激なデモで危険なため、ロケ中止の要請があった」などと真偽不明の言い訳をして引き返してしまったのだ。
私も先日、現地を訪ねてみたが、このトンネルから現地までは1時間近くかかり、途中に地元の特産品の直売所などの観光施設もある。それに、当時は工事現場のゲート前に多くの警察官もいた。取材のクルーが、基地建設に反対する人たちに襲撃された例は報告されていない。
井上氏らは、自分たちが勝手につくった凶暴イメージに怯え、しっぽを巻いて帰ってしまったのか。それとも、映像から「過激派」とは異なる印象が視聴者に伝わってしまうのを避けるために、わざと現場を避けたのか。いずれにしても、現場に行かず、反対者の話は取材せず、事実の確認もしないまま、風説を交えて基地建設反対派の“危険性”“凶暴性”を視聴者に印象づける演出に終始した。
過激さを示す事実として、反対派が勝手に道路を封鎖して救急車まで止めたという“証言”も紹介されたが、これはさまざまなメディアの取材で、事実でないことが明らかになっている。
スタジオでは、井上レポートを基に、反対派は過激で暴力的なデモを行っているという前提でトークが行われ、「こんなこと乱暴なヤクザでもやらない」(ジャーナリストの須田慎一郎氏)、「こういう無法地帯に3000億円の沖縄振興費がまかれている」(元官僚の岸博幸氏)などと、基地建設に反対する人たちを非難するコメントが展開された。その一方で、基地建設の必要性などはまったく議論されていない。
東京MXテレビは、「さまざまなメディアの沖縄基地問題をめぐる議論の一環として放送致しました」との見解を発表したが、結局のところ、この番組が行ったのは、事実に基づく議論ではなく、事実をないがしろにして基地建設に抵抗する人たちを貶める印象操作にすぎない。つまりは、虚実とりまぜて政府の政策に反対する人々について悪印象を流布する、一方的なプロパガンダである。
それに加担したことについて、ジャーナリストたる長谷川氏は今、どう考えているのだろうか。まずは、ここを知りたい。
ほとんどが反対派を非難・罵倒する言葉で埋め尽くされた番組だったが、その途中に、タレントの八田亜矢子さんから「(沖縄県民の)大多数は(ヘリパッド建設を)どう考えているのか」という大事な質問も出た。日頃政治に関してさまざまなメディアで発信をしている長谷川氏は、ここで選挙結果など現実を踏まえた発言をして然るべきところだ。司会者としても、議論を展開していい場面だろう。
ところが番組では、現場の取材さえしていない井上氏が「大多数(から)は、米軍反対なんて聞かないですよ」と、根拠不明な答えをしただけで、その話題は終わってしまった。長谷川氏は事実に基づいた見解を語ったり、スタジオでの議論を展開したのに、編集でカットされてしまったのか。それとも、何も言わず井上発言を許容してしまったのか。ここも知りたいところだ。
■東京新聞が反省・検証すべきことは
謝罪文が掲載された以降の東京新聞を読んでいても、そうした点についての長谷川氏の見解は、まるで出てこない。
私は、東京新聞が「反省」すべきは、「他メディアで起きたこと」についてではなく、番組が放送された後の、このような同紙の報道にあるのではないかと思う。
番組放送後、同紙は2ページにわたる特報面など、この番組について、何度か批判的に報じた。しかし、佐藤さんがコラムで書くまで、同紙の記事は司会者が自社の論説副主幹であるという“不都合な真実”を明らかにしてはいない。長谷川氏を取材して、その姿勢を報じたり、批判の対象にしたりすることもなかった。そのうえ、謝罪をするに至っても、肝腎の長谷川氏が何をし、何を考えているのかが、まったく不明のままだ。
謝罪文が掲載された日の投書欄には、榎本哲也・読者部長のお詫び文も掲載されている。そこには「新聞は、事実に基づいて、本当のことを伝えるのが使命です」とある。
ならば、まずは先に挙げたような事柄について、長谷川氏の見解を問いただし、それをきちんと伝えてもらいたい。彼にも言い分はあるだろう。その時に、東京新聞の社論と違うことが語られてもいいではないか。社論は社論として展開すればいい。深田論説主幹と長谷川氏との対論を掲載するというやり方もある。もし、長谷川氏が回答を拒むようなら、その事実を伝える。それによって、彼の事実への向き合い方、情報の発信者としての基本姿勢が、読者の目にも明らかになるだろう。
今や、アメリカでは大統領をはじめ政府高官や報道官が、平気で事実とは異なる情報を流布する時代になってしまった。その対応を見ていると、嘘がばれても“alternative fact(もうひとつの事実、代替事実)”などと言いかえ、てんとして恥じず、虚偽を流布したことに罪の意識を感じている様子もない。
それは、事実かどうかより、好き嫌いなど人々の「思い」に働きかける情報が力を持つようになっているからだろう。その風潮に乗じ、人々の「思い」にフィットするさまざまなフェイク(いかさま)ニュースが出回る。
今回の一件は、そうした情報が、日本でも地上波のテレビ局にまで進出してきていることを示している。
民主主義は人々が正確な情報に基づいて判断してこそ健全に機能する。虚偽の情報が出回り、人々の政治的判断の形成過程への影響を与える事態は、民主主義にとって大きな懸念材料だ。
だからこそ、メディアや発信者が、事実にいかなる姿勢で向き合っているかは、重要な情報でもある。事実より主張や「思い」が優先する人の発信には、一定の警戒が必要だろう。東京新聞は、この際、自身が「思い」優先になっていないかも含めて、今回の問題をちゃんと検証してみてほしい。
【追記】
私が本稿を出稿後、長谷川幸洋氏はラジオ番組に出演。問題のMXテレビの番組について「コメントすることは差し控えたい」とする一方、東京新聞については、「『ニュース女子』と東京新聞はまったく関係ない。なぜ深く反省するのか」と批判し、「(主張の)違いを理由に私を処分するのは言論の自由に対する侵害」「意見が違うことで排除したら北朝鮮と一緒」と牽制したという。
なぜ、彼は番組について語らないのだろうか。
また、今回は「主張の違い」が主たる問題ではないし、「言論の自由」を言うのであれば、その言論をなす者の「責任」も考えなければならない。今はまさに、事実経過や自身の見解を語ることで、その「責任」を果たすべき時ではないのか。
東京新聞は、長谷川氏がテレビや雑誌、ネットなど自社媒体で活躍し、社論と異なる主張を展開するのを、許容してきた。長谷川氏は、少なくとも他メディアで活動を始める時には、東京新聞論説副主幹の看板が役に立ったのではないか。それを、北朝鮮よばわりはないだろう。
そこまで言うなら、東京新聞の看板は自ら外し、言論活動にかかわる負担や責任のすべてを自身で負う一言論人として活動されたらどうか。そのほうが、両者にとって幸せだし、読者・視聴者もわかりやすいような気がする。
(文=江川紹子/ジャーナリスト)
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