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平野龍一先生 / 「わが国の刑事裁判はかなり絶望的である」
http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/f1c319e0bc5967b74bbd618cc90f6665
2017年02月04日 のんきに介護
平野龍一「絶望論文」自白、管理証拠、拷問、99.9%、最良証拠主義
サイト「帝都の夜明け」に
平野龍一氏の著述
――「現行刑事訴訟の診断」(団藤古稀祝賀論文第4巻、1985年出版、有斐閣)—―
からの引用があったので
紹介する。
―― 日本の裁判官その他の司法関係者は、そもそも法廷というところは真実を明かすのに適したところではないと考えているように思われる。人が相手に真実を語るのは、二人だけのところで、心を打ちあけて語るときであって、法廷のような公開の場所では、いろいろな方面への配慮から、思い思いのことをいうに過ぎない。法廷とは、いいたいことをいわせる儀式にすぎない。だから真実は、後でその模様を考えあわせながら静かに調書を読みこれとつきあわせることによってえられるものである、ということなのであろう。
もしほんとうにそうであるならば、むしろ公判廷が証拠調べの場所すなわち心証をとる場所であるというフィクションは脱ぎ捨てた方がいいだろう。しかし、アメリカやドイツで本気で公判廷で心証をとろうとしているのを単なる教条主義とみていいのだろうか。調書もまた「種々の配慮」から、多くの真実でないものを含んでいる。それを「自室」で見抜く眼力を持っていると裁判官が考えるのは自信過剰であり、大部分は実は検察官・警察官の考えにのっかっているにすぎないのではないだろうか。最近の再審事件は氷山の一角としてそのことを示したのでなかろうか。
ではこのような訴訟から脱却する道があるか、おそらく参審か陪審でも採用しない限り、ないのかもしれない。現実は、むしろこれを強化する方向に向かっているとさえいえるように思われる。わが国の刑事裁判はかなり絶望的である。 ―—
☆ 記事URL:http://blog.livedoor.jp/prosecuting/archives/51772514.html
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