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2017-02-02 山崎行太郎ブログ『毒蛇山荘日記』
適菜収との対談。 昨日、「月刊日本」3月号のための適菜収さんとの対談を行なった。敵菜さんとの対談は、ほぼ一年前に続いて2回目。今回のテーマは、「政治と言葉」。適菜さんの新著『安倍でもわかる政治思想入門』(kkベストセラーズ)を中心に行なった。安倍が操る怪しい日本語とは何か?安倍が、「云々(うんぬん)」を「でんでん」と誤読しても、ビクともしないのは何故か。安倍批判は、誤読指摘し、嘲笑することも必要だが、それだけでは、「カエルの顔にションベン」で終わる可能性が高い。では、どうするか? ……
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適菜収との対談。
昨日、「月刊日本」3月号のための敵菜収さんとの対談を行なった。適菜さんとの対談は、ほぼ一年前に続いて2回目。今回のテーマは、「政治と言葉」。適菜さんの新著『安倍でもわかる政治思想入門』(kkベストセラーズ)を中心に行なった。安倍が操る怪しい日本語とは何か?
安倍が、「云々(うんぬん)」を「でんでん」と誤読しても、ビクともしないのは何故か。「私は立法府の長だ」とトンデモ発言をしても、平然として、首相の地位にとどまっていられるの何故か。安倍批判は、誤読や勘違い、あるいは無知無学を指摘し、嘲笑することも必要だが、それだけでは、「カエルの顔にションベン」で終わる可能性が高い。では、どうするか?
「安倍批判」を徹底化するためには、20世紀の「言語革命」、いわゆる「言語論的転回」を振り返ってみるべきだろう。20世紀の知的革命は、分析哲学や構造主義に象徴されるように、言語の問題に集約される。20世紀は、言語革命の時代だった。ヴィトゲンシュタインの言語哲学は、「意味の検証理論から意味の用法理論へ」と変化、進展したと言われる。また構造主義の始祖の一人と言われる言語学者ソシュールは、「言語には差異しかない」と言ったと言われる。ここには、、共通の問題意識がある。
ヴィトゲンシュタインもソシュールも、言語の「意味」というものを解体した。言語には、一つの意味しかないと思われていたが、言語の意味は、結果的に発生するもので、多数存在する、と彼等は主張した。言語と意味の「1対1対応」の時代を近代とするならば、現代(ポスト・モダン)は、それが崩れ、言語に特定の意味はない、と考える時代だ。
廣松渉は、「物的世界像から事的世界像へ」と主張する。そことき、廣松渉が現代的世界像=事的世界像のモデルにするのは「言語」であった。言語的世界像である。ヴィトゲンシュタイン、ソシュール、廣松渉には、言語の現代的真実が見えていた。
ヴィトゲンシュタイン、ソシュール、廣松渉等の言語思想によると、言語の本質は、交換そのものであって、意味の交換ではない。その見地から言うと、安倍の「漢字の読み間違い」や「誤解」「無知無学」は、それほどたいした問題ではない、ということになる。「読み間違い」にしろ「誤読・誤解」にしろ、意思の疎通は出来ている。つまり、安倍と安倍応援団との間には、言語ゲームとしての意思の疎通は 完璧に出来ているのだ。
つまり、安倍は安倍なりに、換言すれば、馬鹿は馬鹿なりに、頑張っているのだ。そういう認識の上で、安倍批判をやる必要がある? クイズ番組の優等生のような、利巧な左翼が、漢字もろくに読めない愚かな右翼や保守を、高見から批判、嘲笑しても、無力なのだ。
小林秀雄は、敗戦直後、「利巧な奴はたんと反省するがよい。僕は馬鹿だから反省なぞしない」と、「馬鹿宣言」をしたが、そういう高等戦術が必要なのではないか。安倍と安倍応援団は、利巧ぶった馬鹿である。
(続く)
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