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「講書始の儀」に出席する天皇、皇后両陛下 (c)朝日新聞社
天皇陛下退位問題 皇室担当元記者「特例法ありきの議論をやめよ」〈週刊朝日〉
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20170201-00000138-sasahi-pol
週刊朝日 2017年2月10日号
現天皇一代限りの譲位とする特例法か、皇室典範改正か──。皇室航路の分岐点となる綱引きが大詰めを迎える。有識者会議は特例法の方向に論点整理をまとめ、舞台は国会へ。同会議で「典範改正の王道を」と訴えた岩井克己・朝日新聞皇室担当特別嘱託が厳しく検証する。
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「結論ありきだ」と評判の悪い有識者会議だが、私はそれなりに奮闘し良識も示されたとは思っている。何しろヒアリング対象の人選で「天皇のお気持ち表明はおかしい」「退位反対」という論者があまりに多く、譲位を圧倒的に支持する国民世論とかけ離れていた。それでも何とか譲位容認の方向を打ち出し、現政権が狙う今上天皇限りの特例法に絞らず、皇室典範改正による恒久制度化との事実上の両論併記で踏みとどまったからだ。
ただ、典範改正の難点を23項目も並べて特例法へと誘導する印象操作で、公平な両論併記とは言いがたい。ヒアリング対象に選ばれて「典範改正の王道を」と訴えた立場から同会議の「論点整理」を点検すると、いずれも反論や疑問符が浮かぶものばかり。もちろん今の段階では論議の参考に論点を示しただけということかもしれないが、思いついたものを体系性なく並べ立てたとの印象がぬぐえない。
例えば、憲法第2条は皇位継承を国会の議決した皇室典範によると特記しているから特例法では違憲の疑いも出るとの主張に対し「特例法や典範付則の法形式でも可能では」としているが、これだけでは典範改正が望ましいとの意見への反論になっていない。
年齢の問題を持ち出して「将来の天皇や継承者はいろんな年齢があり、80代の天皇が70代の継承者に譲るといった不都合がないようにせねばならず、前もって決めておくのは難しい」としている。しかし、現在の崩御継承は、そうした「不都合」も動かしがたい前提となっており、むしろ生前譲位のほうが緩和されるだろう。
また、恒久的な制度化の場合は将来の譲位の要件は一般的・抽象的になり、時の政権の恣意的(しいてき)な判断を正当化するとしているが、特例法は将来の要件を定めないので、このほうが特例法でどうにでもできる道を開くのではないか。朝日新聞が1月25日付の社説で「ルールがあると権力の勝手を許すという主張で、理解に苦しむ」と書いたが、その通りではないだろうか。
さらに高齢の天皇の職務遂行能力を問題とする場合に「国事行為を基準とすれば、法が予定している摂政や臨時代行を活用しないことの説明がつかない。公的行為を基準とすれば憲法で位置づけられていないなか法令でそれを根拠にしてよいのかという問題がある」という。
ためにする議論にしかみえない。結構大変なのは宮中祭祀(さいし)だ。総合的に判断すべきものでしょう。
「皇室会議に退位の判断のような包括的な権能を付与するのは憲法の趣旨にかんがみ不適当」とも指摘している。しかし皇室会議を招集するのは議長である総理。三権の長も皇族議員もいる。本人と総理、国会議長、最高裁長官、宮内庁長官らが相談して総合的に判断し、必要なら国会承認も要件にすればいいのではないか。
さらに、天皇の意思で制度改正したとなれば憲法違反の疑義が出るとしている。だが、特例法ならば憲法違反にならないとの理屈はよくわからない。ましてや一部で出ている本法に付則をつける案も制度改正だろう。
昨年の天皇の「お気持ち」表明は、あくまで問題提起であって、それを国会、国民が議論して決めればいい。ヒアリング対象者の京都大学の大石眞教授が陳述したように、国政に関する権限を振るうということとは違い、むしろ国と国民に対する責任感から国政の中枢を退くことを問題提起しておられるので、それをも「違憲の権能発揮」というのは酷であり非礼ではないか。
また、歴史上は譲位がむしろ通例だったこともあるとの指摘について「立憲制確立より前の事例は参考にならない」としている。「それを言っちゃあ、おしまい」だろう。皇室があること自体が立憲制以前からで、その歴史や伝統を踏まえて象徴天皇を憲法第1章に置いているのだから。
どうも、とにかく思いつく項目をできるだけ多く並べ立てた印象だ。
そもそも典範改正に知恵を絞る前に特例法の議論ばかり先行したこと自体が不自然だった。
私は昨年11月のヒアリングで「天皇陛下の真摯な問題提起をあたかも1人の天皇のわがままを扱うかのように『抜け道』をつくってさっさと処理しようとしているとの印象を与えかねない」と指摘した。この点について有識者会議のメンバーからは答えが聞こえてこない。また象徴天皇のあるべき姿という基本についても、有識者会議の突っ込んだ議論はされていないように思う。「印象論だ」として論点整理にも触れられていないのかもしれないが、むしろそこが大事ではないか。天皇に近い人たちの間でも、まだこのわだかまりは解消されていないようにみえる。
私が聞いている限り、官邸や内閣法制局は当初から譲位には消極的で「制度設計が難しい」「天皇の意思で辞めるとなると憲法に抵触する」と、硬い姿勢だったという。何とか典範改正できないかと真剣に検討した形跡がみえてこない。
長年積み上げて定着していた憲法9条の解釈を根底からひっくり返し、膨大な安保法制をあっという間に立案した今の有能な内閣法制局に、譲位を可能とする典範改正案ごときは、政権の注文があれば朝飯前ではないかと思うのだが。
譲位を認め上皇という身分をつくるなら、典範だけでも、崩御継承を定めた第4条だけでなく、身分や敬称に関する第5条、8条、11条、17条、23条、陵墓に関する27条、皇室会議に関する35条なども改正せねばならない。皇室経済法、宮内庁法などの手直しも必要と、多岐にわたる。
そのほか皇位継承儀式や元号施行のあり方も大幅に再編成をせねばならない。これには宮内庁にも戦前の旧典範時代の皇室令のようなマニュアルはないため、歴史と現代性をにらんでどうあるべきか、新たに練り上げねばならない。
例えば即位の礼ひとつとっても、平成2年には66カ国もの国王、大統領らの元首級はじめ国内外の2500人の列席を求めた史上空前の大掛かりな儀式だった。今の時代に同じことができるのかどうか。
近年続いた外国の国王譲位に伴う新国王の即位式を見ても、簡素化が進んでいる。例えば2013年のオランダのアレキサンダー国王の即位式は、王冠、王笏(しゃく)、憲法典などを台に置き、宣誓の言葉を述べただけの簡素なものだったが、厳粛で好感がもてた。大嘗祭(だいじょうさい)のありようも含めて国民的議論が必要だろう。
議論の土俵は永田町に移り、政府・与党側からは「政争の具にするな」と牽制(けんせい)する声が続いている。それを言うなら、与党が野党に歩み寄ることこそ必要で、そうでなければ言う資格はない。世論とのギャップがあるなか、それで黙るなら野党の存在意義がない。
典範に特例法の根拠規定や付則を置いて、あとは一代限りの特例法で手を打つという、永田町お得意の「足して二で割る」ような着地もちらつくが、わかりにくい小手先では国民総意の着地とは言いがたいだろう。世論とのギャップを埋められるか。
国会議員の間でも、与党内も含め有識者会議の取り運びに疑問を持ち、「決めるのは国会だ」との声も少なくないようだ。
大島理森衆院議長ら衆参両院議長副議長の調整と与野党の歩み寄り、真摯な国会審議を期待したい。
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