いやいや、従軍慰安婦が売春婦なのはあたりまえで(従軍慰安所で、不特定多数の兵隊相手に、金と交換に性交して(させられて)いたんだからな)、だからって従軍慰安婦問題が日本の国家戦争犯罪でなくなるわけではないのもあたりまえだ。現代の女子高校生の「援助交際」だってすぐに暴力団が仕切る「管理売春」にされてしまい、そこに自由意志も、行動の自由も、それを拒否したり辞めたりする自由もなくなってしまうのに、まして戦前の売春のどこに「売春婦の自由」や「売春婦の人権」がある? 親や男に売られて、前借金に縛られて、逃げることもできず、相手を選ぶことも拒否することもできず、ただただ用済みにされるまで見ず知らずの男との性交渉を強制される。まさに、そういう「管理」された「売春」こそが「性奴隷」だ。 慰安婦問題の本質は、そういう本来自由である女を「性奴隷」にする「管理売春」を国家がやったということだ。戦前戦中の右翼天皇制ファシズム国家日本が自ら管理運営した国立の売春宿が従軍慰安所でそれへ、日本人女性ばかりか、朝鮮人を含めた広範なアジア女性や、占領地で拘置したオランダ人女性を含めた白人女性まで、強制や偽計すら用いて動員し、「慰安婦」という「売春婦」すなわち「性奴隷」にしたという、国家犯罪だ。だから、国家が戦争遂行政策の一環として自らの管理売春業を営んだという不法に加えて、慰安婦の募集、慰安所の設立経営管理のすべての局面でそこで発生したすべての不法行為、非人道的行為、反人権行為、非倫理的行為に対して日本の国家としての責任が問われるは当然だ。 気の毒な日本女性は戦後も跋扈した右翼保守の脅迫や威嚇におびえてその国家責任を問う声を上げることができないでいることは痛ましいが(まだ元従軍慰安婦であった日本人女性が少なからず存命のはずで彼女たちの救済が急がれる)、そういう日本の右翼の脅迫にさらされることがない(韓国については間接的な脅迫があることが明らかだが)韓国やフィリピンやインドネシアやオランダの女性が日本の国歌責任を厳しく問うのは当然のことだ。各国の旧慰安婦被害者が求めているのはそのような日本の国家としての責任の承認と適切な個人補償だ。 以下、従軍慰安所が、当時の戦前戦中の右翼天皇制ファシズム国家日本が管理運営した立派な国立の管理売春であったということ、具体的には慰安所が政府・軍の関与によって設立運営されていたこと、さらにその管理を軍が行っていたことを、事実で示そう。 慰安婦の「調達」と移送に関しては、次のふたつの警察資料(1938年11月の第21軍向け)が、敗戦時の日本政府軍の徹底的な証拠隠滅を免れて現存している。 1.内務省警保局警務課長「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件伺」(1938年11月4日付) 2.内務省警保局長発大阪・京都・兵庫・福岡・山口各府県知事宛「南支方面渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」(1938年11月8日付)(『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』第1巻) この文書によると、同年11月4日に第二一軍参謀の久門有文陸軍少佐と陸軍省徴募課長の小松光彦陸軍大佐とが警保局を訪問し、「南支派遣軍の慰安所設置の為必要に付、醜業を目的とする婦女四百名(はじめ「千名」とあり、のち抹消)を渡航せしむる様(はじめ「蔭に送付方」とあり、のち抹消)配意ありたし」との申し出を行なている。 久門少佐が警保局長に出した名刺が残されているが、その裏面には「娘子軍約五百名広東ニ御派遣方御斡旋願上候」と記されている。すなわち、第二一軍と陸軍省は警察の元締めである警保局長に慰安所で働く女性の募集と渡航について斡旋を依頼したのだ。 この行動は、同じく敗戦時の証拠隠滅を免れて戦後発見された「陸軍省副官発北支那方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒、陸支密第745号「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」(1938年3月4日付)」(以下「副官通牒」と呼ぶ)に基づいたものだ。「副官通牒」が求める「将来是等ノ募集等ニ当リテハ派遣軍ニ於イテ統制シ(中略)其実地ニ当リテハ関係地方ノ憲兵及警察当局トノ連携ヲ密ニシ次テ軍ノ威信保持上並ニ社会問題上遺漏ナキ様配慮相成度」との指示にしたがったがゆえに、第二一軍は久門少佐を警保局に派遣し、斡旋依頼を受けた警保局は、大阪、京都、兵庫、福岡、山口の各府県に対して、女性を集めて中国に送るよう極秘の指令を発したのだ。 さらに慰安所が軍の管理下にあったという基本事実については軍幹部および兵士の以下のような具体的記述がある。 上海派遣軍参謀長であった飯沼守の1937年12月11日の項には「慰安施設の件方面軍より書類来り、実施を取計ふ」、1937年12月19日の項には「迅速に女郎屋を設ける件に就き長中佐に依頼す」とある。 上海派遣軍参謀副長であった上村利通の日記には、1937年12月28日付けで「南京慰安所の開設に就て第二課案を審議す」とある。 山崎正男第十軍参謀の日記には、1937年12月18日に「先行せる寺田中佐は憲兵を指導して湖州に娯楽機関を設置す」とある。 在上海総領事館警察の報告書の1937年12月末の職業統計には「陸軍慰安所」の項目がある。 常州駐屯の独立攻城重砲兵第2大隊長の状況報告には1938年1月20日付で「慰安施設は兵站の経営するもの及び軍直部隊の経営するもの二カ所あり」とある。 元陸軍軍医麻生徹男の手記には「1938年の2月には上海郊外の楊家宅に兵站司令部の管轄する軍経営の陸軍慰安所が開設されていた」、「1938年1月に軍の命令を受け、奥地へ進出する女性(朝鮮人80名、日本人20名余り)の梅毒検査を上海で実施した」とある。 さらに、慰安所が軍の管理下にあったことは、当然のことながら慰安所が酒保と並んで部隊の主計将校が担当すべき管理事項となっていたことからも明らかで、それを実証する文書としては、1937年9月29日制定の陸達第48号「野戦酒保規程改正」、第101聯隊(上海派遣軍第101師団)の一兵士の陣中日記(荻島静夫陣中日記田中常雄編『追憶の視線』下、1989年)、『初級作戦給養百題』、『陸軍主計団記事』第三七八号附録、清水一郎陸軍主計少佐編、陸軍主計団記事発行部発行(陸軍の経理学校の教官が経理将校の教育のために執筆した演習教材集)等がある。 何か業者を使えば自分の責任がなくなるような手前勝手な言い訳を日本の右翼保守はすぐするが(それで、東電の被曝保守作業や事故収束被曝作業の作業員はみんな下請け作業員だが、それをもって下請け会社が法律を犯して作業員の被曝作業を強行しても東電に責任はないか?)、そんなことはまともな社会では通用しない。そもそもやらせているのは国で、業者を選定しているのも国で、その業者の慰安婦の調達や移送等について(当時の)法律を曲げてまで(年齢制限とか渡航規制の「超法規的」な免除)国家機関による便宜(輸送船等の渡航手段の提供)を図っているのも国で、その慰安所の管理を行っていたのも国だ。だから、「国営」だと指摘されるのだし、そこで発生した一切の不法、非倫理的、非人間的行為に対して国の責任が問われるのだ。 改めて繰り返しておくが、従軍慰安婦問題とは戦前戦後の右翼日本天皇制ファシズム国家が行った女性に対する戦争犯罪・権力犯罪であって、その被害者は日本人女性のみならずアジア各国や世界の女性におよぶ。韓国人女性の被害者が、日本政府による責任の承認とその救済を求めているのはそのほんの一部に過ぎない。日本人を除く全ての国籍の被害者が声を上げている。 この点で一番悲惨なのは、たとえその当時売春を心ならずもその生業としていたとしても(東北の娘売りを想起されたい)、前借金に縛られたり騙されたりして(誰が、日本を出てわけもわからない外国の危険な戦地で毎日毎日40人も50人もの荒んだ兵隊の相手をすることを自由意志で同意するものか!)戦地の従軍慰安所の連れて行かれ酷い目にあった日本の女だ。戦後も続いた右翼保守の威嚇と脅迫によって、その戦争犯罪に対する謝罪と補償を求める被害者としての声を上げることができないでいる。それでも、従軍慰安婦にされた日本の女たちも立派な被害者だ。 わたしは、朝鮮人を始めとする従軍慰安婦被害者に同情しその正当な救済を行うべきだと信じる日本人の一人だが、同時に、同じ正義にもとづいて、従軍慰安婦として酷い目に遭わされ人生を狂わされた数多くの日本人女性に同情しその正当な補償と救済を行うべきだと信じる。 従軍慰安婦問題は、決して対韓国問題ではなくまずわれわれ日本人の日本の問題なのだ。 私には、他の多くのまともな日本人と同じく、正義は正義、不正義は不正義とよくわかる。だから、わたしは従軍慰安婦問題のような不正を国家として平然と行った戦前右翼天皇制ファシズム官僚政府も、それを美化するために、ほとぼりが冷めたからもうしらばっくれても大丈夫と、日本人ばかりにとどまらずアジアや世界の女性に対してそれが行った国家権力犯罪の存在そのものを否定する日本の右翼保守の不正義と欺瞞を激しく憎む。 戦前右翼天皇制ファシズム官僚政府が行った「国家管理売春」である従軍慰安所とそこにおける一切の不正と非道と非倫理と基本的人権違反と反人道が日本と日本人の恥であるのに、その歴史的事実を、今になっておめおめと否定しようとする右翼保守の愚かな企ては、その恥に更に恥を上塗りするものだ。まともな日本人として世界と歴史を前に恥ずかしくていたたまれない。この右翼保守の所業を「反日」と呼ばずしてなにを「反日」と呼べるのだ。 「反日」右翼保守は恥を知れ。
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