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「新聞崩壊」が深刻化。またまた100万部減少していました ついに「次の時代」が始まるのか?
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50744
2017.01.19 磯山 友幸 経済ジャーナリスト 現代ビジネス
■1年間で100万部減少
新聞発行部数の減少に歯止めがかからない。日本新聞協会がこのほど公表した2016年10月時点の新聞発行総部数は4327万6147部と、1年前に比べて2.2%減少した。部数にして97万部の減少である。
一昨年(2014年10月時点)は3.5%の減少、昨年(2015年10月時点)は2.5%の減少と、減少率こそ小さくなっているものの、1年間で100万部近い減少が続いており、とても下げ止まる気配は感じられない。まさに音をたてて崩壊している感じだ。
新聞発行部数をグラフに描いてみると、2008年に大きな屈折点があったことが分かる。リーマンショックで景気が大幅に悪化したことから、会社や家庭で新聞購読を止める動きが広がったのだろうという想像はつく。
だが、その背景にはインターネットやスマートフォンの普及があるのは間違いない。「ニュースを知るために新聞を読む」という行動が急ピッチで失われているのだ。
新聞発行部数が急激に減っている一因に、新聞社が慣行として行ってきた「押し紙」をやめ始めているため、という事情もあるとされる。「押し紙」とは、新聞社が販売店に余分な新聞を買わせることで、見かけ上の新聞発行部数を「水増し」することに狙いがある。過去十数年にわたって業界の悪弊として問題視されてきたが、2016年になっても依然として続けている新聞社が少なくないとみられる。
2016年3月末には朝日新聞社が公正取引委員会から「注意」を受けていたという話が本コラムhttp://gendai.ismedia.jp/articles/-/48396でも報じられている。
新聞社が発行部数を「過大」申告したがるのは、広告料金に直結するからだ。発行部数が多ければ多いほど、広告効果が期待できるとして、高い広告料金が設定されていた。広告主に高い広告代金を払わせるには、部数が大きくなければ都合が悪いわけだ。
もちろん、新聞の部数は日本ABC協会が認定する部数(ABC部数)が公表されているから、架空の数字を申告するわけにはいかない。そこで、実際に印刷して販売店に押し付ける「押し紙」が常態化したわけだ。販売店に届けられた「押し紙」は封が切られることもなく、そのまま古紙回収業者などに回される。そんな光景が何度か週刊誌のグラビアを騒がせてきた。
だが、広告主もバカではない。今ではすっかり新聞広告の宣伝効果が乏しい事を見抜いている。部数の水増しも知れ渡るところとなり、新聞社は印刷代や紙代がかかる押し紙を維持する必要が薄れてきた。それが新聞協会の部数減に表れているというわけだ。
だがどう見ても、押し紙を止めただけの影響とは思えない。実際、新聞離れが深刻になっているのは間違いないだろう。総発行部数のピークは1997年の5376万部。19年で1000万部減ったわけだ。
いやいや、デジタル版に置き換わっているのではないか、という指摘もありそうだ。
実際、日本経済新聞は1月7日のニュースとして、「日経電子版、有料会員50万人に 20代読者がけん引」とする記事を掲載している。2016年に日経電子版の有料会員になった人のうち20代が4万人超と34%を占め、最大だったという。新社会人などが電子版を契約しているというわけだが、それだけ若い世代の「紙離れ」が顕著になっているということでもある。
その記事にもグラフが付いていたが、米国のニューヨークタイムズの有料会員が155万人、米ウォール・ストリート・ジャーナルの有料会員が96万人と、今や新聞は世界的にみてもデジタル化が主流だ。
それならば新聞社は安泰だと思われるかもしれないが、そうではない。紙の新聞の広告料金とデジタル版の広告料金では雲泥の差がある。紙が減って広告収入が減れば、デジタル版の購読料がいくら増えても追いつかない。新聞社の経営は決して楽にならないわけだ。
■「育てる」機能はどこが担っていくのか?
では、時代の趨勢だから新聞社は滅びても仕方がない、と割り切るべきなのか。
ここで大きな問題がある。今、ネット上に流れている多くの情報が、もともとは新聞社所属の記者が取材した一次情報に依存している例が少なくない。ネット上の情報の多くが二次情報、三次情報になっているのだ。
「キュレーション・サイト」と呼ばれるサイトが大流行りだが、その大半は「他人のふんどしで相撲を取る」ビジネスモデルだ。論評をする形を取ることで、もともと新聞社や雑誌社、テレビの一次情報を紹介している。つまり一次情報がなければ成り立たないモデルだ。
新聞社が崩壊した場合、誰がその一次情報を取材し、編集して、記事にするのか。実は、この一次情報を収集するコストがメディアにとって最大の重荷なのだ。
昨年末、 DeNAのキュレーションメディアが問題視され、記事が非公開になる「事件」が起きた。これがメディア業界の転換点になるかもしれない、と筆者は考えている。メディア自身が自らきちんとしたコンテンツを作る動きが徐々に広がっていくのではないか、と期待しているのだ。
実際、一部のネットメディアではかつての紙媒体に匹敵する水準の原稿料を払ってフリーライターなどに独自記事を執筆させる例が出始めている。紙媒体の数分の一が当たり前というネットメディアの原稿料に異変が起きている。
これまで、新聞社やテレビ局、雑誌社などマス・メディアが記者や報道ジャーナリスト、編集者を育てていた。こうしたメディアの経営が大きく揺らぐ中で、まともなジャーナリストを育てていく機能はどこが担うことになるのか。質の高い情報にはおカネを出す、という読者・視聴者が増えるのか。それともそうしたジャーナリズムを支えるNPOなどが現れてくるのか。
新聞崩壊の深刻化と共に、「その後」のメディア業界のあり方も徐々に見えて来るのかもしれない。
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